不死鳥の騎士団
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その後、ナマエは何事もなかったように授業へ戻った。
廊下を歩けば、何人かの生徒が声を潜めた。ナマエと目が合うと急に話をやめる者もいたし、親切にしなければならないと思い込んだように、重い扉を開けて待っている者もいた。
以前なら、余計なことをするなと腹を立てていただろう。今はそれを咎めるのも面倒だった。
ただ、本当に何事もなかったわけではない。
ある朝、アンソニーに「ずいぶんうなされていたけど大丈夫?」と訊かれた。
ナマエはその日のうちに、自分の四柱式ベッドのカーテンに何重にも防音魔法をかけた。
それからは、誰にも何も言われなくなった。
眠れない夜には眠り薬を使った。材料さえあれば調合など朝飯前だったし、自分に必要な分量くらい分かっている。
そうして朝になれば、いつもどおり制服を着た。
ナマエがいつもどおりに返事をし、いつもどおりに試験の問題へ文句をつけ、いつもどおりに軽口を叩くうちに、露骨に気を遣う者は少しずつ減っていった。
学期末の宴会にも、いつもどおり出席した。
校長席でダンブルドアが立ち上がると、大広間のざわめきが静まっていった。
ナマエは目の前の皿を見つめた。チチオヤのことに触れるとは、前もって聞かされていた。
「食事の前に、ひとつ悲しい知らせがある。この一年、特任校医を務めてくださったチチオヤ・ミョウジ先生が、先日の魔法省での戦いにおいて亡くなられた」
大広間が静まり返った。
「ミョウジ先生は優れた癒者であり、この城で多くの者を助けてくださった。ホグワーツは、その働きを忘れぬじゃろう」
もっと何か長く喋っていたかもしれない。ナマエの頭にはあまり入ってこなかった。ダンブルドアは杯を掲げた。教師と生徒たちが杯を上げた。
ナマエも一拍遅れて杯を持ち上げた。
あちこちから視線を感じたが、隣に座ったテリーとアンソニーはナマエを見なかった。
杯が置かれると、金色の皿に料理が現れた。大広間には少しずつ話し声が戻っていった。
「──あれ、マイケルは?」
ナマエがふと尋ねると、テリーは顎で少し離れた場所を示した。
マイケルはチョウ・チャンの隣に座っていた。
ただ隣にいるだけではなかった。
チョウが何かを囁くたび、マイケルが顔を寄せる。マイケルが皿から取ったパンを半分に割り、その片方をチョウへ渡すと、彼女は笑って受け取った。
ナマエはしばらく二人を見つめた。
「えっ」
アンソニーが顔を上げた。
「どうしたの?」
「マイケルとチョウ、何であんなに近いんだ?」
テリーが呆れたようにナマエを見た。
「気づいていなかったのか?」
「何に?」
「付き合ってる」
ナマエは勢いよくマイケルを振り返った。
「いつから?だって──ハリーは?──ジニーは?」
「イースター休暇明けくらいじゃないかな」
「そんな前から?」
声が大きくなった。
周囲の生徒が振り返り、マイケルもこちらを見た。
ナマエが驚いた顔で指を差すと、マイケルは露骨に嫌そうな顔をした。チョウは口元を押さえて笑っている。
「聞いてないぞ!」
ナマエが言うと、マイケルは遠くから答えた。
「君に言う機会がなかったんだよ」
「毎日会ってただろ!」
「君が人の話を聞いていなかっただけだ!」
テリーが吹き出した。
「ナマエは自分の周りで恋愛が始まっても、本人から説明されるまで気づかないからな」
「そんなことないだろ」
「自分がグレンジャーに惚れたときも、しばらく気づいてなかった」
ナマエが言い返そうとした時、背後から声が聞こえた。
「ちゃんと食べてる?」
ハーマイオニーだった。
「ああうん、今から食べる」
ナマエは自分の顔が少し赤くなるのを感じた。
ハーマイオニーはナマエを疑わしそうに見ると、空になりかけていた杯へかぼちゃジュースを注いだ。
「今日は昼食もあまり食べていなかったでしょう」
「見てたの?」
「同じ大広間にいたもの」
「いつもより、よく見ているな」
テリーがくすくす言った。
ハーマイオニーの手が止まった。
「何が?」
「いや。最近、ずいぶんナマエの世話を焼いていると思って」
ハーマイオニーは何か反論しようとしたが、結局口を閉じた。
ナマエの前に置かれた匙の向きを直し、皿を少し近づける。
「ちゃんと食べて」
「わかったよ」
ナマエが答えると、ハーマイオニーはようやく自分の席へ戻った。
テリーがその背中を見送り、ナマエへ顔を寄せた。
「完全に世話を焼かれてるな」
「前からだよ」
「いいや。前は、君がグレンジャーの世話を焼いてたよ」
アンソニーが冷静に言った。
「今は逆だね」
ナマエはローストビーフを切りながら、ハーマイオニーの背中を見た。
今までより、自分へ関心を向けてくれている。
そのことは嬉しかった。
ハーマイオニーが自分の食事や睡眠を気にし、廊下で見かければ声をかけ、図書室から戻る時には一緒に行こうと待っていてくれる。それは、ナマエが以前から望んでいたことに近かった。だが、どうしてか素直に喜ぶことができなかった。
父親を亡くしたナマエへの罪悪感のような気もする。なんにせよ、ナマエがハーマイオニーを欲しがっている気持ちとは、少し違うような気がした。
ナマエは、彼女がそこにいるだけで目で追った。話を聞いてほしくて、褒められれば嬉しくて、ほかの誰かを優先されれば腹が立った。
ハーマイオニーが今、ナマエへ向けているものは、気遣いであり、責任感であり、何かを取り戻そうとする必死さだった。
それでも、このまま世話を焼かれていたかったのもまた事実だった。
ホグワーツ特急が出る日の朝、いつものように馬なしの馬車で駅に向かった。
蹄が地面を踏む音がした。ナマエは窓から身を乗り出すようにして、馬車の前方を見た。やはり何もいない。
父親が死んだ。
その言葉を自分で口にした。ダンブルドアから聞き、シリウスから最期の様子を聞いた。
それでも、セストラルは見えなかった。
ナマエはチチオヤが死ぬところを見ていない。
そう考えると、ほっとするような、置き去りにされたような、妙な気分になった。
ナマエはアンソニーたちと一緒に列車へ乗り込んだ。
通路には生徒と荷物が溢れ、ふくろうの籠があちこちで羽音を立てていた。空いているコンパートメントを探して歩いていると、背後から声がした。
「ミョウジ」
