卑怯者
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コンビニで買った飲み物……いつものブドウジュースを片手に、成歩堂くんは言った。
「騙されているなんて、思いもしなかった」
「……うん」
図書館で勉強をしていたという彼と、夜、公園で会う約束をした。
誰もいない公園のベンチで、二人並んで座っている。
ピンクのセーターがなくなっただけで、ずいぶん大人っぽく見えた。
「……でも、今思えば不自然だったんだよな。一目惚れしたのに、都合よくプレゼントの小瓶があるなんて」
「…………」
「例え自分が使っていた物だとしても、初対面の男に渡すわけないのに」
「…………」
「あの時、裁判所に行かなければ。資料室に行かなければ。……そう思うよ、時々」
「……でも、そうだったら成歩堂くんは弁護士になろうと思わなかったかもしれないね」
「……そうだね」
「私は……成歩堂くんが弁護士でもそうでなくても、……ほら、シェイクスピア俳優だったよね、目指してたの。……どっちでも、良いと思う。あ、もちろん、弁護士になろうって決意はすごいと思ってるよ? どっちでもいい、はどうでもいいじゃなくて成歩堂くんが選んだのならそれがどの道でもって……ああごめん、まとまらないや」
「はは、いいよ。大丈夫。ハナからきみが悪い意味で言ってるなんて思ってないよ」
「そっか……ありがとう」
「だいぶ、気持ちの整理がついてきたんだ。最近」
「それならよかった」
「うん。きみがこうやって話を聞いてくれるから」
チクリ、と罪悪感で胸が痛む。
私が彼の話を聞くのは決して彼のためだけではない。私が、彼のことを好きだからだ。幼馴染みという立場を利用して、大学の友達には言えないであろう、あまりにも酷い失恋の話を聞くのは、これで何度目だろう。
「……きみは?」
「え?」
「きみには、ないの? 恋愛の話。ぼくと二人でこうやって会ってるってことは、彼氏いない……よね?」
「……うん」
「あ、ごめん、その、気を悪くしないで欲しいんだけど。きみにもし彼氏がいるなら、幼馴染みとはいえ他の男と二人になったりしないと思って」
私の色恋沙汰を聞かれたのは、今回が初めてだ。
彼氏がいないことの確認なんてこちらが勘違いするようなことをしながら、同時に幼馴染みと呼ばれる。成歩堂くんは、純粋に聞いているのだ。彼には、私と違って下心なんかない。
「……ご、ごめん、怒った?」
黙っている私を慌てて見つめる。その瞳を見るのが辛くて、首をふった。
「私、彼氏いたことないの」
「……ほんとに?」
「マジ」
「……ふうん」
「…………」
「そういうの、キョウミない……とか?」
なんだこれ。どうしてよりによって、彼氏をつくれない原因の男からそんなことを質問されているんだ。
私が泣き出す前に、やめて欲しい。と同時に、浅ましい私は当て付けるような返事をしようと、あわよくばと、考えてしまっている。
「ううん。……好きな人はいるの」
「…………そう、なんだ」
「そう。でも、もう、失恋してるんだけど」
「へえ。きみも失恋してたんだ」
「うん。……告白すらできないまま、他の人と、付き合っちゃった。……私とは、全然違うタイプの女の子」
「…………」
「だから、最初っから可能性なんかなかったんだって、わかったのにね」
そう言って笑ったが、彼は笑ってくれなかった。一緒に笑い飛ばしてくれればいいのに、神妙な顔つきをしている。
「……今でも、好き? その人のこと」
「…………うん、好き」
「諦めようとかは」
「……そうしなきゃいけないのはわかってるんだけど、ダメなの。……きっと私、その人以上に誰かを好きになることないと思う」
「……………………」
長い沈黙のあと、そっか、と成歩堂くんが小さく呟いた。
「一途なんだね、名無しちゃんは」
「…………」
「……わかるよ、その気持ち」
ぎゅっと心臓を握りつぶされた。その気持ちがわかるってことは、それってつまり、今も。
それに気づいてしまったことが決定打だった。ぼろぼろと涙がこぼれる。
成歩堂くんがぎょっとした後に慌て出す。
やってしまった。困らせてしまう。隠さなきゃいけなかったのに、隠すのが辛くなってしまった。
「ご、ごめん、辛いこと聞いちゃった、ごめんね」
「違う、違うの、ごめんなさい」
成歩堂くんが慌てて私の顔を覗き混む。
みっともない涙を手でぬぐうが、なかなか止まってくれない。
「伝えるのも隠すのも卑怯だって、わかってるのに……成歩堂くんが、今でもそうだって、わかったのに」
今でもあの子のことが好きだってわかったのに。とは言えなかった。わかったと言いながらその事実を口に出す余裕なんてない。
なんのこと? と聞かれる前に、私は勢いのまま告げてしまった。
「私、私が好きなのは」
「う、うん」
「私、成歩堂くんが、ずっと好きなの……っ」
「……うん? え? ええええええっ!?」
一瞬固まった後に成歩堂くんは大きな口を開けて驚く。
「な、えっ、ぼく!? ずっと、っていつから」
「……う、うう……ごめんなさい……」
泣いてしまって話せない私を、心配そうにしながらも急かすことなく待ってくれた。
深呼吸をして、なんとか涙を止めたあとにやっと答える。
「……ずっと。子供のときから……だと思うけど、本格的に意識したのは5年以上前……」
「……し、知らなかった……。ってことは待てよ、さっきのきみの失恋って」
「……成歩堂くんに大学で彼女ができたときの話」
「………………」
そう、散々聞かされた、彼の話だ。
開いた口が塞がらない、という表現通りの顔をしている。
「……ごめんなさい、私、隠してた」
「…………」
