不死鳥の騎士団
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休み明けの初めの週末にレイブンクローがスリザリンに勝ってからというもの、マイケルはご機嫌だった。
シーカーのチョウとドラコがスニッチを目掛けて矢のように飛んでいる中、ビーターのマイケルがブラッジャーをドラコに的中させたのだ。 談話室でも廊下でも、誰かが試合の話を始めると、すぐにあの得点はどうだった、あの追い込みは見事だったと話が続いた。ナマエはその輪の端にいた。レイブンクローの勝利は素直に嬉しかったし、マイケルが得意げにしているのを見るのも悪くなかった。
廊下の角を曲がったところで、向こうからドラコがやって来た。 クラッブとゴイルを連れている。ドラコはここのところ、ナマエにあまり近づいてこなかった。去年以前のように行く手を塞いだり、皮肉っぽく絡んでくることもない。だからナマエは、そのまま通り過ぎるつもりだった。
「ずいぶん楽しそうだな、コーナー。一度まぐれで勝ったくらいで、そんなに浮かれてしまうなんて」
ドラコが、すれ違いざまに言った。マイケルは不思議そうな顔を作って言った。
「浮かれるのがまずいようなことだった?ああ、なるほど。つまり、あれは僕の実力じゃなくて、君の避け方に問題があったのかな?」
クラッブとゴイルが睨みをきかせ、テリーはマイケルの陰に隠れた。ドラコは鼻を鳴らしてから、ちらりとナマエを見て意地悪い目をした。
「まあ、練習だけは熱心だったみたいだものな。ブラッジャーにキスをする応援係までつけて」
クラッブが鈍く笑った。ゴイルも遅れて笑った。
「……見てたのか」
あのとき、マイケルと練習していて、ブラッジャーを顔面で受けたところを。ナマエは言い返すでもなく、そう言った。
そして、ナマエは、はたと気がついた。
ブラッジャーにキスをした?
唇が切れて、血の味がした。鼻の奥まで痛んで、マイケルが慌てて駆け寄ってきたことまで覚えている。
けれど、何も起こらなかった。ブラッジャーは再びナマエに襲いかかってきた。
「試合で負ける理由を、そこまで前から探してたなら努力家だな」
マイケルが言った。レイブンクローの誰かが小さく吹き出した。ドラコの顔が少し険しくなった。
だが、ナマエはもう聞いていなかった。
違う。
口にぶつかるだけでは駄目なのか。向こうから触れてくるだけでは、何も起こらないのかもしれない。事故では駄目だ。呪うには──自分から、口付けなければいけない。
翌朝、大広間ではいつも通り、朝食の皿が並んでいた。
「あなた、階段を踏み外しでもしたの?」
パドマがナマエの姿を見て眉をひそめた。
「ああ……うん……」
ナマエは銀のスプーンで自分の顔を見てみた。あちこち擦りむいた跡があることに気がついた。
明け方、こっそり例のブラッジャーを確かめに行ったのだ。クィディッチシーズン中に、誰にも見つからないように競技場に忍び込み、暴れ玉の相手をするのは至難の業だった。そして──結果はナマエの考え通りだった。
数日前までの焦りとは裏腹に、案外、落ち着いて受け入れている自分がいた。思い返せば、納得がいってしまったのだ。
一年生のとき、ナマエを振り落とさないように努力してくれた箒は、たしかに乗る前にキスをした箒だった。
二年の時に飲んだ元気爆発薬は、きちんとナマエの体を元気付けようと働いていたが、フレッドとジョージにもらった怪しい菓子は、悪戯を控えて大人しく食べられていた。
ユールボールでフラーの手の甲にキスをした。あのとき、ナマエは耳飾りをしていたが、ヴィーラの血を引くフラーは微かに魅了の呪いを感じ取っていた。
ふくろうが天井から舞い降り、アンソニーの前に「日刊予言者新聞」を落としていった。彼は何気なく一面を広げたが、すぐに手を止めた。マイケルが横から覗き込み、テリーも身を乗り出した。
「何?」
ナマエが尋ねると、アンソニーは黙って新聞をこちらへ向けた。
一面には、十人の写真が並んでいた。名前の下には、それぞれの罪状が短く添えられている。
アズカバンより十名脱獄 魔法省、逃亡中の死喰い人に警戒呼びかけ
一人の魔女に目が留まった。長い黒髪は乱れ、腫れぼったい瞼の下から、こちらを睨みつけている。薄い唇には笑みが浮かんでいた。
ベラトリックス・レストレンジ フランクならびにアリス・ロングボトムを拷問し、再起不能にした罪。
ナマエは顔を上げ、大広間を見回した。ハーマイオニーのまわりにハリーたちが集まっていた。しかし、毎日新聞を取っている生徒は数えるほどしかいない。ほとんどの生徒は宿題やクィディッチなど、他愛もない話をしているだけだ。
次に教職員テーブルに目を走らせた。そこは様子が違っていた。ダンブルドアとマクゴナガル先生が、深刻な表情で話し込んでいる。フリットウィック先生はケチャップの瓶に新聞を立て掛け、食い入るように読んでいた。一方、テーブルの一番端では、アンブリッジがダンブルドアとマクゴナガルが話し込んでいる様子に毒々しい視線を投げかけていた。
レイブンクローの談話室でも、妙な空気はあった。
「もう行きたくない」
