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「やっちゃった……」
誰もいない駅のホームでつぶやく。
終電車のライトはちょうどホームの端を抜けていった。
タクシーで帰るか、どこか一晩中空いているお店でも探すか。
これからどうしようかと考えながら、とりあえず改札口へ引き返そうとしたときだった。
「キミも終電逃したの?」
不意に声をかけられて慌てて振り返ると、グレーのパーカーに青いニット帽を被った男の人が気だるそうに立っていた。
「え、ええ……」
「ぼくもなんだよね」
「はあ……」
変な人に声をかけられてしまった。
酔っ払いかと思ったが酔っているようには見えない。
かと言ってナンパされているようにも思えない。
「一晩過ごすアテ、あるの?」
「…………」
「ぼく、働いてるロシア料理店があってさ。そこの地下室で一晩過ごそうと思ってるんだけど、付き合わない?」
「…………えっと」
やっぱりナンパだろうか、と思ったが口説き文句にしてはヒドすぎる内容だ。
こんなの、普通は絶対に断らなければならない。
なんなら今すぐ警察に通報したっていいくらいじゃないだろうか。
そう思うのに、相手を拒絶する言葉が出なかった。
とても料理店で働いてるようには見えない風貌とか、料理店に何で地下室があるんだとか、ツッコミたいところもたくさんあるのに。
決めかねている私に対して、彼は薄笑いを浮かべて言う。
「心配しなくても、きみに触れたりなんかしないからさ」
ただ、同じ終電逃したよしみとして、無料で一晩過ごせる場所を提案してるだけだよ。
そう彼は続ける。
「……じゃあ、お言葉に甘えて……」
この人が『イマイチ』な見た目なら良かったのに。
どうしてこう私の好みの顔をしているのか。
自分がこんな怪しい誘いに乗ってしまうほど愚かな女だったことを認識する。
“終電を逃した女性、ロシア料理店で死体で発見”だなんてニュースにならないことを祈りながら、彼と一緒に改札口へと戻った。
彼の後を着いて行くと例のロシア料理店につく。
閉店しているようで窓から見える店内は暗い。
看板に書いてあるのは店名だろう。
「ボルハチ……」
「そう、ボルハチ」
「ボルシチなら聞いたことあるんですけど」
「つまんないダジャレだよね、7じゃなくて8なんて」
「い、いえ、そんなつもりじゃ」
「いいよいいよ、ほら、こっち」
彼は従業員としてある程度の地位なのだろう、鍵を使って入り口を開け、電気をつけた。
ショーレストランなのだろうか、テーブルと椅子の他に、小さなステージやピアノもある。
私の視線に気づいてか、彼は歩きながらピアノを指差して私を見返った。
「それ、ぼくの仕事道具」
「えっ、ピアニストなんですか?」
見た目からは全く想像できない職業を言われ驚くと、更に驚かされる言葉が続く。
「うん。弾けないけどね」
「え?」
「弾けないんだ。ピアノ。楽譜も読めないし、どれがドの音なのかもわからないし」
「ピアニスト、なんですか……?」
「一応ね」
変な人、と思ったが口には出さないことにした。
地下へと向かう階段を降り、少し怪しげな扉を開けてもらって中へと入った。
電気をつけてもらっても地下室は薄暗く、少し怖い。
……本当について来てよかったのだろうか。
「ここ、明日の朝まで貸してあげる。そこのソファくらいしか寝れるところないけど」
「い、いいんですか?」
「午後からしかオープンしないし、それまでに出て行ってくれれば何の問題もないよ」
「どうも……ありがとう、ございます」
「ぼくは上で寝るから。そしてキミは中から鍵をかけたらいい。そしたら安心できるだろう?」
「……はい」
私の返事を聞いた彼は、椅子が2つ向かい合うようにセットされたテーブルに近づき、その上に置いてあったトランプを手に取る。
そして、私に向き直った。
「寝る前に、ひとつ勝負に付き合ってくれるかい?」
「勝負……ですか?」
「ポーカー、できる?」
「簡単な役しか知らないですけど……」
「いいよ、テキトーにやってくれれば」
