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「忍田さんの犬になりたい」
「……犬?」
それはどういう意味だ、と忍田が問えば名無しは目を伏せる。
「より正確に言えば飼い犬になりたい、かな。そうすれば、もし忍田さんが他の人を好きになったりしても、死ぬまで忍田さんの傍にいられると思って」
「現状に不満があるのか」
「そうじゃないけど、忍田さんモテるんだもん。もし私より素敵な人に言い寄られたら」
「それで君をあっさり裏切るような男だと? 心外だな」
「心は、……本人でもどうしようもない時があるよ」
「…………」
「……ごめん、せっかく会ってるのに変な話して。忘れて、何でもない」
「……いいや、ちょうど良かった」
忍田に手をとられ、名無しが目線を上げる。合った視線を逸らされないよう、忍田はじっと見返した。
「いつかはこの話をしなければならないと思っていたんだ」
「話?」
「……同棲してくれないか」
名無しが息を呑んだ。
「私は近々、大規模遠征に行かなければならない。……君を、三門市に残して」
「話題になってる、攫われた人たちを奪還する為の遠征……?」
「そうだ」
「……もしかしたら忍田さんも行っちゃうのかなと思ってたけど、やっぱり行っちゃうんだ……」
名無しの目に透明な膜が浮かび、瞳がゆらゆらと揺れる。
「……ああ」
名無しの頬を空いている方の手のひらで優しく擦りながら、「それで」と忍田が話を続ける。
「遠征に行くまでの間、少しでも多く君と一緒の時間を過ごせるように。留守の間、私のこの家を守ってもらう為に。君を少しでも安全な場所で過ごさせる為に。……同棲したいと言ったら困らせるか?」
「ううん。……まさか」
「同棲するなら本部に住所変更報告もしてもらわなければならないが、そうなれば私と君の関係も自然と周知されるだろう」
忍田が真剣な表情のまま一言一言、確かめるように問いかける。名無しもまた真剣な面持ちで忍田の言葉を頷きながら聞いていた。
「前に言っていたな。一職員が本部長を射止めていると知られるのは良くないんじゃないかと。私としては君に不利益がないよう最大限努力するつもりだが……そういった面で不安があるなら、無理強いはしない。もちろん、それ以外の理由でも。……君の正直な気持ちを聞きたい」
「……忍田さんが一緒に住みたいって言ってくれて、嬉しい。留守を任せるって言ってくれたのも。……忍田さんこそ本当にいいの?」
「当たり前だろう」
「それなら、……お願いします」
名無しが手をぎゅっと握り返しながらそう言うと、忍田がほっとしたように息を吐く。それから目を軽く細めて笑った。
「これで犬になどならなくても、君を手放す気はないとわかってくれたか?」
「……遠征から無事に帰ってきてくれなきゃ駄目」
「ああ、約束する」
元々無事に帰る以外の選択肢は無かったが、彼女にこう言われてしまえば、その思いはますます堅固なものとならざるを得なかった。
▼▼▼
「住所は間違っていない。手続きを進めてくれ」
「は……はい、失礼致しました!」
フロアがざわめいた。
名無しは転居先として、当然忍田が今現在住んでいる住所を書くことになるのだが、案じていた通り『一般職員が本部長の住居に転居するなど、何かの間違いではないか』と申請が却下されてしまった。
おかげで本部長直々に書類を提出し直すこととなり、目立つこととなったのだ。
単なる間違いか悪戯だろうと思っていた事務員も、“本部長が直々に書類を提出に来た”という点を無視することはできない。自然と関係が周知される、まさにその瞬間だった。
居心地の悪そうな名無しを忍田が見やり、行こうと促す。
廊下を暫く歩けば、そのうちにざわめきも聞こえなくなり、手続きの間ずっと無言だった(何かを言う暇も無かった)名無しが、ようやっと口を開いた。
「忍田……本部長、あの」
「周りは騒ぐかもしれないが、私と君は今まで通りにしていればいい」
「わかりました」
「ああでも、出勤をわざとずらす必要はもうないか。次からは時間が合う日は一緒に出勤しよう」