マリエッタが、窓際の椅子で何度か泣いているのを、ナマエは見かけた。チョウが隣に座って、小声で何か言っている。けれど、マリエッタは首を振るばかりだった。
「だって、ママが──」
そこまで聞こえたところで、チョウがナマエに気づいた。二人は急に黙った。
ナマエは何も聞かなかったふりをして、階段へ向かった。
先生方は廊下で二人、三人と集まり、低い声で切羽詰まったように囁き合い、生徒が近づくのに気づくと、ふっつりと話をやめるというのが、いまや見慣れた光景になっていた。
「きっと、もう職員室では自由に話せないんじゃないかな」
マクゴナガル、フリットウィック、スプラウトの三教授が、呪文学の教室の外で額を寄せ合って話しているそばを通りながら、アンソニーが低い声で言った。テリーがため息をついた。
「だって、あの教育令……もう第何号になったんだっけ?」
その新しい教育令は、アズカバン脱走のニュースが流れた次の日の朝、寮の掲示板に貼り出されていた。
ホグワーツ高等尋問官令
教師は、自分が給与の支払いを受けて教えている科目に厳密に関係すること以外は、生徒に対し、いっさいの情報を与えることを、ここに禁ず。 以上は教育令第二十六号に則ったものである。
高等尋問官 ドローレス・ジェーン・アンブリッジ
もはや、ホグワーツはアンブリッジの独裁学校に近かった。聞くところによると占い学のトレローニーはすでに退職寸前まで追い込まれているらしかったし、心苦しいことにおそらくハグリッドもそうだった。別のクラスの時間でアンブリッジの執拗な攻撃にあったらしく、セストラルの授業は面白い教材だったのに、ハグリッドは終始意気消沈で、お通夜のような雰囲気だった。
ナマエは見えない馬に目を凝らしながら、ハグリッドはいつ見えるようになったのだろうとぼんやり思った。
野放し状態の死喰い人がいまや十人増えたというニュースで、DAメンバー全員に活が入り、ザカリアス・スミスでさえ、これまで以上に熱心に練習するようになった。しかし、なんと言っても、ネビルほど長足の進歩を遂げた生徒はいなかった。両親を襲った連中が脱獄したというニュースは、ネビルに不思議な、ちょっと驚くほどの変化をもたらした。実際、ネビルは、DAの練習中ほとんど口をきかなかった。ハリーとナマエが教える新しい呪いや逆呪いのすべてを、ただひたすらに練習した。上達ぶりがあまりに速くて戸惑うほどだった。
ナマエが「盾の呪文」を教えたとき、ネビルより早く呪文を習得したのは、ハーマイオニーだけだった。
DAの会合が終わると、みんなは三々五々、必要の部屋を出ていった。ナマエは、出口の近くでハリーを呼び止めた。
「ハリー」
ハリーは振り返った。
「ヘドウィグ、少し借りられないか」
「ヘドウィグを?」
「親父に手紙を出したいんだ。学校のふくろうは信用ならないから」
「やめた方がいい」
ハリーは声を低くした。
「フィルチがふくろう小屋を見張ってる。アンブリッジが手紙を全部調べさせてるんだ」
「あ……そうか」
ナマエは手の中の羊皮紙を握った。ハリーは迷うように、ドアの方を見た。 ロンとハーマイオニーの声はもう聞こえない。必要の部屋は、二人きりになったとわかると、少しだけ狭くなったようだった。
「君のパパには直接つながらないけど──」
ハリーはローブの内側に手を入れた。
「シリウスになら、連絡できる。それでもいいかい?」
「それは、もちろんありがたいけど──どうやって?」
ナマエは目を細めた。
ハリーは小さな包みを取り出した。中には、手のひらほどの四角い鏡が入っていた。ナマエはしばらく鏡を見ていた。 そんなものがあったのかと思ったが、問いただす気にはならなかった。話していないことがあるのは、ナマエとて同じだった。
「何を伝えたいの?」
ハリーが聞いた。ナマエは口を開きかけた。 言えるはずがなかった。「俺は相手に口付けをすると、魅了の呪いをかけることができるんだ」なんて……そんなものを、ハリーに言葉にして渡したくはなかった。
ナマエは羊皮紙を握りしめた。
「……わかった、って」
「え?」
「チチオヤに、そう伝えて」
ハリーは戸惑った顔をした。
「何がわかったの?」
「言えばわかる。親父なら」
ナマエは低く言った。ハリーはまだ何か聞きたそうだったが、ナマエの顔を見て、結局何も言わなかった。
「オーケー」
ハリーは鏡を持ち直した。
「シリウスに伝える。チチオヤ先生に、そう言ってもらう」
週末はバレンタインデーだった。
ハーマイオニーとホグズミードに行く約束を断れなかったのは、いい加減にナマエの気持ちも参っていたからだった。呪いのことを知るまでも、特に変わったことはなかった。デートするくらいで、彼女を呪ってしまうことはないんじゃないか。もちろんキスはしないし、今までしなかったことは今日もしない。それだけで彼女と一日過ごすことができるなら、そうしたってばちは当たらないんじゃないか。
ナマエはハーマイオニーにもらった帽子を被って城門に向かった。ハーマイオニーが手を振って、フィルチのチェックの列に並んでいた。
「ねえ、ナマエ」
ハーマイオニーがナマエを見上げた。
「とっても大事なことなの。お昼ごろ、『三本の箒』に行きたいんだけどね」
