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雨が降って地面が固まるような

「おい!ナムウヒョンッ!!!」
これほど怪我人の部屋を訪れるには適さない入り方もないという騒ぎでソンギュがウヒョンの寝室の扉を開け放った。
壁にバウンドした扉が駆け込んできたソンギュの後ろで勢いよくバタンと閉じる。

「無事なのか?!」


ベッドのヘッドボードに背中を預けて座っていたウヒョンと、その横でメモに何かを書いていたコナムが目を丸くして部屋に飛び込んできたソンギュを見た。
一瞬、強盗にドアが蹴破られたのかと思ったほどだった。

血の気のない白い顔、赤く染まった丸い頬、興奮して突き出た唇、確かそう、そんなインコがいたような気がした。
それともオウムだったか。
ウヒョンの目がソンギュを隅々まで観察する。
いや、怒ったように吊り上がった細い細い目を見ればその顔は奇妙な姿のなんとかというキツネに似ているようだった。
目の前で面白い顔を見せている、このチームの長兄が自分の事故の知らせを聞いて慌てて飛んで来たのだということは一目瞭然だ。

自分のためだけにキムソンギュの心がこうも乱れるのかと思うとウヒョンには妙な優越感があった。
普段、心底手を焼いている相手が自分のせいでこんなにも動揺した姿を見せているから隠れていた支配欲が満たされ、充足していく感じがするのかもしれない。


コナムを押しのけるようにして自分のそばに寄ってきたソンギュを見てウヒョンの視線がコナムに向かう。

『ねぇ、見てよ。この兄、本当に可愛いね』

そんな思いでにっこりと笑って見せると、笑いかけられた相手は呆れた顔をしてギャンギャンと喚き散らしている(のであろう)ソンギュの後ろでこめかみに指を向け、力なくくるくると回してみせた。

「お前」
「ホントに」
「イカレてる」

唇がそう動いたようで、また笑った。
わかってるよ、ギュ兄にイカレてんだ俺。


「ソンギュ、いまこのバ... いや、コイツに何を言ってもなんも聞こえてないから」
「...やっぱりそうなのか?コナム兄、こいつ本当に聞こえないのか?」
振り返ったソンギュの目から大粒の涙が溢れて次々と流れていく。
そんなソンギュにコナムは溜息交じりに説明した。

「事故に遭った時の大きな音が耳を直撃して一時的に聴覚が麻痺してるだけで、数時間もすれば徐々に聞こえるようになってくるし、大体数週間で元の状態まで戻るらしい。ほかには打ち身ぐらいで大きな怪我はないから大丈夫だ。ただ、いま話がしたいなら筆談が必要ってだけでホント、あの事故でほぼ無傷って恐ろしく強運なヤツだよ」

「そっか... 良かった...」
ヘナヘナとウヒョンのベッドに座り込んでしまったソンギュにコナムが続ける。
「俺はそろそろ帰るけど、ソンギュ、お前はまだしばらくいるだろ?コイツが無茶しないように見ててくれ。薬もあるから何か食べさせたらちゃんと飲ませてくれな」
「うん」

後ろを向いたまま手だけ振って出て行くコナムを見送って、自分の方に向き直り、しきりに「良かった」「本当に良かったなぁ」と繰り返しメソメソと泣くソンギュをウヒョンは自分の胸元へ引き寄せ、慰めるようにトントンと背中を摩ってやった。

几帳面で怖がりなところのあるソンギュのことだ自分が事故に巻き込まれたことで、また何か最悪の事態でも想像して苦しんだのだろうと思うと少しだけ申し訳なく思った。




どれくらいそうしていたのか激しい緊張と急な安堵の応酬でぼんやりしていたソンギュが、自分がウヒョンに身を任せているということを自覚して気まずさと妙な腹立たしさで顔を真っ赤にした。
不貞腐れた顔で酷い悪態を吐いていたが、聞こえていないなら文句を言っても仕方がないとかなんだとか、ひとりでモゴモゴとやっているようだった。

