いずれ菖蒲か杜若
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21時を過ぎたころ、私はスマホに表示された白黒の画像とにらめっこしていた。
それは少し胡散臭いオカルト雑誌の一面で、葉桜院とかいうお寺で行われる修行についてのページだったのだけれど、そこにかつての想い人が写っていたのだ。
少しだけ昔の話をしよう。
私が勇盟大学に通っていた頃、同じ学部に美柳ちなみという女の子がいた。
腰まで伸びたサラサラの茶髪、綺麗に三つ編みされた前髪、白とピンクのワンピース、ワンピースとお揃いの日傘、キラキラした大きな目、白い肌……。
見た目だけじゃない、物腰も柔らかくて、お嬢様のような言葉遣いで、でもそれが鼻につくこともない、とても心優しい女の子だった。
そんな彼女に私は密かに恋をしていた。
そう、密かに。
女の子同士だからって言うのもあるけど、ちなみちゃんには彼氏がいたのだ。
私の知っている限りでは2人。
1人目はハンサムで革のジャケットのよく似合う男の人。
2人目は髪型の尖っている、だけれども優しそうな男の人。
2人目に至ってはピンクのセーターをあげているところを見てしまった。
後でちなみちゃんに聞くと、なんと手編みだそうだ。
それから自慢するかのようにしょっちゅうピンクのセーターで大学に来る彼に、正直嫉妬した。
私だってちなみちゃんからプレゼント貰って自慢したい、なんて。
それにしても、ちなみちゃんの男の人の好みは少しわからない。
1人目ならともかく、2人目は頼りなさそうで、ちなみちゃんのこと守れるのか心配だった。
何でちなみちゃんがあの人のことを好きになったのかは、卒業するまでわからなかった。
……卒業するまで、と言ったけれど、実はちなみちゃんは一緒に卒業できなかった。
彼女は逮捕されてしまったから。
1人目の彼氏を殺し、その罪を2人目の彼氏に着せようとしたらしい。
その噂を聞いたのはちなみちゃんを見かけなくなって数週間が経った頃だった。
私は突然思いを寄せていた相手に会えなくなったのだ。
あんなに優しかったちなみちゃんが殺人なんてするはずないと思ったけれど、それを確かめる術もなく、大学の誰に聞いても情報は得られなかった。
あれから数年が経った。
ちなみちゃんのことはもう忘れた方がいいのかと思っていた頃、同級生の間でとある雑誌の記事が出回ったのだ。
頭巾を被っているけれど、あの大きくて優しげな瞳はちなみちゃんに間違いない。
早速調べたところ、葉桜院には意外にも電車で行けるみたいだ。
次の休みには、私は葉桜院へと向かう電車に乗っているだろう。
行動力のあるところが私の唯一たる長所だ。
向こう見ず、とも言うのかもしれないけれど。
電車を降りてから雪の積もる山道を歩くのは骨が折れたけど、なんとかたどり着いた葉桜院で私を迎えてくれたのは“ビキニ”さんというなんともセクシーな名前の尼さんだった。
「あらあらあら!いらっしゃい!何のコースを希望なの?」
「あ、あの!修行じゃなくて、ちなみちゃんに会いにきたんです!大学の同級生で……」
「ちなみ……?そんな子、うちにいたかしら?」
「そんな……だ、だって、見てください!この雑誌に載っているこの子なんですけど……!」
そう言って私は、ちなみちゃんが載っていると知って慌てて買った雑誌の写真を見せる。
「あら~、おばさんキレイに写ってるわ~」
「あの、こっちの女の子……」
「わははははは!わかってるわよ!あやめのことね!」
「あやめ……?」
「そうよ、あやめ!うちの尼僧なんだけど……とにかく!せっかくこんなとこまで来てくれたんだし上がっていきなさいな。さあさあ!」
「は、はい、お言葉に甘えて……」
あやめ?ちなみちゃん、じゃない……?
こんなに似ているのに……?