「うん、いいけど。どうして?」
ナマエは続きを促した。
「ハリーとルーナも呼んでるわ。それから──リータ・スキーター」
「……話が、見えないんだけど」
ナマエはがっかりした顔をあまり見せないように努めたが、それができているかは微妙なところだった。
「あのね、死喰い人が脱獄したことで、みんなが関心を寄せているでしょう。例のあの人についてね。だから、リータにハリーの記事を書いてもらうの。それで、それをルーナに頼んで、『ザ・クィブラー』に載せてもらうのよ」
「ああ……」
そんな答えを聞きたいのではなかった。が、ハーマイオニーの話は理路整然としていて、とても合理的だった。
「いい考えだと思う」
ナマエの気が滅入ったのには気づかない様子で、ハーマイオニーは意気揚々と歩き出した。
「ハリーはチョウと一緒なんですって。ロンはクィディッチの練習で来れないの──そうだ、それまでに行きたい場所はある?」
ナマエはなんとなく、談話室できゃあきゃあ言いながらポニーテールを結っていたチョウを思い出した。ハリーとデートなんだろうとは思っていたが、このことを承知しているのだろうか。そうなら、普通のカップルはそれくらい寛容で、自分だけがとくべつ心が狭いんだろうか。
「じゃあ……グラドラグスの店。パドマに、同じセーターばっかり着てるって言われた」
ナマエは少しの意地悪な気持ちで他の女の子の名前を出してみたが、ハーマイオニーは気にも留めない様子だった。
グラドラグス魔法ファッション店に入ると、天井近くまで積まれた帽子の山、金色の刺繍がほどこされたドレスローブ、触ると文句を言う手袋、ひとりでに裾を揃えている外套が、狭い通路の両側にぎっしり並んでいた。
「私もパドマと同意見だわ。あなた、同じのばかりだし、休みの日もほとんど制服を着ているでしょう」
ハーマイオニーはそう言うと、ナマエの袖口をつまんだ。
「ほら。ここ、擦り切れてる」
「まだ着られる」
「着られるのと、みっともなくないのとは別よ」
ナマエは反論しようとしたが、ちょうどその時、棚の上から派手な山吹色の帽子が飛び降りてきて、彼の頭に乗ろうとした。ナマエは無言でそれを押し返した。
ナマエは気の向くまま店内を見て周り、足を止めた。そこには、いかにも魔法使いがマグルの若者をまねようとして失敗した、という感じの服が並んでいた。妙に丈の長い上着、必要以上にポケットの多いズボン、どこに頭を通せばいいのか分からない襟巻きのようなものがあった。
ハーマイオニーは少し驚いた顔をした。
「マグル服?ただ、ここのは少し変ね。これ、フードが三つある」
「三つあると何かまずいのか」
「普通は一つよ……こっち」
ハーマイオニーが引っぱり出したのは、濃紺の外套だった。飾りは少なく、襟元に古い銀色の留め具がひとつあるだけだ。けれど、生地は厚く、手に取ると見た目よりずっと軽かった。
「防寒呪文つき。雨も弾くみたい。内側の縫い目もちゃんとしてるわね」
ハーマイオニーは外套をナマエに押しつけた。
「着てみて」
ナマエは渋々、外套を羽織った。袖は少し長かったが、店の隅から巻尺がしゅるしゅる飛んできて、手首と肩のまわりを勝手に測りはじめた。ナマエが顔をしかめると、巻尺はまるで気を悪くしたように、ぴしりと指先を打った。
鏡の中にいる自分は、いつものくたびれた学生とは少し違って見えた。濃紺の外套は黒髪を暗く見せていた。
「……変じゃないかな?」
「変じゃないわ」
ハーマイオニーは即答した。それから、少しだけ声を落とした。
「似合ってる」
ナマエは鏡から目をそらした。彼女がてきぱきと自分のために服を選ぶのを見て、ナマエは拗ねているのが馬鹿馬鹿しくなってきた。店の奥では、山吹色の帽子がまだ諦めずにこちらを見ていた。ナマエはそれと目を合わせないようにしながら、もう一度鏡を見た。
濃紺の外套は、確かに悪くなかった。ハーマイオニーはこういうことに関しても、たいてい正しいのだった。
ハーマイオニーはその勢いで、シャツを二枚、灰色のチョッキを一枚、黒っぽいズボンを一本、ついでに厚手の靴下まで選んだ。ナマエが抗議するたびに、店の巻尺がまるでハーマイオニーに味方するように飛んできて、彼の肩だの腕だの足首だのを測っていった。ナマエはだんだん疲れてきた。
「なあ、ハーマイオニー……こんなにたくさんはいらないんだ、どうせ普段は制服なんだから」
やけに熱が入ってしまったハーマイオニーが、今度は手袋の棚を検分しているあいだに、ナマエは店の奥で足を止めた。
靴の棚だった。磨かれた革靴、奇妙に反り返ったつま先のブーツ、紐がひとりでにほどけたり結ばれたりしている子ども用の靴が、ところ狭しと並んでいる。
その中に、一足だけ、やけに静かな編み上げブーツがあった。
真っ黒い革で、飾りは少ない。足首までしっかり覆う形で、銀色の小さな金具が光っていた。
ナマエは手に取ってみた。見た目より軽い。
「それ?」
ハーマイオニーが後ろから覗きこんだ。
「いいんじゃない。底が厚いし、滑り止めの呪文もかかってるみたい」
ナマエはブーツをもう一度見た。革は硬すぎず、紐は丈夫そうだった。履き口の内側には、青みがかった糸で小さな防水呪文が縫い込まれている。
