愛も垂らす
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「ってわけで奢ってもらった」
ふみやがそう言いながら、向かいに座る女にピースをする。
「いいな、あの新しくできたお高いところでしょ? そんないいケーキ食べたことない」
「アンタも奢ってもらえばいい。テラはともかく、天彦ならすぐ奢ってくれるだろ」
「まあそうかもしれないけど……」
「大人だから褒められ慣れてる、って言ってたけど、そこを褒めてやったらチョロかった」
「……そういうのって、僕がいないところで話しません?」
女の横に座っていた天彦がとうとう口を挟んだ。
名無しは今度こそお金を返してもらうため、天彦にカリスマハウスへ連れてきて貰ったのだ。つまり当然、最初からリビングにはふみやと名無しだけでなく天彦も一緒にいたこととなる。
それなのに悪口ともとれる言葉を発したふみやは、天彦にたしなめられてもきょとんとした顔で首を傾げた。
「そうなんだ」
「相変わらず勝手に人の話をしますねふみやさんは」
「ダメなの? 何が? 悪いことじゃないだろ」
「貴方は悪びれてください」
「そもそも、天彦がいるからこそ天彦に奢ってもらった話を思い出したから話題にしたんだよ」
「え、むしろ一度忘れてたんですか。あれだけ食べておいて」
「で、名無しには奢ってやんないの。お高いケーキ食べたいって」
ふみやが名無しを顎で示すと、天彦も顔を隣の名無しに向けた。
「……きちんと僕をデートに誘ってくれるなら考えます」
「だってよ名無し」
「……天彦さんは今日もセクシーだね」
「雑な褒め方ですね。セクシーって言えばいいと思わないでください」
「セクシーにエクスタシーしよ」
「更に雑になっていますが」
「セックス」
「……そんなにデートに誘いたくないんですか」
「そんなに私にデートに誘われたいの? ……私じゃなくても喜んで行くくせに」
「…………」
「…………」
「喧嘩するんだったらヨソでやってくれ」
天彦がむっと眉を寄せ、名無しが腕を組む。そんな二人にふみやがため息をついた。
◇◇◇
以前の、理解が壊れてしまいそれを宥めるのに一苦労した経験からか「もう巻き込まれたくない」とふみやが二人をカリスマハウスから追い出した。追い出された二人の足は自然と件のパティスリーのある街の方へ向かう。
今回もお金を返して貰いそびれているが、二人はまだそのことに気づいていない。
「……天彦さん」
「何でしょう」
「一緒にケーキ食べたい。奢ってくれなくていいから」
「……いいんですか、一流のスイーツなので相応のお値段しますよ」
「私は天彦さんをセフレにしても、財布にしたい訳じゃない。天彦さんのこと褒めるなら、奢って欲しいからとかじゃなくて本当にそう思ったときに褒める」
女が道の隅で立ち止まる。そして自分よりも遥かに高い位置にある男の顔を見上げた。
「……それに、天彦さんも私にデートという名目でたかられるより、一緒に食べようって言われる方が嬉しいでしょ?」
「……名無しさん!」
「うわっ、ちょっと、外だから……!」
天彦が人目も憚らず名無しを抱きしめる。すっぽりと覆い隠されてしまうほどに抱きしめられ、多少もがいたがもれなく無駄だと察した名無しはすぐに大人しくなった。天彦が心底嬉しそうな吐息を漏らす。
「あぁ……いくらでもケーキ食べさせてあげます……好きなだけカード使ってください……」
「だから奢って欲しいんじゃないんだって。そんなに食べられないし。それにカードを人に使わせちゃ駄目」
そう名無しが答えても、聞こえているのかいないのか、天彦は黙って抱きしめるばかりだ。視界は塞がれて見えないが、なんとなく周りの目線が刺さっている気配がする。
「……天彦さん、ほら、行こうよ……」
「ああ……すみません、つい。抑えきれなくて」
天彦はやっと名無しを解放すると、自らのせいで乱れた彼女の髪を手櫛で直した。
同時に名無しは天彦のシャツに手を伸ばし、ぱたぱたとはたく。
「服に化粧が……」
「いいんですそんなこと。むしろ」
「セクシー?」
「あはっ……その通りです名無しさん。んん……セクシー……ふふっ……さあ、行きましょう」
天彦が天を仰いで笑った後、名無しの手を取り引いた。
「……あの、天彦さん、手……」
「嫌ですか?」
「嫌じゃないけど……私たちって別に手を繋いで行くような仲じゃ」
「ええ……? 街中で抱き合っておいて」
「天彦さんが勝手に抱きしめてきたの!」
「嫌でしたか?」
「…………」