「成歩堂くんのことが心配だったのは嘘じゃない。……けど、もしかしたら、って気持ち隠して。……私、卑怯なことをした」
「…………」
「成歩堂くんが、あんなに幸せそうだったのに、あんなことになって……悲しかった。……それで、少しでも私にできることがあるなら、って……話聞くことで、気持ちが楽になるならって」
成歩堂くんは無言のままだ。裏切られた気持ちだろう。言わなければよかった。また、彼を傷つけてしまった。
「ごめんなさい、本当に、ごめ……」
謝ったところを手で制される。
そっぽを向いている彼の表情が見えなくて、少し安心してしまった。怒った顔、向けられたくない。私の泣き腫らした顔も、見られたくない。
「えっと……ぼく、今は弁護士になるための勉強をしたいと思ってて」
「うん。……うん、そうだよね、ごめんね、言うべきじゃなかった」
そう、言うべきではなかった。内容も、伝えるタイミングも、最悪だ。
じわじわと涙が溢れ出すがぐっと堪える。泣くのは一人になってからだ。そうでないとまた余計な心労をかけてしまう。
「……気持ちを隠して近づくのはずるいって思っちゃって、我慢、できなくて。いや、今更なんだけど。……迷惑かけるつもりはないの。……これで諦めるから……もう、会わない、から」
そう言った私の手をとられて、思わずびくりとする。顔をあげると彼と目があった。恥ずかしくて逸らしたいのに、そのまっすぐな目から視線を外せなかった。そう、この人は昔からそういう目をするときがある。
子犬を捨てた飼い主に直談判しに行ったときを思い出した。私が彼と出会ったきっかけの事件だ。そのときのことを、思い出させる目だった。
「だから、弁護士資格とるまで待ってほしい」
「……うん?」
「……試験に合格したら、付き合って、……ください」
「えっ」
今度は私が口を開けてしまう番だった。
成歩堂くんが訝しげに目を細める。その表情は照れているようにも見えた。
「……告白してきたのはそっちなのに、イヤなの?」
「ち、違う! 何で……怒ってないの?」
「何で怒るんだよ」
「だって、私、ずるいこと……。弱ってるあなたに漬け込んで、……辛い出来事を利用するようなことを」
「それが悪いことだって?」
頷くと、成歩堂くんは斜め上を見て何かを考えているようだ。しばらくしたあと、彼が口を開いた。
「……ぼくは、さっき、きみに好きな人がいるって聞いたとき、諦めさせようとしたよ」
「……ほんとに……?」
「失恋したのに、いまだにソイツを好きでいるなんて話、初めて聞いたから。じゃあ今までも、ずっときみは誰かぼくの知らない男のことを考えてたんだって思ったら……なんか、イヤだって気持ちになって」
「…………」
「きみが、その人以上に好きになれる人がいないとまで言ったの、ショックだった。……名無しちゃんのこと好きだったんだ。……いつからだったんだろう」
そんな、こんなうまくいっていいのか。
「次からは、きみの話を聞いてやろうって思ってた。それで、諦めなよって。そう言うつもりだった。……試しに、ぼくにすれば、とか」
彼らしくない、と思ってしまった。そんなことを考える人だと思っていなかった。なんて都合のいい誤算なんだろう。
「ぼくこそ、きみの失恋を利用するつもりだった。きみの言う悪いことだ。……怒るかい?」
怒るわけがない。
「……私でいいの……?」
「きみは昔から優しくて、一生懸命で。今回だって、きみのおかげで救われたよ。……さっきも、言っただろ」
「で、も、さっき、一途な気持ちわかるって、それって、成歩堂くんが今でもまだあの子のこと好きだってことじゃ」
「ああ、それは……なんというか、テキトーな返事だよ。きみに寄り添いたかっただけ。……ほら、ぼくのほうが酷いだろ」
そんなことない、そう伝えるために首を横に振ると、ふ、と笑ってくれた。
「……そりゃあ付き合ってた当時は一途に好きだったけどさ。でも今は、きみの方が信じられる。……というか、信じたい。ぼくを、好きだと言ってくれるきみを」
「…………成歩堂くん」
「都合のいい話なのはわかってる。ぼくは、他の女の子を選んだ。それがうまくいかなかったから、今度はきみを選ぼうとしてる」
「それは」
仕方ないよ。そんなことないよ。それでも、私を選んでくれたから嬉しい。何と言えば正しいのかわからず中途半端な相づちを入れてしまう。
「それでも……待ってくれる?」
「……うん、待ってる」
「……まあ、その、それまでに他に好きな人ができたら……無理強い、しないけど」
安心したように笑ったのもつかの間、そのまま自信なさげに彼が言った言葉に力が抜けてしまう。
さっきまで、あの法廷で大泣きしていた人物と見間違うような、凛とした雰囲気に圧倒されていたというのに。
……でも、そういうところが、いいところだ。
「そこは弱気にならないでよ……」
「ご、ごめん」
「成歩堂くんこそ、約束忘れちゃやだよ」
話している間ずっと握られていた手を、やっと握り返した。
真面目な顔つきになった彼に見つめられる。
「……忘れないよ」
「じゃあ、言い直して?」
「……弁護士資格、とるから。それまでちゃんと好きでいて欲しい。ぼくのこと」
もっと強気な言い方でいいのに、と思ったが彼は優しい人だ。これで許してやることにした。
こちとら言われなくてもずっと成歩堂くんのことが好きだ。
「今までの片想い期間に比べたら、短いね」
「……そうなるといいんだけど」
「何年でも待てるよ、私」
でも、できるだけ早くね。一発合格してくれたら最高。そう付け加えると、成歩堂くんは目尻を下げて後頭部をかいたのだった。
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