不死鳥の騎士団
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十二月も押し詰まるころには、雪はいよいよ深くなっていた。
五年生の宿題も雪崩のように押し寄せた。監督生たちの役目も、クリスマスが近づくにつれてどんどん荷が重くなっていた。城の飾りつけの監督をしたり、アーガス・フィルチと一緒に、交代で廊下の見回りをしたりもしているらしく、アンソニーやパドマは忙しかった。もちろん、ハーマイオニーもだ。
ナマエと会う時間が減った反面、ハーマイオニーがロンと二人でいるところを見かけることは増えた。それはいつものことだ。ハーマイオニーがロンの面倒を見るのも、ロンが文句を言いながらそれを受け入れるのも、今に始まったことではない。
それなのに、ナマエはなんとなく落ち着かなかった。 ハーマイオニーがこちらに気づいて微笑むと、少しだけ安心する。けれど、すぐロンが何かを言って、ハーマイオニーが呆れたように振り返ると、その安心はまた雪の下へ沈んでいった。
ホグワーツの窓という窓は白く曇り、校庭は厚い雪に覆われていた。生徒たちは休暇の話で浮き立っていたが、ナマエの気分だけは、相変わらず雪の下に埋もれたままだった。
その朝、ナマエは大広間で新聞を広げたまま、しばらく動けなかった。
周りでは、ふくろうが羽ばたき、皿の上でベーコンがじゅうじゅう音を立て、誰かがクリスマス休暇の予定を大声で話していた。けれど、その音は全部、厚い雪の向こう側から聞こえてくるようだった。
チチオヤ・ミョウジ、釈放。
その文字を見た瞬間、指先に力が戻り、新聞紙がかさりと鳴った。しかし、安堵は長く続かなかった。 ナマエの目は、すぐ下の行で止まった。
ホグワーツ特任校医を解任。魔法省の調査は継続
聖マンゴ魔法疾患傷害病院への復帰──しかし、次期院長の座は絶望的
ナマエは新聞を握りしめた。
「ナマエっ!」
名前を呼ばれて顔を上げると、ハーマイオニーがこちらへ駆けてくるところだった。血の気の失せた顔をしている。いつものように本を抱えてもいないし、何かを説明する前に息を整える余裕もないようだった。
「どうした?」
ナマエが聞くと、ハーマイオニーは大広間のざわめきを気にするように一度振り返った。
「ロンの……ロンのパパが魔法省で襲われたの」
ナマエは新聞から手を離した。
「……アーサーさんが?」
「ええ、ええ。蛇に襲われて、ひどい怪我だって」
ハーマイオニーの声は震えていた。
「それでね──ハリーが、それを夢で見たの。まるで、その場にいたみたいに詳しくね──ダンブルドアがすぐに動いて、ロンたちはもう向かったわ──」
ハーマイオニーはそこまで言うと、ちらりとナマエの新聞を見た。
「アーサーさんは、聖マンゴに運ばれたそうなの。隠れ穴のみんな、クリスマス休暇はグリモールド・プレイスで過ごすことになったわ。ハリーも、ロンたちももうそこにいるの。私も行くわ」
ナマエは新聞の上に残ったチチオヤの名前を見下ろした。
──聖マンゴ魔法疾患傷害病院への復帰。いくつもの出来事が、ひとつの場所へ向かって流れ込んでいくようだった。
「ああ、ナマエ!」
休暇初日、ハーマイオニーとナマエは、キングズ・クロスから夜の騎士バスでグリモールド・プレイスに向かった。胃の底をひっくり返されるような道のりを終え、ようやく玄関へ入った途端、ナマエはモリーさんに力いっぱい抱きしめられた。
モリーさんのエプロンは、石鹸と焼き菓子の匂いがした。 ナマエは一瞬、どう腕を置けばいいのかわからなくなった。モリーさんはそんなことには構わず、まるでナマエがどこか遠い場所から帰ってきた子どもであるかのように、背中を何度も撫でた。