ナマエは足を止めた。
振り返ると、ドラコが通路のすぐ後ろに立っていた。
きちんと監督生の徽章をつけ、ローブを襟元まで留めている。顔色は相変わらず悪かったが、以前ほど追い詰められた様子はなかった。
ドラコはナマエに向かって顎を上げた。足を止めろと言われているのだと分かった。
アンソニーとテリーが、警戒するようにナマエとドラコを交互に見た。
ナマエはしばらく考えたあと、アンソニーたちへ向き直った。
「先に行ってて」
「大丈夫?」
アンソニーが低い声で尋ねた。
「うん。あとで行く」
テリーは何か言いたそうだったが、アンソニーに肩を押され、マイケルと一緒に通路の先へ進んだ。
ドラコは近くにあったコンパートメントから一年生を追い出した。
「ほかを探せ。ここを使う」
一年生たちは文句を言う勇気もないらしく、慌てて荷物を抱えた。
「ごめんね。こいつ、感じ悪いんだ」
ナマエが言うと、最後に出ていった少年が小さく頷いた。ドラコは舌打ちをしたので、一年生は慌てて去った。
二人が中へ入ると、廊下の喧騒が扉一枚を隔てて遠くなった。
ドラコは一年生が残していった菓子の包み紙を嫌そうにつまみ、扉の外へ捨てた。ナマエは向かいの座席へ腰を下ろし、閉じられた扉を見た。
「鍵、閉めなくていいのか?」
ドラコの手が止まった。
ほんの一瞬だったが、顔が強張った。
必要の部屋に閉じ込めた相手と、その張本人。二人とも、同じことを思い出していた。
ドラコはゆっくり扉から手を離した。
「僕がまた君を閉じ込めるとでも思っているのか?」
「そうは言ってない」
「なら、好きにしろ。僕はどちらでも構わない」
いかにも興味がないという顔で、ドラコは向かいの座席へ座った。
ナマエは少し考えてから杖を取り出した。小さく振ると、カチッ、と鍵のかかる音がした。
窓の外では、まだ遠くでハグリッドが大きな手を振っていた。
ドラコは何度か口を開きかけた。そのたびにやめた。
監督生の徽章が曲がってもいないのに指で直し、袖口を引き、窓の外を見る。
ナマエは何も言わずに待った。やがてドラコが苛立ったように息を吐いた。
「君は、僕が何のために呼んだのか分かっているのか?」
「知るか」
「少しくらい考えろ」
「呼んだ方が言えばいいだろ」
ドラコはナマエを睨んでから窓へ目を戻し、また黙った。
ナマエはそろそろアンソニーたちのところへ行こうかと思い始めた。
そのとき、ドラコが言った。
「僕は、君を神秘部へ行かせるつもりはなかった」
ナマエは目を瞬いた。
「聞いた」
「君が神秘部のことを知れば、ポッターのところへ行くのは分かっていた。止めても聞かなかっただろう」
「たぶんね」
「たぶんじゃない、絶対にそうなった」
「じゃあ、絶対でいいよ」
ナマエが言い直すと、ドラコは気に入らないように眉を寄せた。
「しかも、実際に行った。死んでもおかしくなかった──」
そこでドラコは言葉を切った。
ナマエの顔を見た。さっきまでの勢いが急に失われた。
「……とにかく、僕が止めようとしたことは間違っていたとは思っていない」
「じゃあ、何の話?」
ドラコの口元が歪んだ。
「最後まで聞けないのか?」
「聞いてるよ」
「なら黙ってろ」
ナマエは肩をすくめた。ドラコはまた黙った。
自分から話し始めたくせに、ひどく不機嫌そうだった。
「君は自分をずいぶん冷静で有能な人間だと思っているようだけど、実際には、箒にまともに乗ることすらできない。そのくせ、何か起きれば自分一人でどうにかできると信じきっている。誰にでもいい顔をして、八方美人なくせに、傲慢にもほどがある」
「……悪口を言うために呼んだわけ?」
「違う!」
ドラコが声を上げた。
通路を歩いていた誰かが、曇り硝子越しにこちらを見た。
ドラコは舌打ちして声を落とした。
「違う。まだあるが、そうじゃない。普通の馬鹿よりずっとタチが悪い」
ナマエは黙った。
ドラコは膝の上で両手を組んだ。
「だから──」
言葉が続かなかった。
灰色の目が一度、ナマエの耳元へ向いた。それからすぐに逸れた。
「僕は君を行かせたくなかった。それは今でも同じだ。もしもう一度同じことが起きても、僕は止める」
「また閉じ込める?」
ドラコが鋭くナマエを見た。
「そういう揚げ足を取るな」
「大事なところだろ」
「分かっている!」
また声が大きくなった。
ドラコは苛立たしげに前髪をかき上げた。
「分かっているから、こうして話しているんだろう!」
ナマエは少し驚いた。
ドラコが自分からこんな話をするだけでも珍しい。
まして、言いたくないことを無理に言おうとしているのは明らかだった。
「……杖を奪う必要はなかった」
ようやくドラコが言った。
ナマエは何も言わなかった。
「閉じ込める必要もなかった。少なくとも、あんなやり方をするべきではなかった」
ドラコはそれだけ言うと、妙に悔しそうな顔をした。
まるで、自分自身に議論で負けたようだった。
「俺を囮に使ったのも?」
ナマエが尋ねた。
ドラコの眉間に皺が寄った。
「僕は父上に命じられていた。断ればどうなるか──」
「俺には関係ない」
反射的に何か言い返そうとしたらしい。
しかし、口を開いたまま止まった。
ナマエは待った。
長い沈黙のあと、ドラコは低く言った。
「……ああ」
「へえ」
「何だ、その顔は」
「いや。認めるんだなと思って」
「君は僕を何だと思ってる?」
「絶対に自分が悪いって言わないやつ」
ドラコの頬がわずかに赤くなった。
「僕は、自分が悪くないことまで謝るつもりはない」
「今は?」
ドラコはしばらくこちらを睨んでいたが、やがて視線を落とした。
「……君にしたことについては、僕が悪かった」
それを口にするだけで、ずいぶん力を使ったようだった。
指先が白くなるほど、膝の上で手を組んでいる。
それでも、ドラコは頭を下げなかった。
ナマエから目を逸らしたまま、しばらく黙っていた。
「だから、その──」
そこでまた詰まった。
「何?」
「急かすな」
「急かしてない」
「黙ってろと言ったはずだ」
ドラコは腹立たしそうに言い、それからようやくナマエを見た。
「……すまなかった」
短かった。言い訳も続かなかった。
ナマエは少し待った。
父親に命じられたからだとか、ナマエを守ろうとしたのだとか、ポッターが悪いのだとか、何かしら続くと思った。
だが、ドラコは何も言わなかった。ただ、ひどく居心地が悪そうな顔で座っていた。
