不死鳥の騎士団
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🐦⬛────
目が覚めたとき、最初に見えたのはレイブンクロー寮の青い天蓋だった。 窓からは陽が差し込んでいて、首を動かしてみてもルームメイトは誰もいなかった。
「……いま……」
何時だろう。掠れた声を出そうとして、喉の奥に焼け付くような違和感を覚えた。
アンブリッジの拷問のようなインクの罰則の後、ハリーに肩を貸してもらったのは覚えている。ハリーの肩は案外がっしりしていて、彼の手の甲から伝わってくる血の匂いが鼻をついた。
それから──。
ナマエは上半身を起こして頭を抱えた。どうやってベッドまで辿りついたのか、記憶が曖昧で思い出せなかった。
着替えて談話室に降りると、どの机も生徒でいっぱいで、誰かが小声で呪文を暗唱し、別の誰かは羽根ペンを耳に挟んだまま辞書をめくっていた。
「おはよう。罰則は遅くまでかかったんだね」
いつもの本棚の前のソファで、アンソニーが顔を上げた。膝の上には天文学の分厚い本が開かれている。テリーは月長石のレポートを書きながら、こちらを見もしない。
「……まあ、少し」
ナマエはできるだけ何でもない声を出したつもりだったが、喉が掠れた。テリーがようやく顔を上げた。
「君、声がひどいね」
「アンブリッジのありがたーい教育的指導のおかげでね」
ナマエはソファの背に沈み込んだ。近くの机で一年生が羽根ペンを落とし、床で軽い音がした。ナマエはびくりと反射的にそちらを見てしまい、自分で少し腹が立った。
そこへ、マイケルが顔を出した。
「だれか、今日時間ある?」
「課題がなければ」
「僕もだね」
テリーとアンソニーがほとんど同時に答えた。二人とも、返事だけはしたが手元の羊皮紙からは目を離さない。レイブンクローの談話室では、助けを求めるにもまず課題の山を越えなければならないのだ。
「だよな……」
マイケルは頭を掻いた。ナマエは立ち上がった。
「俺、いいよ。何するんだ?」
「ナマエかあ──」
マイケルはあきらかに残念そうな顔をした。ナマエは眉を寄せた。
「なんだよ、俺じゃ不満か?何の用事なんだ」
「いや、君は魔法なら頼りになるけど、クィディッチだと……」
「最後まで言ってみろ」
「言わない方が友情のためだと思う」
ナマエは悪態をついてどかっとソファに座り直した。
「……どっちにしろ俺は今日は絶対にペンを握らないぞ。アンブリッジの書き取り罰は本当に最悪だったからな」
ナマエは頭の後ろで手を組んだ。
「かわいそうに、課題は増えてく一方だぞ」
テリーがレポートから顔を上げもせずに言った。ナマエはアンソニーとテリーの様子を見てげんなりしてから、マイケルに聞いた。
「──それで、クィディッチが何だって?」
「ビーターの練習だ。僕はずっと補欠だったけど、六年生がNEWT で神経をやられちゃってさ。次の試合は僕が代わりにビーターをやるんだ──五時からチームで練習だけど、その前にちょっと慣らしておきたくて」
「地上からブラッジャーを投げる手伝いくらいならできるぜ」
マイケルは一瞬不安そうな顔をしたが、妥協して頷いた。ナマエは鼻を鳴らした。
「俺をみくびってるな」
「まあね……」
競技場の眩しい陽光の中に出て行くと、真紅のユニフォームを着たグリフィンドールチームと、観客席にはスリザリンのクィディッチ・チームと取り巻き連中数人が野次と口笛を投げていた。
「あれ、いつもは空き時間なのに。誰か使ってるな──グリフィンドールだ」
「本当だ──お、ロンも選手になったのか」
グリフィンドールのフレッドはジョージに、ジョージはハリーにパスし、ハリーからロンにパスしたが、ロンはボールを取り落とした。マルフォイの率いるスリザリン生が、大声で笑ったり、甲高い笑い声を上げたりして、ロンの顔は湯気が立つほど真っ赤になっていた。
マルフォイたちの下品な野次にマイケルは顔を顰めてナマエを見た。
「マルフォイは君がいるのに気がついてないのか?」
「え、どういう意味?」
「だって、いつも君の前だと大人しくしてるのに」
「そうは思えないけど……」
ナマエは、コンパートメントに乗り込んできたドラコを思い出して言った。しかし、たしかに近頃のドラコはナマエを避けているような気もしていた。馬車で話してからはずっとよそよそしい。廊下ですれ違ってもあからさまに目線を逸らすし、薬草学の授業でもナマエから一番遠い畝に陣取っていた。
マイケルは芝生の隅を指差した。
「まあ、ギャラリーの前でプレイできなきゃ意味ないし──隅っこでやる分なら邪魔にならないだろう」
「……そうだな」
ナマエはドラコから目を逸らして答えた。二人は競技場の隅に移動し、マイケルが木箱をどさりと芝生の上に開けた。
