不死鳥の騎士団
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「だから……ちょっとした度胸試しのつもりだったんだよ。そんなに広まってたなんてさ」
「君、そんな馬鹿げたことをして減点されたのか!」
談話室の望遠鏡を覗き込み、天文学の課題に取り組んでいたアンソニーは、顔を上げて呆れたような声を出した。テリーは魔法薬学の月長石のレポートを綴る羊皮紙から顔を上げずに言った。
「息子をアンブリッジに売り渡すなんて、怖いパパだね。けど、どうしてアンブリッジにバレたんだ?」
アンソニーは気づいていないが、テリーはクィディッチメンバーと一緒に『レヴィオ・落下』で遊んでいたことを、ナマエは知っていた。
マイケルは大きく伸びをして、多過ぎる課題から目を離して会話に混ざった。
「ああ……アンブリッジは、ハリーに同調する人間を生徒にスパイさせてるらしいぜ。ジニーが言ってた」
「まさか、あのばばあの言うこと聞くやつがいるのか?」
テリーは顔を上げた。四人が占領している机は本と羊皮紙でいっぱいで、互いの顔は少ししか見えなかった。
「さあ……ナマエ、君の友達のマルフォイとかは喜んで媚びるんじゃない?なにせ、アンブリッジはハリーを痛めつけてくれるからね」
マイケルは皮肉たっぷりに答えた。ナマエはそれには答えず、三人よりも高く積まれた教科書の壁に隠れた。
今度はパドマが遠慮がちにやってきて、アンソニーに目配せをした。
「トニー、ちょっといい?今日の見回りなんだけど……」
「ああ、うん」
二人はそのまま席を立って話し始めた。ナマエは頭を机に投げ出した。
「こんなに課題があるのに監督生は見回りまでしてるのか」
「ナマエ、君は僕らよりクラスを取りすぎだよ……それよりあの二人、そのうちくっつくぞ」
テリーが茶化すように笑った。二人を見ながら、あながちそうかもしれないとナマエも思った。
次の日、古代ルーン文字の授業終わりに、ナマエはハーマイオニーと一緒に空き教室で課題に取り組んでいた。お互いにクラスの空き時間で、ナマエは時間割に感謝しながら二人の時間を過ごしていた。
ナマエはふと、「巨人の戦争」についてのレポートから顔を上げた。ハーマイオニーが課題ではなく、なにやら毛糸の塊に向かって一生懸命杖を振っていることに気がついた。
「ハーマイオニー。それ、何?」
「えっと……とくに、なんでもないわ」
ハーマイオニーは口をモゴモゴさせた。毛糸の塊は、小さくて平べったくてところどころ歪んだものを編み続けていた。ナマエははっとしてハーマイオニーの顔を見た。
「もしかして、誰かにあげるのか?」
「そうといえばそうだけど──」
ハーマイオニーは曖昧にごまかすだけで答えなかった。ナマエはなんとなく胸がざわついて食い下がった。
「それって誰に?」
「誰でもないの、別に」
「………もし、ロンとか──その、他の人にあげるつもりなら……俺も欲しいな」
「えっ?」
ナマエが拗ねたように言うと、ハーマイオニーにとって意外な言葉だったのか、少し赤くなって俯いた。
それから、自分が作った毛糸の塊とナマエを見比べて怪訝な顔をした。
「ねえ、あなたには……何を作ってるように見えるの?」
ナマエは歪な円盤のような毛玉と、ニット素材の心臓のような塊、それからハーマイオニーを見てから慎重に答えた。
「え?……そうだな……うーん──コースターとか……?」
ナマエの答えはおそらく間違っていたようで、ハーマイオニーは黙って毛玉をカバンの中に押し込んだ。
「ねえ、それより……ハリーも昨日からアンブリッジの罰則を受けてるわ。あなたも、もうあんまり刺激しちゃだめよ……何かと理由をつけて、見せしめに罰則を課してるんだわ」
「わかってるけど、アンブリッジは俺を痛めつけるのは親父に効くと思ってるんじゃないかな」
「そんな、あなたのお父様は何か──」
「なーんにも、外面を取り繕うので手一杯」
ナマエが投げやりに言うと、ぬっと羊皮紙に人影が落ちた。
「──なにぶん、敵が敵だけではないからな」
「うわっ?!」
影の主はロマニだった。ナマエは驚いて椅子を揺らして立ち上がった。ロマニはにこやかにハーマイオニーに声をかけた。
「勉強の邪魔をしてすまない。息子を少し借りても?」
「……ええ!もちろんです」
ハーマイオニーも虚を突かれて即答した。ロマニは穏やかに笑ったが、有無を言わせない圧があった。ロマニとナマエはハーマイオニーの机を離れ、廊下に出た。
「ナマエ……」
ロマニが声を潜めて話し出そうとすると、ナマエは自分の機嫌よりもやや大げさにため息をついた。
「急に俺の機嫌をとる気になったんだ?」