戸惑う私をよそに、ビキニさんは私をお寺の中へと案内してくれた。
通された部屋には大きな緑色の勾玉が飾ってあって、囲炉裏に火が入っていた。
真冬の山奥ですっかり冷え切った体にはありがたい。
遠慮なく火に当たらせてもらっていたところに、ビキニさんがちなみちゃん……いや、あやめちゃんを連れてきてくれた。
「ほらあやめ!この人、アンタに会いに来たらしいわよ」
「私に……」
「お友達?よかったじゃない!ゆっくりお話しなさいよ」
じゃあおばさんは掃除でもしてくるかね、またね!と一気に息巻いてビキニさんは去って言った。
ううん、なんとも元気なおばさんだ。
残された私とあやめちゃんの間には何ともビミョウな空気が流れている。
それにしても、ちなみちゃんに瓜二つだ。
髪は艶やかな黒色に変わっているけれど、髪の色なんてどうとでもなる。
「あの、良かったら座らない……?立ったままだとお話しづらいし」
「……では、失礼します」
火鉢の向こうに彼女が腰を下ろしたタイミングで、私は意を決して本題をぶつけた。
「あやめちゃん……じゃなくて、ちなみちゃん……だよね?」
「!」
私は彼女の表情が一瞬強張るのを見逃さなかった。
「私!私、勇盟大学で同じ学部だった名無し名無し!覚えてないかな……?一緒に授業受けたりしたんだけど……」
「…………」
「ちなみちゃん、急にいなくなっちゃったから心配してて、それで……」
「……申し訳ありません。人違いです」
「う、嘘……だって、あなたは美柳ちなみちゃんじゃ……」
「私は葉桜院あやめと申しますの。その方ではありません」
「そんな……そんな、じゃあ、やっぱり……」
やっぱり、ちなみちゃんは逮捕されているというのか。
名字も違うということは全くの他人の空似?
こんなに、こんなに似ているのに……。
うなだれる私にあやめちゃんは優しく声をかける。
「……名無し様は明日お休みですか?」
「え?……ええ、そう、ですけど……」
「ではよろしければ今夜はこちらに泊まりませんか?せっかくお越しいただきましたし」
「えっ、でも私、何も泊まる準備なんて……」
「寝間着などはこちらのものをお貸しします。お食事も任せてくださいな。久々のお客様をおもてなしさせてくださいませ」
あやめちゃんはニコ、と笑う。
その表情はどうしてもちなみちゃんにしか見えない。
私が彼女を思うあまり似ていると思いこんでいるだけなのだろうか。
……もうそれならそれでいい。
あやめちゃんにちなみちゃんを重ねる訳ではないけれど、このまま帰るのも虚しいばかりだ。
ここは好意を受け取らせてもらおう。
「……じゃあ、そう言ってくれるならお言葉に甘えて……」
「よかった。……さて、そうと決まれば美味しいお食事を作らなくてはなりませんね。私さっそく準備いたしますので、名無し様はどうぞおくつろぎくださいな」
何もないところですが、そう苦笑してあやめちゃんは腰を上げ、襖の向こうへと行ってしまった。
見た目だけじゃない、優しい性格までちなみちゃんにそっくりだ。
重ねる訳ではないけれど、と言ったものの、結局無意識に私はあやめちゃんをちなみちゃんと見てしまっているのだろう。
どちらに対しても失礼極まりない。
そんな自分に嫌気を感じてため息をつき、少し外の空気でも吸おうかと私も部屋を出る。
門まで向かうとちょうどビキニさんがいたので、今日泊まらせてもらうことへのお礼と(既にあやめちゃんから話がいっていた)、少し散策してくる旨を伝え、私は雪の中を歩き出した。
先ほどこたえた寒さも、今は気持ちをリフレッシュさせるようで心地がいい。
しばらく歩くと木でできた橋のふもとに出た。
おぼろ橋、という名前のようだ。
なんとも不安な名前と見た目だが、奥に見える小屋が気になったので渡ることにした。
落ちませんように、と祈りながら渡りきった私は早速小さな小屋に入る。
そこは二畳ほどの畳のスペースと鉄格子、その奥には洞窟のような空間が広がっていた。