「チチオヤが捕まって心細かったでしょう。ああ、彼が戻ってきてすぐでよかったわ──あなたのお父様は、今は病院でアーサーを診てくれていますよ──だから──そう、安心だわ──」
安心だわ、と言いながら、モリーさんの声は少し震えていた。 ナマエは、何を言えばいいのかわからず、ただ小さく頷いた。
「クリスマスの日にまたお見舞いに行くわ。あなたも連れてきて欲しいとチチオヤが言ってたの──あら、髪が伸びたわね──また切ってあげましょうか?」
「大丈夫です、モリーさん。あの──ハリーは?」
ナマエは厨房を見渡した。みんな昼食を取っているようだが、ハリーの姿は見えなかった。
モリーさんの代わりにジニーが答えた。
「ハリーは、お見舞いに行ってからバックビークと閉じこもってるわ。私たちと目も合わせない」
「なんで?」
「ああ、部屋で話そう」
ロンがちらっと周りを見てから言った。
ロン、ジニー、ナマエ、ハーマイオニーは、ナマエたちのベッドルームに向かった。部屋に着いた途端、ロンが悩ましげにため息をついて言った。
「──僕ら、伸び耳で聞いちゃったんだ。ムーディが、ハリーは『例のあの人』の蛇の内側から見ていたんじゃないかって……つまり、『例のあの人』がハリーに取り憑いているんじゃないかって──」
「それを聞いてから、ずっと一人になってるの」
「……私、ハリーを連れてくるわ」
ハーマイオニーが決然として言った。
「ハリーが孤独になるのは、敵の思う壺よ」
少ししてから、ハーマイオニーは宣言通りハリーを連れて戻ってきた。ハーマイオニーはジニーの隣に腰掛け、ハリーを見た。
「気分はどう?」
ハーマイオニーが聞いた。
「元気だ」
ハリーは素っ気なく言った。
「まあ、ハリー、無理するもんじゃないぜ」
ナマエが取り持つように言うと、ハーマイオニーが焦れったそうに言った。
「ロンとジニーから聞いたわよ。聖マンゴから帰ってから、ずっとみんなを避けているって」
「そう言ってるのか?」
ハリーはロンとジニーを睨んだ。ロンは足元に目を落としたが、ジニーはまったく気後れしていないようだった。
「だって本当だもの!」
ジニーが言った。
「それに、あなたは誰とも目を合わせないわ!」
「僕と目を合わせないのは、君たちのほうだ!」
ハリーは怒った。
「僕、誰にも話しかけてほしくなかった」
「あっそう?俺の話が聞きたいんじゃないかと思ったけど」
ナマエがサンドイッチをハリーに差し出しながら、気軽な口調で言った。
「この中で、ヴォルデモートに取り憑かれたことのある人って、俺以外にいたっけ?それがどういう感じなのか、俺なら教えてやれそうだけど」
その場に突っ立ったまま、ハリーはナマエのほうに向き直った。
「……僕、忘れてた」
「幸せなやつ」
ナマエが冷静に言った。ハリーはばつが悪そうな顔でサンドイッチを受け取った。
「ごめん。それじゃ……それじゃ、君は、僕が取り憑かれていると思う?」
「今まで、何時間もぽっかり記憶が抜けてたことは?気がついたら朝になってたり、全然記憶にない場所にいたことは?」
「ない」
「じゃあ──ロン、ハリーがハリーじゃないみたいに感じたことは?俺は、マイケルたちに人が変わったみたいだって言われたり、無視されたって言われたりした」
「ない、ないよ。あの夜も、ハリーはずっとベッドにいた」
「じゃあ、少なくとも取り憑かれちゃいない」
それを聞いたハリーは、しばらく部屋の中を行ったり来たりして考えているようだったが、腑に落ちたのか、サンドイッチをガツガツと口に詰め込んだ。
「♪世のヒッポグリフ忘るな、クリスマスは……」
シリウスは、館がまたにぎやかになったことが、とくにハリーが戻ってきたことがうれしくてたまらない様子だった。