そこで初めて、ナマエは、本当に謝られているのだと分かった。
「……ああ、うん」
ドラコの眉がぴくりと動いた。
「それだけか?」
「何て言ってほしいんだよ」
「知らない」
ドラコはますます不機嫌になった。
「じゃあ、俺にも分からないよ」
ナマエが言うと、ドラコは憤然と窓の外を向いた。
許したとは言えなかった。
だが、もう二度と話したくないとも思わなかった。
「……全部があんたのせいだとは思ってないよ」
全部、はチチオヤのことだった。口には出せなかった。
そのとき、突然扉の窓硝子が激しく叩かれた。二人が振り向くと、窓にハリーとロンとハーマイオニーの顔が並んでいた。
ハリーが鍵のかかった扉を指し、険しい顔で何かを言っている。声は聞こえなかったが、「開けろ」と言っていることだけは分かった。
ロンは扉を開けようと取っ手を何度も動かし、ハーマイオニーはナマエとドラコを交互に見ていた。
ドラコが嫌そうに顔をしかめた。
「騒々しい連中だな」
ナマエは片手を上げ、ハリーたちへ大丈夫だと合図した。
ハリーは納得しなかったらしい。さらに強く窓を叩いた。
ナマエは両手で大きく丸を作った。
それでも三人は動かなかった。
「放っておけばいい」
ドラコが言った。
「あとで問い詰められるの、俺なんだけど」
「君が自分で鍵をかけた」
「そうだけどさ」
ナマエは立ち上がらなかった。
しばらくすると、ハーマイオニーがハリーの腕を引いた。何かを言い聞かせ、ようやく三人を廊下の先へ連れていく。
ハリーは何度も振り返っていた。
「俺を心配してくれてるんだよ」
ドラコはわずかに口元を歪めた。
「父上は、アズカバンへ入れられた」
唐突に言った。
ナマエは一瞬、何の父親か分からなかった。
すぐに、ルシウスの顔が浮かんだ。
「……いいじゃん。今は吸魂鬼もいないんだろ。前より過ごしやすいんじゃないか」
ドラコの顔を見ず、ナマエは窓の外へ目を向けた。
列車がゆっくりと動き始めていた。ホームが後方へ流れ、蒸気が窓を白く曇らせる。
「なあ」
「何だ」
「ファーストネームで呼んでいいよ」
ナマエは視線を窓の外へ向けたまま続けた。
「呼びたきゃだけど」
列車の車輪が規則的な音を立てていた。
しばらくして、ドラコが言った。
「……ナマエ」
聞き慣れているはずの自分の名前が、少し違って聞こえた。
ナマエは窓に映る自分の顔を見た。
「何?」
「いや」
ドラコはそれ以上言わなかった。
やがて廊下から、監督生を呼ぶ声がした。ドラコは立ち上がり、ローブの裾を整えた。
ナマエは杖を振って、鍵を開けた。
ドラコの姿が廊下の向こうへ消れて間もなく、再び扉が開いた。
入ってきたのはハーマイオニーだった。その後ろから、ハリーもコンパートメントへ顔を出した。
「ナマエ」
ハーマイオニーは息を切らしながら中を見回した。
「マルフォイは?」
「見回りに行ったよ」
ハリーは向かいの座席と、開いたままの扉の鍵を確かめた。
「何を話してたんだ?」
「まあ、いろいろ」
「何かされた?」
ハーマイオニーが尋ねた。
「されてないよ」
「でも、鍵をかけていただろ」
今度はハリーが言った。
「俺がかけたんだ」
ハリーは安心するどころか、ますます理解できないという顔になった。
「どうして?」
「二人で話したかったから」
「マルフォイと?」
ナマエは先ほどまでドラコが座っていた場所へ目をやった。
「大丈夫だよ」
「本当に?」
「うん。友達だから」
口にしてから、少しだけ不思議な気がした。
「だけど、君はそうやって騙されたじゃないか!」
ナマエは何も言い返せず、ハリーの顔を見つめた。その通りだった。
「……わかってる」
「本当にわかってるのか?」
「わかってるよ。俺が今ここにいるのは、何度もハリーが助けに来てくれたからだ」
ハリーは何か言いたそうにしたが、諦めたようにため息をついて、ロンの待つコンパートメントへ戻っていった。
ハーマイオニーはその場に残り、ナマエの隣へ腰を下ろした。
「私、ここにいていい?」
「もちろん。いいけど、見回り中なんじゃないの?」
ハーマイオニーは、そこで初めて思い出したように目を見開いた。
「そうね。そうだったわ」
ハーマイオニーが慌ただしく見回りへ戻ると、ナマエは座席へ横になった。
いつの間にか眠っていたらしい。
ナマエが身体を起こすのと同時に、コンパートメントの扉が開いた。
入ってきたのはハーマイオニーだった。そのすぐ後ろに立っていたのはドラコだった。
「一緒に見回りしてたの?」
ナマエが尋ねると、ハーマイオニーは顔をこわばらせた。
「そんなわけないでしょう」
ハーマイオニーはナマエの隣へ座りかけたが、ドラコがまだ立っていることに気づき、動きを止めた。
「どうしてついてくるの?スリザリンのところに戻りなさいよ」
「ここは僕の席だ。荷物が見えないのか?」
「ナマエのいるコンパートメントよ」
「それがお前になんの関係がある?」
ハーマイオニーの顔が険しくなった。
「少なくとも、私は友人を閉じ込めたりしないわ」
空気が凍りついた。
ドラコの顔から表情が消えた。灰色の目が冷たく細まり、ハーマイオニーも一歩も退かずに睨み返している。
「ハーマイオニー」
「本当のことでしょう」
ナマエは座席の上で膝を立て、二人を見比べた。
コンパートメントの空気は重かった。
ナマエは立ち上がり、荷物棚に置いた鞄へ手を伸ばした。
「じゃあ、俺が出てく。アンソニーのとこに行く……」
「どうしてあなたが逃げるの!」
ハーマイオニーがすぐにナマエの袖をつかんだ。
ナマエは弱って鞄から手を離した。
「仲良くしろとは言わないけど、俺、二人が言い合うのを聞くためにここにいたくない」
「私は喧嘩をしたいわけではないの。ただ、あなたがまたマルフォイに何かされるんじゃないかって──」
「僕は謝った」
ドラコが遮った。ハーマイオニーは少し驚いてからきつい目を向けた。
「謝れば、したことがなくなるわけではないわ。今も反省しているようには見えない。さっきだって、ハリーを呪おうとしていたじゃない!」
「だったら何だ。それはポッターとの問題だ」
ナマエはすぐにドラコを睨んだ。
「呪おうとした?」
ドラコはナマエを一瞥したが、何も言わなかった。
このままでは、どちらかが杖を抜く。ナマエは諦めて背もたれに身を預けた。