「本当は棍棒で打ち返して欲しいけど──君には荷が重いかもしれない」
「ジニーに頼んだらよかったな?」
ナマエはにやっと笑って杖を振ると、棍棒を浮かせた。
「俺は杖でやる」
ナマエはそう言って、木箱の中で鎖に封じられてガタガタわめくブラッジャーに近づき、鍵を外した。その途端、どっと勢いよく鉄球がナマエめがけて飛び出そうとした。ナマエは両手でブラッジャーを抑えこんだ。マイケルは箒で低空飛行しながら、その様子を見守った。
「……やっぱり、君にブラッジャーをまかせるのは心配になってきた」
「大丈夫だ、重っ……!よっと──」
ナマエはブラッジャーをなんとかマイケルの方にぶん投げた。ブラッジャーはマイケルを通り越し、高くまっすぐ飛んでいったかと思うと、大きくカーブを描いて戻ってきた。荒々しく唸りながらマイケルに迫った。
マイケルは見事にそれを打ち返した。ブラッジャーは再び彼を狙った。
「やるじゃないか、マイケル」
しばらくマイケルとブラッジャーの格闘を見守りつつ、ナマエのほうに飛んでくる時は宙に浮いた棍棒でマイケルに打ち返した。
「そろそろ終わろうか!」
マイケルが肩で息をしながら言った。箒で旋回してブラッジャーをナマエのほうに打ち返した。
「オーケー……イモービラス!」
ナマエはブラッジャーに杖を向けて叫んだ。ナマエに迫るブラッジャーはだんだんとスピードを落とし、ナマエの腕の中におさまった。たしかに鉄球の重みを感じたが、次の瞬間、ふっと軽くなった。
「ナマエ!」
マイケルの叫び声がして、視界が白く瞬いた。意思を取り戻したブラッジャーが、ナマエの顔面に直撃したのだ。
「大丈夫か!?」
ナマエが顔を抑えてうずくまっていると、マイケルが血相を変えて駆け寄ってきた。
「……油断した」
見上げると、ブラッジャーは空から再びナマエとマイケルに向かって急降下した。
「イモービラス!!」
今度はマイケルが叫んだ。彼はブラッジャーを捕まえると、慣れた手つきで素早く箱にしまい、錠を掛けた。マイケルはナマエを振り返ると、哀れそうな、呆れたような何とも言えない顔をした。ナマエは眉を上げた。
「……言いたいなら、言え」
「ごめんよ、そこまでドジだとは思ってなかったんだ」
ナマエは悪態をついて自分の顔に杖を向けて「エピスキー」と唱えた。ポキっと骨が動くような嫌な音がした。
「痛っ……歯が折れてたみたいだ……」
ナマエはヒリヒリ痛む唇を舐めた。血の味がして、顔を顰めた。マイケルが申し訳なさそうにナマエの顔を覗き込んだ。
「顎は割れてない?医務室に行こうか」
「いや、大丈夫。治せたと思う……」
ナマエが鼻を鳴らすと、ツンと痛んだ。こんな鈍臭い怪我を父親に診てもらうのはなんとなく嫌だった。それに、チチオヤに気づかれる前に、アンブリッジから耳飾りを取り返さないと──無意識に、父親を失望させないようにと考えている自分に気がついて、ナマエはため息を飲み込んだ。
マイケルは観客席の方にちらっと目をやった。グリフィンドールのチームも練習を終えたようで、とぼとぼ更衣室に向かっているようだった。それを目掛けて、大層面白そうにスリザリンの生徒たちが野次を飛ばしているのだった。
「……ほら、見ろよ。マルフォイたち、君のことはからかわない」
「仲がいいからじゃないぜ。ドラコは最近俺を避けてる」
「それでいいんじゃないか?あんな下品な野次を思いつくようなやつらと仲良くする価値はないと思うけど」
マイケルは刺々しく言った。ナマエはそれには答えなかった。
ナマエは観客席をもう一度見た。マルフォイはロンに向かって何か言っていたが、ふとこちらへ視線を向けかけ、すぐにそらした。まるで最初からナマエなど見ていなかったような顔だった。
「僕、着替えてこいつを返しに行ってくるよ」
「オーケー」
マイケルが行ってしまうと、入れ替わりに着替えたグリフィンドールチームのメンバーがぞろぞろ出てきた。その中にハリーを見つけて、ナマエは駆け寄った。隣には先ほどとは打って変わって血の気のない顔のロンがいたが、理由には気づかないふりをした。
「ハリー!──昨日は悪かった。寮まで送ってくれて」
「ナマエ、アー……」
ハリーはナマエを見て苦虫を噛み潰すような顔をして、少し周りを窺ってからナマエに近づいてきた。
「──君、パパから何か聞いてないの?」
ハリーは低い声で聞いた。ナマエはきょとんとしてから思い出した──そうだ。罰則のあと、父親に呼び出されていたのだ。どうして忘れていたんだろう。ナマエは眉を下げた。
「ああ、うん……向こうだってホッグズ・ヘッドで俺をすっぽかしたことがあるから、おあいこだ」
「うん?」