その気持ちにみんなも感染していた。シリウスはもう、この夏の不機嫌な家主ではなく、みんながホグワーツでのクリスマスに負けないぐらい楽しく過ごせるようにしようと、決意したかのようだった。クリスマスを目指し、シリウスは、みんなに手伝わせて飾りつけをし、館は見違えるようになっていた。くすんだシャンデリアには、ヒイラギの花飾りと金銀のモールが掛かり、すり切れたカーペットには輝く魔法の雪が積もっていた。マンダンガスが手に入れてきた大きなクリスマスツリーには、本物の妖精が飾りつけられ、ブラック家の家系図を覆い隠していた。屋敷しもべ妖精の首の剥製さえ、サンタクロースの帽子を被り、白ひげをつけていた。
「シリウス、嬉しそうでよかった」
ナマエが言うと、シリウスは陽気に答えた。
「年寄りみたいなことを言うんじゃない、きみも楽しめるようにするさ」
シリウスは軽やかな足取りで階段を降りて行った。ナマエも続こうとすると、天井から悲鳴のような金切り声が聞こえた。
ナマエは足を止めた。はじめは屋敷そのものが軋んでいるのかと思った。しかし、次に聞こえたのは、はっきりとした泣き声だった。喉を潰すような、年老いた生き物の声と、激しい物音がする。レギュラス・ブラックの部屋からだ。
扉は少し開いていた。 ナマエは取っ手に手をかけたまま、しばらく動けなかった。中からは、古い埃と、長い間開けられなかった部屋特有の乾いた匂いが流れてきた。壁にはまだ、ここに住んでいた少年の気配が残っているようだった。使われなくなった机。閉じられたままの抽斗。誰かが戻ってくるのを待っているようなベッド。
その薄暗い部屋の中で、クリーチャーが床に這いつくばっていた。
両手で絨毯を掻きむしり、額を床に打ちつけながら、聞き取れないほど早口で喚いている。ナマエは、シノビーが自分を罰しようとするときのことを思い出した。止めようとすればするほど、屋敷しもべ妖精はひどく怯え、ますます自分を傷つけようとするのを、ナマエは知っていた。
「盗られた、盗られた、盗られた……クリーチャーが守れなかった……レギュラス坊ちゃまの、坊ちゃまの大事な……悪いクリーチャー、役立たずのクリーチャーめ!」
「クリーチャー」
ナマエが呼ぶと、クリーチャーは弾かれたように顔を上げた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔が、憎悪で歪んでいた。
「出ていけ!」
クリーチャーは金切り声で叫んだ。
「ここはレギュラス坊ちゃまのお部屋でございます!薄汚いよそ者が、クリーチャーを笑いに来たのでございますか!クリーチャーが、坊ちゃまの形見を、あの盗人に、マンダンガス・フレッチャーに──」
クリーチャーは突然、自分の耳を掴んだ。引きちぎらんばかりの力が込められていた。
「悪いクリーチャー!レギュラス様の命令を守れなかった!罰を、罰を受けねば──」
「やめろ!」
ナマエは思わず駆け寄り、クリーチャーの腕を掴んだ。 小さな体からは信じられないほどの力があった。クリーチャーは半狂乱で暴れ、引っ掻き、噛みつこうとし、なおも床に頭を打ちつけようとした。
「離せ!薄汚いガキめ!クリーチャーは罰を受けるのでございます!」
皺だらけの頬は熱く、涙で濡れていた。クリーチャーは血走った目でナマエを睨み、再び手を振り上げた。ナマエは咄嗟にその手を掴んだ。骨ばった小さな手だった。皺だらけで、強く震えている。
「やめろってば。レギュラスが自分を罰しろって、そう言ったのか?」
ナマエは低く言った。
それから、いつも自分を罰しようとするシノビーにそうしてやるときのように、掴んだ手の甲へそっと口づけた。