「……せめて言い合うのはやめてくれよ、頼むから。監督生だろ」
ハーマイオニーは唇を引き結んだ。ドラコも不機嫌そうに顔を背けた。
それでも、二人とも黙って座った。ハーマイオニーはナマエの隣へ、ドラコは向かいの座席へ腰を下ろす。
車輪の音だけが、やけに大きく響いた。
ナマエは窓の外を見た。畑と木立が、次々と後ろへ流れていく。
「そういえば──」
二人の視線が同時にナマエへ向いた。
ナマエは口を閉じた。
マイケルとチョウの話をしようと思ったが、この二人に話しても仕方がない気がした。
「何でもない」
再び沈黙が落ちた。
ハーマイオニーは膝の上で両手を組み、ドラコは腕を組んだまま窓の外を見ている。どちらも相手がいないものとして振る舞おうとしていたが、少しでも動けば、互いの気配を探るように目だけが動いた。
……この二人は、ナマエの身の回りで起きた出来事を何一つ忘れさせてくれない。
「腹減ってない?」
耐えかねたナマエがどちらにでもなく尋ねた。
「平気よ」 「いらない」
ほとんど同時に答えたあと、二人は険しい顔で互いを見た。
「あ、そう……」
ナマエは菓子を取り出しかけて、鞄へ戻した。やはりアンソニーたちのところへ行けばよかった。
あちらなら、マイケルが菓子を奪い、テリーがくだらないことを言い、アンソニーが静かにしろと注意する。少なくとも、息をするたびに誰かを刺激するような空気ではなかった。
そう考えると、何だかおかしくなった。
ナマエの口元がわずかに緩んだ。
「何を笑っている」
ドラコがすぐに言った。
「別に」
ハーマイオニーも疑わしそうにナマエを見た。
「何がおかしいの?」
「二人とも、俺がいない方が楽なんじゃないかと思って」
「そんなことはないわ」
ハーマイオニーが即座に否定した。
ドラコは否定せずに眉を寄せた。
ナマエは窓の外へ顔を向けた。
アンソニーたちのところへ行けばよかったという考えは、まだ消えていなかった。
やがて列車が速度を落とし始めた。
ナマエは窓の外に広がるキングズ・クロスのホームを見るなり、立ち上がった。
「じゃあまた九月に」
返事を待たずに鞄を持ち、丸めていたローブを抱える。ナマエは今度こそ逃げるようにコンパートメントを出た。
アンソニーたちは二両先にいた。
ナマエが扉を開けると、テリーが床に散らばったカードを拾い、マイケルがチョウの荷物まで抱え、アンソニーが全員の忘れ物を確認しているところだった。
「もう来ないかと思ってた」
アンソニーが言った。
「ちょっと空気が悪くてさ」
「窓を開ければよかったんじゃないか?」
テリーが真顔で言った。
ナマエは少し考えた。
「そういう空気じゃないんだよ」
テリーが笑った。
それだけで、ナマエはようやくまともに息ができる気がした。
列車が完全に止まると、五人は生徒の流れに混じってホームへ降りた。
白い蒸気の向こうに、黒い服を着た女が立っていた。
ナルシッサ・マルフォイだった。
ナマエは足を止めた。
ナルシッサは人混みの中でも目立つほど背筋を伸ばし、隙なく整えた淡い金髪の下から、こちらを見ていた。
その視線がナマエの顔に留まった。ほんの一瞬だった。ナマエは先に目を逸らした。
煉瓦の壁を抜けたマグル側のホームへ出た途端、よく知った声がいくつも聞こえてきた。
「ハリー!」
モリーさんが、人目も気にせずハリーを抱きしめていた。
その周囲にはアーサー、ルーピン、トンクス、それからマッド-アイがマグルの変装をして立っている。
少し離れたところには、ダーズリー一家がいた。
バーノン・ダーズリーは、今すぐ引き返したいような顔で、マッド-アイを見つめていた。ペチュニアは口を固く結び、ダドリーは両親の後ろへ身体を隠している。
「いいか、ダーズリー」
マッド-アイが杖を握ったまま言った。
「今度この子を飢えさせたり、物置へ押し込んだりしたら、わしにはすぐ分かる」
「そんなことをされていたの?」
モリーさんが恐ろしい顔でハリーを振り返った。
「昔の話だよ」
ハリーが慌てて答える。
ダーズリー一家は、誰の言葉にも返事をしなかった。
ナマエはハリーの隣へ近づいた。
「ずいぶん大勢で迎えに来たな」
ハリーが少し困ったように笑った。
「僕も知らなかったんだ」
「これなら今年は少し住みやすいんじゃないか?」
「そうだといいけど」
バーノンはナマエにも険しい目を向けた。
「ナマエ!」
モリーさんがナマエに気づいた。
ナマエが身構える間もなく、柔らかな腕に強く抱きしめられた。
「よく無事で戻ってきたわ」
ナマエは腕を下ろしたまま、されるがままになった。
「夏休みはどうするの?」
ようやく身体を離し、モリーさんがナマエの顔を確かめるように見つめた。
「隠れ穴へ来るでしょう?」
「ううん。シリウスのところに行きます」
モリーさんの表情がわずかに曇った。
「グリモールド・プレイスに?」
「うん。シノビーも一緒に」
「ちょうどよかった」
少し離れたところから、ルーピンが声をかけた。隣にはトンクスがいる。
「私たちもこれから戻るところなんだ。一緒に行こう」
「うん」
ナマエは頷いてから、二人の後ろを見た。
人混みの足元にも目をやる。黒い犬はいなかった。
「シリウスは?」
ルーピンが苦笑した。
「来たがっていたよ」
「犬になれば平気だって、最後まで言い張ってたけどね」
トンクスが付け加えた。ナマエは少し笑った。
「来そうだと思った」
「だから置いてきたんだ」
モリーさんはもう一度、ナマエの肩を抱いた。
「いつでも隠れ穴へいらっしゃい。招待がなくてもよ。あなたの部屋は用意するから」
「ありがとう」
ナマエは素直に答えた。
ハリーたちはまだ、ダーズリー一家を取り囲んでいた。
マッド-アイは最後までバーノンを睨み、トンクスはダドリーへ向かって意味もなく指を鳴らして脅かしている。ロンとハーマイオニーはハリーのそばに立ち、ルーピンは少し離れた場所から全員を見守っていた。
ナマエはハーマイオニーと目が合った。
「じゃあ、また」
ナマエが言った。
「手紙を書くわ」
ハーマイオニーはまだ少し怒っている気がしたが、それ以上は追いかけてこなかった。
ナマエは駅の出口へ向かった。
背後では、モリーさんがハリーにも手紙を書くよう念を押し、マッド-アイがもう一度ダーズリーを脅していた。
改札を抜ける直前、ナマエは一度だけ振り返った。
大勢に囲まれたハリーが、こちらへ手を振っている。