壁には女の人の描かれた掛け軸がかかっている。
なんとも不思議な部屋だ。
薄気味悪さも感じ、そそくさと小屋を後にした。
先ほど渡った橋の下を見ると、ごうごうと流れの激しい川と、その岸部にまた小屋が見えた。
あまりハッキリとは見えないが、何故か万国旗が飾ってあるようだ。
一体何のための小屋なのだろうと考えていると、そばにピンクの服を来た人影が見えた。
よく見るとベレー帽を被ってキャンバスの前に座っている。
ゲイジュツカ、なのかな。
奇特な人もいるもんだと思ったところで冷たい風が吹き、ふるっと身震いをする。
奥にも建物があるが、あまり勝手にあちこち入るものではないし、先ほどの小屋の薄気味悪さから想像するに楽しい場所ではないだろう。
それならばとそろそろ戻ろうとして、ふとまたあの不安な橋を渡らなければ帰れないことを思い出す。
帰り道も落ちませんようにと再び願いながら橋に足をかけた。
葉桜院に戻る頃には日が落ち掛けていた。
大きな勾玉のある部屋まで戻り、囲炉裏の火で冷えた体を温める。
葉桜院のページしか見ていなかった雑誌を取り出して読んだり、スマホのメールをチェックしている間に、お鍋を持ったあやめちゃんとビキニさんが部屋に入ってきた。
「すっかりお好みを聞き忘れてしまったのですが、お鍋お嫌いじゃありませんか?」
「全然!ありがとうございます」
「寒いときは鍋が一番よ!お客様もいることだしね、きっとおいしいわ」
さ、食べましょ!というビキニさんの声を合図に夕飯が始まった。
お寺だからかお肉ははいっていないが、とても具だくさんなお鍋だ。
山菜、人参、椎茸、白菜、豆腐、そしてうどん。
とても温かくて優しい味に、思わずホッとした。
野菜は山で採れるものや自家栽培しているものがほとんどらしいが、それ以外の食材は配達してもらっているのだという。
ご飯を食べながらあやめちゃんが小さい頃葉桜院に預けられてからずっとここにいることを聞いた。
本当に人違いだったらしい。
勘違いを詫びるとあやめちゃんもビキニさんも笑って許してくれた。
夕飯をご馳走になったあとお風呂をいただき、客間に案内してもらう。
既に布団も用意されていた。
案内してくれたあやめちゃんはこの後22時の鐘を鳴らさないといけないのだという。
尼さんも大変だなと感心したところで、あやめちゃんから予想外の提案をされた。
「名無し様、お願いがありますの」
「?」
「……名無し様さえよければ、美柳ちなみ様のこと聞かせてくれませんか」
「えっ?」
「すみません、はしたないとはわかっていますが……好奇心を持ってしまいましたの。あなたがこんなところまで探しにいらっしゃった、私に似ていらっしゃるという美柳ちなみ様に」
「も、もちろん、私はいいですけど……」
「ありがとうございます。では、鐘を鳴らしたあとまたお邪魔しますわね」
「わ、わかりました」
会釈をして部屋を出て行くあやめちゃんを見送り、敷いてもらった布団の上に腰を下ろす。
美柳ちなみちゃんのことを教えてほしいだなんて、何から話せばいいのだろう。
鐘の音を遠くに聞きながら、ちなみちゃんとの思い出を必死に思い出した。
15分ほど経ったころだろうか、あやめちゃんが戻ってきた。
「お待たせいたしました」
「い、いえ……」
「では名無し様、さっそくですが……お話お伺いしてもよろしいですの?」
「そうですね……まず、見た目は本当にあやめちゃんにそっくりなんです。目や髪型まで。違うのは髪の色が茶色ってくらいで……あ、あと服装も。ちなみちゃんは白とピンクのワンピースに、お揃いの日傘を持ってたんですよ」
「それで私とお間違えになったのですね」
「……ごめんなさい」
「ふふ、謝らないでくださいませ。それで、お友達だったのでしょう?」
「はい、大学が同じ学部で。授業ではよく隣に座ってたんです。ただ……」
「ただ?」
「ちなみちゃん、彼氏がいたんです。別れてもまたすぐ新しい彼氏ができてて……。だからご飯とかはあんまり一緒に食べなかったし、遊びに行ったこともないんですよね」