「気に入ったの?」
ハーマイオニーが聞いた。ナマエは少し間を置いた。
「……まあ」
試しに履いてみると、ブーツは最初からナマエの足に合っていた。紐がひとりでに締まり、きつすぎるところだけ少し緩んだ。ナマエが片足を動かすと、床板を踏む音が小さく響いた。
悪くない。かなり、悪くない。ジーンズとも相性が良いように思えた。
「それも買いましょう」
ハーマイオニーが言った。
「こいつは履いて帰る」
ハーマイオニーは少し驚いた顔をして、それから笑った。
ナマエは古い革靴を脱ぎ、新しいブーツに履き替えた。紐がしゅるしゅると結ばれ、最後に小さくきゅっと締まった。まるで、これでよし、と言われたようだった。
結局、ブーツと外套だけを買った。店を出ると、ホグズミードの通りは相変わらず冷えていた。ナマエは新しいブーツで石畳をしっかり踏んだ。
ナマエは少しだけ歩調を変えた。ハーマイオニーはそれに気づいたが、何も言わなかった。
ふと、目の端に奇妙な人物が映った。分厚い女物のローブに、頭から深くヴェールを被った魔女が、ホッグズ・ヘッドの方へそそくさと歩いて行く。
「じゃあ、三本の箒に行きましょうか」
ハーマイオニーが言ったが、ナマエは足を止めた。
「──それ、俺行かなくてもいいかな?ちょっと行きたいところがあるんだ……」
ハーマイオニーは一瞬怪訝な顔をしたが、了承した。
「まあ、わかったわ。来れそうならきてね」
「ああ」
ナマエはそう言ってハーマイオニーと別れて、ヴェールの魔女を追った。
見覚えがある。あの妙にこそこそした歩き方にも、ローブの袖口からちらりと覗いた赤黒い手にも。
初めてDAのためにホッグズ・ヘッドに集まった日も、あの店にいた。あのときは、かび臭い煙草の匂いと、薄汚れたフードの陰に隠れていた。
「マンダンガス」
ヴェールの魔女がホッグズ・ヘッドの扉を開く前に、ナマエは背後からその名前を呼んだ。
マンダンガスはびくりと驚いて弾かれたように振り返った。
「おめえ、ナマエかっ?どうして俺のことがわかった?」
声は間違いなく、マンダンガス・フレッチャーだった。ヴェールの下から、落ち着きのない目がきょろきょろと通りを見回している。
ナマエは一歩近づいた。
「そんなことより、シリウスの家で盗んだものがあるだろう」
マンダンガスは、途端に目を逸らした。
「どれのことだか……」
「ロケットだ!レギュラスの部屋にあったロケット!あれを返すんだ」
マンダンガスは露骨に嫌そうな声を上げた。
「あんなに値打ちがありそうなもんをか──?他のなら返すが」
「返せ。さもないと、マッド-アイに言いつけるぞ」
マンダンガスは本気で嫌そうな顔をした。
「あの爺さんに言うのはなしだ。冗談が通じねえんだよ」
「盗みも通じないぞ」
「ちくしょう、口が減らねえな……」
マンダンガスはぶつぶつ文句を言いながら、ローブの懐を探った。出てきたのは、煤けた金色のロケットだった。ホグズミードの鈍い光を受けて、重たく光った。ナマエは手を差し出した。
マンダンガスは、まだ名残惜しそうにチェーンを握っていた。
「売れば少しは──」
「マッド-アイ」
「わかったよ!」
マンダンガスは吐き捨てるように言い、ロケットをナマエの手のひらに落とした。
冷たい金属の感触がずしりと手の中に沈んだ。金でできていて、真ん中に蛇の意匠が緑の石で嵌め込まれていた。確かに値打ちがありそうだ。
クリーチャーが、胸をかきむしるようにして騒いでいた姿がふと浮かんだ。
「もう盗むなよ。次にやったら、屋敷中の銀食器に、お前の名前を叫ぶ呪いをかける」
「ったく、嫌なガキだぜ……」
マンダンガスはヴェールを深く被り直すと、ホッグズ・ヘッドとは反対の路地へ足早に消えていった。逃げるような後ろ姿だった。ナマエはその背中が角を曲がるまで見送った。
ナマエが通りを戻ろうとすると、雪の残る道の端でチョウと出くわした。
チョウはマフラーに顎を埋め、ひどく寒そうにしていた。目元が少し赤い。寒さのせいだけではなさそうだった。
「チョウ?どうしたんだ」
チョウはナマエを見て、視線を逸らした。
「……ハーマイオニー・グレンジャーと一緒じゃないのね」
「三本の箒にいる」
ナマエは答えてから、チョウがひとりでいる理由に気がついた。
「ハリーとルーナもいるらしい──普通、バレンタインデーに誘われたら、デートだと思うだろ」
ナマエが自嘲気味に笑うと、チョウは短く息を吐いた。それだけで、だいたいのことはわかった。
「きっと、とても大事な用事なんでしょうね。ハーマイオニー・グレンジャーの考えることなら、いつだって正しくて、必要で、みんなが従うべきことなんでしょう」
皮肉だった。ナマエは返事に困った。ハーマイオニーが大事なことをしているのは、たぶん本当だ。けれど、チョウが腹を立てるのも当然だった。
「俺も、そういうところは少し困る」
「あなたも?」
チョウが顔を上げた。
「でも、ハーマイオニーは悪気があるわけじゃないんだよ……もちろん、ハリーも」
チョウはしばらく黙っていた。
「チョウ、一緒に行く?ハリーが喜ぶと思うけど」