「嫌ならもう二度としません。……嫌でしたか」
「……そうは言ってない」
答えながら、名無しは天彦の手を握り返した。
◇◇◇
はんぶんこにしたら二種類食べられるでしょ。そんな名無しの提案で、テーブルの上には二つのケーキ……アップルパイとザッハトルテが並ぶ。
それぞれをフォークで半分にしながら、名無しが口を開く。
「私が食べたいものでよかったの?」
「ええ、もちろん。お好きなんですか。アップルパイとザッハトルテ」
「好きだけど、それだけじゃなくて」
「?」
「天彦さんがふみやくんに食べさせてあげたものと、ふみやくんが天彦さんに例えたケーキ食べたいなって」
何を食べたか、どれ程美味しかったか、どうテラと天彦を褒めて奢らせたか、先程ふみやは名無しに語っていた。その話を聞いたときから、注文するものは決めていたという。
そしてそれはつまり、デートに誘う誘わないで揉める前からこのパティスリーに来る気があったということになるが、そのことについて天彦が深く追及するタイミングは名無しの次の言葉で失われた。
「ティラミスはまた次来たときかな」
それぞれの皿に二種類のケーキを乗せ、そのうちの一枚を天彦の前に差し出しながら名無しがそう呟くと、差し出した相手にその手を上から包まれる。皿に手をかけたまま、思わずぴたりと止まってしまった。
「え、な、何……?」
「次があるんですか」
天彦がまっすぐ名無しの目を捉える。
値段とは違い割と気軽に来られる距離であるから、次は一人で来るかもしれないし、他の友達と来るかもしれない。そういう可能性もあるはずなのに、天彦の問いにはそれらの可能性が含まれていないのが名無しにはわかってしまった。
名無しとじゃなくてもデートだと言われれば喜んでこのパティスリーに来るであろう(と名無しは思っている)男は、名無しには他の人とは来てほしくないらしい。そういった嫉妬心も伝わってしまうほど、その声色と表情は感情を顕にしている。
名無しが何と答えようか迷っている間に、天彦が言葉を繋ぐ。
「ケーキを選ぶ理由だって、僕のことばかり。……あんなことを言っておいて、次がないなんて言わないで」
「……次がないなんて言ってないよ」
「次があるとも言ってくれていない」
思わせぶりなことは言うくせに。そう付け加えられる。視線が痛くて名無しは軽く目を閉じたが、何の解決にも至らない。数秒で目を開けて天彦を見返した。
「ああもう……そんな顔しないでよ。すぐ返事できなかったのは次がないとかじゃなくて……その、なんというか、あてられただけで……」
「あてられた?」
「……本当に私のこと好きなんだなあって……」
「え、ずっとそう言ってるんですけど」
はぁ、と息を吐いて手を離した天彦は、その手で自身の顔を覆ってしまった。そんな仕草も様になるところは流石である。
「……いや、すみません。急いてしまいました。格好悪いですね、僕。貴方も僕のことを好きだと言ってくれているはずなのに。つい、余裕をなくしてしまう」
「天彦さんはかっこいいよ」
「……そういうことを言う貴方も悪いんですからね」
天彦が指の間から名無しを恨めしそうに見る。
「……そうだね、ごめん。天彦さんの言う通り、私もちゃんと好きなの。だから今のも、上辺でかっこいいって言ったんじゃない。……でも、その先が自分でもわからなくて」
「……名無しさん」
「だからさ、……一緒に考えてくれる? 天彦さんが納得する答えじゃないかもしれないけど」
名無しはそう言い終わると、フォークを手に取り、アップルパイを切る。一口サイズにしたそれを口に運び感嘆の声をあげた。
「ん、美味しい……! ほら、天彦さんも食べて」
促された天彦も自分の皿を引き寄せアップルパイを口にする。程よい甘さと少し酸味のある林檎の風味が口内を満たした。
名無しはすっかりアップルパイに夢中になっている。一緒に考えるか否かという返事は求めていないらしい。
その意味をゆっくり考えるには、ケーキが一流すぎた。脳内は極上の甘味がもたらす快楽物質で満たされてしまい、思考能力が鈍る。甘い物を食べると脳が活性化するというが、今回ばかりは逆だった。
とりあえず、名無しが今自分といてくれていることに満足しておくべきか。
そう天彦が思ったそのとき、「次は何かの記念で来ようか。天彦さんの誕生日とか」などと名無しが言うものだから、フォークを持ったまま再び顔を覆ってしまう。
アップルパイ以上に濃厚な甘さを持つザッハトルテを口にすれば、天彦のこの感情をも鈍らせることができるだろうか。