虚を突かれたのか、クリーチャーの震えがぴたりと止まった。
濡れた大きな目が、ゆっくりとナマエを見上げた。ようやく落ち着いたのだと思った。レギュラスの名前が効いたのかもしれない。
「マンダンガスに何を盗まれた?言ってみろ。俺が取り返してやるから」
クリーチャーの目がさらに見開かれた。呆然とした表情で口を動かした。
「ロケット……レギュラス坊ちゃまのロケットでございます……」
クリーチャーは、胸元を掻きむしるように押さえた。
「ロケット?」
ナマエは繰り返した。
「どんな?それ、シリウスに聞けばわかる?」
「いいえ!」
クリーチャーは、はじかれたように顔を上げた。
「いいえ、いいえ!レギュラス坊ちゃまは、誰にも申し上げませんでした。奥様にも、もちろん恩知らずのシリウス様にも……クリーチャーにだけ、クリーチャーにだけ、お命じになったのでございます」
「命じる?」
クリーチャーは答えなかった。ナマエはしばらく黙った。
「──じゃあ、シリウスは知らないんだな」
クリーチャーの顔が、また憎々しげに歪んだ。
「シリウス様は、レギュラス坊ちゃまのことなど──」
「でも、兄弟なのに……」
ナマエは何気なく言った。 クリーチャーは、何か言い返そうとして、唇を震わせた。
ナマエはレギュラスのことをほとんど知らない。 知っているのは、シリウスの弟だったこと。死喰い人になったこと。そして、怖気づき、逃げ出して死んだのだと聞かされていることだけだ。
けれど、少なくとも、そのロケットはクリーチャーにとって大事な形見なのだ。
「シリウスは知らないから、マンダンガスの盗みも大目に見てるんじゃないか」
ナマエは、クリーチャーの手を離さずに言った。
「そのロケットがレギュラスの形見だって知ってたら、少しは違うだろ」
クリーチャーは口を噤んだ。皺だらけの唇が、ぶるぶる震えている。
「俺だって、マンダンガスがこの屋敷のものをちょろまかしてるのは、ずっと気分が悪かった。シリウスが何も言わないから、どうしようもなかったけど」
ナマエは少しだけ声を落とした。
「形見なんだったら、シリウスに話してやれよ。全部じゃなくていい。ロケットを盗られたってことだけでもいい」
ナマエはクリーチャーの手を掴んだまま言った。
「身内のことを何も知らないままって、けっこうきついんだぜ」
レギュラスは誰にも言わなかった。その言葉が、妙に胸に引っかかった。
ナマエも、ずっとチチオヤから何も聞かされていなかった。母親のことも、チチオヤが何を犯し、恐れているのかも。今でさえ、聞かされていないことはまだ多くあった。家族のことを何も知らないまま置いていかれるのは、辛い。怒ればいいのか、悲しめばいいのかもわからない。
クリーチャーは、一瞬口を震えさせたが、ぎゅっと結んだ。それから、憎々しげに鼻水を啜り、床につくまで頭を下げた。
ナマエはそれを了承と受け取り、にっこり笑った。
ナマエが部屋を出ようとしたとき、耳元でかすかな音がした。
ちり、と、小さな氷が割れるような音だった。
ナマエは足を止め、耳に触れた。
仮に渡されていた片耳の銀の輪が、指先で妙に軽く揺れた。外して手のひらに乗せると、表面に細いひびが入っていた。
「……壊れてる」
声に出した途端、チチオヤの言葉がよみがえった。
──それが壊れたらすぐに私を呼びなさい
ナマエは手のひらの上の耳飾りを見下ろした。 細いひびは、ただの傷には見えなかった。銀の輪の中を、何かが内側から押し割ったように走っている。アンブリッジに黒い石の耳飾りを取り上げられたあと、急ごしらえで渡されたものだ。完全ではないと聞いていた。それに、取り戻さなければならない理由を、チチオヤは最後まで言わなかった。