「私……えっと、やめておくわ。私なら、恋人が別の子と一緒に現れたら、いい気がしないもの」
「確かに」
ナマエは思わず頷くと、チョウは少し笑った。
シーカーのチョウとドラコがスニッチを目掛けて矢のように飛んでいる中、ビーターのマイケルがブラッジャーをドラコに的中させたのだ。 談話室でも廊下でも、誰かが試合の話を始めると、すぐにあの得点はどうだった、あの追い込みは見事だったと話が続いた。ナマエはその輪の端にいた。レイブンクローの勝利は素直に嬉しかったし、マイケルが得意げにしているのを見るのも悪くなかった。
廊下の角を曲がったところで、向こうからドラコがやって来た。 クラッブとゴイルを連れている。ドラコはここのところ、ナマエにあまり近づいてこなかった。去年以前のように行く手を塞いだり、皮肉っぽく絡んでくることもない。だからナマエは、そのまま通り過ぎるつもりだった。
「ずいぶん楽しそうだな、コーナー。一度まぐれで勝ったくらいで、そんなに浮かれてしまうなんて」
ドラコが、すれ違いざまに言った。マイケルは不思議そうな顔を作って言った。
「浮かれるのがまずいようなことだった?ああ、なるほど。つまり、あれは僕の実力じゃなくて、君の避け方に問題があったのかな?」
クラッブとゴイルが睨みをきかせ、テリーはマイケルの陰に隠れた。ドラコは鼻を鳴らしてから、ちらりとナマエを見て意地悪い目をした。
「まあ、練習だけは熱心だったみたいだものな。ブラッジャーにキスをする応援係までつけて」
クラッブが鈍く笑った。ゴイルも遅れて笑った。
「……見てたのか」
あのとき、マイケルと練習していて、ブラッジャーを顔面で受けたところを。ナマエは言い返すでもなく、そう言った。
そして、ナマエは、はたと気がついた。
ブラッジャーにキスをした?
唇が切れて、血の味がした。鼻の奥まで痛んで、マイケルが慌てて駆け寄ってきたことまで覚えている。
けれど、何も起こらなかった。ブラッジャーは再びナマエに襲いかかってきた。
「試合で負ける理由を、そこまで前から探してたなら努力家だな」
マイケルが言った。レイブンクローの誰かが小さく吹き出した。ドラコの顔が少し険しくなった。
だが、ナマエはもう聞いていなかった。
違う。
口にぶつかるだけでは駄目なのか。向こうから触れてくるだけでは、何も起こらないのかもしれない。事故では駄目だ。呪うには──自分から、口付けなければいけない。
翌朝、大広間ではいつも通り、朝食の皿が並んでいた。
「あなた、階段を踏み外しでもしたの?」
パドマがナマエの姿を見て眉をひそめた。
「ああ……うん……」
ナマエは銀のスプーンで自分の顔を見てみた。あちこち擦りむいた跡があることに気がついた。
明け方、こっそり例のブラッジャーを確かめに行ったのだ。クィディッチシーズン中に、誰にも見つからないように競技場に忍び込み、暴れ玉の相手をするのは至難の業だった。そして──結果はナマエの考え通りだった。
数日前までの焦りとは裏腹に、案外、落ち着いて受け入れている自分がいた。思い返せば、納得がいってしまったのだ。
一年生のとき、ナマエを振り落とさないように努力してくれた箒は、たしかに乗る前にキスをした箒だった。
二年の時に飲んだ元気爆発薬は、きちんとナマエの体を元気付けようと働いていたが、フレッドとジョージにもらった怪しい菓子は、悪戯を控えて大人しく食べられていた。
ユールボールでフラーの手の甲にキスをした。あのとき、ナマエは耳飾りをしていたが、ヴィーラの血を引くフラーは微かに魅了の呪いを感じ取っていた。
ふくろうが天井から舞い降り、アンソニーの前に「日刊予言者新聞」を落としていった。彼は何気なく一面を広げたが、すぐに手を止めた。マイケルが横から覗き込み、テリーも身を乗り出した。
「何?」
ナマエが尋ねると、アンソニーは黙って新聞をこちらへ向けた。
一面には、十人の写真が並んでいた。名前の下には、それぞれの罪状が短く添えられている。
アズカバンより十名脱獄 魔法省、逃亡中の死喰い人に警戒呼びかけ
一人の魔女に目が留まった。長い黒髪は乱れ、腫れぼったい瞼の下から、こちらを睨みつけている。薄い唇には笑みが浮かんでいた。
ベラトリックス・レストレンジ フランクならびにアリス・ロングボトムを拷問し、再起不能にした罪。
ナマエは顔を上げ、大広間を見回した。ハーマイオニーのまわりにハリーたちが集まっていた。しかし、毎日新聞を取っている生徒は数えるほどしかいない。ほとんどの生徒は宿題やクィディッチなど、他愛もない話をしているだけだ。
次に教職員テーブルに目を走らせた。そこは様子が違っていた。ダンブルドアとマクゴナガル先生が、深刻な表情で話し込んでいる。フリットウィック先生はケチャップの瓶に新聞を立て掛け、食い入るように読んでいた。一方、テーブルの一番端では、アンブリッジがダンブルドアとマクゴナガルが話し込んでいる様子に毒々しい視線を投げかけていた。
レイブンクローの談話室でも、妙な空気はあった。
「もう行きたくない」
マリエッタが、窓際の椅子で何度か泣いているのを、ナマエは見かけた。チョウが隣に座って、小声で何か言っている。けれど、マリエッタは首を振るばかりだった。
