とある紅茶にまつわる噂
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「あ」
窓のブラインドを開けようとした龍一くんが、何かに気づいた後にその手を止め、きっちりブラインドを閉めた。
「どうしたの?」
「いや、向かいのホテルにあのボーイ……じゃないか、支配人がいるのが見えてさ」
「ああ、あの」
10年は前になるだろうか。とある事件の聞き込みに行っただけではあるが、なんだかんだ季節の折に挨拶の葉書を送ってくれる仲にある、元ボーイの支配人のことだ。
「ここの事務所、向かいのホテルから見えちゃうんだよねえ」
「うん、あの人に見られるの厄介でさ……」
「何かあったの?」
「……この話は他の人には内緒だよ、名無しちゃん」
みぬきにもね。そう言って龍一くんが口角を上げた。
なんだか面白い話が聞けるかもしれない。頷いたあと、わくわくして続きを待った。
「御剣、あそこのホテルで紅茶を注文して、届けさせるらしいんだ」
「へえ。そんなに美味しいのかな」
紅茶に拘っているだろう御剣くんが、まさかお隣のホテルから紅茶を頼んでいるなんて知らなかったけれど、内緒にする程の話ではないと思う。
そんな私の疑問を察したのか、龍一くんがちっちっちっ、と人差し指を頭に幾度か当てる。弄ってるな、御剣くんのこと。
「ああ、よっぽど美味しいんじゃないかな。……彼女と過ごすときにだけ頼むらしいよ、その紅茶」
「!」
萌えだ。俗な表現だがそうとしか言いようがない。
「か、可愛い……!」
「配達するときに毎回いるんだって。その彼女が受け取るときもあるらしいし」
「え、支配人自ら配達してるの……?」
検事局長ともなれば、確かに支配人自ら配達することもあるだろうが……毎回行く暇があるのだろうか。
「まああの人自由そうだし……。それにぼくなら自分で届けるな。見たいもん、検事局長のそんな人間クサイところ」
「……確かに」
「ただホテルの人間としてはアウトだよね。お客さんの話しちゃうなんてさ」
「あは、本当だね」
多分ではあるが、龍一くんにだけ言ったのだろう、と思う。皮肉にも幾度かの事件に関わったおかげでホテルは大きくなり、いちボーイから出世した。その恩義を感じているのだろう。その恩義の返し方が特殊ではあるが。
それに、仕事を続けていられるのだから、さすがにある程度の常識は備えているはずだ。
「まあ、龍一くんと御剣くんが知り合いなのも知ってるしねえ、あの人」
「だから極力見られたくないんだよ。ぼくの話も御剣に流れるかもしれないから」
「見られて困るようなこと、ある?」
「……あるよ」
「あるっけ」
「……酔っ払ってきみにべったりくっついてたときとか」
「ああ! ……ふふ、あはは、あったあった。確かに御剣くんにバレたら恥ずかしいねえ、龍一くんは」
「笑いすぎだろ」
「ごめんって。……ふふ!」
「…………」
「ほらほらむすっとしないで。……でもさ、今は別に見られても困らなくない?」
「どうかな……きみとこうしているところをわざわざ見せる必要はないと思うけど。……それとも、名無しちゃんは見せつけたいの?」
龍一くんはニヤニヤしながら聞いてくる。私が照れるなり慌てるなりすると思ったのだろうが、残念ながらその予想は外れだ。
ぐっとスーツの襟を引いて少しかがませると、わ、と驚いた声を出した。
「見せつけたいって言ったら開けてくれる? ブラインド」
「…………負けたよ」
口元にはひきつった笑いを浮かべ、眉を下げた彼の表情に満足したので手を放す。襟元もちゃんと正してあげた。
正直、見られたところで話のタネにはなるとは思っていないし、「成歩堂さんとその彼女が事務所でいちゃついてました」なんて話、御剣くんだって聞かされても「はあ……だからなんだろうか」となるのは目に見えている。つい、龍一くんといちゃつくダシにしてしまった。
「ホテルバンドーの紅茶、そんなに美味しいなら頼んでみようかなあ」
少しの罪悪感から、わざとらしく唐突に話を戻す。
「ぼくは嫌だよ、あの人にここに来られるの」
「ううん、そっかあ」
「それに、ぼくはホテルの紅茶よりきみが淹れてくれるコーヒーの方が好き」
「……ただのインスタントコーヒーなんだけど」
「それでも、だよ。……ふふ、名無しちゃんはこういう方が照れちゃうんだ」
私の照れ隠しの言葉を見破った彼はニコニコと上機嫌だ。さっきの負けの仕返しのつもりらしい。
ホテル・バンドーブランドの紅茶の味は、検事局長殿に聞くしかないようだ。そう思ったところで、「何故知っている?」と眉間にシワを寄せる姿が浮かぶ。……支配人さんが困ってしまいそうなのでやめた。
……そう思っていたのだが。
数日後、支配人さんから「あの成歩堂法律事務所が覗ける部屋があるとしてそれなりに人気があるのでございます。ですから、極力ブラインドは開けていただけると……」と連絡が来たので、やっぱり今度紅茶の味を御剣くんに聞こう、そう心に決めたのだった。
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