「ソンギュ兄」
「え?お前聞こえるの?ウヒョナ」
「ん... なんかボーって音がして声が遠くに聞こえるからすごい違和感あるけど、一応」

「帰る」

「ちょっ、え?なんで急に?!」
さすがのウヒョンもこれには驚いた。
普段から小言の多いソンギュに文句のひとつでもふたつでも言われるつもりでいたのだ。
「......」
「でも兄、心配して来てくれたんだろ?」
「無理。しばらくひとりになりたい」
「酷いな。怪我人を捨てて行く気?」
いくらなんでも耳が聞こえるとなったら急に冷めたすぎるんじゃないか。
さっきまでここにいた心配性の泣き虫はどこに消えたというのか。

「お、お前といるとなんか気が休まらないから!もう俺は自分の家に帰りたいんだよ!!」

真っ赤な顔で何を叫ぶのかと思えば、この人は... これで本当に2つも年上なんだろうか。
少々可愛すぎるのではと思うのは堕ちた自分の欲目だろうか。

「それに...」
「え?」
「なんか誰かに... いや、アイツだ。 アイツが確実に嵌めてきた気がする。絶対そうだ」
苦虫を噛み潰したような表情をするソンギュの奥歯からギリギリと恐ろしい音がした。
「はっ?ちょっとどういうこと?」

いまにも武器を取ってどこかへ飛び出して行きそうなソンギュをどうにかなだめて事情を訊くと終演後の楽屋でソンジョンから事故の一報を聞かされたのだと言う。
「アイツが青い顔してお前がマジでやばいみたいに言うから俺はてっきりお前が... マネージャーも電話だって言って外に出て行ったきり全然帰ってこなかったし」

話を聞いてソンジョンが故意にソンギュを謀ったということはすぐにピンときた。
それにしても目の前にあるこの拗ねたような顔の威力が凄まじい。
涙の残った上目遣いに泣いて赤くなった鼻、怒って突き出した尖った唇。
帰ると言いながらウヒョンの腕を掴んで離さない震える指先。
これをどうして手放してやれるのか。
狂気に狂って一生この部屋に閉じ込めてしまいたいくらいだ。
感情の速度に頭が付いて行けず目が回りそうだった。
『どうしようもないな、ほんと... 』
ウヒョンは抱き寄せたソンギュの肩にコツンと額を預けた。



ソンギュは確かに最近、なぜなのか理由は分からないがウヒョンとの間に距離を感じていた。
急によそよそしくなってしまった弟が少しでもこっちを向いてくれたらいいと思っていたけれど、それがどうしてこんな状況になっているのだろう。
そんなことをぐるぐると考えている間に、ゆっくりと近づいてくる唇を無意識に受け入れかけている自分に気が付いた。

「わっ、やめろ!お前何考えてんだ!!」
「ーー好きだ」
「なっ...?!」
「兄のことが好きなんだ。俺を受け入れて」

好きだと言われ、心底驚いて見返したウヒョンの両目からポロリと涙が溢れた。
生意気なナムウヒョンのくせに好きとかなんだとか訳のわからないことを言ってポロポロ泣くなんてそれこそ本当に意味がわからない。
これも事故の影響か?どこか強く頭を打ちつけでもしたのだろうか。

ウヒョンの顔を見ると酷く真剣な視線が返ってきてソンギュの胸を鋭く射抜いた。

ーー突然お前に告白されて、そんな風に泣かれたら... 俺は... どうすればいいか分からなくなるじゃないか。


混乱したソンギュはぎゅっと目を閉じた。
瞑ったまぶたの裏は真っ暗で、そこには無数の小さな星が散らばり瞬いている。
混乱はしていたが、それでもそれを嫌だとは感じなかった。



「兄、震えてる... 」
気遣うように優しく触れた唇が離れたあと、耳元でウヒョンが静かに言った。
「あ... だって、お前に好きだって言われたら慌てるだろ普通。それなのに... クソッ」
「ふっ、ふふ、あはは」
何がおかしいのかひとりで笑うウヒョンの横でソンギュは舌打ちしたい気持ちだった。

ナムウヒョン、泣いたカラスがもう笑うのか?
嘘泣きかよ。

ウヒョンが囁いた側の耳が心臓のようにドクドクとすごい速さで脈打っている。
互いによく知った仲の弟の顔を見るのが恥ずかしくて俯いた。
いや、もうこれからはただの「弟」とは呼べないのかも...

