惚れられた方が負け
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「じゃあ、班はくじで決めますからねー」
家庭科教師の声を合図に、教室が騒がしくなる。紙を引きながら、胸の中でそっと願った。
どうか、怖い人と当たりませんように。話しやすい人と同じ班になれますように。
でも神様は、そういう時ほど茶目っ気を出す。
分けられたグループごとに集まり、来週の調理実習の説明を聞く。
隣に視線だけを向け、改めて同じグループになった男子を確認した。
白鳥沢学園バレー部のエース。クラスでも近寄りがたい雰囲気の人。口数も少なくて、笑っているところを見たことはない。
気まずいなあ、と思った瞬間に目が合ってしまい、ギクリとする。睨まれている気さえするほどの眼光だ。
「あ、……よろしく……」
気を悪くさせてしまったかと思ったが目線を外すことができず、少しでも自分が思っている感情を悟られまいとなんとか無難な言葉を発すると、「……ああ」と、怒っているのかいないのかよくわからない、静かな声が返ってきた。
短く返したあとも、彼の視線はほんの一拍だけこちらに残る。
その目が何を考えているのかは、まるで読めなかった。
***
調理実習のテーマは和食で、私と牛島くんが味噌汁づくりの担当となった。簡単なはずなのに、目の前の光景に冷や汗が流れる。
牛島くんは、豆腐を、まな板の上で、切っていた。
それはもう、こちらが緊張してしまうほど真剣な顔つきで。ご丁寧に、猫の手を添えて。
「えっ、ああっ、それ……」
声をかける間もなく、ぐにゃりと豆腐が押し潰された。
「……難しいな」
真顔でそう言う彼に近づく。
「あの、豆腐はこうやって切るといいかも……」
手のひらの上に豆腐を乗せて包丁を入れる。
「え」
低い声で素直に驚く様子に、思わず笑いそうになった。
この人は、もしかしたら見た目ほど怖くないのかもしれない。
視線を感じながらも無事豆腐を切って鍋に移すと、彼が小さくつぶやいた。
「崩れない」
「そ、そう。手の上で包丁を垂直に下ろすだけで大丈夫」
「なるほど」
わずかに頷く仕草が、なんだか可愛かった。
「これは……」
牛島くんがまな板の上の豆腐を示す。
「まあ食べちゃえば同じだし、このまま入れちゃおうよ。私の切った豆腐だって、煮込んだりお玉ですくう時に崩れたりしちゃうだろうし」
牛島くんにそう言い終わった途端、別のおかずを作っていた班員が、笑いながら私に声をかけてきた。
「え!? あはは、何この豆腐!?」
「何でこんなぐちゃぐちゃなんだよ?」
私が答えるよりも早く、牛島くんが相変わらずのローテーションで答える。
「俺だ。すまない」
謝っているのは牛島くんなのに、何故かこちらが恐縮してしまう。私に話しかけてきた班員も同じだったらしい。笑っていた口角を引きつらせ、牛島くんを見ずにお互いの顔を見ている。
「あ……あー、そうなんだ、まあ、別に、な?」
「うん、だ、大丈夫だよ。私たちの方ももう完成するから」
二人はどちらともなく私たちから一歩下がって離れる。
「……じゃあ、皿洗い始めてもらってていい?」
「うん。牛島、頼んだぞ」
そう言い残して、彼らは慌ただしく自分たちの持ち場へ戻っていった。
私もついさっきまでは牛島くんが怖かったし、逃げたくなる気持ちもわかる。
でも、さっき豆腐を見つめていた真剣な顔や、「崩れない」と小さく呟いたときの声音を思い出せば、自分が彼を誤解していたことが改めてわかった。
なにより、素直に「すまない」と口にされてなお逃げたくなるかというところには疑問も残るが、私をからかうつもりのテンションで話しかけたから気まずかったのだろう。
牛島くんが気にしてなければいいのだろうけど、と考えながらスポンジを手に取った。
私の横では牛島くんがじっと私の手元を見ながら立っている。
「私が洗うから、牛島くんはその布巾で拭いてくれる?」
「わかった」
彼は短く頷いた。隣にいても威圧感より体温を感じる距離。
他の子たちは少し離れたところで、ひそひそと何かを言いながら作業をしている。なんとなく、さっきの出来事を話しているんじゃないかと思った。
「さっき味見したけど、味噌汁、おいしくできてて良かったね」
「君が教えてくれたからだ」
独り言になっても構わないと思って呟いたのに、即座に真顔でそんなことを言われて、今度は思わず笑ってしまった。
「次からは牛島くんも上手く切れると思うよ、豆腐」
「次は崩さない」
「うんうん」
大層バレーが強いようだし、普段の佇まいにも貫禄があるから、素直で謙虚な面があるのは意外だった。そしてそんな面を一度知ってしまえば可愛くも思える。