それでも友達って思ってくれてたかな、思わずそう呟くと、
「きっと、お友達だと思ってくれていましたわ」
そうあやめちゃんが答えてくれた。
「……そう、だといいんですけど」
「ええ、そうですわ」
「……ありがとう」
何の根拠があるわけでもないが、あやめちゃんに慰めてもらっただけで少し心が軽くなる気がした。
「そうそう、優しいところもちなみちゃんにそっくりです」
「私が、ですの?」
「ええ。ちなみちゃんもいつも穏やかで優しくて、話し方まで似てますよ」
「それは……不思議なこともありますわね」
「あはは、本当に」
「…………」
「……ちなみちゃん、とある罪で大学3年生のときに逮捕されちゃったんですよね」
「あっ……」
「そのまま大学には二度と来なくて、会えずじまいなんです」
「……それで、その雑誌を見て会いにいらしたのですね」
「……はい」
「そんなに想っていただけているなら、きっとちなみ様もお喜びになります」
「……想ってるっていうか、好きだったんですよね」
「……えっ?」
「私、ちなみちゃんのことが好きだったんです」
半ばヤケクソだった。
もう会わないであろうあやめちゃんの優しさに漬け込んで、ずっと抱え込んでいた想いを吐露してしまった。
「名無し様……」
「女の子同士なんて変だろうけど、それでも私、ちなみちゃんが好きだったんです」
「…………」
「あは、ごめんなさい、急に。ずっと隠してたから、つい言いたくなっちゃっいました」
「いえ……」
「あーあ、完全に失恋しちゃってるんですよねえ……。でも、口に出したらスッキリしたかもしれないです」
あやめちゃんを見やると、何とも言えない神妙な面持ちをしている。
そりゃそうか。いきなりこんなこと聞かされても困るだけだろう。
「名無し様、あの」
「私が美柳ちなみちゃんについて言えるのはここまでですかね」
きっとまた慰めてくれようとしてくれたであろうあやめちゃんの言葉を遮る。
これ以上彼女の優しさに漬け込んではいけない。
「そう、ですか……」
「お話聞いてくれてありがとうございます。お寺の人って朝早いんでしょう?あやめちゃんも早く休んでください」
「……ええ、そうしますわ。お気遣いありがとうございます」
「おやすみなさい」
「……おやすみなさいませ」
最後に明日の朝食の時間を教えてくれてから、あやめちゃんは部屋を出て行った。
さて、明日朝食をいただいたら帰ろう。
寂しいけれど、ちなみちゃんへの気持ちとはこれでお別れだ。
朝6時。休みの日に起きるには大分早いが7時からだという朝食に遅れていくのは忍びない。
顔を洗って、身支度を整えて、大きな勾玉のある部屋へと向かう。
既に朝食の準備はできており、あやめちゃんやビキニさんもちょうど座られるところだった。
いただきます、と3人で挨拶をして朝食をいただく。
今朝は麦飯におひたし、お味噌汁、玉子焼、鮭の塩焼きだった。
これはまたバランスのいい食事だ。
自分じゃ準備できないなと思いながら味わう。
「あの、私朝ご飯いただいたら帰ります」
「あら、もう帰っちゃうの?もっとゆっくりしてていいのよ?」
「ありがとうございます。でも十分お世話になりました」
「そう……仕方ないわ。また来なさいよ!なんならうちで尼僧になる?」
そう言ってビキニさんはわっはっは、と豪快に笑う。
「ふふ、もう毘忌尼様ったら」
あやめちゃんもそう言ってにこやかな笑みを浮かべた。
朝食を終えた後荷物をまとめる。
勢いで訪れてしまって2人には迷惑をかけてしまった反面、自分の気持ちに整理をつけることができた。
「じゃあ、お世話になりました」
「また来なさいな!」
「お気をつけてお帰りくださいませね」
葉桜院の門まで見送ってくれたあやめちゃんとビキニさんにお礼を言い、背を向ける。
2人の好意はとても嬉しいが、私が葉桜院を訪れることはもう無いだろう。
背後であやめちゃんの唇がまだもの言いたげに開きかけたのを知ることはなかった。