ロマニは後ろめたそうに眉を下げた。この反応は想定外だった。いつものように、にべもなく、淡々と用件だけを告げられるものだと思っていたのだ。ロマニは咳払いをして、話を戻した。
「ドローレス・アンブリッジの罰則が終わったら、西塔の七階に来なさい」
「七階?なんで?」
「……来ればわかることだ」
ロマニはやはりいつもの調子に戻ってしまった。自分にとっての最低限の言葉だけで会話を切り上げようとするロマニを、ナマエは今日こそ逃すまいとした。
「あんたはいつも──俺が聞いても何も教えちゃくれないのに、そっちの都合で呼びつけて、息子を振り回して、ちっとも悪いと思わないわけ?」
ナマエは腰に手を当ててロマニを見上げた。
「……お前に合わせる顔がなかった。今も」
ロマニはどうしてか、今までよりも、人間らしく見えていた。ナマエにとって父親とは、打てど響かぬ分厚いドラゴンの皮のような、何を言っても、働きかけても、すべて弾き返されるような虚しい相手だった。ところが今はどうだろう。
ロマニの言葉が本心か、他の生徒に振りまく仮面と同じなのかまではわからなかった。ナマエの威勢はすっかりしぼんでしまい、握っていた拳を緩めて、ぼそぼそ答えた。
「でも……何時になるかわからないけど……罰則を受けるのは初めてだから」
子供じみた弁解をしてから、少し耳が熱くなった。
「何時でも構わない。ダンブルドアは承知している。ただ、お前が疲れているなら──」
「行く」
ナマエが即答すると、ロマニは穏やかな顔で、手袋越しにナマエの背中をポンとはたいた。
席に戻ると、ハーマイオニーが心配そうに顔を上げた。レポートは一行も進んでいなかった。
「もう終わったの?大丈夫?」
「ああ、うん。なんか……父親づらされた」
ナマエは呆然としながらストンと椅子に座った。反抗心が折れたような、奇妙な気持ちになっていた。ハーマイオニーが気遣わしげにナマエの顔を覗き込むので、ナマエはふっと笑った。
「俺、今までいつも……あの人と話すのが、ちょっと怖かった」
それは、単なる恐怖ではなかった。拒絶されるかもしれない不安。
本当は何もかも問いただしたいし、文句をたくさんぶつけてやりたい──ちゃんと自分を見てほしい。けど、何も伝わらなかったら?何も返ってこなかったら?そう思うといつも逃げ出したくなった。なのに、性懲りも無く、また期待しているのだ。
ハーマイオニーは励ますようにナマエの肩を抱いた。
「ああナマエ、きっとうまく行くわよ」
何の根拠もない言葉のはずなのに、なぜかナマエの不安は和らいだ。
「そうだといいな」
ナマエが小さく答えると、ハーマイオニーがぽつりと言った。
「──帽子なの」
「え?」
「……毛糸の帽子を作ってるのよ」
ナマエはきょとんとしてから、さっきと同じ疑問を繰り返した。
「誰に?」
「……彼氏用は、あなただけに作るわ。……うまくできたらだけど」
ハーマイオニーは急に自分の枝毛を気にしながら、小さい声で答えた。ナマエは目をぱちくりさせて、今しがた聞こえた言葉を反芻した。
「──今、もしかして、俺のことを彼氏って言ってくれた?」
ハーマイオニーは顔を上げた。
「……誰か他の女の子に怒られるかしら?」
ナマエはすぐに首を横に振った。
「まさか!俺は──誰とも付き合ってない、付き合ったことも、付き合おうと思ったこともない。あんた以外とは……」
なぜか饒舌に弁明してしまったナマエに、ハーマイオニーは赤くなりながらはにかんだ。
「好きよ、ナマエ」
ハーマイオニーはナマエの頬に手を添えて、その逆側の頬にキスをした。見慣れたハーマイオニーの顔が、いつもよりぐんと近い場所にあった。頭が痺れて何も考えられなかった。
ナマエは、頬に添えられたハーマイオニーの手を握って、伺うようにハーマイオニーの顔を覗き込んだ。互いの鼻先が触れて、燃えるように熱かった。
「……たぶん、俺の方が好きだと思う」
ナマエは昼食を食べ損ね、始業ベルが鳴り終わるギリギリに呪文学の教室に駆け込んだ。今日の教室は、ウシガエルのゲロゲロとカラスのカーカーで満ち溢れ、何ともにぎやかだった。テリーが右手にウシガエルを呼び寄せながらナマエに声をかけた。
「何をニヤニヤしてるんだい?グレンジャーとキスでもしてたか?」
「あのさあ……開心術を使うなよ、テリー」
ナマエが冗談めかしてニヤッと言うと、テリーとマイケル、アンソニーはどっと盛り上がった。
「ヒュウ!リタが泣くぜ、ナマエ!」
マイケルが言った。
「マーリンの髭!やっとだな、このやろう!」
テリーがナマエの首に腕を回して笑った。ナマエも機嫌良く笑った。
「本当──俺、今なら守護霊を出せるぞっ!」