この時の私は、これでまた一人、突然のくじ引きで同じグループになっても困らない人ができたと喜ぶだけだった。
この日を境に、彼の視線を感じる機会が少しずつ増えていった。
すれ違えば短い挨拶を交わし、時々、なんてことない小さなことを尋ねてくるようにもなった。
今日の昼ご飯は何かとか、夕方は雨らしいが傘は持っているかだとか。
その口調はいつも真面目で、冗談の気配はない。
心に残る彼の声の低さと静けさが、いつの間にか心地よくなっていた。
***
秋が深まり、文化祭準備の話し合いが始まった。
うちのクラスは焼きそばの屋台を出すことになっており、今日もクラスルームの時間を使って準備を進めていたのだが、看板や材料の買い出しを誰が行くかで軽い押し付け合いが起きている。
「誰か、放課後行ける人〜?」
「えー、今日部活あるし」
「明日じゃだめ?」
そんな声が飛び交うなかで、私は手を上げる。
「私、行けるよ」
その瞬間、「俺も行く」と低い声がかぶった。
振り向けば、教室の後ろで牛島くんが静かに手を上げている。
思わず固まったのは私だけではなく、クラスの空気が一瞬ピタリと止まる。
「い、いやいや……牛島は放課後部活あるだろ?」
どこかからそう心配するように声をかけた男子の声に私も続く。
「そうだよ、休むわけにはいかないでしょ?」
「走る」
「え」
「ちょうど今日はランニングの日だ」
「でも……」
「君は自転車を使えばいい」
それでいいんだっけ、と思ったのも私だけではなかったらしい空気だったが、もう異を唱える人はいなかった。
ランニングしている彼の後ろを自転車で走る間も当然のことながら、買い物中もほとんど会話はなかった。
それでも居心地の悪さなどはなく、ただ穏やかに必要な物を買い揃えていく。
完了した買い出しの荷物は意外と少なく、自転車のかごにきれいに収まった。
それなのにふと脇を見ると、牛島くんが手を伸ばす仕草をしている。
「持つか?」
「えっ、自転車のかごに乗ってるから大丈夫!」
「そうか」
慌てて手と首を横に振ると、牛島くんは納得したように頷いて走り出した。
行きと同じように後ろを自転車で着いて行く。ゆっくり漕ぐ必要なんか無いのも同じだ。
買い出しをして店内を歩いている間は逆に牛島くんの方が私の後ろ着いてきていたなあ、なんて思ったところで思い出す。
大きい材料を買うわけでもない。量が多いわけでもない。ついでに買いたいものがあるわけでもない。行きも帰りも、トレーニングになるとは言え私が必要なわけもない。普通にランニングすればいい。
果たして、牛島くんに付いてきてもらう必要があったのだろうか。
もしかしたら、いくら強豪バレー部員だかといって、クラスの催し物に一切参加しないのが気まずかったのかも?
私は彼の根が真面目なことを知っているから、そんなことも考えてしまう。
そして彼の後ろ姿を見ているうちにそれらはどうでもよくなってしまった。
この日のランニングペースは、いつもよりほんの少し遅かったらしいことなど知らずに。
***
文化祭当日。屋台の香ばしい匂いが校庭に立ちこめていた。
お客さんを案内したり、ゴミの片付けをしたりと慌ただしく時間は経ち、落ち着いたと思った時にはもう昼時をとっくに過ぎていた。
友達と交代で休憩に入ろうとすると、同じく案内をしていた牛島くんがすっと近づいてくる。
「牛島くんもこれから休憩?」
そう声を掛けると、牛島くんはこくりと頷いた。
「お腹すいたね」
「ん」
「焼きそば、食べたくない? ずっと匂い嗅いでて食べたくなっちゃった。牛島くんもまだお昼食べてないよね?」
「ああ」
私はすっかり牛島くんへの苦手意識を無くしていた。
今まさに頷いた顔も相変わらずの仏頂面だが、こういった提案も臆せずできるし、それで牛島くんが気分を害さないこともわかってきていた。
「私二人分もらってくる」
「いや、俺も一緒に」
「ふふ、それ置いてきてていいよ。お金は後でちょうだい」
牛島くんの首から下がっているボードを指差すと、彼はきょとんとしてから目線を落とした。もしかしたらボードの存在を忘れていたのかもしれない。
牛島くんがボードを外し始めたところで、私はクラスメイトが焼きそばを焼いている屋台に向かった。
焼きそばを二人分持って戻り、喧騒から離れたところまで一緒に歩く。
「焼きそば、人気だったね」
「……沢山声をかけられた。三回来た人もいる」
「そんなに? それ焼きそばじゃなくて牛島くん目当ての人だったんじゃない?」
「……そうか」
「まあでも、牛島くんが立ってるだけで十分集客効果あったよねきっと」
