雪仏の湯好み







戸を開いた先は四畳半程の広さで床に足湯が埋め込まれたコの字型の板張りの部屋があり、
手入れの行き届いた庭が一望できるよう雨戸が開放されていた。

不思議な造りの部屋と庭の美しさに呆然とする浦原だったが、
店主の言葉で現実へと引き戻されることとなる。



「涅様、お連れ様がいらっしゃいました」



ハっと、我に返ればこちらに顔を向けていたマユリと目が合った。
部屋の入り口から右側の、湯船の縁に腰掛け足湯に浸かっている。


「…」


「あはは、どうも…」


「…仕様はこちらで説明しておくヨ」


「畏まりました、では先程ご注文された品を持って参ります」



想像していた様子とは違い、店主が部屋から出ていくのを静かに見送ったマユリは
再び呆けている浦原に対して大きく溜息を吐きヤレヤレと首を横に振った。



「気付かないとでも思っていたのかネ」


「えっ、い、いつから」


「隊舎からだヨ…早く足袋を脱いで浸かったらどうだネ」



隊舎から尾行に気付かれていたとは、浦原は先程の店主の言葉に納得し
そしてマユリから憤慨されることなく同席を許可されたことに酷く安堵し、脱力する。
マユリも着いて来てしまったのなら致し方無しと呆れながら
浦原に入り口付近に備え付けられた棚から手拭いを取るよう足湯に浸かったまま案内をする。

足袋を脱ぎ、袴が濡れぬよう裾をたくし上げ、膝に手拭いを広げて置いておく。
湯から上がる時は床をあまり濡らしてしまわぬように
膝に掛けておいた手拭いで濡れた箇所をしっかり拭いてから上がること。

説明を受けて、浦原は早速その通りに支度をしマユリと向かい合うようにして足を湯に浸けた。
普段の入浴の時より少し熱めに感じる湯加減だが、
滑らかで、癖のないさらさらとした優しい湯触りが心地良い。
湯の蒸気に加えて大きめの火鉢が部屋の中央に置かれている為か、
外からの冷たい空気をあまり気にすることなく梅の花が咲き誇る美しい庭を楽しむことが出来た。



「良いところっスね」


「当然だろう、この場所が建てられたのは最近だが
本館である老舗旅館から引湯してきていてネ、そこらの湯屋より泉質が良いのだヨ」



マユリはどうやらこの店の常連らしい。
先々月に使いの帰りに見つけ、次の非番の日に何気なく入ってみたらすっかり嵌ってしまったと
そうマユリが上機嫌に話していると、入り口の戸を叩く音と声が聞こえてきた。

マユリが返事をすると戸が引かれて店主が部屋へ入ってくる。
手には湯呑みと急須と茶菓子が乗った四角い取っ手付きの盆を持っていた。



「こちら玉露と季節の生菓子二種で御座います
本日は練りきり『うぐいす』と、きんとん『紅梅』をご用意しております」



浦原、マユリの傍らに生菓子と湯呑みが置かれ、
店主は急須で湯呑みに緑茶を注いでいく。

その様子をじっと見つめるマユリは心成しか微笑んでいるようだった。
普段、実験中に阿近と共に怪しげな笑みを浮かべていることはよくあるのだが
このような、子供のような、期待に満ちた表情をするマユリを見て
浦原は静かに驚き、動揺した。

この男は、こんな顔も出来たのかと。

其々の湯呑みに緑茶を注ぎ終わった店主は盆を持ち、
それではごゆっくり と一礼をして部屋を出て行った。

再び二人きりとなった事に気まずさを覚え浦原は湯呑みを手に持ち、口を付ける。
ふくよかでまろやかな甘みが口腔を満たし、深みのある香りが鼻を抜けていく。
渋みも少なく、まろやかで優しい口当たりに思わず溜息を吐いてしまう。
漆塗りの皿に乗った生菓子はどちらも色鮮やかで可愛らしく、美しい。
それを足湯に浸かりながら楽しめるこの店は、金に余裕のある者には間違いなく流行るだろう。

そう思いながら、浦原はちらりとマユリの方を見た。
大きなお世話だろうが、いくら第三席としてそれなりの給金を貰っていたとしても
非番の度に通っていてはかなりの出費になるだろう。
それに先日は自分用として特製のフラスコを注文しているのを見掛けた。
一体、マユリの懐事情はどうなっているのか と浦原が疑念を抱いている間にも

マユリは一人幸せそうに玉露を啜りながら足湯を楽しんでいた。
皿を手に持ち、黒文字で生菓子を切り分けては口へ運ぶ。その度に頬が綻ぶ。

蛆虫の巣で初めて出会ってからつい先程まで
浦原はマユリの事を冷淡な男だと思っていた。
科学者としての能力を買い配下に置いたが、研究以外では感情を表に出すことは無く
誰とも深く交流を持とうとはしない、正直上司である自分の事も嫌っていると思っていた。

だがそれは見当違いだったらしい。
目の前のマユリは思っていたよりも人らしく、豊かな感情を表に出している。
普段は陶器人形のような青白い肌も、湯に温められほんのりと赤く色付いて生気を帯びている。

湯けむりの中、伏せられた瞼から覗いた金色の瞳と目が合い
浦原はマユリの事を、美しい と見惚れた。





.
2/4ページ
イイネ!