剥き出しのりんご
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いきなりだが、オレの働いている職場は、残念ながら儲かっていない。
この事務所の所長(と言っても働いているところを見たことがない。実質事務所を支えているのは彼の娘だ)に儲けようという思惑がないから仕方ないけど、給料はちゃんと支払って貰えるだろうか、と時々不安になる。
昔からそうなのだと、成歩堂さんと長い付き合いで、今では一緒にこの事務所に住んでいる名無しさんが言っていたことがあった。
彼が弁護士だった頃は、依頼されて弁護することももちろんあるが、友達や大切な人を助けたいと自ら弁護することも多く、その場合には依頼料なんてほぼ貰っていないらしい。
あげく、無罪のお祝いにみんなで食事に行って、お会計を任されそうになったこともあるとか。
流石に全員分は払わなかったそうだけど、やっぱり面倒を見ていた女の子たちの分は払っていたそうだ。
そんな有り様だったから、いつも事務所の家賃に追われていたとも言っていた。
……それは今も、変わらないみたいだけど。
所長机で暇そうに新聞を眺めている成歩堂さんには、かつての面影は全くない。
名無しさんの話を聞いても、その話通りの姿は想像しにくい。
今や、一部では法曹界の闇とも呼ばれてしまう存在で、オレも正直苦手だ。
上司を失ったオレを、この成歩堂なんでも事務所で雇ってくれたから本当は感謝するべきだけど、何を考えてるかわからなくて掴み所がない。
「オドロキさんってば! もっと丁寧に扱ってくださいっ」
考えごとをしていたため手元がぞんざいになっていたオレに、マジシャン衣装の女の子がカツを入れてきた。
実は弁護士としての仕事はほとんどなく、雑用係として馴染んでしまったオレは、今もみぬきちゃんのマジック道具の手入れをさせられている。
やれやれ。そう思いつつも作業を再開すると、ガチャリと扉の開く音がして、エコバッグを2つ提げた名無しさんが事務所へと入ってきた。
「ただいまー」
「あっ、おかえりなさい名無しさん!」
みぬきちゃんがマジック道具をそのままに名無しさんへと駆け寄る。
みぬきちゃんは、成歩堂さんの実の娘ではないらしい。
複雑な事情があるようで、3人で暮らしてはいるが名無しさんも成歩堂さんと結婚している訳ではないそうだ。
従って、みぬきちゃんと名無しさんは赤の他人ということになる。
確かに、成歩堂さんとみぬきちゃんにも言えることだけど、親子にしては年齢が近い。
ただ、見ている限りとても仲が良くて幸せそうなので、本人たちにとっては大した問題じゃなさそうだ。
「みぬき、こっちの袋片付けるね」
「うん、ありがとう」
名無しさんは、エコバッグを1つみぬきちゃんに渡した後、こちらに声をかけてきた。
「そうだ、王泥喜くん。りんご食べる?」
「えっ、りんご……ですか?」
唐突な申し出に思わず聞き返してしまった。
「うん、スーパーで見て美味しそうだなと思って買ってきたの」
「えと、いいんですか、オレが貰っちゃっても」
「もちろん。みぬきの手伝いしてくれてるんでしょう? 少し休憩しない?」
「それじゃ、お言葉に甘えて……」
「あー! みぬきもりんご食べたい!」
事務所兼成歩堂さんたちのリビングと化しているこの部屋に繋がっている小さな台所から、食材を冷蔵庫にしまっていたみぬきちゃんが出てきて会話に入ってくる。
名無しさんに甘えているのがよくわかって、なんだかいつもより幼く見えた。
「うん、ちゃんとみぬきの分もあるよ。剥くから待ってて」
「はあい」
返事をしたみぬきちゃんは事務所のテーブルの上を片付け始めた。
あんなに丁寧に扱えと言っていた道具をぽんぽんピアノの上に乗せていく。
入れ替わりに名無しさんが台所へ向かい、手を洗う。
すると成歩堂さんが立ち上がり、同じく台所へと入って行った。
りんごを剥く名無しさんの背後に立つ。
「龍一くんも食べるでしょ?」
「うん」
名無しさんが振り向かずにそう尋ねて、成歩堂さんが短く返事をする。
最低限の会話が、2人の関係性を表していた。
甘い言葉を囁いている訳でもないのに、こっちが気恥ずかしくなってしまう。
「はい」
「ん」
前触れもなく、名無しさんが剥きたてのりんごを1切れ手でつまんで差し出すと、成歩堂さんがそれを咥える。
なんとなく見ちゃいけない気がして目を逸らすと、その先にいたみぬきちゃんと目が合った。
みぬきちゃんは、呆れたような、それでいて嬉しそうな顔で肩をすくめた。
きっと日常茶飯事なんだろう。
あの成歩堂さんでもやっぱり好きな人の前では態度……というか雰囲気が変わるんだな、と少し安心してしまった。
……多少、エンリョして欲しい気もするけど。
みぬきちゃんより、成歩堂さんの方が甘やかされているんじゃないだろうか。
「ん、美味しい、もうひとつ」
「りんご好きだねえ、龍一くん」
「今更だね。昔から知ってるだろ」
「まあね。……はい、後は座って食べてよ?」
先ほどと同じように名無しさんがりんごを1切れ差し出し、成歩堂さんが咥える。
……多少ではなく、がっつりエンリョして欲しい。
逆にこの人たちは恥ずかしくないのか? オレの存在を忘れているのか? 見ていられないぞ。
若干の居心地の悪さを感じながら、ソファーにみぬきちゃんと並んで座った。
「はい、どうぞ」
しばらくすると、名無しさんがりんごの乗ったお皿をテーブルに運んでくれる。
オレとみぬきちゃんの分らしく、ピックが2つ刺さっている。
「わあい、いただきます!」
「じゃあオレも……いただきます!」
みぬきちゃんと一緒に挨拶をして、りんごを頬張った。
一人暮らしだとなかなか果物を食べる機会がないので、久しぶりに食べるりんごはとても美味しい。
成歩堂さんはりんごの乗った小皿を持って、所長机に座った。
「名無しちゃん」
ちょいちょい、と成歩堂さんが名無しさんを手招きする。
そして呼び寄せた名無しさんに、自分の分のりんごを1切れ、ピックごと渡す。
「ん、ありがとう。……ふふ」
受け取った名無しさんは、嬉しそうに笑った。
……完全にあてつけられている。
その様子を見ていたみぬきちゃんが、コソコソと小声で話しかけてきた。
「……みぬきも、オドロキさんにりんごあげましょうか?」
「……やめてくれよ、成歩堂さんに殺される」
はは、とひきつった笑いで乾いた口内を潤すため、オレはもう1切れりんごを口に入れたのだった。
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