「……もしかして、少し楽しんでます?」
「ようやく公にできたからな。楽しんでるという言葉は適切ではない気がするが、これで君にちょっかいを出す奴も減ると思うと悪くない」
忍田がそう言って笑みを溢せば、名無し同じように微笑みを返事とした。
▼▼▼
「忍田」
「何だ」
「何だじゃねえよ水くせえな。いつの間に部下に手を出した?」
名無しが住所変更手続きをしてから数週間後。
ボーダー本部内の喫煙所で、林藤が忍田に煙草を差し出しながらニヤニヤと笑う。
「嫌な言い方をするな」
「事実だろ」
「…………」
煙草を咥えたまま答えない忍田の様子を一切気にすることなく、林藤が煙を吐き出した。
「そこそこの噂になってるぜ。本部長さんの女を見に救護室の前をうろちょろする奴らもいる」
「はあ……迷惑をかけたくなかったんだが……」
「お前みたいなのと付き合った時点で、これくらい覚悟してんじゃねえのか」
「みたいなの、とは何だ。そう言われる筋合いは」
「車真っ二つにしたり、川の上走ろうとして通報されたことは知ってんのか」
文句を言おうとした忍田だったが、林藤に過去の出来事を持ち出され、ぴたりと止まった。暫くしてから諦めたように答える。
「…………言う必要がないだろう」
「今度言っとこ。それでフられたらごめんな」
「おい」
「ジョーダンだよジョーダン。怖いねえ」
睨まれても怖がるどころか存分に面白がった様子で、林藤が煙草を灰皿に押し付ける。
「さ、仕事終わらせてさっさと帰ってやれよ。待ってるんだろ?」
「そっちが呼び出しておいて言うことか」
「いやほら、直接ちゃんと報告してくれていれば? わざわざ呼び出す必要はなかったんだけど? 報告してくれないから?」
忍田がため息と共に煙を吐くのを見て再度笑いながら林藤が喫煙所を後にする。
林藤の言った通り、一人暮らしではなくなった家では、先に寝ていいと伝えてはあるが、きっと寝ていないであろう恋人が待っているはずだ。
十五分後には本部を出ることを目標に、忍田も灰皿に煙草を押し付けた。
「……犬?」
それはどういう意味だ、と忍田が問えば名無しは目を伏せる。
「より正確に言えば飼い犬になりたい、かな。そうすれば、もし忍田さんが他の人を好きになったりしても、死ぬまで忍田さんの傍にいられると思って」
「現状に不満があるのか」
「そうじゃないけど、忍田さんモテるんだもん。もし私より素敵な人に言い寄られたら」
「それで君をあっさり裏切るような男だと? 心外だな」
「心は、……本人でもどうしようもない時があるよ」
「…………」
「……ごめん、せっかく会ってるのに変な話して。忘れて、何でもない」
「……いいや、ちょうど良かった」
忍田に手をとられ、名無しが目線を上げる。合った視線を逸らされないよう、忍田はじっと見返した。
「いつかはこの話をしなければならないと思っていたんだ」
「話?」
「……同棲してくれないか」
名無しが息を呑んだ。
「私は近々、大規模遠征に行かなければならない。……君を、三門市に残して」
「話題になってる、攫われた人たちを奪還する為の遠征……?」
「そうだ」
「……もしかしたら忍田さんも行っちゃうのかなと思ってたけど、やっぱり行っちゃうんだ……」
名無しの目に透明な膜が浮かび、瞳がゆらゆらと揺れる。
「……ああ」
名無しの頬を空いている方の手のひらで優しく擦りながら、「それで」と忍田が話を続ける。
「遠征に行くまでの間、少しでも多く君と一緒の時間を過ごせるように。留守の間、私のこの家を守ってもらう為に。君を少しでも安全な場所で過ごさせる為に。……同棲したいと言ったら困らせるか?」
「ううん。……まさか」
「同棲するなら本部に住所変更報告もしてもらわなければならないが、そうなれば私と君の関係も自然と周知されるだろう」
忍田が真剣な表情のまま一言一言、確かめるように問いかける。名無しもまた真剣な面持ちで忍田の言葉を頷きながら聞いていた。