ナマエは耳飾りを握り込み、誰にも見られないようにポケットへしまった。
五年生の宿題も雪崩のように押し寄せた。監督生たちの役目も、クリスマスが近づくにつれてどんどん荷が重くなっていた。城の飾りつけの監督をしたり、アーガス・フィルチと一緒に、交代で廊下の見回りをしたりもしているらしく、アンソニーやパドマは忙しかった。もちろん、ハーマイオニーもだ。
ナマエと会う時間が減った反面、ハーマイオニーがロンと二人でいるところを見かけることは増えた。それはいつものことだ。ハーマイオニーがロンの面倒を見るのも、ロンが文句を言いながらそれを受け入れるのも、今に始まったことではない。
それなのに、ナマエはなんとなく落ち着かなかった。 ハーマイオニーがこちらに気づいて微笑むと、少しだけ安心する。けれど、すぐロンが何かを言って、ハーマイオニーが呆れたように振り返ると、その安心はまた雪の下へ沈んでいった。
ホグワーツの窓という窓は白く曇り、校庭は厚い雪に覆われていた。生徒たちは休暇の話で浮き立っていたが、ナマエの気分だけは、相変わらず雪の下に埋もれたままだった。
その朝、ナマエは大広間で新聞を広げたまま、しばらく動けなかった。
周りでは、ふくろうが羽ばたき、皿の上でベーコンがじゅうじゅう音を立て、誰かがクリスマス休暇の予定を大声で話していた。けれど、その音は全部、厚い雪の向こう側から聞こえてくるようだった。
チチオヤ・ミョウジ、釈放。
その文字を見た瞬間、指先に力が戻り、新聞紙がかさりと鳴った。しかし、安堵は長く続かなかった。 ナマエの目は、すぐ下の行で止まった。
ホグワーツ特任校医を解任。魔法省の調査は継続
聖マンゴ魔法疾患傷害病院への復帰──しかし、次期院長の座は絶望的
ナマエは新聞を握りしめた。
「ナマエっ!」
名前を呼ばれて顔を上げると、ハーマイオニーがこちらへ駆けてくるところだった。血の気の失せた顔をしている。いつものように本を抱えてもいないし、何かを説明する前に息を整える余裕もないようだった。
「どうした?」
ナマエが聞くと、ハーマイオニーは大広間のざわめきを気にするように一度振り返った。
「ロンの……ロンのパパが魔法省で襲われたの」
ナマエは新聞から手を離した。
「……アーサーさんが?」
「ええ、ええ。蛇に襲われて、ひどい怪我だって」
ハーマイオニーの声は震えていた。
「それでね──ハリーが、それを夢で見たの。まるで、その場にいたみたいに詳しくね──ダンブルドアがすぐに動いて、ロンたちはもう向かったわ──」
ハーマイオニーはそこまで言うと、ちらりとナマエの新聞を見た。
「アーサーさんは、聖マンゴに運ばれたそうなの。隠れ穴のみんな、クリスマス休暇はグリモールド・プレイスで過ごすことになったわ。ハリーも、ロンたちももうそこにいるの。私も行くわ」
ナマエは新聞の上に残ったチチオヤの名前を見下ろした。
──聖マンゴ魔法疾患傷害病院への復帰。いくつもの出来事が、ひとつの場所へ向かって流れ込んでいくようだった。
「ああ、ナマエ!」
休暇初日、ハーマイオニーとナマエは、キングズ・クロスから夜の騎士バスでグリモールド・プレイスに向かった。胃の底をひっくり返されるような道のりを終え、ようやく玄関へ入った途端、ナマエはモリーさんに力いっぱい抱きしめられた。
モリーさんのエプロンは、石鹸と焼き菓子の匂いがした。 ナマエは一瞬、どう腕を置けばいいのかわからなくなった。モリーさんはそんなことには構わず、まるでナマエがどこか遠い場所から帰ってきた子どもであるかのように、背中を何度も撫でた。