ナマエも片手を上げた。
廊下を歩けば、何人かの生徒が声を潜めた。ナマエと目が合うと急に話をやめる者もいたし、親切にしなければならないと思い込んだように、重い扉を開けて待っている者もいた。
以前なら、余計なことをするなと腹を立てていただろう。今はそれを咎めるのも面倒だった。
ただ、本当に何事もなかったわけではない。
ある朝、アンソニーに「ずいぶんうなされていたけど大丈夫?」と訊かれた。
ナマエはその日のうちに、自分の四柱式ベッドのカーテンに何重にも防音魔法をかけた。
それからは、誰にも何も言われなくなった。
眠れない夜には眠り薬を使った。材料さえあれば調合など朝飯前だったし、自分に必要な分量くらい分かっている。
そうして朝になれば、いつもどおり制服を着た。
ナマエがいつもどおりに返事をし、いつもどおりに試験の問題へ文句をつけ、いつもどおりに軽口を叩くうちに、露骨に気を遣う者は少しずつ減っていった。
学期末の宴会にも、いつもどおり出席した。
校長席でダンブルドアが立ち上がると、大広間のざわめきが静まっていった。
ナマエは目の前の皿を見つめた。チチオヤのことに触れるとは、前もって聞かされていた。
「食事の前に、ひとつ悲しい知らせがある。この一年、特任校医を務めてくださったチチオヤ・ミョウジ先生が、先日の魔法省での戦いにおいて亡くなられた」
大広間が静まり返った。
「ミョウジ先生は優れた癒者であり、この城で多くの者を助けてくださった。ホグワーツは、その働きを忘れぬじゃろう」
もっと何か長く喋っていたかもしれない。ナマエの頭にはあまり入ってこなかった。ダンブルドアは杯を掲げた。教師と生徒たちが杯を上げた。
ナマエも一拍遅れて杯を持ち上げた。
あちこちから視線を感じたが、隣に座ったテリーとアンソニーはナマエを見なかった。
杯が置かれると、金色の皿に料理が現れた。大広間には少しずつ話し声が戻っていった。
「──あれ、マイケルは?」
ナマエがふと尋ねると、テリーは顎で少し離れた場所を示した。
マイケルはチョウ・チャンの隣に座っていた。
ただ隣にいるだけではなかった。
チョウが何かを囁くたび、マイケルが顔を寄せる。マイケルが皿から取ったパンを半分に割り、その片方をチョウへ渡すと、彼女は笑って受け取った。
ナマエはしばらく二人を見つめた。
「えっ」
アンソニーが顔を上げた。
「どうしたの?」
「マイケルとチョウ、何であんなに近いんだ?」
テリーが呆れたようにナマエを見た。
「気づいていなかったのか?」
「何に?」
「付き合ってる」
ナマエは勢いよくマイケルを振り返った。
「いつから?だって──ハリーは?──ジニーは?」
「イースター休暇明けくらいじゃないかな」
「そんな前から?」
声が大きくなった。
周囲の生徒が振り返り、マイケルもこちらを見た。
ナマエが驚いた顔で指を差すと、マイケルは露骨に嫌そうな顔をした。チョウは口元を押さえて笑っている。
「聞いてないぞ!」
ナマエが言うと、マイケルは遠くから答えた。
「君に言う機会がなかったんだよ」
「毎日会ってただろ!」
「君が人の話を聞いていなかっただけだ!」
テリーが吹き出した。
「ナマエは自分の周りで恋愛が始まっても、本人から説明されるまで気づかないからな」
「そんなことないだろ」
「自分がグレンジャーに惚れたときも、しばらく気づいてなかった」
ナマエが言い返そうとした時、背後から声が聞こえた。
「ちゃんと食べてる?」
ハーマイオニーだった。
「ああうん、今から食べる」
ナマエは自分の顔が少し赤くなるのを感じた。
ハーマイオニーはナマエを疑わしそうに見ると、空になりかけていた杯へかぼちゃジュースを注いだ。
「今日は昼食もあまり食べていなかったでしょう」
「見てたの?」
「同じ大広間にいたもの」
「いつもより、よく見ているな」
テリーがくすくす言った。
ハーマイオニーの手が止まった。
「何が?」
「いや。最近、ずいぶんナマエの世話を焼いていると思って」
ハーマイオニーは何か反論しようとしたが、結局口を閉じた。
ナマエの前に置かれた匙の向きを直し、皿を少し近づける。
「ちゃんと食べて」
「わかったよ」
ナマエが答えると、ハーマイオニーはようやく自分の席へ戻った。
テリーがその背中を見送り、ナマエへ顔を寄せた。
「完全に世話を焼かれてるな」
「前からだよ」
「いいや。前は、君がグレンジャーの世話を焼いてたよ」
アンソニーが冷静に言った。
「今は逆だね」
ナマエはローストビーフを切りながら、ハーマイオニーの背中を見た。
今までより、自分へ関心を向けてくれている。
そのことは嬉しかった。
ハーマイオニーが自分の食事や睡眠を気にし、廊下で見かければ声をかけ、図書室から戻る時には一緒に行こうと待っていてくれる。それは、ナマエが以前から望んでいたことに近かった。だが、どうしてか素直に喜ぶことができなかった。
父親を亡くしたナマエへの罪悪感のような気もする。なんにせよ、ナマエがハーマイオニーを欲しがっている気持ちとは、少し違うような気がした。
ナマエは、彼女がそこにいるだけで目で追った。話を聞いてほしくて、褒められれば嬉しくて、ほかの誰かを優先されれば腹が立った。
ハーマイオニーが今、ナマエへ向けているものは、気遣いであり、責任感であり、何かを取り戻そうとする必死さだった。
それでも、このまま世話を焼かれていたかったのもまた事実だった。
ホグワーツ特急が出る日の朝、いつものように馬なしの馬車で駅に向かった。
蹄が地面を踏む音がした。ナマエは窓から身を乗り出すようにして、馬車の前方を見た。やはり何もいない。
父親が死んだ。
その言葉を自分で口にした。ダンブルドアから聞き、シリウスから最期の様子を聞いた。
それでも、セストラルは見えなかった。
ナマエはチチオヤが死ぬところを見ていない。
そう考えると、ほっとするような、置き去りにされたような、妙な気分になった。
ナマエはアンソニーたちと一緒に列車へ乗り込んだ。
通路には生徒と荷物が溢れ、ふくろうの籠があちこちで羽音を立てていた。空いているコンパートメントを探して歩いていると、背後から声がした。
「ミョウジ」
ナマエは足を止めた。
振り返ると、ドラコが通路のすぐ後ろに立っていた。
きちんと監督生の徽章をつけ、ローブを襟元まで留めている。顔色は相変わらず悪かったが、以前ほど追い詰められた様子はなかった。