今度はハリーが困惑したように目を瞬いた。しかし、ハリーはすぐにナマエの後ろに目を逸らした。ハリーの視線の先を振り返ると、白衣のチチオヤが競技場に歩いてくるところだった。
「おっ、チチオヤ先生だ」
ジョージが言うと、チチオヤはにっと笑った。
「怪我に気をつけるんだよ」
「もちろん」
双子は声を揃えて答えた。
チチオヤはゆっくりと視線をナマエとハリーに向けた。
「ナマエ、来なさい」
チチオヤはそれだけ言って、競技場の出口へ歩き出した。白衣の裾が芝生の上をかすめる。ナマエはハリーを振り返ったが、ハリーはまだ何か言いたそうな顔をしていた。けれどチチオヤは待つ気がないらしく、こちらを振り返りもしない。
「昨日は──」
「構わない。疲れていただろう」
チチオヤはナマエの顔を見て、少し眉を上げた。
「顔はどうした」
「なんともない。ブラッジャーにちょっと殴られただけ……それより、ハグリッドが帰ってきたのか?」
チチオヤはグラウンドの端を抜けて、ハグリッドの小屋へ向かっていた。ナマエはその背中を追いながら、ふと耳元に手をやった。そこにあるはずの耳飾りは、やはりなかった。
「いいや──彼はダンブルドアの頼みで任務に出ている」
チチオヤは無遠慮に小屋の扉を開いた。
ファングはチチオヤには目もくれずナマエに飛びかかった。ナマエはファングの涎を受け止め、頭をわしゃわしゃ撫で回した。歓迎の生暖かい息が心地よかった。
見慣れたハグリッドの小屋は、相変わらず大きすぎる椅子や鍋や道具でいっぱいだったが、いつもより妙に片づいていた。床に落ちていたはずの骨や毛玉は消え、テーブルの上には薬瓶と花瓶がきちんと並べられている。ハグリッドが見たら、かえって落ち着かないだろうとナマエは思った。
チチオヤは慣れた様子で戸棚の大きなキャニスターを取り出し、ファングに餌をやった。ファングはナマエに飛びつく時だけ大騒ぎをしたくせに、餌を前にすると途端におとなしくなった。
チチオヤはがつがつと餌を食べるファングからナマエに目線を移した。なんとなく、耳元を見られている気がした。
「──あっ」
ナマエは唐突に始業式の馬車の中での出来事を思い出して、間抜けな声を上げた。
「そういえば、ドラコがなんでかあんたの居場所を知りたがってた」
チチオヤは「ああ」と気のない返事をした。
「ルシウスの差金だな。恩知らずめ、私の首でご主人様の機嫌を取るつもりだろう」
チチオヤは事もなげに言った。ナマエは目を瞬いた。
「ドラコの様子が変だったんだ」
「……あの子とも仲がいいのか?」
「仲がいいのはあんたたちのほうかと思ってたけど」
チチオヤはくつくつと喉の奥で笑った。何が愉快なのかナマエにはわからなくて腹が立った。
「ルシウスにとっては、何事も狡猾に世渡りするための手段でしかない。だから恐るるに値しない──そろそろ、魔法省がホグワーツへの干渉を強めるだろう。騎士団のスタージス・ポモドアもはめられ、アズカバン送りにされた」
チチオヤは言いながら呑気にもテーブルにティーセットを並べ始めた。
「アンブリッジが権力を持つぞ。今の教職以上にな」
「……それは世間話のつもり?いい雰囲気作りだことで」
ナマエが悪態をつきながら席に着くと、チチオヤはため息をついた。
「彼女はホグワーツ高等尋問官になった。そのうち教師の査察を始めるだろう」
「査察?」
「名目はなんであれ、アンブリッジの──魔法省、ファッジの気に入らない教員をホグワーツから除名させるつもりだ。無論、私も対象になるはずだ」
チチオヤは紅茶を一口飲んだ。
「耳飾りを没収されたそうだな」
チチオヤはティーカップを置きながら言った。ナマエは一瞬口をつぐんでから、弁明するようにチチオヤを見上げた。
「……学生に不要な華美な装飾だって」
「まったく、あの女に目をつけられるようなことはやめろ」
チチオヤはため息をついて白衣の内側から何かを取り出した。簡素な耳飾りだ。前に渡されたものよりずっと飾り気がなく、石もついていない。銀色の輪に、細かい文字のようなものがかすかに刻まれているだけだった。
「これは試作品だ。片耳しかない。すぐ壊れるかもしれん」
「待てよ」
ナマエは耳飾りを受け取らず、チチオヤを見た。
「そもそも、何の魔法がかけられてるんだ。何で俺がそれを身につけなきゃならない」
「……今にわかる。それが壊れたらすぐに私を呼びなさい。それから、取られたほうもできるだけ早く取り返せ」
チチオヤは一瞬だけ目を伏せたが、耳飾りをナマエの手に押し付けた。
「だから──」
ナマエの声が少し荒くなった。しかし、そのあとの言葉は、突然誰かが戸をドンドン叩く音に呑み込まれてしまった。ファングがキャンキャン鳴いた。ナマエは戸口の脇の窓を見つめた。ずんぐりした背の低い人影が、薄いカーテンを通して揺らめいていた。