「はあ……それでいいなら」
突然の申し出だが、寝場所を貸してくれるというなら少しくらい付き合うのが礼儀だろう。
彼が座ったのと反対側の椅子に腰掛けた。
慣れた手つきでカードが配られる。
手札を確認した後、チラリと相手の顔を見た。
何の考えも読み取れない。
「……‥お強いんですね」
「そうかな」
3回勝負して、全て勝った癖によく言う。
私が初心者というのもあるのだろうが、全く勝負にならなかった。
つまらなそうな顔で斜め上を見上げている。
テキトーでいいと言われたとは言え、バツが悪い。
「……あの、つまらなかった、ですよね……すいません。慣れてなくて」
そう私が謝ると、彼は一転、にこりと笑みを浮かべた。
そしてテーブルの上のトランプを箱にしまう。
「いやいや、十分楽しかったよ。ただ……‥」
「ただ?」
「賭けでもしとけばよかった。もったいないことをしたな」
「お金賭けたら違法ですよ」
「……‥……ふふ、違法ね」
「?」
なんだか含みがありそうだが、真意は読み取れなかった。
そして彼はわざとらしくおどけたように言う。
「お金じゃなくて、負けるごとに脱ぐとかさ。そういうのでも違法かな」
「ぬっ……!?」
思わず驚いてしまったが、きっと本心ではない。
先ほど含みを持たせた言葉を薄くするためだけの冗談だろう。
彼の意図がわかった以上、私も野暮な冗談を続けさせるべきではない。
「……冗談がお好きなんですね」
「……もうちょっと慌ててくれたら面白かったのに」
「からかわないでくださいよ……」
「ごめんごめん。付き合ってくれてありがとう。それじゃ、おやすみ」
「あっ……はい、おやすみなさい」
私がそう返事を言い切る前に、相手は立ち上がり、階段を上っていってしまった。
1人ほの暗い地下室に取り残される。
ソファに寝転んでブランケットを拝借した。
埃っぽかったらどうしようかと思ったが、案外寝心地は悪くない。
ブランケットも、ふわふわだ。あの人が掃除しているんだろうか。
そもそも、何で泊めてくれたのか。メリットがあるようには思えない。
「ただの、お人好し……?」
そんなことを考えながら、呑気にも私は眠りにつくことにした。
朝6時。
部屋に窓はないのでわかりづらいが、スマートフォンのアラームがそう告げていた。
持っていたウエットシート(メイクの上から使える、便利なやつだ)で軽く顔を拭きながら、結局何も無かったなあなんて考える。いや、断じて何かあって欲しかった訳ではないけれども。
地下室の扉を開けて階段を上る。レストランホールにあの人の姿は見えない。一体どこで寝たのだろう。
一言声をかけてから出て行きたかったが、探し回るのも失礼な気がする。
書き置きを残そうかとも思ったが、彼が内緒で泊めてくれたのだとしたら、他の従業員が先に書き置きを見つけてしまった場合、かえって迷惑になってしまうかもしれない。
悩んだが、私はそのままレストランを後にした。
名前くらい、聞いておけばよかった。いや、お礼を言うためにもう一度お店に来るという手もある。名前は知らなくとも職場はわかるのだから。
ああでも、迷惑がられてしまうかも。
ぐるぐると頭を悩ませたまま、人の少ない電車へと乗り込んだ。
結局お店に行かないまま、数年経ってしまうのだけれど。
すれ違った女性の顔を見て、ハッとする。
思わず立ち止まって振り返るも、相手は何にも気を取られることなく、歩いていく。
「? どうしたんですか、成歩堂さん」
「パパの知り合い?」
王泥喜くんとみぬきに不思議そうに尋ねられるが、名前も知らない、そして見た目の変わったぼくを認識することはないだろう相手のことを考えると、知り合いとは言えなかった。
そもそも、ぼくも彼女の顔をしっかり覚えている訳ではない。
ただの、見間違い。その可能性だって大いにある。
「……いや、どうだったかな」
もうずいぶんと遠くに行ってしまった彼女の姿に背を向けた。
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