ドラコはナマエに向かって顎を上げた。足を止めろと言われているのだと分かった。
アンソニーとテリーが、警戒するようにナマエとドラコを交互に見た。
ナマエはしばらく考えたあと、アンソニーたちへ向き直った。
「先に行ってて」
「大丈夫?」
アンソニーが低い声で尋ねた。
「うん。あとで行く」
テリーは何か言いたそうだったが、アンソニーに肩を押され、マイケルと一緒に通路の先へ進んだ。
ドラコは近くにあったコンパートメントから一年生を追い出した。
「ほかを探せ。ここを使う」
一年生たちは文句を言う勇気もないらしく、慌てて荷物を抱えた。
「ごめんね。こいつ、感じ悪いんだ」
ナマエが言うと、最後に出ていった少年が小さく頷いた。ドラコは舌打ちをしたので、一年生は慌てて去った。
二人が中へ入ると、廊下の喧騒が扉一枚を隔てて遠くなった。
ドラコは一年生が残していった菓子の包み紙を嫌そうにつまみ、扉の外へ捨てた。ナマエは向かいの座席へ腰を下ろし、閉じられた扉を見た。
「鍵、閉めなくていいのか?」
ドラコの手が止まった。
ほんの一瞬だったが、顔が強張った。
必要の部屋に閉じ込めた相手と、その張本人。二人とも、同じことを思い出していた。
ドラコはゆっくり扉から手を離した。
「僕がまた君を閉じ込めるとでも思っているのか?」
「そうは言ってない」
「なら、好きにしろ。僕はどちらでも構わない」
いかにも興味がないという顔で、ドラコは向かいの座席へ座った。
ナマエは少し考えてから杖を取り出した。小さく振ると、カチッ、と鍵のかかる音がした。
窓の外では、まだ遠くでハグリッドが大きな手を振っていた。
ドラコは何度か口を開きかけた。そのたびにやめた。
監督生の徽章が曲がってもいないのに指で直し、袖口を引き、窓の外を見る。
ナマエは何も言わずに待った。やがてドラコが苛立ったように息を吐いた。
「君は、僕が何のために呼んだのか分かっているのか?」
「知るか」
「少しくらい考えろ」
「呼んだ方が言えばいいだろ」
ドラコはナマエを睨んでから窓へ目を戻し、また黙った。
ナマエはそろそろアンソニーたちのところへ行こうかと思い始めた。
そのとき、ドラコが言った。
「僕は、君を神秘部へ行かせるつもりはなかった」
ナマエは目を瞬いた。
「聞いた」
「君が神秘部のことを知れば、ポッターのところへ行くのは分かっていた。止めても聞かなかっただろう」
「たぶんね」
「たぶんじゃない、絶対にそうなった」
「じゃあ、絶対でいいよ」
ナマエが言い直すと、ドラコは気に入らないように眉を寄せた。
「しかも、実際に行った。死んでもおかしくなかった──」
そこでドラコは言葉を切った。
ナマエの顔を見た。さっきまでの勢いが急に失われた。
「……とにかく、僕が止めようとしたことは間違っていたとは思っていない」
「じゃあ、何の話?」
ドラコの口元が歪んだ。
「最後まで聞けないのか?」
「聞いてるよ」
「なら黙ってろ」
ナマエは肩をすくめた。ドラコはまた黙った。
自分から話し始めたくせに、ひどく不機嫌そうだった。
「君は自分をずいぶん冷静で有能な人間だと思っているようだけど、実際には、箒にまともに乗ることすらできない。そのくせ、何か起きれば自分一人でどうにかできると信じきっている。誰にでもいい顔をして、八方美人なくせに、傲慢にもほどがある」
「……悪口を言うために呼んだわけ?」
「違う!」
ドラコが声を上げた。
通路を歩いていた誰かが、曇り硝子越しにこちらを見た。
ドラコは舌打ちして声を落とした。
「違う。まだあるが、そうじゃない。普通の馬鹿よりずっとタチが悪い」
ナマエは黙った。
ドラコは膝の上で両手を組んだ。
「だから──」
言葉が続かなかった。
灰色の目が一度、ナマエの耳元へ向いた。それからすぐに逸れた。
「僕は君を行かせたくなかった。それは今でも同じだ。もしもう一度同じことが起きても、僕は止める」
「また閉じ込める?」
ドラコが鋭くナマエを見た。
「そういう揚げ足を取るな」
「大事なところだろ」
「分かっている!」
また声が大きくなった。
ドラコは苛立たしげに前髪をかき上げた。
「分かっているから、こうして話しているんだろう!」
ナマエは少し驚いた。
ドラコが自分からこんな話をするだけでも珍しい。
まして、言いたくないことを無理に言おうとしているのは明らかだった。
「……杖を奪う必要はなかった」
ようやくドラコが言った。
ナマエは何も言わなかった。
「閉じ込める必要もなかった。少なくとも、あんなやり方をするべきではなかった」
ドラコはそれだけ言うと、妙に悔しそうな顔をした。
まるで、自分自身に議論で負けたようだった。
「俺を囮に使ったのも?」
ナマエが尋ねた。
ドラコの眉間に皺が寄った。
「僕は父上に命じられていた。断ればどうなるか──」
「俺には関係ない」
反射的に何か言い返そうとしたらしい。
しかし、口を開いたまま止まった。
ナマエは待った。
長い沈黙のあと、ドラコは低く言った。
「……ああ」
「へえ」
「何だ、その顔は」
「いや。認めるんだなと思って」
「君は僕を何だと思ってる?」
「絶対に自分が悪いって言わないやつ」
ドラコの頬がわずかに赤くなった。
「僕は、自分が悪くないことまで謝るつもりはない」
「今は?」
ドラコはしばらくこちらを睨んでいたが、やがて視線を落とした。
「……君にしたことについては、僕が悪かった」
それを口にするだけで、ずいぶん力を使ったようだった。
指先が白くなるほど、膝の上で手を組んでいる。
それでも、ドラコは頭を下げなかった。
ナマエから目を逸らしたまま、しばらく黙っていた。
「だから、その──」
そこでまた詰まった。
「何?」
「急かすな」
「急かしてない」
「黙ってろと言ったはずだ」
ドラコは腹立たしそうに言い、それからようやくナマエを見た。
「……すまなかった」
短かった。言い訳も続かなかった。
ナマエは少し待った。
父親に命じられたからだとか、ナマエを守ろうとしたのだとか、ポッターが悪いのだとか、何かしら続くと思った。
だが、ドラコは何も言わなかった。ただ、ひどく居心地が悪そうな顔で座っていた。
そこで初めて、ナマエは、本当に謝られているのだと分かった。
「……ああ、うん」
ドラコの眉がぴくりと動いた。
「それだけか?」
