煙草を持たない理由の1つ
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忍田真史は、愛煙家でも嫌煙家でもない。
あまりよろしくないことだが、社会には喫煙所で行われる重要な会議や、人付き合いがある。
ボーダー本部という組織で働く以上、必要な手段の1つとして付き合い程度に煙草を嗜んでいた。
隊員は10代の子供たちが多いが、中には成人している者もいるし、幹部や一般職員となると年齢層が高くなる。よって、ボーダー本部内にも何箇所か喫煙所が用意されていた。
人気のない、建物の端にある喫煙所の近くを通ると、中で1人の女が煙を揺蕩わせている姿が見える。
ガラス越しに横に立つと、相手も気づいたようで会釈をした。
ここが彼女のお気に入りの場所だと、忍田は知っていた。扉を開けて中に入ると、特有の匂いが肺を満たす。
「お疲れ様です、忍田本部長」
「お疲れ様。仕事はもうあがりか?」
「ええ、帰る前に一服しようと思って。珍しいですね、忍田本部長が喫煙所にいらっしゃるの」
吸いますか、と差し出された紙箱から一本取り出して咥えると、女がすかさずライターの火を点けた。
「そういうことはしなくていいと言っているのに……」
そう言いながらも少し屈んで煙草に火をつける。天井に向かって白い煙を吐いたあと、口を開いた。
「それと、ここには他に誰もいない」
「……一応仕事場だからけじめつけとこうと思ったけど……忍田さんがそう言うなら」
忍田が暗に指摘したのは、口調のことである。女……名無しと忍田は、所謂男女の仲だ。組織内での恋愛が禁じられている訳ではないが、別にひけらかすことでもない。立場のある者なら、尚更だ。守るものがあると、守るものがあると“知られると”、弱くなることを知っている。
いち救護員と本部長、関わることはそう多くはないが、仕事以外の繋がりが見えないように口調や呼び名、態度には気を遣っていた。
「どうだった、今日は」
「特に急な怪我人や病人もなく、忙しくはなかったんだけど……その分一部の、ダラダラいつまでも雑談してる人が目についてストレスだったかな」
「ああ……」
「せめて手を動かしながら話せばいいのに」
とんとんと灰を落としながら、むすりとした口調で女は続ける。
「……余計に腹立つのは、忍田さんももちろん、他の幹部の人たちも、隊員たちも、みんな来るかもしれないときのために日々頑張ってるから。それなのに、直接戦闘に参加しないからって、ぬるい気持ちでいるのか知らないけど……平気でそういうことできちゃうのが信じられない」
そこまで言ったところで、短くなった煙草を灰皿に押し付け、穴に落とす。
それから暫く忍田の煙を吐く息だけが聞こえていた。
そのうちに忍田の吸う煙草も短くなり、灰皿の穴に落ちる。区切られた部屋から煙が目立たなくなった頃、静寂を破った。
「きみは真面目だからな。私としても管轄外とはいえそういう職員がいるのは残念だが……あまり精神を消耗しすぎないように。彼らを正すのは上の役目だ」
「……うん」
「私も仕事に戻るよ。帰り道は気をつけてくれ」
「ええ。……お先に失礼します、忍田本部長」
最後に畏まった口調で、扉を開けた。
次の日も、ほぼ同じ時刻に、同じ場所で女が煙を吐いていた。
忍田が喫煙所に入ると、昨日と同じく煙草の紙箱を差し出されたが、今回は受け取らなかった。
「吸わないのに、わざわざ入ってきてくれたの?」
「きみがまた何か引っかかっている様子だったからな」
「……昨日と同じ。人はなかなか簡単には変われないし、期待もしてないけど。せめて見えないところでサボってほしい」
「ふふ、それは立場上肯定しづらいが……気持ちはわかる」
「はあ……気にするのも馬鹿らしいってわかってるのに」
忍田が来た時点で半分になっていた煙草を灰皿に捨てる。2本目を口に咥えて火を点けたところで、横から伸びてきた手にその煙草は奪われた。
「あ」
「……煙草をやめろとは言わないが。程々にしなさい。これは私が貰う」
呆気にとられて言い返す言葉も見つからず、名無しはただただ奪った煙草を咥える口元に目線を向ける。
「代わりに、いくらでも話を聞いてやるから。次の休みはいつだったか……」
「まさか本部長直々にお家デートのお誘いですか」
「そうだ」
からかったつもりの言葉にも、忍田は真正面から、何事もないように返す。言った名無しの方が動揺からか顔を歪めることとなった。
「忍田さんのそういうところさあ……」
「なんだ、本部長直々の誘いを断るのか? 嫌なら無理には」
「行きたいです! 行かせてください!」
食い気味に答えた女に、「素直でよろしい」と答えて笑った。同時に煙草を灰皿に押し付ける。
「さて、そろそろ戻るか。きみも帰るだろう」
「……はい」
忍田が喫煙所の扉に手をかけたとき、後ろから名無しが声をかける。
「忍田さん」
「ん?」
「……ありがとう。忍田さんのそういうところ好き」
振り向いた忍田の顔が緩んだのを見て、今度は名無しが笑う番だった。
「続きは次の休みで聞かせてくれ」
今度こそ扉を開け、背を向けた忍田の足音が遠ざかっていく。
彼と煙草の残り香が消えるまで、彼女はその場に留まっていた。
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