「チチオヤが捕まって心細かったでしょう。ああ、彼が戻ってきてすぐでよかったわ──あなたのお父様は、今は病院でアーサーを診てくれていますよ──だから──そう、安心だわ──」
安心だわ、と言いながら、モリーさんの声は少し震えていた。 ナマエは、何を言えばいいのかわからず、ただ小さく頷いた。
「クリスマスの日にまたお見舞いに行くわ。あなたも連れてきて欲しいとチチオヤが言ってたの──あら、髪が伸びたわね──また切ってあげましょうか?」
「大丈夫です、モリーさん。あの──ハリーは?」
ナマエは厨房を見渡した。みんな昼食を取っているようだが、ハリーの姿は見えなかった。
モリーさんの代わりにジニーが答えた。
「ハリーは、お見舞いに行ってからバックビークと閉じこもってるわ。私たちと目も合わせない」
「なんで?」
「ああ、部屋で話そう」
ロンがちらっと周りを見てから言った。
ロン、ジニー、ナマエ、ハーマイオニーは、ナマエたちのベッドルームに向かった。部屋に着いた途端、ロンが悩ましげにため息をついて言った。
「──僕ら、伸び耳で聞いちゃったんだ。ムーディが、ハリーは『例のあの人』の蛇の内側から見ていたんじゃないかって……つまり、『例のあの人』がハリーに取り憑いているんじゃないかって──」
「それを聞いてから、ずっと一人になってるの」
「……私、ハリーを連れてくるわ」
ハーマイオニーが決然として言った。
「ハリーが孤独になるのは、敵の思う壺よ」
少ししてから、ハーマイオニーは宣言通りハリーを連れて戻ってきた。ハーマイオニーはジニーの隣に腰掛け、ハリーを見た。
「気分はどう?」
ハーマイオニーが聞いた。
「元気だ」
ハリーは素っ気なく言った。
「まあ、ハリー、無理するもんじゃないぜ」
ナマエが取り持つように言うと、ハーマイオニーが焦れったそうに言った。
「ロンとジニーから聞いたわよ。聖マンゴから帰ってから、ずっとみんなを避けているって」
「そう言ってるのか?」
ハリーはロンとジニーを睨んだ。ロンは足元に目を落としたが、ジニーはまったく気後れしていないようだった。
「だって本当だもの!」
ジニーが言った。
「それに、あなたは誰とも目を合わせないわ!」
「僕と目を合わせないのは、君たちのほうだ!」
ハリーは怒った。
「僕、誰にも話しかけてほしくなかった」
「あっそう?俺の話が聞きたいんじゃないかと思ったけど」
ナマエがサンドイッチをハリーに差し出しながら、気軽な口調で言った。
「この中で、ヴォルデモートに取り憑かれたことのある人って、俺以外にいたっけ?それがどういう感じなのか、俺なら教えてやれそうだけど」
その場に突っ立ったまま、ハリーはナマエのほうに向き直った。
「……僕、忘れてた」
「幸せなやつ」
ナマエが冷静に言った。ハリーはばつが悪そうな顔でサンドイッチを受け取った。
「ごめん。それじゃ……それじゃ、君は、僕が取り憑かれていると思う?」
「今まで、何時間もぽっかり記憶が抜けてたことは?気がついたら朝になってたり、全然記憶にない場所にいたことは?」
「ない」
「じゃあ──ロン、ハリーがハリーじゃないみたいに感じたことは?俺は、マイケルたちに人が変わったみたいだって言われたり、無視されたって言われたりした」
「ない、ないよ。あの夜も、ハリーはずっとベッドにいた」
「じゃあ、少なくとも取り憑かれちゃいない」
それを聞いたハリーは、しばらく部屋の中を行ったり来たりして考えているようだったが、腑に落ちたのか、サンドイッチをガツガツと口に詰め込んだ。
「♪世のヒッポグリフ忘るな、クリスマスは……」
シリウスは、館がまたにぎやかになったことが、とくにハリーが戻ってきたことがうれしくてたまらない様子だった。