「あはは、やってみろ!」
教室中が「アクシオ」か「シレンシオ」の叫び声でいっぱいの中、ナマエは「エクスペクトパトローナム!」と叫んだ。しかし、杖先からうっすら白い光のモヤが出ただけだった。
「だめだ、何にも考えられない」
「君、二度もアンブリッジに減点されたこと──忘れてないよね?」
アンソニーがにやっと笑った。もちろん忘れていた。
ナマエは返事をする代わりに、アンソニーが沈黙呪文をかけ損ねたカラスを黙らせた。
五時五分前、四階のアンブリッジの部屋に出かけた。
ムーディの偽者の時代は、怪しい動きや隠れたものを探り検知する、いろいろな道具や計器類が詰まっていた。しかし、いまは、見分けがつかないほどの変わりようだった。壁や机はゆったり襞を取ったレースのカバーや布で覆われている。ドライフラワーをたっぷり生けた花瓶が数個、その下にはそれぞれかわいい花瓶敷、一方の壁には飾り皿のコレクションで、首にいろいろなリボンを結んだ子猫の絵が、一枚一枚大きく色鮮やかに描いてある。あまりの変わりように、ナマエは子猫を見つめたまま立ちすくんだ。するとアンブリッジの声がした。
「こんばんは、ミスター・ミョウジ」
ナマエは驚いてあたりを見回した。最初に気づかなかったのも当然だ。アンブリッジは花柄べったりのローブを着て、それがすっかり溶け込むテーブルクロスを掛けた机の前にいた。
さらにその前の机には、ナマエよりも先に来たハリーが座っていた。
「……こんばんは、アンブリッジ先生」
ハリーはナマエに目配せした。ハリーの手元には羊皮紙と羽根ペンがあり、どうやら罰則は書取り罰のようだった。
「あなたは、こちらにお座り」
アンブリッジはハリーの隣のレースの掛かった小さなテーブルを指差した。そのそばに、背もたれのまっすぐな椅子が引き寄せられ、机にはナマエのためと思われる羊皮紙が一枚用意されていた。ナマエが座ると、アンブリッジはナマエを睨め回し、顔を凝視した。
「学業に華美な装飾は不要だとは思わないのですか?ミスター・ミョウジ」
「えっ?」
ナマエは訳が分からずきょとんと聞き返すと、アンブリッジは機嫌を悪くしたようにぎょろりと目を見開いて、赤子に話すかのようにゆっくり、はっきりと答えた。
「──その──耳飾りは──外しなさい」
ナマエは思わず手を耳にやり、抗議した。
「でも、これは──」
「同じことを何度も言わせない!早く外しなさい」
ナマエはしぶしぶ耳飾りを外し、ポケットにしまおうとした。しかし、アンブリッジは意地悪くニヤリと笑って杖を振った。
「チッチッチ……没収ですよ、ミスター・ミョウジ。これは私が預かります」
ナマエの手から耳飾りが飛び出て、アンブリッジの手の中に収まった。ナマエは立ち上がった。
「はあっ?──っ返してください!それは大事なものです!人に渡したくない」
「あらあら、口答えはいけませんねえ。返して欲しいなら、態度を改めなさい!」
アンブリッジはまた杖を振り、ナマエの椅子が机に引き寄せられた。ナマエはかくんと椅子に崩れるように座った。
「ェヘン──ミスター・ポッター、あなたはやり方をもう知っていますね?始めなさい」
「……はい」
ナマエは横目でハリーを見た。ハリーは唇をきつく結んで、強気な目線でアンブリッジを睨んでいた。
「──それで、ミスター・ミョウジ」
アンブリッジはとびきり柔らかい声を出して、ナマエの前に立った。
「あなたはこの羽根ペンを使いなさい」
アンブリッジが、ハリーのとは違う毒々しい紫色の羽根ペンを渡した。ナマエがそれを手に取ると、今度はインク瓶をコトンと机に置かれた。しかし──中身は空だ。それどころか、瓶には底すらなかった。ナマエがアンブリッジを見上げると、アンブリッジは微かに笑った。
「そうね、あなたはこう書きましょう。『僕は秩序を乱してはいけない』」
アンブリッジはそう言って、短い杖で底のないインク瓶のふちをコンと叩いた。黒いインクが瓶の中に溢れたかと思うと、瞬く間に消えてしまった。
質問を投げようとしたナマエの喉の奥に、不自然な重みが生まれた。
まるで、冷たく粘り気のある液体が直接注ぎ込まれているような感覚。
「ぐっ……おえっ……っ?」
「ほら、早く書かないと。ミスター・ミョウジ、お父様に余計な心配をかけたくはありませんわね? ですから、わたくしとあなたの二人で、このインクを綺麗に使い切ってしまいましょう」
アンブリッジは楽しげに、ナマエの首元を指差した。ナマエの喉の奥で、じわり、と冷たい粘り気が膨れ上がった。
何が起こったか悟ったナマエは、急いで羽根ペンを握りしめた。
──僕は秩序を乱してはいけない