「何て言ってほしいんだよ」
「知らない」
ドラコはますます不機嫌になった。
「じゃあ、俺にも分からないよ」
ナマエが言うと、ドラコは憤然と窓の外を向いた。
許したとは言えなかった。
だが、もう二度と話したくないとも思わなかった。
「……全部があんたのせいだとは思ってないよ」
全部、はチチオヤのことだった。口には出せなかった。
そのとき、突然扉の窓硝子が激しく叩かれた。二人が振り向くと、窓にハリーとロンとハーマイオニーの顔が並んでいた。
ハリーが鍵のかかった扉を指し、険しい顔で何かを言っている。声は聞こえなかったが、「開けろ」と言っていることだけは分かった。
ロンは扉を開けようと取っ手を何度も動かし、ハーマイオニーはナマエとドラコを交互に見ていた。
ドラコが嫌そうに顔をしかめた。
「騒々しい連中だな」
ナマエは片手を上げ、ハリーたちへ大丈夫だと合図した。
ハリーは納得しなかったらしい。さらに強く窓を叩いた。
ナマエは両手で大きく丸を作った。
それでも三人は動かなかった。
「放っておけばいい」
ドラコが言った。
「あとで問い詰められるの、俺なんだけど」
「君が自分で鍵をかけた」
「そうだけどさ」
ナマエは立ち上がらなかった。
しばらくすると、ハーマイオニーがハリーの腕を引いた。何かを言い聞かせ、ようやく三人を廊下の先へ連れていく。
ハリーは何度も振り返っていた。
「俺を心配してくれてるんだよ」
ドラコはわずかに口元を歪めた。
「父上は、アズカバンへ入れられた」
唐突に言った。
ナマエは一瞬、何の父親か分からなかった。
すぐに、ルシウスの顔が浮かんだ。
「……いいじゃん。今は吸魂鬼もいないんだろ。前より過ごしやすいんじゃないか」
ドラコの顔を見ず、ナマエは窓の外へ目を向けた。
列車がゆっくりと動き始めていた。ホームが後方へ流れ、蒸気が窓を白く曇らせる。
「なあ」
「何だ」
「ファーストネームで呼んでいいよ」
ナマエは視線を窓の外へ向けたまま続けた。
「呼びたきゃだけど」
列車の車輪が規則的な音を立てていた。
しばらくして、ドラコが言った。
「……ナマエ」
聞き慣れているはずの自分の名前が、少し違って聞こえた。
ナマエは窓に映る自分の顔を見た。
「何?」
「いや」
ドラコはそれ以上言わなかった。
やがて廊下から、監督生を呼ぶ声がした。ドラコは立ち上がり、ローブの裾を整えた。
ナマエは杖を振って、鍵を開けた。
ドラコの姿が廊下の向こうへ消れて間もなく、再び扉が開いた。
入ってきたのはハーマイオニーだった。その後ろから、ハリーもコンパートメントへ顔を出した。
「ナマエ」
ハーマイオニーは息を切らしながら中を見回した。
「マルフォイは?」
「見回りに行ったよ」
ハリーは向かいの座席と、開いたままの扉の鍵を確かめた。
「何を話してたんだ?」
「まあ、いろいろ」
「何かされた?」
ハーマイオニーが尋ねた。
「されてないよ」
「でも、鍵をかけていただろ」
今度はハリーが言った。
「俺がかけたんだ」
ハリーは安心するどころか、ますます理解できないという顔になった。
「どうして?」
「二人で話したかったから」
「マルフォイと?」
ナマエは先ほどまでドラコが座っていた場所へ目をやった。
「大丈夫だよ」
「本当に?」
「うん。友達だから」
口にしてから、少しだけ不思議な気がした。
「だけど、君はそうやって騙されたじゃないか!」
ナマエは何も言い返せず、ハリーの顔を見つめた。その通りだった。
「……わかってる」
「本当にわかってるのか?」
「わかってるよ。俺が今ここにいるのは、何度もハリーが助けに来てくれたからだ」
ハリーは何か言いたそうにしたが、諦めたようにため息をついて、ロンの待つコンパートメントへ戻っていった。
ハーマイオニーはその場に残り、ナマエの隣へ腰を下ろした。
「私、ここにいていい?」
「もちろん。いいけど、見回り中なんじゃないの?」
ハーマイオニーは、そこで初めて思い出したように目を見開いた。
「そうね。そうだったわ」
ハーマイオニーが慌ただしく見回りへ戻ると、ナマエは座席へ横になった。
いつの間にか眠っていたらしい。
ナマエが身体を起こすのと同時に、コンパートメントの扉が開いた。
入ってきたのはハーマイオニーだった。そのすぐ後ろに立っていたのはドラコだった。
「一緒に見回りしてたの?」
ナマエが尋ねると、ハーマイオニーは顔をこわばらせた。
「そんなわけないでしょう」
ハーマイオニーはナマエの隣へ座りかけたが、ドラコがまだ立っていることに気づき、動きを止めた。
「どうしてついてくるの?スリザリンのところに戻りなさいよ」
「ここは僕の席だ。荷物が見えないのか?」
「ナマエのいるコンパートメントよ」
「それがお前になんの関係がある?」
ハーマイオニーの顔が険しくなった。
「少なくとも、私は友人を閉じ込めたりしないわ」
空気が凍りついた。
ドラコの顔から表情が消えた。灰色の目が冷たく細まり、ハーマイオニーも一歩も退かずに睨み返している。
「ハーマイオニー」
「本当のことでしょう」
ナマエは座席の上で膝を立て、二人を見比べた。
コンパートメントの空気は重かった。
ナマエは立ち上がり、荷物棚に置いた鞄へ手を伸ばした。
「じゃあ、俺が出てく。アンソニーのとこに行く……」
「どうしてあなたが逃げるの!」
ハーマイオニーがすぐにナマエの袖をつかんだ。
ナマエは弱って鞄から手を離した。
「仲良くしろとは言わないけど、俺、二人が言い合うのを聞くためにここにいたくない」
「私は喧嘩をしたいわけではないの。ただ、あなたがまたマルフォイに何かされるんじゃないかって──」
「僕は謝った」
ドラコが遮った。ハーマイオニーは少し驚いてからきつい目を向けた。
「謝れば、したことがなくなるわけではないわ。今も反省しているようには見えない。さっきだって、ハリーを呪おうとしていたじゃない!」
「だったら何だ。それはポッターとの問題だ」
ナマエはすぐにドラコを睨んだ。
「呪おうとした?」
ドラコはナマエを一瞥したが、何も言わなかった。
このままでは、どちらかが杖を抜く。ナマエは諦めて背もたれに身を預けた。
「……せめて言い合うのはやめてくれよ、頼むから。監督生だろ」
ハーマイオニーは唇を引き結んだ。ドラコも不機嫌そうに顔を背けた。