ちなみちゃんへの想いも断ち切り、もう二度とあやめちゃんにも会うまいと思っていたのに、あっけなく再会のときは訪れた。
訪問してから1ヶ月も経たないうちに、またもやかつての同級生からある噂を聞いたのだ。
『この間の雑誌に載っていた美柳ちなみがまた逮捕されたらしい。美柳ちなみっていうか、本名は葉桜院あやめって言うらしいけど』
メッセージを読んだ私は慌ててスマホで検索をする。
情報社会である今、ある程度のことならヒットしてしまうのが幸運か不運か、すぐにある殺人事件の記事が出てきた。
綾里家の本家家元(詳しくはわからないけどとても偉い人らしい)が殺され、その犯人はなんと検事、共犯者は事件現場となったお寺の尼僧、つまりあやめちゃんだというのだ。
一体どういうことだろう。
あのあやめちゃんが殺人の共犯者になんてなるわけない。
きっと、今度こそ間違いだ。
拘置所での面会は、所定の手続きをすれば可能である。
面会したい相手との関係性を書く欄にはどう書こうか迷ったが、無難に友人と書くことにした。
面会の手続きをしてもらっている間、頭の中ではいろんなことがぐちゃぐちゃに混ざっていた。
相も変わらず勢いで面会に来てしまったが、一体何を話そうというのか。
既に裁判も終わっている。
判決も確定した。
私が間違いだと訴えることの無意味さはわかっている。
本人も罪を認めているらしい。
私は何のために来たのか。
友人ですらない、たった一度会っただけの相手だ。
あやめちゃんに面会を断られたらそれまで。
会ってくれたとしても私のエゴに付き合わせるだけ。
そして、同級生からのメッセージには、美柳ちなみの本名が葉桜院あやめだと書かれていた。
やっぱり、ちなみちゃんとあやめちゃんは同一人物だったのか?
でも、それなら、過去の殺人事件もあやめちゃんが?
いや、葉桜院にいたのだからそれはないはず。
思考はまとまらないまま、溢れ出す。
……今度こそ、ちゃんと話を聞こう。
そう決意したところで面会の許可を知らされた。
アクリルガラス越しのあやめちゃんは、意外にもどこかスッキリとした表情をしていた。
私を見ると少し眉を下げ、薄く笑みを浮かべる。
「名無し様……」
「……あやめちゃん」
「会いに来てくださったのですね」
「……ごめんなさい」
「どうしてお謝りになるのですか?」
「私、1回会っただけなのに、勝手に……。でも、あやめちゃんが逮捕されたって聞いて、いてもたってもいられなくて……!」
私が思わず身を乗り出すと、あやめちゃんは首を横に振る。
「いいえ、私、名無し様が来てくださってとても嬉しいですわ」
ああ、どうしてもあやめちゃんが罪を犯しただなんて信じられない。
それでも、聞かなければならない。
「…………あやめちゃん、本当に殺人の共犯を……?」
「……ええ」
「……そう、なんですね」
力が抜けた私は椅子に座る。
涙が滲むのを隠すために下を見た。
膝の上で握った手が少し震えている。
「……何で、何でそんなこと」
「…………守るため、でしたの」
「守るため?」
「お姉さまを、守るため、です」
「お姉さま……?」
「……名無し様にもお話しなければなりませんね。まずは、謝らなければなりません」
「ちょ、ちょっと待ってください、何のこと」
「私が、勇盟大学に通っていた美柳ちなみですわ」
「……!」
「本名はあやめです。美柳ちなみは、私の双子のお姉さまのお名前ですの。とある事情がありまして……私がお姉さまの代わりを務めました」
「それじゃあ、私が一緒に授業を受けたりしたのは……」
「……私です」
あやめちゃんは顎に手を添えて気まずそうに斜め下を見る。
やはり私の知っているちなみちゃんはあやめちゃんだったのだ。
しかしそこで1つの疑問点が浮かぶ。
「でも、あの時逮捕されたのは……?」
「……罪を犯しになり、逮捕されたのは、お姉さまですわ」
「そうだったんですか……すみません」
「いえ」