その気持ちにみんなも感染していた。シリウスはもう、この夏の不機嫌な家主ではなく、みんながホグワーツでのクリスマスに負けないぐらい楽しく過ごせるようにしようと、決意したかのようだった。クリスマスを目指し、シリウスは、みんなに手伝わせて飾りつけをし、館は見違えるようになっていた。くすんだシャンデリアには、ヒイラギの花飾りと金銀のモールが掛かり、すり切れたカーペットには輝く魔法の雪が積もっていた。マンダンガスが手に入れてきた大きなクリスマスツリーには、本物の妖精が飾りつけられ、ブラック家の家系図を覆い隠していた。屋敷しもべ妖精の首の剥製さえ、サンタクロースの帽子を被り、白ひげをつけていた。
「シリウス、嬉しそうでよかった」
ナマエが言うと、シリウスは陽気に答えた。
「年寄りみたいなことを言うんじゃない、きみも楽しめるようにするさ」
シリウスは軽やかな足取りで階段を降りて行った。ナマエも続こうとすると、天井から悲鳴のような金切り声が聞こえた。
ナマエは足を止めた。はじめは屋敷そのものが軋んでいるのかと思った。しかし、次に聞こえたのは、はっきりとした泣き声だった。喉を潰すような、年老いた生き物の声と、激しい物音がする。レギュラス・ブラックの部屋からだ。
扉は少し開いていた。 ナマエは取っ手に手をかけたまま、しばらく動けなかった。中からは、古い埃と、長い間開けられなかった部屋特有の乾いた匂いが流れてきた。壁にはまだ、ここに住んでいた少年の気配が残っているようだった。使われなくなった机。閉じられたままの抽斗。誰かが戻ってくるのを待っているようなベッド。
その薄暗い部屋の中で、クリーチャーが床に這いつくばっていた。
両手で絨毯を掻きむしり、額を床に打ちつけながら、聞き取れないほど早口で喚いている。ナマエは、シノビーが自分を罰しようとするときのことを思い出した。止めようとすればするほど、屋敷しもべ妖精はひどく怯え、ますます自分を傷つけようとするのを、ナマエは知っていた。
「盗られた、盗られた、盗られた……クリーチャーが守れなかった……レギュラス坊ちゃまの、坊ちゃまの大事な……悪いクリーチャー、役立たずのクリーチャーめ!」
「クリーチャー」
ナマエが呼ぶと、クリーチャーは弾かれたように顔を上げた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔が、憎悪で歪んでいた。
「出ていけ!」
クリーチャーは金切り声で叫んだ。
「ここはレギュラス坊ちゃまのお部屋でございます!薄汚いよそ者が、クリーチャーを笑いに来たのでございますか!クリーチャーが、坊ちゃまの形見を、あの盗人に、マンダンガス・フレッチャーに──」
クリーチャーは突然、自分の耳を掴んだ。引きちぎらんばかりの力が込められていた。
「悪いクリーチャー!レギュラス様の命令を守れなかった!罰を、罰を受けねば──」
「やめろ!」
ナマエは思わず駆け寄り、クリーチャーの腕を掴んだ。 小さな体からは信じられないほどの力があった。クリーチャーは半狂乱で暴れ、引っ掻き、噛みつこうとし、なおも床に頭を打ちつけようとした。
「離せ!薄汚いガキめ!クリーチャーは罰を受けるのでございます!」
皺だらけの頬は熱く、涙で濡れていた。クリーチャーは血走った目でナマエを睨み、再び手を振り上げた。ナマエは咄嗟にその手を掴んだ。骨ばった小さな手だった。皺だらけで、強く震えている。
「やめろってば。レギュラスが自分を罰しろって、そう言ったのか?」
ナマエは低く言った。
それから、いつも自分を罰しようとするシノビーにそうしてやるときのように、掴んだ手の甲へそっと口づけた。
虚を突かれたのか、クリーチャーの震えがぴたりと止まった。
