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盲信1

東京の空は今日も嘘みたいな晴れだった。春は耕作の神が土を耕すために激しい雨を降らせる、といった類の伝説を聞いたことがあるが、そんな気配を一切感じさせないほどの、快晴である。
職場の窓から射す心地良い光に、弁護士・中本悠太は大きな欠伸をして背伸びをした。春眠、暁を覚えず、とはよく言ったものだ。

「中本くん、少しいいか?」

ひょっこりとなんの前触れもなしに自らの顔を覗き込んだ上司に、悠太は欠伸でだらしなく開いた口と、背伸びで上げていた両腕を急いで仕舞った。
上司の方はというと、「こうも暖かいと、眠くなっちゃうね」などとのほほんと気の抜けた声で話しかけてくるが、悠太は畏まった表情で謝罪を口にした。
上司はそれを軽く手を上げて制すると、後で自分の部屋に来るように悠太に声をかけて去っていった。

「頼みたい仕事がある。確か君は重犯罪志望だったよな?」

悠太は敏腕とまではいかないが、そこそこ優秀な弁護士である。
都内の大手の事務所に勤め、自分用にデスクを持っているということは、同年代の弁護士連中よりは、順調に弁護士として地に足をつけているということではないだろうか。その中でも、可もなく不可もない弁護士生活を送っている。
悪い言い方をすれば平凡ということなのだろうが、それはそれで、悠太自身は満足していた。
これまでに扱った案件は家庭内暴力から離婚調停、非行少年の恐喝や暴行、万引きに関するあれこれなどが多い。
しかし、犯罪に大きい小さいは無いとは言うが、本来悠太の希望する担当はこの世で最も重いとされる犯罪、殺人であった。何度かチームに加わり、上司の補佐として裁判に関わることは何度かある。
しかし、未だに自身が中心になって事に当たったことは無い。
27歳で司法試験に合格し、この世界に入って約5年が経とうとしている。それなりにキャリアも積み、上司からの信頼もそこそこ得たところだ。どうにか次のステップに進みたいと考えていた矢先のこの呼び出しである。「重犯罪志望だったよな?」とはっきり前置きがあっただけ、これは期待大だ。

欠伸なんかしたせいで涎など垂れてないかと口周りを机上に備え付けてあるティッシュでサッと拭くと、悠太は大急ぎで上司の後を追った。

ノックして返事を聞いた後、さっき訊ねてくれた上司のオフィスに入る。
上司は頭を下げながら入ってきた悠太に、上司はずっしりと重そうな茶封筒やファイル、資料庫の鍵を軽々と持ち上げた。それらを受け取ろうと反射的に悠太が出した両腕に、上司は「はい、はい」と機械的にその結構な量の資料をドサドサと乗せていく。
そろそろ両腕が痛くなってきた辺りで、上司は悠太に向き直った。

「殺しだ」
「…!はい」

待っていた、重犯罪の案件が手の中にある。それだけでも、震える。弁護士として力量を試すチャンスだ。
やってみるか、という上司の問いに、悠太は縦に首を振った。それを見るなり上司は満足そうに口元だけで微笑む。

「頼んだよ。この案件は、ほとんどこちらの勝ちで間違いないだろう。恐らく他に犯人が居るというこちらの見方が全面的に採用される。相手は検察のあのキム検事になるが、圧倒的に向こうの証拠不足だ。あいつめ、功を焦るあまりに先走った行動をしたな」

あのキム検事、というのを上司は含みを持った口調で話した。

キム検事こと、キム・ドヨン。その名前には憶えがあった。同じ大学の同じ法学部の後輩で、平凡な学生だった悠太とは違って、ドヨンは在学中からすでにエリートで、少々年の離れた卒業生である悠太の学年でもOB会などで度々話題に上がる恐ろしく有名な学生だった。
それだけでなく、涼しげな相貌の美青年で、他学部にもファンクラブみたいなものがあったらしい。卒業後、司法修習を終え、検察に入ったということも知っている。異例の速さで検察官に取り立てられたというのは、これもまた何年振りかで集まった大学の同窓会で風の噂程度に聞いた。
悠太とは直接接点のないドヨンだったが、悠太はドヨンを一方的に知っていた。そのキム・ドヨンが相手になるというのである。
ドヨンは今もエリートとして検察でその手腕を発揮している。大きな案件を担当しては、裁判で何度も勝利している。まさか重犯罪の裁判という場でまた顔を合わせることになるとは思わなかったが、上司としては今回の裁判は証拠不十分で弁護側の勝利になるだろうとのことだ。

上司からのお墨付きをもらって悠太は幾分か気が楽になった。重犯罪の案件を自分が中心となって扱うのは今回が初めてになるが、空気に慣れるという意味では良いのかもしれない。きっと上司の方でも悠太のためを思って分かりやすく勝てそうな案件を自分の担当から選んで任せてくれたのだろう。
上司が再び悠太に微笑みかけて、頷くのを見て、悠太は頭を下げて礼を言い、資料類で両手がふさがったままの状態であったが、そのまま上司の部屋を後にした。

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