チチオヤはナマエの頭を杖で軽く叩いた。身体に冷たいものが流れる感覚がして、目くらまし術だとわかった。チチオヤがテーブルを指さし、それから、人差し指を口の前に立てた。ナマエは急いでテーブルの下に潜り込んで息を潜めた。
ファングは戸に飛びかかっていた。チチオヤは足でファングを脇に押しやり、戸を引いて開けた。アンブリッジが戸口に立っていた。
「──それで、どうしてあなたがここにいるのかしら」
答えも待たずに、アンブリッジはずかずかと部屋に入り、飛び出した目をギョロつかせてそこいら中を見回した。
「知人のペットの世話をするのに、魔法省の許可が必要でしたかな?」
「ええ、こと巨人と交流する場合はね──ところで、誰とお話しになっていたの?」
「そりゃあ、そのけむくじゃらの友人ですよ。私は犬が好きでね」
「それはようございましたこと。でも残念ね」
アンブリッジはにっこり笑った。笑っているのに、目だけは少しも笑っていなかった。
「高等尋問官として、わたくしにはホグワーツに出入りするすべての外部関係者について、調査を行う権限がありますの。とくに、巨人と関わりのある教職員の住居に無断で出入りしている方については」
「私は犬の世話をしていただけですが」
「ええ、もちろん。そうおっしゃるでしょうね」
アンブリッジはファングを見下ろし、ついで、戸棚や暖炉やテーブルの下へ、ゆっくり視線を滑らせた。
「それに、ミョウジ先生。あなたには別件でもお尋ねしたいことがございますの。数ヶ月も無許可で職場を離れていらしたこと、そして──ご自宅を失った不幸な事故についても」
テーブルの下で、ナマエは息を止めた。チチオヤの声は変わらなかった。
「ずいぶん熱心ですな」
「ホグワーツの安全のためですわ」
アンブリッジは甘ったるい声で言った。
「魔法省までご同行願えますかしら」
「拒否した場合は?」
「校長に正式な通知が行きますわ。それから、あなたが庇っているものが何であれ、徹底的に調べさせていただきます」
チチオヤは一瞬だけ黙ったが、すぐに明るい声を出した。
「では、行きましょう」
チチオヤは戸口へ向かう途中、テーブルの脚を靴で一度だけ軽く叩いた。こつん、という小さな音がした。動くなとでも言いたいのだろうか。
アンブリッジは満足そうにチチオヤの後ろ姿を見上げていた。ファングはまだ不安そうに鼻を鳴らしていたが、チチオヤが短く「待て」と言うと、尻尾を垂らして暖炉のそばに戻った。
二人の足音が完全に聞こえなくなってからも、ナマエはしばらく動けなかった。
──また何も教えられないまま置いていかれた。
目くらまし術がまだ効いているのか、ファングはナマエを見つけられないようで、きょろきょろと辺りを嗅ぎ回った。
しばらくしてから、ナマエはようやくテーブルの下から這い出した。小屋の中は、アンブリッジが入ってきた時のまま、妙にきちんとしていた。ティーセットは跡形もなく消えていて、チチオヤの周到さに舌打ちした。
ナマエは手を開いた。チチオヤが押し付けた耳飾りが残されていた。触れると、指先がかすかに冷えた。
目くらまし術を解いて鏡を見た。ナマエはしばらく自分の顔と耳飾りとを睨んでいたが、結局、悪態をついてそれを耳につけた。
少し伸びた髪でなんとなく隠すことができた。それでも、前のものより目立って見える気がした。
小屋を出ると、校庭の風が冷たかった。アンブリッジとチチオヤの姿はもう見えない。城の方へ続く坂道を眺めていると、かぼちゃ畑のそばに、淡い金髪の少女が立っていた。ルーナだ。
「それ、新しい耳飾り?」
ナマエは思わず耳に手をやった。
「やっぱ、目立つ?」
「隠したいものって、かえって輪郭がはっきりすることがあるって、ママが言ってたよ」
ルーナは真面目な顔で言った。ナマエは返事に困った。ルーナはかぼちゃの葉をそっと避けながら近づいてきた。
「チチオヤ先生、連れて行かれたの?」
「見てたのか」
「ウン。あのね、私のパパは、反魔法省運動をとっても支持しているんだ。だって、聖マンゴの人体実験の秘密よりも、そっちのほうが重要だもン!その上、ファッジにはアンガビュラー・スラッシキルターがついてるもんね──」
ナマエは何か言い返そうとして、やめた。ルーナの言葉はいつも奇妙だったが、彼女の情報源の「ザ・クィブラー」はもっと奇妙だった。
風がふわりとルーナの髪を揺らした。彼女の耳元では飛行梅はひとつがくるりと回り、もうひとつは眠そうに揺れていた。
「それ、没収されないのか?」
「これぇ?」
ルーナは片方の飛行梅をつまんだ。これが許されて、自分の耳飾りだけが取り上げられたのなら、理由はひとつしかない。アンブリッジは、装飾品が気に入らなかったのではない。ナマエからそれを取り上げたかったのだ。