「君の声もよく通っていて効果があったと思う」
「おお、褒められた……? ありがとう」
「事実を言った」
短くそう言ったあと、彼は黙った。
風の音と、焼きそばのソースの匂いだけが流れていく。
その沈黙が気恥ずかしくて、手持ち無沙汰に焼きそばの容器を持ち直した。
なんでもない動作なのに、少しだけ指先が熱くなる。
「楽しかったか」
沈黙を破った、頭上から聞こえる声に顔をあげる。
「うん」
「なら、よかった」
彼は一瞬だけ目を細めて返してくれる。
口角はいつも通り下がっているが、明らかに柔らかくなったその瞳に胸が少しくすぐったくなった。
静かな場所を知っている、という牛島くんに着いて行くと、牧草地の見えるベンチにたどり着いた。
確かに周りに人気はなく、馬術部員と馬が離れたところにいるらしいだけだった。
先程までの騒がしさとは一転して静かで穏やかな空気に、不思議な感覚になる。
「あの馬はセルフランセだったと思う」
「初めて聞く名前。馬、詳しいの?」
「詳しくはないが……この間乗せてもらったときに教えてもらった」
「わ、いいなあ。だからこの場所も知ってるんだ」
「ああ。前に来た時にいい場所だなと思って覚えていた」
会話はそこで一度終わり、二人して焼きそばに手をつける。
いただきます、と丁寧に手を合わせる牛島くんから、育ちの良さを感じた。
白鳥沢学園には名家も少なくない。牛島くんの家も確か大きかったのではなかったか。
そんなことを考えながら柔らかな麺と香ばしいソースの味を楽しんでいたとき、不意に牛島くんが言葉を発した。
「俺は将来プロのバレー選手になる」
口の中のものを飲み込んでから牛島くんを見る。
「そう……だろうね」
バレーには詳しくないが、驚くことでもない。もちろんそれがすごいことなのは十分分かっているが、それだけの実力がある人なのも分かっていたからだ。
とは言え冷たい返事になってしまったような気がして、食べるのを中断して付け加える。
「じゃあもう会えなくなっちゃうんだ……。でも応援してる、頑張ってね」
「何故?」
「え」
何故、と問われた部分を探しながら相手の顔を見る。相手も同じく、きょとんとした顔で私を見ていた。
「……? 何故会えなくなる」
今度は何故、の後も付け足される。それでもどう答えていいかわからずにいると、更に言葉を畳み掛けられる。
「俺は君が好きなのに」
息が止まるかと思った。
私が処理しきれていないことも関係ないのか、未だに黙ったままの私と反対に牛島くんは止まらない。
「君と一緒にいると安心する。話したいことも沢山ある」
一呼吸だけ置いて、低い声が続く。その小さな間に、私の表情を覗き込むようにちらっと見ているのがわかった。
「もちろん忙しくなるから毎日は会えないかもしれない。でも、予定を合わせて会えばいい」
焼きそば食べてる時に告白しちゃうんだ。牛島くんってこんなに喋ることあるんだ。やっと認識できた事実はそれらだけだった。
「ちょ……ちょっと待って、落ち着いて……」
「落ち着いている」
「そう、そうだよね、私が落ち着くから待って」
頭に手を当てて目を閉じ、呼吸を意識する。
一瞬で巡った血が落ち着いて自然に呼吸ができるようになった頃、ようやく顔を上げられた。
「牛島くんは私が好き……で……」
「ああ」
「卒業後も一緒にいたい……?」
「ああ」
「付き合いたいってこと?」
「そうだ」
「……突然すぎてびっくりしちゃって、その……どうしたらいいか」
そう正直に伝えると、牛島くんは少しだけ首を傾げる。
「突然ではない。俺は好きでもない人に話しかけないし、こうやって一緒に飯も食わない。これまで気づいていなかったのか」
淡々と告げる声が、まっすぐ心に突き刺さる。
そう言えば、調理実習で同じ班になって以来、彼の姿が側にあることが多かった。
「俺はもう決めている」
逃げ場を探しても、彼の視線がそれを許さない。
「君がいい」
それなのに、強引なはずの言葉はそれを感じさせない。むしろ甘くて優しく感じてしまう。もうそれが答えだろうと本当はわかっていた。
「だから、連絡先を教えて欲しい」
やはり順番がめちゃくちゃだ。それでも彼は何も疑問を持たず、不安な様子もなく、私の答えなど聞かなくてもわかっているとでも言うように携帯を差し出してきた。
「うん、……わかった」
携帯を受け取ってメルアドと番号を登録している間、牛島くんは黙々と焼きそばを食べていた。
惚れた方が負けと言うが、彼に対しては惚れられた方が負けだったかもしれない。
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