「繰り返し書くんですよ、その言葉を飲み込むまでね」
もうアンブリッジの顔を見なくても、その大口は笑みを湛えていることがわかった。
ナマエに選択の余地はなかった。ハリーのほうを気にする余裕すらなく、ただインクを自分の喉から羊皮紙に移すため、繰り返し書取りを続けた。
しばらくの間、二つの羽根ペンが羊皮紙を引っ掻く音と、時折ナマエの咽せる音が聞こえるだけだった。
この罰則はいつまで続くのだろう……ほんの数秒、思考が逸れた。それだけで、喉元まで迫っていたインクが溢れ出した。
「ゴ、っ……げほっ!」
「……あら、手が止まっていますわよ、ミスター・ミョウジ。お父様に心配をかけたくないのでしょう?──ェヘン、ェヘン。ミスター・ポッター、そんなにお友達を見つめてはいけませんわ。二人とも罰則の最中なのですから」
アンブリッジの甘ったるい声がしたが、ナマエはハリーの方を見ることすらできない。視界は涙で滲み、喉の奥には常に冷たく重いインクの塊がせり上がっている。
「ナマエ……!? 大丈夫!?」
隣でハリーが椅子を鳴らして立ち上がった。彼の手の甲からは血が滲んでいたが、その瞳には不可解な苦しみを見せるナマエへの純粋な困惑が浮かんでいた。
肺の入り口を、ドロリとした重い液体が塞ぐ。空気が吸い込めない。
思わずナマエは机の端を掴んで、苦しみから逃れようとした。
口を開けても、呼吸ができない。視界が急速にチカチカと火花を散らした。
「……っ、はぁ、……っ、がはっ……!」
「先生、ナマエが!息ができてない!」
ハリーの叫びにアンブリッジは微笑を深め、インク瓶を杖で叩いた。
「あら、友情ですわね。では、ミスター・ポッターが口を挟むたびに、インクを少しだけ注ぎ足してあげましょう。……ミスター・ミョウジ、お友達に感謝しなくてはね?」
アンブリッジはナマエの背中に、ぽってりとした白い手を置いた。
喉の奥で、ドロリとした重みがさらに増した。
──書かなきゃ、書かないと死ぬ。
ナマエは震える指で羽根ペンを握り直した。指先はすでにインクと、冷や汗で滑っている。羊皮紙に、乱れた文字を叩きつけるように書きなぐった。
「そうよ、頑張って。お父様は立派な癒者なのでしょう? 自分の監督下の学校で、息子の身になにか起ころうものなら、ロマニ先生の経歴にどれほどの泥を塗ることか。……お父様のご自慢の息子でいたいなら、書きなさい。さあ」
僕は秩序を乱してはいけない、僕は、秩序を、乱しては──
鼻の奥までインクの鉄臭い匂いが逆流し、肺が内側から水浸しになるような感覚に、ナマエは一文字でも早く狂ったようにペンを走らせた。
一行、書くたびに、喉を塞いでいた重みが、針の穴から抜けていくように僅かずつ引いていく。 ズ、と音を立てて、肺の入り口に隙間ができた。
ハリーの視線が突き刺さるのを感じた。自分は今、どんな顔をしているだろう。外からは何も見えない。ただ、その異様な呼吸音だけがハリーに伝わっていた。
顔を上げず、書取りを続けながら、もう片方の手でハリーを制した。ナマエは汚い喘鳴を漏らしながら、ペンを突き動かし続けた。
僕は秩序を乱してはいけない
ナマエの書き取りに合わせて少しずつ、喉の奥で気管を塞いでいた粘液が、ようやく細い空気の通り道を開け始めていた。
「……もう、よろしいでしょう」
どれほどの時間が経ったのか。アンブリッジの冷酷な許可が降りたとき、ナマエは最後の一文を書き終え、そのままペンを床に落とした。
「はっ……、っはあ、……っ、げほっ!……っ、……っ」
喉の奥にこびりついた残りのインクを吐き出すように、ナマエは激しくむせ返った。肺の奥まで酸素が届く。その痛烈なまでの快感に、涙がぼろぼろと溢れて止まらなかった。今までに書いたどのレポートよりも長い羊皮紙が、くるくる丸まって床に落ちた。
「お二人とも、よく反省できたようですわね」
アンブリッジは、没収した耳飾りをわざとらしく指先で転がしながら、ナマエを覗き込んだ。ナマエは何も答えられなかった。喉はインクに焼かれ、声を出そうとすればまだヒリヒリと痛んだ。アンブリッジは満足げにニタリと笑った。
「さあ、あなたも教訓がわかったかどうか、見てみましょうか?」
アンブリッジは今度はハリーのほうに歩いて行った。ようやくナマエがまともにハリーのほうに目を向けると、彼の羊皮紙は真っ赤に染まり、不気味にテラテラと光っていた。
「さて、わたくしは言うべきことを言ったと思いますよ、ミスター・ポッター、ミスター・ミョウジ。帰ってよろしい」
ナマエはすぐに動く気になれずにいると、ハリーは黙って立ち上がり、ナマエの肩を支えるようにして立ち上がらせた。