「あの人には見えてないんじゃないかなぁ。だって、さっきもここでナーグルの群れに自分からぶつかりに行ってたもン」
ナマエは思わず少し笑った。笑うと唇の傷が引きつって、顔をしかめる羽目になった。
目が覚めたとき、最初に見えたのはレイブンクロー寮の青い天蓋だった。 窓からは陽が差し込んでいて、首を動かしてみてもルームメイトは誰もいなかった。
「……いま……」
何時だろう。掠れた声を出そうとして、喉の奥に焼け付くような違和感を覚えた。
アンブリッジの拷問のようなインクの罰則の後、ハリーに肩を貸してもらったのは覚えている。ハリーの肩は案外がっしりしていて、彼の手の甲から伝わってくる血の匂いが鼻をついた。
それから──。
ナマエは上半身を起こして頭を抱えた。どうやってベッドまで辿りついたのか、記憶が曖昧で思い出せなかった。
着替えて談話室に降りると、どの机も生徒でいっぱいで、誰かが小声で呪文を暗唱し、別の誰かは羽根ペンを耳に挟んだまま辞書をめくっていた。
「おはよう。罰則は遅くまでかかったんだね」
いつもの本棚の前のソファで、アンソニーが顔を上げた。膝の上には天文学の分厚い本が開かれている。テリーは月長石のレポートを書きながら、こちらを見もしない。
「……まあ、少し」
ナマエはできるだけ何でもない声を出したつもりだったが、喉が掠れた。テリーがようやく顔を上げた。
「君、声がひどいね」
「アンブリッジのありがたーい教育的指導のおかげでね」
ナマエはソファの背に沈み込んだ。近くの机で一年生が羽根ペンを落とし、床で軽い音がした。ナマエはびくりと反射的にそちらを見てしまい、自分で少し腹が立った。
そこへ、マイケルが顔を出した。
「だれか、今日時間ある?」
「課題がなければ」
「僕もだね」
テリーとアンソニーがほとんど同時に答えた。二人とも、返事だけはしたが手元の羊皮紙からは目を離さない。レイブンクローの談話室では、助けを求めるにもまず課題の山を越えなければならないのだ。
「だよな……」
マイケルは頭を掻いた。ナマエは立ち上がった。
「俺、いいよ。何するんだ?」
「ナマエかあ──」
マイケルはあきらかに残念そうな顔をした。ナマエは眉を寄せた。
「なんだよ、俺じゃ不満か?何の用事なんだ」
「いや、君は魔法なら頼りになるけど、クィディッチだと……」
「最後まで言ってみろ」
「言わない方が友情のためだと思う」
ナマエは悪態をついてどかっとソファに座り直した。
「……どっちにしろ俺は今日は絶対にペンを握らないぞ。アンブリッジの書き取り罰は本当に最悪だったからな」
ナマエは頭の後ろで手を組んだ。
「かわいそうに、課題は増えてく一方だぞ」
テリーがレポートから顔を上げもせずに言った。ナマエはアンソニーとテリーの様子を見てげんなりしてから、マイケルに聞いた。
「──それで、クィディッチが何だって?」
「ビーターの練習だ。僕はずっと補欠だったけど、六年生が
「地上からブラッジャーを投げる手伝いくらいならできるぜ」
マイケルは一瞬不安そうな顔をしたが、妥協して頷いた。ナマエは鼻を鳴らした。
「俺をみくびってるな」
「まあね……」
競技場の眩しい陽光の中に出て行くと、真紅のユニフォームを着たグリフィンドールチームと、観客席にはスリザリンのクィディッチ・チームと取り巻き連中数人が野次と口笛を投げていた。
「あれ、いつもは空き時間なのに。誰か使ってるな──グリフィンドールだ」
「本当だ──お、ロンも選手になったのか」
グリフィンドールのフレッドはジョージに、ジョージはハリーにパスし、ハリーからロンにパスしたが、ロンはボールを取り落とした。マルフォイの率いるスリザリン生が、大声で笑ったり、甲高い笑い声を上げたりして、ロンの顔は湯気が立つほど真っ赤になっていた。
マルフォイたちの下品な野次にマイケルは顔を顰めてナマエを見た。
「マルフォイは君がいるのに気がついてないのか?」
「え、どういう意味?」
「だって、いつも君の前だと大人しくしてるのに」
「そうは思えないけど……」
ナマエは、コンパートメントに乗り込んできたドラコを思い出して言った。しかし、たしかに近頃のドラコはナマエを避けているような気もしていた。馬車で話してからはずっとよそよそしい。廊下ですれ違ってもあからさまに目線を逸らすし、薬草学の授業でもナマエから一番遠い畝に陣取っていた。
マイケルは芝生の隅を指差した。
「まあ、ギャラリーの前でプレイできなきゃ意味ないし──隅っこでやる分なら邪魔にならないだろう」
「……そうだな」
ナマエはドラコから目を逸らして答えた。二人は競技場の隅に移動し、マイケルが木箱をどさりと芝生の上に開けた。
「本当は棍棒で打ち返して欲しいけど──君には荷が重いかもしれない」
「ジニーに頼んだらよかったな?」