「前に言っていたな。一職員が本部長を射止めていると知られるのは良くないんじゃないかと。私としては君に不利益がないよう最大限努力するつもりだが……そういった面で不安があるなら、無理強いはしない。もちろん、それ以外の理由でも。……君の正直な気持ちを聞きたい」
「……忍田さんが一緒に住みたいって言ってくれて、嬉しい。留守を任せるって言ってくれたのも。……忍田さんこそ本当にいいの?」
「当たり前だろう」
「それなら、……お願いします」
名無しが手をぎゅっと握り返しながらそう言うと、忍田がほっとしたように息を吐く。それから目を軽く細めて笑った。
「これで犬になどならなくても、君を手放す気はないとわかってくれたか?」
「……遠征から無事に帰ってきてくれなきゃ駄目」
「ああ、約束する」
元々無事に帰る以外の選択肢は無かったが、彼女にこう言われてしまえば、その思いはますます堅固なものとならざるを得なかった。
▼▼▼
「住所は間違っていない。手続きを進めてくれ」
「は……はい、失礼致しました!」
フロアがざわめいた。
名無しは転居先として、当然忍田が今現在住んでいる住所を書くことになるのだが、案じていた通り『一般職員が本部長の住居に転居するなど、何かの間違いではないか』と申請が却下されてしまった。
おかげで本部長直々に書類を提出し直すこととなり、目立つこととなったのだ。
単なる間違いか悪戯だろうと思っていた事務員も、“本部長が直々に書類を提出に来た”という点を無視することはできない。自然と関係が周知される、まさにその瞬間だった。
居心地の悪そうな名無しを忍田が見やり、行こうと促す。
廊下を暫く歩けば、そのうちにざわめきも聞こえなくなり、手続きの間ずっと無言だった(何かを言う暇も無かった)名無しが、ようやっと口を開いた。
「忍田……本部長、あの」
「周りは騒ぐかもしれないが、私と君は今まで通りにしていればいい」
「わかりました」
「ああでも、出勤をわざとずらす必要はもうないか。次からは時間が合う日は一緒に出勤しよう」
「……もしかして、少し楽しんでます?」
「ようやく公にできたからな。楽しんでるという言葉は適切ではない気がするが、これで君にちょっかいを出す奴も減ると思うと悪くない」
忍田がそう言って笑みを溢せば、名無し同じように微笑みを返事とした。
▼▼▼
「忍田」
「何だ」
「何だじゃねえよ水くせえな。いつの間に部下に手を出した?」
名無しが住所変更手続きをしてから数週間後。
ボーダー本部内の喫煙所で、林藤が忍田に煙草を差し出しながらニヤニヤと笑う。
「嫌な言い方をするな」
「事実だろ」
「…………」
煙草を咥えたまま答えない忍田の様子を一切気にすることなく、林藤が煙を吐き出した。
「そこそこの噂になってるぜ。本部長さんの女を見に救護室の前をうろちょろする奴らもいる」
「はあ……迷惑をかけたくなかったんだが……」
「お前みたいなのと付き合った時点で、これくらい覚悟してんじゃねえのか」
「みたいなの、とは何だ。そう言われる筋合いは」
「車真っ二つにしたり、川の上走ろうとして通報されたことは知ってんのか」
文句を言おうとした忍田だったが、林藤に過去の出来事を持ち出され、ぴたりと止まった。暫くしてから諦めたように答える。
「…………言う必要がないだろう」
「今度言っとこ。それでフられたらごめんな」
「おい」
「ジョーダンだよジョーダン。怖いねえ」
睨まれても怖がるどころか存分に面白がった様子で、林藤が煙草を灰皿に押し付ける。
「さ、仕事終わらせてさっさと帰ってやれよ。待ってるんだろ?」
「そっちが呼び出しておいて言うことか」
「いやほら、直接ちゃんと報告してくれていれば? わざわざ呼び出す必要はなかったんだけど? 報告してくれないから?」
忍田がため息と共に煙を吐くのを見て再度笑いながら林藤が喫煙所を後にする。
林藤の言った通り、一人暮らしではなくなった家では、先に寝ていいと伝えてはあるが、きっと寝ていないであろう恋人が待っているはずだ。
十五分後には本部を出ることを目標に、忍田も灰皿に煙草を押し付けた。
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