喉の奥には不快な感触がへばりついたまま、いつまでも残っていた。
「君、そんな馬鹿げたことをして減点されたのか!」
談話室の望遠鏡を覗き込み、天文学の課題に取り組んでいたアンソニーは、顔を上げて呆れたような声を出した。テリーは魔法薬学の月長石のレポートを綴る羊皮紙から顔を上げずに言った。
「息子をアンブリッジに売り渡すなんて、怖いパパだね。けど、どうしてアンブリッジにバレたんだ?」
アンソニーは気づいていないが、テリーはクィディッチメンバーと一緒に『レヴィオ・落下』で遊んでいたことを、ナマエは知っていた。
マイケルは大きく伸びをして、多過ぎる課題から目を離して会話に混ざった。
「ああ……アンブリッジは、ハリーに同調する人間を生徒にスパイさせてるらしいぜ。ジニーが言ってた」
「まさか、あのばばあの言うこと聞くやつがいるのか?」
テリーは顔を上げた。四人が占領している机は本と羊皮紙でいっぱいで、互いの顔は少ししか見えなかった。
「さあ……ナマエ、君の友達のマルフォイとかは喜んで媚びるんじゃない?なにせ、アンブリッジはハリーを痛めつけてくれるからね」
マイケルは皮肉たっぷりに答えた。ナマエはそれには答えず、三人よりも高く積まれた教科書の壁に隠れた。
今度はパドマが遠慮がちにやってきて、アンソニーに目配せをした。
「トニー、ちょっといい?今日の見回りなんだけど……」
「ああ、うん」
二人はそのまま席を立って話し始めた。ナマエは頭を机に投げ出した。
「こんなに課題があるのに監督生は見回りまでしてるのか」
「ナマエ、君は僕らよりクラスを取りすぎだよ……それよりあの二人、そのうちくっつくぞ」
テリーが茶化すように笑った。二人を見ながら、あながちそうかもしれないとナマエも思った。
次の日、古代ルーン文字の授業終わりに、ナマエはハーマイオニーと一緒に空き教室で課題に取り組んでいた。お互いにクラスの空き時間で、ナマエは時間割に感謝しながら二人の時間を過ごしていた。
ナマエはふと、「巨人の戦争」についてのレポートから顔を上げた。ハーマイオニーが課題ではなく、なにやら毛糸の塊に向かって一生懸命杖を振っていることに気がついた。
「ハーマイオニー。それ、何?」
「えっと……とくに、なんでもないわ」
ハーマイオニーは口をモゴモゴさせた。毛糸の塊は、小さくて平べったくてところどころ歪んだものを編み続けていた。ナマエははっとしてハーマイオニーの顔を見た。
「もしかして、誰かにあげるのか?」
「そうといえばそうだけど──」
ハーマイオニーは曖昧にごまかすだけで答えなかった。ナマエはなんとなく胸がざわついて食い下がった。
「それって誰に?」
「誰でもないの、別に」
「………もし、ロンとか──その、他の人にあげるつもりなら……俺も欲しいな」
「えっ?」
ナマエが拗ねたように言うと、ハーマイオニーにとって意外な言葉だったのか、少し赤くなって俯いた。
それから、自分が作った毛糸の塊とナマエを見比べて怪訝な顔をした。
「ねえ、あなたには……何を作ってるように見えるの?」
ナマエは歪な円盤のような毛玉と、ニット素材の心臓のような塊、それからハーマイオニーを見てから慎重に答えた。
「え?……そうだな……うーん──コースターとか……?」
ナマエの答えはおそらく間違っていたようで、ハーマイオニーは黙って毛玉をカバンの中に押し込んだ。
「ねえ、それより……ハリーも昨日からアンブリッジの罰則を受けてるわ。あなたも、もうあんまり刺激しちゃだめよ……何かと理由をつけて、見せしめに罰則を課してるんだわ」
「わかってるけど、アンブリッジは俺を痛めつけるのは親父に効くと思ってるんじゃないかな」
「そんな、あなたのお父様は何か──」
「なーんにも、外面を取り繕うので手一杯」
ナマエが投げやりに言うと、ぬっと羊皮紙に人影が落ちた。
「──なにぶん、敵が敵だけではないからな」
「うわっ?!」
影の主はロマニだった。ナマエは驚いて椅子を揺らして立ち上がった。ロマニはにこやかにハーマイオニーに声をかけた。
「勉強の邪魔をしてすまない。息子を少し借りても?」
「……ええ!もちろんです」
ハーマイオニーも虚を突かれて即答した。ロマニは穏やかに笑ったが、有無を言わせない圧があった。ロマニとナマエはハーマイオニーの机を離れ、廊下に出た。
「ナマエ……」
ロマニが声を潜めて話し出そうとすると、ナマエは自分の機嫌よりもやや大げさにため息をついた。
「急に俺の機嫌をとる気になったんだ?」
ロマニは後ろめたそうに眉を下げた。この反応は想定外だった。いつものように、にべもなく、淡々と用件だけを告げられるものだと思っていたのだ。ロマニは咳払いをして、話を戻した。