なんだか複雑な事情があるみたいだが、今は私の知っているちなみちゃんが、あやめちゃんだったという事実の方が大事だ。
「騙してしまって、申し訳ありません」
いいえ、そう言いかけたところでハッと我に返る。
私は美柳ちなみが好きだったと告白してしまった。
あやめちゃんが私の知るちなみちゃんだということは、私が好きだったのは……。
急に固まった私を、あやめちゃんが首を傾げて不思議そうに見ている。
かつての想い人が目の前にいて、しかも告白してしまったことが急激に恥ずかしく、気まずい。
「あの、名無し様……?」
「い、いえあの!違うんです!すみません……あの、私」
「……ああ」
何かに気づいたようにあやめちゃんが微笑む。
そして私に尋ねた。
「どうして私が名無し様に真実をお話しようとしたか、おわかりになりますか?」
「えっ……ええと」
確かに、葉桜院に行ったときにはあやめちゃんは本当のことを言わなかった。
今回だって言わなくてもよかったし、なんなら面会を断ってもいい。
……実際、大学生のときにちなみちゃんが逮捕されたときも、面会に来たのだが断られた。
そのときのちなみちゃんはホンモノの、お姉さまとやらの方だったのだろうけど。
「名無し様も真実をお話してくださったからですわ」
「私が……?」
「ええ、私のことをお好きだったと」
ううう、あんなこと、言うんじゃなかった。
一気に後悔の波が押し寄せる。
「あっ、あの、ごめんなさい、別人だと思ったから、私」
「私がウソをついたのですから、仕方ありませんわ」
「…………」
「そして、探しに来てくださったのですよね。あんな山奥のお寺まで」
「ま、まあ、そう、なります……」
「本当に、嬉しかったのです。大学ではあまり女の人とお話できませんでしたから。私にとって、貴女が唯一のお友達でしたわ」
そう言われて思い出す。
大学でのあやめちゃんは高嶺の花で、遠慮して、あるいは嫉妬して、遠巻きにする人が多かった。
私としては、あの彼氏以外にライバルがいなくて好都合だったのだが。
「……そう言えば、大学生のときに付き合ってた彼氏は……」
「……もう、お姉さまが逮捕された時点でお別れいたしましたわ」
「…………」
私は酷い人間だ。
あやめちゃんがかつての彼氏とはもう別れている事実に、喜んでしまっている。
「それに、……元々ある事情でお付き合いしていただけですの。私、尼僧になった時点で男の方と結ばれるつもりはありませんわ」
「そ、そっか、……そうですよね」
喜んだのも束の間、尼僧となったあやめちゃんが恋愛をする気はないらしい。
そもそも、私が女である時点で対象外だろうけど。
しばしの沈黙が続く。
私は何を言っていいのかわからず、アクリルガラスの向こうの看守を見る。
看守は私たちの会話を聞いているのかいないのか、身動きしない。
目の端に映るあやめちゃんは軽く目を伏せていて、何を想っているのかはわからない。
「……そろそろ面会時間が終わりますわ」
目を伏せたままあやめちゃんが発した言葉で、視線を彼女に戻す。
伏せられた目にかかる睫毛がとても綺麗だ。
最後になるかもしれない、何か、何か言わなくてはと思って口をついて出た言葉はまたもや身勝手な言葉だった。
「待っててもいいですか」
「えっ?」
「私、あやめちゃんのこと待ってます。ずっと」
「名無しさ……」
先ほど後悔したばかりだというのに、再び後悔しそうな言葉は止まらない。
「前は、名無しちゃんって呼んでくれてたよね?」
そう、私は彼女に敬語だって使っていなかった。
「名無し、ちゃん……」
看守がこちらに近づき、面会時間の終わりを告げる。
立ち上がって看守に連れられるあやめちゃんに、なおも話しかける。
「また会いにくるから!私、私今でも貴女が……!」
最後にあやめちゃんがこちらに振り返る。
大きな目が弧を描き、溜まっていた涙がぽろぽろと落ちた。
「私も、……お慕いしておりますわ……!」
今度は彼女の言葉を聞き漏らさなかった。