「だって、ママが──」
そこまで聞こえたところで、チョウがナマエに気づいた。二人は急に黙った。
ナマエは何も聞かなかったふりをして、階段へ向かった。
先生方は廊下で二人、三人と集まり、低い声で切羽詰まったように囁き合い、生徒が近づくのに気づくと、ふっつりと話をやめるというのが、いまや見慣れた光景になっていた。
「きっと、もう職員室では自由に話せないんじゃないかな」
マクゴナガル、フリットウィック、スプラウトの三教授が、呪文学の教室の外で額を寄せ合って話しているそばを通りながら、アンソニーが低い声で言った。テリーがため息をついた。
「だって、あの教育令……もう第何号になったんだっけ?」
その新しい教育令は、アズカバン脱走のニュースが流れた次の日の朝、寮の掲示板に貼り出されていた。
ホグワーツ高等尋問官令
教師は、自分が給与の支払いを受けて教えている科目に厳密に関係すること以外は、生徒に対し、いっさいの情報を与えることを、ここに禁ず。 以上は教育令第二十六号に則ったものである。
高等尋問官 ドローレス・ジェーン・アンブリッジ
もはや、ホグワーツはアンブリッジの独裁学校に近かった。聞くところによると占い学のトレローニーはすでに退職寸前まで追い込まれているらしかったし、心苦しいことにおそらくハグリッドもそうだった。別のクラスの時間でアンブリッジの執拗な攻撃にあったらしく、セストラルの授業は面白い教材だったのに、ハグリッドは終始意気消沈で、お通夜のような雰囲気だった。
ナマエは見えない馬に目を凝らしながら、ハグリッドはいつ見えるようになったのだろうとぼんやり思った。
野放し状態の死喰い人がいまや十人増えたというニュースで、DAメンバー全員に活が入り、ザカリアス・スミスでさえ、これまで以上に熱心に練習するようになった。しかし、なんと言っても、ネビルほど長足の進歩を遂げた生徒はいなかった。両親を襲った連中が脱獄したというニュースは、ネビルに不思議な、ちょっと驚くほどの変化をもたらした。実際、ネビルは、DAの練習中ほとんど口をきかなかった。ハリーとナマエが教える新しい呪いや逆呪いのすべてを、ただひたすらに練習した。上達ぶりがあまりに速くて戸惑うほどだった。
ナマエが「盾の呪文」を教えたとき、ネビルより早く呪文を習得したのは、ハーマイオニーだけだった。
DAの会合が終わると、みんなは三々五々、必要の部屋を出ていった。ナマエは、出口の近くでハリーを呼び止めた。
「ハリー」
ハリーは振り返った。
「ヘドウィグ、少し借りられないか」
「ヘドウィグを?」
「親父に手紙を出したいんだ。学校のふくろうは信用ならないから」
「やめた方がいい」
ハリーは声を低くした。
「フィルチがふくろう小屋を見張ってる。アンブリッジが手紙を全部調べさせてるんだ」
「あ……そうか」
ナマエは手の中の羊皮紙を握った。ハリーは迷うように、ドアの方を見た。 ロンとハーマイオニーの声はもう聞こえない。必要の部屋は、二人きりになったとわかると、少しだけ狭くなったようだった。
「君のパパには直接つながらないけど──」
ハリーはローブの内側に手を入れた。
「シリウスになら、連絡できる。それでもいいかい?」
「それは、もちろんありがたいけど──どうやって?」
ナマエは目を細めた。
ハリーは小さな包みを取り出した。中には、手のひらほどの四角い鏡が入っていた。ナマエはしばらく鏡を見ていた。 そんなものがあったのかと思ったが、問いただす気にはならなかった。話していないことがあるのは、ナマエとて同じだった。
「何を伝えたいの?」
ハリーが聞いた。ナマエは口を開きかけた。 言えるはずがなかった。「俺は相手に口付けをすると、魅了の呪いをかけることができるんだ」なんて……そんなものを、ハリーに言葉にして渡したくはなかった。
ナマエは羊皮紙を握りしめた。
「……わかった、って」
「え?」
「チチオヤに、そう伝えて」
ハリーは戸惑った顔をした。
「何がわかったの?」
「言えばわかる。親父なら」
ナマエは低く言った。ハリーはまだ何か聞きたそうだったが、ナマエの顔を見て、結局何も言わなかった。
「オーケー」
ハリーは鏡を持ち直した。
「シリウスに伝える。チチオヤ先生に、そう言ってもらう」
週末はバレンタインデーだった。
ハーマイオニーとホグズミードに行く約束を断れなかったのは、いい加減にナマエの気持ちも参っていたからだった。呪いのことを知るまでも、特に変わったことはなかった。デートするくらいで、彼女を呪ってしまうことはないんじゃないか。もちろんキスはしないし、今までしなかったことは今日もしない。それだけで彼女と一日過ごすことができるなら、そうしたってばちは当たらないんじゃないか。
ナマエはハーマイオニーにもらった帽子を被って城門に向かった。ハーマイオニーが手を振って、フィルチのチェックの列に並んでいた。
「ねえ、ナマエ」
ハーマイオニーがナマエを見上げた。
「とっても大事なことなの。お昼ごろ、『三本の箒』に行きたいんだけどね」
「うん、いいけど。どうして?」
ナマエは続きを促した。
「ハリーとルーナも呼んでるわ。それから──リータ・スキーター」