ほんと、むかつくヤツだ。
生意気でいけ好かない。

その演技力もっと別のトコで活かせバカ。
ソンギュの胸の内では痛いくらいの高鳴りと悪態が大きな渦を巻いていた。



ウヒョンから思わず『あぁ...』という感嘆の声が洩れる。
そんなにも俺のことが心配だったのか。
感動だ。
抱きしめたソンギュの身体を押し倒してしまいたい衝動に駆られるがそれをぐっと我慢した。
ここで急いで、事を仕損じたくはない。

元々、ソンギュがウヒョンを好きだというのはみんなが気づいてた。
気づいてないのは本人だけで、最近はそれをどう自覚させようかと考え込んでいたのだが、まさかこんなオチが待っていたとは。
ウヒョンはクスッと笑うとソンギュに回した腕にぎゅっと力を込めた。
ゆっくりと味わうように、時間をかけてこの人を開いていこう。



「苦しい!もう放せよ!!」
ソンギュがジタバタと抵抗すると大して痛みもしないのに「イタタタタ...!」と騒いでみせる。
慌てたソンギュが騙されているとも知らず大人しくなるのが可笑しくて仕方がなかった。
本当に可愛い人だと思う。

「ねぇ兄、今日はここに泊まっていってよ。 俺ひとりじゃ夜中に具合悪くなったら不安だし」
「え... うん。まあいいけど」
「食事はあとでデリバリー頼もう。とりあえず、いまはちょっと眠って休んで」
「ああっ!俺メイクしたままじゃん!衣装のままだしシワになる!!」
ソンギュが急に思い出したように声を上げた。

「モーツァルトだっけ。 評判いいみたいだね」
「そう。で、演劇は『アマデウス』な。具合よくなったらお前も見に来いよ。絶対面白いから」
「じゃ、チケットよろしく」
「はいはい、わかってるよ。俺、顔洗ってシャワーしてくるからお前先に寝といて」

お前の服、勝手に借りるからと言って腕の中からするりと抜け出すと、まるで我が家のように慣れた手でクローゼットから着替えを出すソンギュの背中をウヒョンは横になりながら面白そうに眺めた。

「よくどこに入ってるかわかるな」
「そんなの俺たち全員お互い様じゃないか?」
「まあ、確かに」

まだ幼い時代に共同生活をしていたから生活の中にある「癖」は互いによくわかっている。
「お前の部屋に泊まるなんてなんか宿舎思い出すな」
「そうだな」
全員がまだ幼くて主張が多く喧嘩も絶えなかったが、本当に楽しかった。

「そうだ!俺、今度あいつら全員の家回って順番に泊まってってやろ」
「なにそれ」
ソンギュの言葉にウヒョンがケタケタと笑う。

「家庭訪問だよ、家庭訪問。リーダーとしてメンバーの素行チェックは必須だろ」
「うわぁ。スゲー迷惑!」
「じゃあ今夜は俺、これで帰るけど?」
「いやいや、冗談でしょ?」
「さぁな。 とりあえずシャワーしてくるからお前は寝とけ」

そう言い残し寝室を出て行くソンギュの後ろ姿に「勝手に帰るなよ!」と叫ぶと閉じた扉の向こうから楽しげな笑い声だけが返ってきた。

事故に遭ったことはとんだ災難だったが、それによって思わぬ幸運を手に入れたようだ。
どれほどの幸いかといえば、しばらく活動を休むことになった現状を差し引いても余りあるほどの大きなラッキーと言えるだろう。
なぜならキムソンギュが手に入ったのだから。

ウヒョンはニヤニヤする顔を枕に埋めた。
今回いい仕事をした末っ子には、欲しがっていたオレンジ色のコートを買ってやろう。

「でかしたぞ、イソンジョン。 お前ホント出来る男になったな」


まるで世界を手に入れた気さえして枕に押し付けた顔がニヤつくのを止められなかった。
ナムウヒョンのこれまでの人生において本当に、本当にワクワクする幸せな夜だった。





ソンギュが風呂から戻るまでウヒョンの寝室ではくぐもった笑い声が絶えることはなかったという...
これから二人にどんな幸せが待っているのか、それはまた別の機会に。


(終わり)
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