ナマエはにやっと笑って杖を振ると、棍棒を浮かせた。
「俺は杖でやる」
ナマエはそう言って、木箱の中で鎖に封じられてガタガタわめくブラッジャーに近づき、鍵を外した。その途端、どっと勢いよく鉄球がナマエめがけて飛び出そうとした。ナマエは両手でブラッジャーを抑えこんだ。マイケルは箒で低空飛行しながら、その様子を見守った。
「……やっぱり、君にブラッジャーをまかせるのは心配になってきた」
「大丈夫だ、重っ……!よっと──」
ナマエはブラッジャーをなんとかマイケルの方にぶん投げた。ブラッジャーはマイケルを通り越し、高くまっすぐ飛んでいったかと思うと、大きくカーブを描いて戻ってきた。荒々しく唸りながらマイケルに迫った。
マイケルは見事にそれを打ち返した。ブラッジャーは再び彼を狙った。
「やるじゃないか、マイケル」
しばらくマイケルとブラッジャーの格闘を見守りつつ、ナマエのほうに飛んでくる時は宙に浮いた棍棒でマイケルに打ち返した。
「そろそろ終わろうか!」
マイケルが肩で息をしながら言った。箒で旋回してブラッジャーをナマエのほうに打ち返した。
「オーケー……イモービラス!」
ナマエはブラッジャーに杖を向けて叫んだ。ナマエに迫るブラッジャーはだんだんとスピードを落とし、ナマエの腕の中におさまった。たしかに鉄球の重みを感じたが、次の瞬間、ふっと軽くなった。
「ナマエ!」
マイケルの叫び声がして、視界が白く瞬いた。意思を取り戻したブラッジャーが、ナマエの顔面に直撃したのだ。
「大丈夫か!?」
ナマエが顔を抑えてうずくまっていると、マイケルが血相を変えて駆け寄ってきた。
「……油断した」
見上げると、ブラッジャーは空から再びナマエとマイケルに向かって急降下した。
「イモービラス!!」
今度はマイケルが叫んだ。彼はブラッジャーを捕まえると、慣れた手つきで素早く箱にしまい、錠を掛けた。マイケルはナマエを振り返ると、哀れそうな、呆れたような何とも言えない顔をした。ナマエは眉を上げた。
「……言いたいなら、言え」
「ごめんよ、そこまでドジだとは思ってなかったんだ」
ナマエは悪態をついて自分の顔に杖を向けて「エピスキー」と唱えた。ポキっと骨が動くような嫌な音がした。
「痛っ……歯が折れてたみたいだ……」
ナマエはヒリヒリ痛む唇を舐めた。血の味がして、顔を顰めた。マイケルが申し訳なさそうにナマエの顔を覗き込んだ。
「顎は割れてない?医務室に行こうか」
「いや、大丈夫。治せたと思う……」
ナマエが鼻を鳴らすと、ツンと痛んだ。こんな鈍臭い怪我を父親に診てもらうのはなんとなく嫌だった。それに、チチオヤに気づかれる前に、アンブリッジから耳飾りを取り返さないと──無意識に、父親を失望させないようにと考えている自分に気がついて、ナマエはため息を飲み込んだ。
マイケルは観客席の方にちらっと目をやった。グリフィンドールのチームも練習を終えたようで、とぼとぼ更衣室に向かっているようだった。それを目掛けて、大層面白そうにスリザリンの生徒たちが野次を飛ばしているのだった。
「……ほら、見ろよ。マルフォイたち、君のことはからかわない」
「仲がいいからじゃないぜ。ドラコは最近俺を避けてる」
「それでいいんじゃないか?あんな下品な野次を思いつくようなやつらと仲良くする価値はないと思うけど」
マイケルは刺々しく言った。ナマエはそれには答えなかった。
ナマエは観客席をもう一度見た。マルフォイはロンに向かって何か言っていたが、ふとこちらへ視線を向けかけ、すぐにそらした。まるで最初からナマエなど見ていなかったような顔だった。
「僕、着替えてこいつを返しに行ってくるよ」
「オーケー」
マイケルが行ってしまうと、入れ替わりに着替えたグリフィンドールチームのメンバーがぞろぞろ出てきた。その中にハリーを見つけて、ナマエは駆け寄った。隣には先ほどとは打って変わって血の気のない顔のロンがいたが、理由には気づかないふりをした。
「ハリー!──昨日は悪かった。寮まで送ってくれて」
「ナマエ、アー……」
ハリーはナマエを見て苦虫を噛み潰すような顔をして、少し周りを窺ってからナマエに近づいてきた。
「──君、パパから何か聞いてないの?」
ハリーは低い声で聞いた。ナマエはきょとんとしてから思い出した──そうだ。罰則のあと、父親に呼び出されていたのだ。どうして忘れていたんだろう。ナマエは眉を下げた。
「ああ、うん……向こうだってホッグズ・ヘッドで俺をすっぽかしたことがあるから、おあいこだ」
「うん?」
今度はハリーが困惑したように目を瞬いた。しかし、ハリーはすぐにナマエの後ろに目を逸らした。ハリーの視線の先を振り返ると、白衣のチチオヤが競技場に歩いてくるところだった。
「おっ、チチオヤ先生だ」
ジョージが言うと、チチオヤはにっと笑った。