「ドローレス・アンブリッジの罰則が終わったら、西塔の七階に来なさい」
「七階?なんで?」
「……来ればわかることだ」
ロマニはやはりいつもの調子に戻ってしまった。自分にとっての最低限の言葉だけで会話を切り上げようとするロマニを、ナマエは今日こそ逃すまいとした。
「あんたはいつも──俺が聞いても何も教えちゃくれないのに、そっちの都合で呼びつけて、息子を振り回して、ちっとも悪いと思わないわけ?」
ナマエは腰に手を当ててロマニを見上げた。
「……お前に合わせる顔がなかった。今も」
ロマニはどうしてか、今までよりも、人間らしく見えていた。ナマエにとって父親とは、打てど響かぬ分厚いドラゴンの皮のような、何を言っても、働きかけても、すべて弾き返されるような虚しい相手だった。ところが今はどうだろう。
ロマニの言葉が本心か、他の生徒に振りまく仮面と同じなのかまではわからなかった。ナマエの威勢はすっかりしぼんでしまい、握っていた拳を緩めて、ぼそぼそ答えた。
「でも……何時になるかわからないけど……罰則を受けるのは初めてだから」
子供じみた弁解をしてから、少し耳が熱くなった。
「何時でも構わない。ダンブルドアは承知している。ただ、お前が疲れているなら──」
「行く」
ナマエが即答すると、ロマニは穏やかな顔で、手袋越しにナマエの背中をポンとはたいた。
席に戻ると、ハーマイオニーが心配そうに顔を上げた。レポートは一行も進んでいなかった。
「もう終わったの?大丈夫?」
「ああ、うん。なんか……父親づらされた」
ナマエは呆然としながらストンと椅子に座った。反抗心が折れたような、奇妙な気持ちになっていた。ハーマイオニーが気遣わしげにナマエの顔を覗き込むので、ナマエはふっと笑った。
「俺、今までいつも……あの人と話すのが、ちょっと怖かった」
それは、単なる恐怖ではなかった。拒絶されるかもしれない不安。
本当は何もかも問いただしたいし、文句をたくさんぶつけてやりたい──ちゃんと自分を見てほしい。けど、何も伝わらなかったら?何も返ってこなかったら?そう思うといつも逃げ出したくなった。なのに、性懲りも無く、また期待しているのだ。
ハーマイオニーは励ますようにナマエの肩を抱いた。
「ああナマエ、きっとうまく行くわよ」
何の根拠もない言葉のはずなのに、なぜかナマエの不安は和らいだ。
「そうだといいな」
ナマエが小さく答えると、ハーマイオニーがぽつりと言った。
「──帽子なの」
「え?」
「……毛糸の帽子を作ってるのよ」
ナマエはきょとんとしてから、さっきと同じ疑問を繰り返した。
「誰に?」
「……彼氏用は、あなただけに作るわ。……うまくできたらだけど」
ハーマイオニーは急に自分の枝毛を気にしながら、小さい声で答えた。ナマエは目をぱちくりさせて、今しがた聞こえた言葉を反芻した。
「──今、もしかして、俺のことを彼氏って言ってくれた?」
ハーマイオニーは顔を上げた。
「……誰か他の女の子に怒られるかしら?」
ナマエはすぐに首を横に振った。
「まさか!俺は──誰とも付き合ってない、付き合ったことも、付き合おうと思ったこともない。あんた以外とは……」
なぜか饒舌に弁明してしまったナマエに、ハーマイオニーは赤くなりながらはにかんだ。
「好きよ、ナマエ」
ハーマイオニーはナマエの頬に手を添えて、その逆側の頬にキスをした。見慣れたハーマイオニーの顔が、いつもよりぐんと近い場所にあった。頭が痺れて何も考えられなかった。
ナマエは、頬に添えられたハーマイオニーの手を握って、伺うようにハーマイオニーの顔を覗き込んだ。互いの鼻先が触れて、燃えるように熱かった。
「……たぶん、俺の方が好きだと思う」
ナマエは昼食を食べ損ね、始業ベルが鳴り終わるギリギリに呪文学の教室に駆け込んだ。今日の教室は、ウシガエルのゲロゲロとカラスのカーカーで満ち溢れ、何ともにぎやかだった。テリーが右手にウシガエルを呼び寄せながらナマエに声をかけた。
「何をニヤニヤしてるんだい?グレンジャーとキスでもしてたか?」
「あのさあ……開心術を使うなよ、テリー」
ナマエが冗談めかしてニヤッと言うと、テリーとマイケル、アンソニーはどっと盛り上がった。
「ヒュウ!リタが泣くぜ、ナマエ!」
マイケルが言った。
「マーリンの髭!やっとだな、このやろう!」
テリーがナマエの首に腕を回して笑った。ナマエも機嫌良く笑った。
「本当──俺、今なら守護霊を出せるぞっ!」
「あはは、やってみろ!」
教室中が「アクシオ」か「シレンシオ」の叫び声でいっぱいの中、ナマエは「エクスペクトパトローナム!」と叫んだ。しかし、杖先からうっすら白い光のモヤが出ただけだった。