それでも、二人とも黙って座った。ハーマイオニーはナマエの隣へ、ドラコは向かいの座席へ腰を下ろす。
車輪の音だけが、やけに大きく響いた。
ナマエは窓の外を見た。畑と木立が、次々と後ろへ流れていく。
「そういえば──」
二人の視線が同時にナマエへ向いた。
ナマエは口を閉じた。
マイケルとチョウの話をしようと思ったが、この二人に話しても仕方がない気がした。
「何でもない」
再び沈黙が落ちた。
ハーマイオニーは膝の上で両手を組み、ドラコは腕を組んだまま窓の外を見ている。どちらも相手がいないものとして振る舞おうとしていたが、少しでも動けば、互いの気配を探るように目だけが動いた。
……この二人は、ナマエの身の回りで起きた出来事を何一つ忘れさせてくれない。
「腹減ってない?」
耐えかねたナマエがどちらにでもなく尋ねた。
「平気よ」 「いらない」
ほとんど同時に答えたあと、二人は険しい顔で互いを見た。
「あ、そう……」
ナマエは菓子を取り出しかけて、鞄へ戻した。やはりアンソニーたちのところへ行けばよかった。
あちらなら、マイケルが菓子を奪い、テリーがくだらないことを言い、アンソニーが静かにしろと注意する。少なくとも、息をするたびに誰かを刺激するような空気ではなかった。
そう考えると、何だかおかしくなった。
ナマエの口元がわずかに緩んだ。
「何を笑っている」
ドラコがすぐに言った。
「別に」
ハーマイオニーも疑わしそうにナマエを見た。
「何がおかしいの?」
「二人とも、俺がいない方が楽なんじゃないかと思って」
「そんなことはないわ」
ハーマイオニーが即座に否定した。
ドラコは否定せずに眉を寄せた。
ナマエは窓の外へ顔を向けた。
アンソニーたちのところへ行けばよかったという考えは、まだ消えていなかった。
やがて列車が速度を落とし始めた。
ナマエは窓の外に広がるキングズ・クロスのホームを見るなり、立ち上がった。
「じゃあまた九月に」
返事を待たずに鞄を持ち、丸めていたローブを抱える。ナマエは今度こそ逃げるようにコンパートメントを出た。
アンソニーたちは二両先にいた。
ナマエが扉を開けると、テリーが床に散らばったカードを拾い、マイケルがチョウの荷物まで抱え、アンソニーが全員の忘れ物を確認しているところだった。
「もう来ないかと思ってた」
アンソニーが言った。
「ちょっと空気が悪くてさ」
「窓を開ければよかったんじゃないか?」
テリーが真顔で言った。
ナマエは少し考えた。
「そういう空気じゃないんだよ」
テリーが笑った。
それだけで、ナマエはようやくまともに息ができる気がした。
列車が完全に止まると、五人は生徒の流れに混じってホームへ降りた。
白い蒸気の向こうに、黒い服を着た女が立っていた。
ナルシッサ・マルフォイだった。
ナマエは足を止めた。
ナルシッサは人混みの中でも目立つほど背筋を伸ばし、隙なく整えた淡い金髪の下から、こちらを見ていた。
その視線がナマエの顔に留まった。ほんの一瞬だった。ナマエは先に目を逸らした。
煉瓦の壁を抜けたマグル側のホームへ出た途端、よく知った声がいくつも聞こえてきた。
「ハリー!」
モリーさんが、人目も気にせずハリーを抱きしめていた。
その周囲にはアーサー、ルーピン、トンクス、それからマッド-アイがマグルの変装をして立っている。
少し離れたところには、ダーズリー一家がいた。
バーノン・ダーズリーは、今すぐ引き返したいような顔で、マッド-アイを見つめていた。ペチュニアは口を固く結び、ダドリーは両親の後ろへ身体を隠している。
「いいか、ダーズリー」
マッド-アイが杖を握ったまま言った。
「今度この子を飢えさせたり、物置へ押し込んだりしたら、わしにはすぐ分かる」
「そんなことをされていたの?」
モリーさんが恐ろしい顔でハリーを振り返った。
「昔の話だよ」
ハリーが慌てて答える。
ダーズリー一家は、誰の言葉にも返事をしなかった。
ナマエはハリーの隣へ近づいた。
「ずいぶん大勢で迎えに来たな」
ハリーが少し困ったように笑った。
「僕も知らなかったんだ」
「これなら今年は少し住みやすいんじゃないか?」
「そうだといいけど」
バーノンはナマエにも険しい目を向けた。
「ナマエ!」
モリーさんがナマエに気づいた。
ナマエが身構える間もなく、柔らかな腕に強く抱きしめられた。
「よく無事で戻ってきたわ」
ナマエは腕を下ろしたまま、されるがままになった。
「夏休みはどうするの?」
ようやく身体を離し、モリーさんがナマエの顔を確かめるように見つめた。
「隠れ穴へ来るでしょう?」
「ううん。シリウスのところに行きます」
モリーさんの表情がわずかに曇った。
「グリモールド・プレイスに?」
「うん。シノビーも一緒に」
「ちょうどよかった」
少し離れたところから、ルーピンが声をかけた。隣にはトンクスがいる。
「私たちもこれから戻るところなんだ。一緒に行こう」
「うん」
ナマエは頷いてから、二人の後ろを見た。
人混みの足元にも目をやる。黒い犬はいなかった。
「シリウスは?」
ルーピンが苦笑した。
「来たがっていたよ」
「犬になれば平気だって、最後まで言い張ってたけどね」
トンクスが付け加えた。ナマエは少し笑った。
「来そうだと思った」
「だから置いてきたんだ」
モリーさんはもう一度、ナマエの肩を抱いた。
「いつでも隠れ穴へいらっしゃい。招待がなくてもよ。あなたの部屋は用意するから」
「ありがとう」
ナマエは素直に答えた。
ハリーたちはまだ、ダーズリー一家を取り囲んでいた。
マッド-アイは最後までバーノンを睨み、トンクスはダドリーへ向かって意味もなく指を鳴らして脅かしている。ロンとハーマイオニーはハリーのそばに立ち、ルーピンは少し離れた場所から全員を見守っていた。
ナマエはハーマイオニーと目が合った。
「じゃあ、また」
ナマエが言った。
「手紙を書くわ」
ハーマイオニーはまだ少し怒っている気がしたが、それ以上は追いかけてこなかった。
ナマエは駅の出口へ向かった。
背後では、モリーさんがハリーにも手紙を書くよう念を押し、マッド-アイがもう一度ダーズリーを脅していた。
改札を抜ける直前、ナマエは一度だけ振り返った。
大勢に囲まれたハリーが、こちらへ手を振っている。
ナマエも片手を上げた。
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