「怪我に気をつけるんだよ」
「もちろん」
双子は声を揃えて答えた。
チチオヤはゆっくりと視線をナマエとハリーに向けた。
「ナマエ、来なさい」
チチオヤはそれだけ言って、競技場の出口へ歩き出した。白衣の裾が芝生の上をかすめる。ナマエはハリーを振り返ったが、ハリーはまだ何か言いたそうな顔をしていた。けれどチチオヤは待つ気がないらしく、こちらを振り返りもしない。
「昨日は──」
「構わない。疲れていただろう」
チチオヤはナマエの顔を見て、少し眉を上げた。
「顔はどうした」
「なんともない。ブラッジャーにちょっと殴られただけ……それより、ハグリッドが帰ってきたのか?」
チチオヤはグラウンドの端を抜けて、ハグリッドの小屋へ向かっていた。ナマエはその背中を追いながら、ふと耳元に手をやった。そこにあるはずの耳飾りは、やはりなかった。
「いいや──彼はダンブルドアの頼みで任務に出ている」
チチオヤは無遠慮に小屋の扉を開いた。
ファングはチチオヤには目もくれずナマエに飛びかかった。ナマエはファングの涎を受け止め、頭をわしゃわしゃ撫で回した。歓迎の生暖かい息が心地よかった。
見慣れたハグリッドの小屋は、相変わらず大きすぎる椅子や鍋や道具でいっぱいだったが、いつもより妙に片づいていた。床に落ちていたはずの骨や毛玉は消え、テーブルの上には薬瓶と花瓶がきちんと並べられている。ハグリッドが見たら、かえって落ち着かないだろうとナマエは思った。
チチオヤは慣れた様子で戸棚の大きなキャニスターを取り出し、ファングに餌をやった。ファングはナマエに飛びつく時だけ大騒ぎをしたくせに、餌を前にすると途端におとなしくなった。
チチオヤはがつがつと餌を食べるファングからナマエに目線を移した。なんとなく、耳元を見られている気がした。
「──あっ」
ナマエは唐突に始業式の馬車の中での出来事を思い出して、間抜けな声を上げた。
「そういえば、ドラコがなんでかあんたの居場所を知りたがってた」
チチオヤは「ああ」と気のない返事をした。
「ルシウスの差金だな。恩知らずめ、私の首でご主人様の機嫌を取るつもりだろう」
チチオヤは事もなげに言った。ナマエは目を瞬いた。
「ドラコの様子が変だったんだ」
「……あの子とも仲がいいのか?」
「仲がいいのはあんたたちのほうかと思ってたけど」
チチオヤはくつくつと喉の奥で笑った。何が愉快なのかナマエにはわからなくて腹が立った。
「ルシウスにとっては、何事も狡猾に世渡りするための手段でしかない。だから恐るるに値しない──そろそろ、魔法省がホグワーツへの干渉を強めるだろう。騎士団のスタージス・ポモドアもはめられ、アズカバン送りにされた」
チチオヤは言いながら呑気にもテーブルにティーセットを並べ始めた。
「アンブリッジが権力を持つぞ。今の教職以上にな」
「……それは世間話のつもり?いい雰囲気作りだことで」
ナマエが悪態をつきながら席に着くと、チチオヤはため息をついた。
「彼女はホグワーツ高等尋問官になった。そのうち教師の査察を始めるだろう」
「査察?」
「名目はなんであれ、アンブリッジの──魔法省、ファッジの気に入らない教員をホグワーツから除名させるつもりだ。無論、私も対象になるはずだ」
チチオヤは紅茶を一口飲んだ。
「耳飾りを没収されたそうだな」
チチオヤはティーカップを置きながら言った。ナマエは一瞬口をつぐんでから、弁明するようにチチオヤを見上げた。
「……学生に不要な華美な装飾だって」
「まったく、あの女に目をつけられるようなことはやめろ」
チチオヤはため息をついて白衣の内側から何かを取り出した。簡素な耳飾りだ。前に渡されたものよりずっと飾り気がなく、石もついていない。銀色の輪に、細かい文字のようなものがかすかに刻まれているだけだった。
「これは試作品だ。片耳しかない。すぐ壊れるかもしれん」
「待てよ」
ナマエは耳飾りを受け取らず、チチオヤを見た。
「そもそも、何の魔法がかけられてるんだ。何で俺がそれを身につけなきゃならない」
「……今にわかる。それが壊れたらすぐに私を呼びなさい。それから、取られたほうもできるだけ早く取り返せ」
チチオヤは一瞬だけ目を伏せたが、耳飾りをナマエの手に押し付けた。
「だから──」
ナマエの声が少し荒くなった。しかし、そのあとの言葉は、突然誰かが戸をドンドン叩く音に呑み込まれてしまった。ファングがキャンキャン鳴いた。ナマエは戸口の脇の窓を見つめた。ずんぐりした背の低い人影が、薄いカーテンを通して揺らめいていた。
チチオヤはナマエの頭を杖で軽く叩いた。身体に冷たいものが流れる感覚がして、目くらまし術だとわかった。チチオヤがテーブルを指さし、それから、人差し指を口の前に立てた。ナマエは急いでテーブルの下に潜り込んで息を潜めた。