「だめだ、何にも考えられない」
「君、二度もアンブリッジに減点されたこと──忘れてないよね?」
アンソニーがにやっと笑った。もちろん忘れていた。
ナマエは返事をする代わりに、アンソニーが沈黙呪文をかけ損ねたカラスを黙らせた。
五時五分前、四階のアンブリッジの部屋に出かけた。
ムーディの偽者の時代は、怪しい動きや隠れたものを探り検知する、いろいろな道具や計器類が詰まっていた。しかし、いまは、見分けがつかないほどの変わりようだった。壁や机はゆったり襞を取ったレースのカバーや布で覆われている。ドライフラワーをたっぷり生けた花瓶が数個、その下にはそれぞれかわいい花瓶敷、一方の壁には飾り皿のコレクションで、首にいろいろなリボンを結んだ子猫の絵が、一枚一枚大きく色鮮やかに描いてある。あまりの変わりように、ナマエは子猫を見つめたまま立ちすくんだ。するとアンブリッジの声がした。
「こんばんは、ミスター・ミョウジ」
ナマエは驚いてあたりを見回した。最初に気づかなかったのも当然だ。アンブリッジは花柄べったりのローブを着て、それがすっかり溶け込むテーブルクロスを掛けた机の前にいた。
さらにその前の机には、ナマエよりも先に来たハリーが座っていた。
「……こんばんは、アンブリッジ先生」
ハリーはナマエに目配せした。ハリーの手元には羊皮紙と羽根ペンがあり、どうやら罰則は書取り罰のようだった。
「あなたは、こちらにお座り」
アンブリッジはハリーの隣のレースの掛かった小さなテーブルを指差した。そのそばに、背もたれのまっすぐな椅子が引き寄せられ、机にはナマエのためと思われる羊皮紙が一枚用意されていた。ナマエが座ると、アンブリッジはナマエを睨め回し、顔を凝視した。
「学業に華美な装飾は不要だとは思わないのですか?ミスター・ミョウジ」
「えっ?」
ナマエは訳が分からずきょとんと聞き返すと、アンブリッジは機嫌を悪くしたようにぎょろりと目を見開いて、赤子に話すかのようにゆっくり、はっきりと答えた。
「──その──耳飾りは──外しなさい」
ナマエは思わず手を耳にやり、抗議した。
「でも、これは──」
「同じことを何度も言わせない!早く外しなさい」
ナマエはしぶしぶ耳飾りを外し、ポケットにしまおうとした。しかし、アンブリッジは意地悪くニヤリと笑って杖を振った。
「チッチッチ……没収ですよ、ミスター・ミョウジ。これは私が預かります」
ナマエの手から耳飾りが飛び出て、アンブリッジの手の中に収まった。ナマエは立ち上がった。
「はあっ?──っ返してください!それは大事なものです!人に渡したくない」
「あらあら、口答えはいけませんねえ。返して欲しいなら、態度を改めなさい!」
アンブリッジはまた杖を振り、ナマエの椅子が机に引き寄せられた。ナマエはかくんと椅子に崩れるように座った。
「ェヘン──ミスター・ポッター、あなたはやり方をもう知っていますね?始めなさい」
「……はい」
ナマエは横目でハリーを見た。ハリーは唇をきつく結んで、強気な目線でアンブリッジを睨んでいた。
「──それで、ミスター・ミョウジ」
アンブリッジはとびきり柔らかい声を出して、ナマエの前に立った。
「あなたはこの羽根ペンを使いなさい」
アンブリッジが、ハリーのとは違う毒々しい紫色の羽根ペンを渡した。ナマエがそれを手に取ると、今度はインク瓶をコトンと机に置かれた。しかし──中身は空だ。それどころか、瓶には底すらなかった。ナマエがアンブリッジを見上げると、アンブリッジは微かに笑った。
「そうね、あなたはこう書きましょう。『僕は秩序を乱してはいけない』」
アンブリッジはそう言って、短い杖で底のないインク瓶のふちをコンと叩いた。黒いインクが瓶の中に溢れたかと思うと、瞬く間に消えてしまった。
質問を投げようとしたナマエの喉の奥に、不自然な重みが生まれた。
まるで、冷たく粘り気のある液体が直接注ぎ込まれているような感覚。
「ぐっ……おえっ……っ?」
「ほら、早く書かないと。ミスター・ミョウジ、お父様に余計な心配をかけたくはありませんわね? ですから、わたくしとあなたの二人で、このインクを綺麗に使い切ってしまいましょう」
アンブリッジは楽しげに、ナマエの首元を指差した。ナマエの喉の奥で、じわり、と冷たい粘り気が膨れ上がった。
何が起こったか悟ったナマエは、急いで羽根ペンを握りしめた。
──僕は秩序を乱してはいけない
「繰り返し書くんですよ、その言葉を飲み込むまでね」
もうアンブリッジの顔を見なくても、その大口は笑みを湛えていることがわかった。