濡れた大きな目が、ゆっくりとナマエを見上げた。ようやく落ち着いたのだと思った。レギュラスの名前が効いたのかもしれない。
「マンダンガスに何を盗まれた?言ってみろ。俺が取り返してやるから」
クリーチャーの目がさらに見開かれた。呆然とした表情で口を動かした。
「ロケット……レギュラス坊ちゃまのロケットでございます……」
クリーチャーは、胸元を掻きむしるように押さえた。
「ロケット?」
ナマエは繰り返した。
「どんな?それ、シリウスに聞けばわかる?」
「いいえ!」
クリーチャーは、はじかれたように顔を上げた。
「いいえ、いいえ!レギュラス坊ちゃまは、誰にも申し上げませんでした。奥様にも、もちろん恩知らずのシリウス様にも……クリーチャーにだけ、クリーチャーにだけ、お命じになったのでございます」
「命じる?」
クリーチャーは答えなかった。ナマエはしばらく黙った。
「──じゃあ、シリウスは知らないんだな」
クリーチャーの顔が、また憎々しげに歪んだ。
「シリウス様は、レギュラス坊ちゃまのことなど──」
「でも、兄弟なのに……」
ナマエは何気なく言った。 クリーチャーは、何か言い返そうとして、唇を震わせた。
ナマエはレギュラスのことをほとんど知らない。 知っているのは、シリウスの弟だったこと。死喰い人になったこと。そして、怖気づき、逃げ出して死んだのだと聞かされていることだけだ。
けれど、少なくとも、そのロケットはクリーチャーにとって大事な形見なのだ。
「シリウスは知らないから、マンダンガスの盗みも大目に見てるんじゃないか」
ナマエは、クリーチャーの手を離さずに言った。
「そのロケットがレギュラスの形見だって知ってたら、少しは違うだろ」
クリーチャーは口を噤んだ。皺だらけの唇が、ぶるぶる震えている。
「俺だって、マンダンガスがこの屋敷のものをちょろまかしてるのは、ずっと気分が悪かった。シリウスが何も言わないから、どうしようもなかったけど」
ナマエは少しだけ声を落とした。
「形見なんだったら、シリウスに話してやれよ。全部じゃなくていい。ロケットを盗られたってことだけでもいい」
ナマエはクリーチャーの手を掴んだまま言った。
「身内のことを何も知らないままって、けっこうきついんだぜ」
レギュラスは誰にも言わなかった。その言葉が、妙に胸に引っかかった。
ナマエも、ずっとチチオヤから何も聞かされていなかった。母親のことも、チチオヤが何を犯し、恐れているのかも。今でさえ、聞かされていないことはまだ多くあった。家族のことを何も知らないまま置いていかれるのは、辛い。怒ればいいのか、悲しめばいいのかもわからない。
クリーチャーは、一瞬口を震えさせたが、ぎゅっと結んだ。それから、憎々しげに鼻水を啜り、床につくまで頭を下げた。
ナマエはそれを了承と受け取り、にっこり笑った。
ナマエが部屋を出ようとしたとき、耳元でかすかな音がした。
ちり、と、小さな氷が割れるような音だった。
ナマエは足を止め、耳に触れた。
仮に渡されていた片耳の銀の輪が、指先で妙に軽く揺れた。外して手のひらに乗せると、表面に細いひびが入っていた。
「……壊れてる」
声に出した途端、チチオヤの言葉がよみがえった。
──それが壊れたらすぐに私を呼びなさい
ナマエは手のひらの上の耳飾りを見下ろした。 細いひびは、ただの傷には見えなかった。銀の輪の中を、何かが内側から押し割ったように走っている。アンブリッジに黒い石の耳飾りを取り上げられたあと、急ごしらえで渡されたものだ。完全ではないと聞いていた。それに、取り戻さなければならない理由を、チチオヤは最後まで言わなかった。
ナマエは耳飾りを握り込み、誰にも見られないようにポケットへしまった。