ファングは戸に飛びかかっていた。チチオヤは足でファングを脇に押しやり、戸を引いて開けた。アンブリッジが戸口に立っていた。
「──それで、どうしてあなたがここにいるのかしら」
答えも待たずに、アンブリッジはずかずかと部屋に入り、飛び出した目をギョロつかせてそこいら中を見回した。
「知人のペットの世話をするのに、魔法省の許可が必要でしたかな?」
「ええ、こと巨人と交流する場合はね──ところで、誰とお話しになっていたの?」
「そりゃあ、そのけむくじゃらの友人ですよ。私は犬が好きでね」
「それはようございましたこと。でも残念ね」
アンブリッジはにっこり笑った。笑っているのに、目だけは少しも笑っていなかった。
「高等尋問官として、わたくしにはホグワーツに出入りするすべての外部関係者について、調査を行う権限がありますの。とくに、巨人と関わりのある教職員の住居に無断で出入りしている方については」
「私は犬の世話をしていただけですが」
「ええ、もちろん。そうおっしゃるでしょうね」
アンブリッジはファングを見下ろし、ついで、戸棚や暖炉やテーブルの下へ、ゆっくり視線を滑らせた。
「それに、ミョウジ先生。あなたには別件でもお尋ねしたいことがございますの。数ヶ月も無許可で職場を離れていらしたこと、そして──ご自宅を失った不幸な事故についても」
テーブルの下で、ナマエは息を止めた。チチオヤの声は変わらなかった。
「ずいぶん熱心ですな」
「ホグワーツの安全のためですわ」
アンブリッジは甘ったるい声で言った。
「魔法省までご同行願えますかしら」
「拒否した場合は?」
「校長に正式な通知が行きますわ。それから、あなたが庇っているものが何であれ、徹底的に調べさせていただきます」
チチオヤは一瞬だけ黙ったが、すぐに明るい声を出した。
「では、行きましょう」
チチオヤは戸口へ向かう途中、テーブルの脚を靴で一度だけ軽く叩いた。こつん、という小さな音がした。動くなとでも言いたいのだろうか。
アンブリッジは満足そうにチチオヤの後ろ姿を見上げていた。ファングはまだ不安そうに鼻を鳴らしていたが、チチオヤが短く「待て」と言うと、尻尾を垂らして暖炉のそばに戻った。
二人の足音が完全に聞こえなくなってからも、ナマエはしばらく動けなかった。
──また何も教えられないまま置いていかれた。
目くらまし術がまだ効いているのか、ファングはナマエを見つけられないようで、きょろきょろと辺りを嗅ぎ回った。
しばらくしてから、ナマエはようやくテーブルの下から這い出した。小屋の中は、アンブリッジが入ってきた時のまま、妙にきちんとしていた。ティーセットは跡形もなく消えていて、チチオヤの周到さに舌打ちした。
ナマエは手を開いた。チチオヤが押し付けた耳飾りが残されていた。触れると、指先がかすかに冷えた。
目くらまし術を解いて鏡を見た。ナマエはしばらく自分の顔と耳飾りとを睨んでいたが、結局、悪態をついてそれを耳につけた。
少し伸びた髪でなんとなく隠すことができた。それでも、前のものより目立って見える気がした。
小屋を出ると、校庭の風が冷たかった。アンブリッジとチチオヤの姿はもう見えない。城の方へ続く坂道を眺めていると、かぼちゃ畑のそばに、淡い金髪の少女が立っていた。ルーナだ。
「それ、新しい耳飾り?」
ナマエは思わず耳に手をやった。
「やっぱ、目立つ?」
「隠したいものって、かえって輪郭がはっきりすることがあるって、ママが言ってたよ」
ルーナは真面目な顔で言った。ナマエは返事に困った。ルーナはかぼちゃの葉をそっと避けながら近づいてきた。
「チチオヤ先生、連れて行かれたの?」
「見てたのか」
「ウン。あのね、私のパパは、反魔法省運動をとっても支持しているんだ。だって、聖マンゴの人体実験の秘密よりも、そっちのほうが重要だもン!その上、ファッジにはアンガビュラー・スラッシキルターがついてるもんね──」
ナマエは何か言い返そうとして、やめた。ルーナの言葉はいつも奇妙だったが、彼女の情報源の「ザ・クィブラー」はもっと奇妙だった。
風がふわりとルーナの髪を揺らした。彼女の耳元では飛行梅はひとつがくるりと回り、もうひとつは眠そうに揺れていた。
「それ、没収されないのか?」
「これぇ?」
ルーナは片方の飛行梅をつまんだ。これが許されて、自分の耳飾りだけが取り上げられたのなら、理由はひとつしかない。アンブリッジは、装飾品が気に入らなかったのではない。ナマエからそれを取り上げたかったのだ。
「あの人には見えてないんじゃないかなぁ。だって、さっきもここでナーグルの群れに自分からぶつかりに行ってたもン」
ナマエは思わず少し笑った。笑うと唇の傷が引きつって、顔をしかめる羽目になった。