「……話が、見えないんだけど」
ナマエはがっかりした顔をあまり見せないように努めたが、それができているかは微妙なところだった。
「あのね、死喰い人が脱獄したことで、みんなが関心を寄せているでしょう。例のあの人についてね。だから、リータにハリーの記事を書いてもらうの。それで、それをルーナに頼んで、『ザ・クィブラー』に載せてもらうのよ」
「ああ……」
そんな答えを聞きたいのではなかった。が、ハーマイオニーの話は理路整然としていて、とても合理的だった。
「いい考えだと思う」
ナマエの気が滅入ったのには気づかない様子で、ハーマイオニーは意気揚々と歩き出した。
「ハリーはチョウと一緒なんですって。ロンはクィディッチの練習で来れないの──そうだ、それまでに行きたい場所はある?」
ナマエはなんとなく、談話室できゃあきゃあ言いながらポニーテールを結っていたチョウを思い出した。ハリーとデートなんだろうとは思っていたが、このことを承知しているのだろうか。そうなら、普通のカップルはそれくらい寛容で、自分だけがとくべつ心が狭いんだろうか。
「じゃあ……グラドラグスの店。パドマに、同じセーターばっかり着てるって言われた」
ナマエは少しの意地悪な気持ちで他の女の子の名前を出してみたが、ハーマイオニーは気にも留めない様子だった。
グラドラグス魔法ファッション店に入ると、天井近くまで積まれた帽子の山、金色の刺繍がほどこされたドレスローブ、触ると文句を言う手袋、ひとりでに裾を揃えている外套が、狭い通路の両側にぎっしり並んでいた。
「私もパドマと同意見だわ。あなた、同じのばかりだし、休みの日もほとんど制服を着ているでしょう」
ハーマイオニーはそう言うと、ナマエの袖口をつまんだ。
「ほら。ここ、擦り切れてる」
「まだ着られる」
「着られるのと、みっともなくないのとは別よ」
ナマエは反論しようとしたが、ちょうどその時、棚の上から派手な山吹色の帽子が飛び降りてきて、彼の頭に乗ろうとした。ナマエは無言でそれを押し返した。
ナマエは気の向くまま店内を見て周り、足を止めた。そこには、いかにも魔法使いがマグルの若者をまねようとして失敗した、という感じの服が並んでいた。妙に丈の長い上着、必要以上にポケットの多いズボン、どこに頭を通せばいいのか分からない襟巻きのようなものがあった。
ハーマイオニーは少し驚いた顔をした。
「マグル服?ただ、ここのは少し変ね。これ、フードが三つある」
「三つあると何かまずいのか」
「普通は一つよ……こっち」
ハーマイオニーが引っぱり出したのは、濃紺の外套だった。飾りは少なく、襟元に古い銀色の留め具がひとつあるだけだ。けれど、生地は厚く、手に取ると見た目よりずっと軽かった。
「防寒呪文つき。雨も弾くみたい。内側の縫い目もちゃんとしてるわね」
ハーマイオニーは外套をナマエに押しつけた。
「着てみて」
ナマエは渋々、外套を羽織った。袖は少し長かったが、店の隅から巻尺がしゅるしゅる飛んできて、手首と肩のまわりを勝手に測りはじめた。ナマエが顔をしかめると、巻尺はまるで気を悪くしたように、ぴしりと指先を打った。
鏡の中にいる自分は、いつものくたびれた学生とは少し違って見えた。濃紺の外套は黒髪を暗く見せていた。
「……変じゃないかな?」
「変じゃないわ」
ハーマイオニーは即答した。それから、少しだけ声を落とした。
「似合ってる」
ナマエは鏡から目をそらした。彼女がてきぱきと自分のために服を選ぶのを見て、ナマエは拗ねているのが馬鹿馬鹿しくなってきた。店の奥では、山吹色の帽子がまだ諦めずにこちらを見ていた。ナマエはそれと目を合わせないようにしながら、もう一度鏡を見た。
濃紺の外套は、確かに悪くなかった。ハーマイオニーはこういうことに関しても、たいてい正しいのだった。
ハーマイオニーはその勢いで、シャツを二枚、灰色のチョッキを一枚、黒っぽいズボンを一本、ついでに厚手の靴下まで選んだ。ナマエが抗議するたびに、店の巻尺がまるでハーマイオニーに味方するように飛んできて、彼の肩だの腕だの足首だのを測っていった。ナマエはだんだん疲れてきた。
「なあ、ハーマイオニー……こんなにたくさんはいらないんだ、どうせ普段は制服なんだから」
やけに熱が入ってしまったハーマイオニーが、今度は手袋の棚を検分しているあいだに、ナマエは店の奥で足を止めた。
靴の棚だった。磨かれた革靴、奇妙に反り返ったつま先のブーツ、紐がひとりでにほどけたり結ばれたりしている子ども用の靴が、ところ狭しと並んでいる。
その中に、一足だけ、やけに静かな編み上げブーツがあった。
真っ黒い革で、飾りは少ない。足首までしっかり覆う形で、銀色の小さな金具が光っていた。
ナマエは手に取ってみた。見た目より軽い。
「それ?」
ハーマイオニーが後ろから覗きこんだ。
「いいんじゃない。底が厚いし、滑り止めの呪文もかかってるみたい」
ナマエはブーツをもう一度見た。革は硬すぎず、紐は丈夫そうだった。履き口の内側には、青みがかった糸で小さな防水呪文が縫い込まれている。
「気に入ったの?」
ハーマイオニーが聞いた。ナマエは少し間を置いた。