ナマエに選択の余地はなかった。ハリーのほうを気にする余裕すらなく、ただインクを自分の喉から羊皮紙に移すため、繰り返し書取りを続けた。
しばらくの間、二つの羽根ペンが羊皮紙を引っ掻く音と、時折ナマエの咽せる音が聞こえるだけだった。
この罰則はいつまで続くのだろう……ほんの数秒、思考が逸れた。それだけで、喉元まで迫っていたインクが溢れ出した。
「ゴ、っ……げほっ!」
「……あら、手が止まっていますわよ、ミスター・ミョウジ。お父様に心配をかけたくないのでしょう?──ェヘン、ェヘン。ミスター・ポッター、そんなにお友達を見つめてはいけませんわ。二人とも罰則の最中なのですから」
アンブリッジの甘ったるい声がしたが、ナマエはハリーの方を見ることすらできない。視界は涙で滲み、喉の奥には常に冷たく重いインクの塊がせり上がっている。
「ナマエ……!? 大丈夫!?」
隣でハリーが椅子を鳴らして立ち上がった。彼の手の甲からは血が滲んでいたが、その瞳には不可解な苦しみを見せるナマエへの純粋な困惑が浮かんでいた。
肺の入り口を、ドロリとした重い液体が塞ぐ。空気が吸い込めない。
思わずナマエは机の端を掴んで、苦しみから逃れようとした。
口を開けても、呼吸ができない。視界が急速にチカチカと火花を散らした。
「……っ、はぁ、……っ、がはっ……!」
「先生、ナマエが!息ができてない!」
ハリーの叫びにアンブリッジは微笑を深め、インク瓶を杖で叩いた。
「あら、友情ですわね。では、ミスター・ポッターが口を挟むたびに、インクを少しだけ注ぎ足してあげましょう。……ミスター・ミョウジ、お友達に感謝しなくてはね?」
アンブリッジはナマエの背中に、ぽってりとした白い手を置いた。
喉の奥で、ドロリとした重みがさらに増した。
──書かなきゃ、書かないと死ぬ。
ナマエは震える指で羽根ペンを握り直した。指先はすでにインクと、冷や汗で滑っている。羊皮紙に、乱れた文字を叩きつけるように書きなぐった。
「そうよ、頑張って。お父様は立派な癒者なのでしょう? 自分の監督下の学校で、息子の身になにか起ころうものなら、ロマニ先生の経歴にどれほどの泥を塗ることか。……お父様のご自慢の息子でいたいなら、書きなさい。さあ」
僕は秩序を乱してはいけない、僕は、秩序を、乱しては──
鼻の奥までインクの鉄臭い匂いが逆流し、肺が内側から水浸しになるような感覚に、ナマエは一文字でも早く狂ったようにペンを走らせた。
一行、書くたびに、喉を塞いでいた重みが、針の穴から抜けていくように僅かずつ引いていく。 ズ、と音を立てて、肺の入り口に隙間ができた。
ハリーの視線が突き刺さるのを感じた。自分は今、どんな顔をしているだろう。外からは何も見えない。ただ、その異様な呼吸音だけがハリーに伝わっていた。
顔を上げず、書取りを続けながら、もう片方の手でハリーを制した。ナマエは汚い喘鳴を漏らしながら、ペンを突き動かし続けた。
僕は秩序を乱してはいけない
ナマエの書き取りに合わせて少しずつ、喉の奥で気管を塞いでいた粘液が、ようやく細い空気の通り道を開け始めていた。
「……もう、よろしいでしょう」
どれほどの時間が経ったのか。アンブリッジの冷酷な許可が降りたとき、ナマエは最後の一文を書き終え、そのままペンを床に落とした。
「はっ……、っはあ、……っ、げほっ!……っ、……っ」
喉の奥にこびりついた残りのインクを吐き出すように、ナマエは激しくむせ返った。肺の奥まで酸素が届く。その痛烈なまでの快感に、涙がぼろぼろと溢れて止まらなかった。今までに書いたどのレポートよりも長い羊皮紙が、くるくる丸まって床に落ちた。
「お二人とも、よく反省できたようですわね」
アンブリッジは、没収した耳飾りをわざとらしく指先で転がしながら、ナマエを覗き込んだ。ナマエは何も答えられなかった。喉はインクに焼かれ、声を出そうとすればまだヒリヒリと痛んだ。アンブリッジは満足げにニタリと笑った。
「さあ、あなたも教訓がわかったかどうか、見てみましょうか?」
アンブリッジは今度はハリーのほうに歩いて行った。ようやくナマエがまともにハリーのほうに目を向けると、彼の羊皮紙は真っ赤に染まり、不気味にテラテラと光っていた。
「さて、わたくしは言うべきことを言ったと思いますよ、ミスター・ポッター、ミスター・ミョウジ。帰ってよろしい」
ナマエはすぐに動く気になれずにいると、ハリーは黙って立ち上がり、ナマエの肩を支えるようにして立ち上がらせた。
喉の奥には不快な感触がへばりついたまま、いつまでも残っていた。
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