「それで、結局元カレとは一度も会ってないの?」
私とあやめちゃんは夕暮れで赤く染まるカフェの一角に向かい合って座っていた。
あやめちゃんはいつもの和服姿ではなく、ブラウスにスカートという洋装だ。つばの広い上品な帽子も携えている。
他に客は見当たらない。
ストローを弄びながら会話を交わす。
もう私たちの間にアクリル板はない。
「言ったでしょう、好きで付き合った相手ではないと」
「ふうん、カレの方はあやめちゃんにお熱だった気がするんだけど」
「……そのときはそうだったとしても、再会したとき、あの方はもう私への気持ちは持っていなかったわ」
「その証拠が、弁護して以来一度も面会にも来なかったし、刑期が終わってからの連絡もなかった、ってわけね」
「私の罪状を決定する裁判には関わってないから、そもそも刑期も知らないのでしょう」
「へえ」
それにしても、あの情けない元カレが弁護士になって、あやめちゃんの弁護をしただなんてなんとも信じがたい。
そう考えていると、あやめちゃんに引き戻される。
「……名無しちゃん、もう過去の話はやめましょう?」
「ごめんごめん、ちょっとね。……私の方があやめちゃんのこと想ってたんだなって再確認したの」
「まあ!……ふふ、そうね。名無しちゃんは私を見つけてくれて、こんなに長い間待ってくれて。……でも、良かったのかしら」
「何が?」
「名無しちゃんはこんな私を待たなくても、他にいい人を見つけることだってできたのよ?」
「あやめちゃん以外にいい人なんていないよ」
「……そう、だといいわね」
「あやめちゃんこそ、他にいい人いないの?」
「私は尼僧よ?恋愛なんてする気はないの」
貴女以外とはね、とあやめちゃんは目を細める。
「私とは恋愛できるの?」
「女性同士の恋愛はこの国では認められていないのだから、存在しないようなものよ」
「存在しないから存在できる恋愛……なんだかムジュンしてるね」
「ふふ、本当に」
「…………」
「……そろそろ葉桜院に戻らなくちゃいけないわ」
「そっか。……また街に来るときは声かけてね」
「名無しちゃんこそ、葉桜院においでなさいな」
「うん、行く」
席を立ち上がり会計を済ませて店外へ出る。お互い心なしか駅へと向かう歩みがゆっくりだと思うのは、私の気のせいだろうか。
たわいもない話をしながら歩く道のりも、10分程度で終わってしまう。
改札口の前であやめちゃんは振り返る。
帽子に両手を添える姿がとても綺麗で、相変わらずお人形みたいだと思った。
「また会いましょう」
「うん、またね」
「そうだ、最後にひとつ」
「“ちなみ様”と私、どちらがお好みですの?」
唐突な質問に呆気にとられていると、「次会うときに答えてちょうだいな」と言ってあやめちゃんは改札を抜け、やがて姿は見えなくなった。
(存在しないから存在できる恋愛、か)
1人胸中で思うと、改めてあやふやな関係だと思った。
電車の発車音を聞いて駅へと背を向ける。
私の独りよがりだったはずの恋心はあやめちゃんに認められ、いつのまにかあやめちゃんも私に愛情を抱いてくれている。
明確にお付き合いしようと言ったことはないけれど、口に出しても出さなくてもこの関係は変わらないはずだ。
一緒に食事して、買い物して、世間の男女のカップルがやっていることと何も違わないのだから。
ただ、私たちに結婚という道はないというだけ。
一緒にどこかで暮らすような未来も今は見えない。
それでも、かつて“ちなみちゃん”に恋焦がれていた頃よりはるかに幸せだ。
そして最後に問われたこと。
どっちが好みかなんて聞かれたけれど、かつて恋い焦がれた“ちなみちゃん”でも、今逢瀬を重ねているあやめちゃんでも、構わない。
(いずれ菖蒲か杜若、ってとこかしら)
太陽が西に傾きはじめて空の色が変わっていくなか、彼女の名にちなんだセリフを胸中で呟いた。
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