「……まあ」
試しに履いてみると、ブーツは最初からナマエの足に合っていた。紐がひとりでに締まり、きつすぎるところだけ少し緩んだ。ナマエが片足を動かすと、床板を踏む音が小さく響いた。
悪くない。かなり、悪くない。ジーンズとも相性が良いように思えた。
「それも買いましょう」
ハーマイオニーが言った。
「こいつは履いて帰る」
ハーマイオニーは少し驚いた顔をして、それから笑った。
ナマエは古い革靴を脱ぎ、新しいブーツに履き替えた。紐がしゅるしゅると結ばれ、最後に小さくきゅっと締まった。まるで、これでよし、と言われたようだった。
結局、ブーツと外套だけを買った。店を出ると、ホグズミードの通りは相変わらず冷えていた。ナマエは新しいブーツで石畳をしっかり踏んだ。
ナマエは少しだけ歩調を変えた。ハーマイオニーはそれに気づいたが、何も言わなかった。
ふと、目の端に奇妙な人物が映った。分厚い女物のローブに、頭から深くヴェールを被った魔女が、ホッグズ・ヘッドの方へそそくさと歩いて行く。
「じゃあ、三本の箒に行きましょうか」
ハーマイオニーが言ったが、ナマエは足を止めた。
「──それ、俺行かなくてもいいかな?ちょっと行きたいところがあるんだ……」
ハーマイオニーは一瞬怪訝な顔をしたが、了承した。
「まあ、わかったわ。来れそうならきてね」
「ああ」
ナマエはそう言ってハーマイオニーと別れて、ヴェールの魔女を追った。
見覚えがある。あの妙にこそこそした歩き方にも、ローブの袖口からちらりと覗いた赤黒い手にも。
初めてDAのためにホッグズ・ヘッドに集まった日も、あの店にいた。あのときは、かび臭い煙草の匂いと、薄汚れたフードの陰に隠れていた。
「マンダンガス」
ヴェールの魔女がホッグズ・ヘッドの扉を開く前に、ナマエは背後からその名前を呼んだ。
マンダンガスはびくりと驚いて弾かれたように振り返った。
「おめえ、ナマエかっ?どうして俺のことがわかった?」
声は間違いなく、マンダンガス・フレッチャーだった。ヴェールの下から、落ち着きのない目がきょろきょろと通りを見回している。
ナマエは一歩近づいた。
「そんなことより、シリウスの家で盗んだものがあるだろう」
マンダンガスは、途端に目を逸らした。
「どれのことだか……」
「ロケットだ!レギュラスの部屋にあったロケット!あれを返すんだ」
マンダンガスは露骨に嫌そうな声を上げた。
「あんなに値打ちがありそうなもんをか──?他のなら返すが」
「返せ。さもないと、マッド-アイに言いつけるぞ」
マンダンガスは本気で嫌そうな顔をした。
「あの爺さんに言うのはなしだ。冗談が通じねえんだよ」
「盗みも通じないぞ」
「ちくしょう、口が減らねえな……」
マンダンガスはぶつぶつ文句を言いながら、ローブの懐を探った。出てきたのは、煤けた金色のロケットだった。ホグズミードの鈍い光を受けて、重たく光った。ナマエは手を差し出した。
マンダンガスは、まだ名残惜しそうにチェーンを握っていた。
「売れば少しは──」
「マッド-アイ」
「わかったよ!」
マンダンガスは吐き捨てるように言い、ロケットをナマエの手のひらに落とした。
冷たい金属の感触がずしりと手の中に沈んだ。金でできていて、真ん中に蛇の意匠が緑の石で嵌め込まれていた。確かに値打ちがありそうだ。
クリーチャーが、胸をかきむしるようにして騒いでいた姿がふと浮かんだ。
「もう盗むなよ。次にやったら、屋敷中の銀食器に、お前の名前を叫ぶ呪いをかける」
「ったく、嫌なガキだぜ……」
マンダンガスはヴェールを深く被り直すと、ホッグズ・ヘッドとは反対の路地へ足早に消えていった。逃げるような後ろ姿だった。ナマエはその背中が角を曲がるまで見送った。
ナマエが通りを戻ろうとすると、雪の残る道の端でチョウと出くわした。
チョウはマフラーに顎を埋め、ひどく寒そうにしていた。目元が少し赤い。寒さのせいだけではなさそうだった。
「チョウ?どうしたんだ」
チョウはナマエを見て、視線を逸らした。
「……ハーマイオニー・グレンジャーと一緒じゃないのね」
「三本の箒にいる」
ナマエは答えてから、チョウがひとりでいる理由に気がついた。
「ハリーとルーナもいるらしい──普通、バレンタインデーに誘われたら、デートだと思うだろ」
ナマエが自嘲気味に笑うと、チョウは短く息を吐いた。それだけで、だいたいのことはわかった。
「きっと、とても大事な用事なんでしょうね。ハーマイオニー・グレンジャーの考えることなら、いつだって正しくて、必要で、みんなが従うべきことなんでしょう」
皮肉だった。ナマエは返事に困った。ハーマイオニーが大事なことをしているのは、たぶん本当だ。けれど、チョウが腹を立てるのも当然だった。
「俺も、そういうところは少し困る」
「あなたも?」
チョウが顔を上げた。
「でも、ハーマイオニーは悪気があるわけじゃないんだよ……もちろん、ハリーも」
チョウはしばらく黙っていた。
「チョウ、一緒に行く?ハリーが喜ぶと思うけど」
「私……えっと、やめておくわ。私なら、恋人が別の子と一緒に現れたら、いい気がしないもの」
「確かに」
ナマエは思わず頷くと、チョウは少し笑った。
