Episode 45
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安室がとんでもない鬼の形相で、人間離れしたドライブテクニックでRX-7を暴走させている事を知らない黒猫凛は、いつぞや来た事のあるジンのセーフティハウスに居た。
視線の先には、キッチンに立っているジンの後ろ姿がある。
黒猫凛の視線に気付いたのか、ジンが振り向いた。
「もう少し待ってろ。」
黒猫凛は首を傾げながら、ジンに言われた通り待っていると、コトリと目の前に皿が置かれた。
黒猫凛がその皿の中身を見れば、先程安室が作ったようなマグロの解し身が入ったスープが入っていた。
チラリとジンの顔を見上げると、目の合った彼が口を開いた。
「さっきのだけじゃ足りねぇだろ。
バーボンみたいに美味いもんじゃねぇかもしれねぇが・・・」
ジンは安室の事をあまり良く思っていない。
それにも関わらず、あの時ちゃんと安室が言った作り方と材料をしっかり聞いていた。
(・・・陣さんって本当にわからない人だな。)
今目の前で、たかが拾ったノラ猫の為に苦手意識している人物からのレシピをしっかりと覚えて作ってくれたジン。
たかが拾ったノラ猫が煙草を苦手としているから煙草を吸わないジン。
凛は動物にも優しい一面を見せるジンに、ますますわからなくなる。
組織一冷酷非道と恐れられているジン。
疑わしきは罰せよを信条としているジン。
動物にすら優しい一面を見せるこの彼が、そんな性格を張り付けなければいけない理由は何故なのか。
己だけを信じ、他人を信じる事をしなくなってしまった理由は何なのか。
そんな彼の人格をつくらなければいけない程の事が、彼の身にあったのは確かだ。
そのジンの事を考えると、凛は眉を下げた。
(・・・そんな生き方はつらい、よね。)
目の前に置かれた皿の中身を一口舐める。
安室の手料理とは違った味を舌の上に感じた。
それでもこのスープの中には、間違いなくジンの優しさが入れられているのがわかる。
猫の舌が火傷しないように冷まされている。
消化不良を起こしているかもしれない猫の為に、マグロの身がとても小さく解されている。
そんな彼なりの優しさが入ったスープは美味しかった。
(・・・どうしたら貴方たちも救えるんだろう。)
黒猫凛は皿の中身をすべて食べ終えると、近くにあったジンの左手に頭を擦り寄せた。
「にゃあ。(ご馳走様でした。)」
黒猫凛の行動にフッと柔らかく微笑んだジンは、彼女の頭を優しく撫でた。
そして空になった皿をシンクの中に置くと、黒猫凛を抱き上げて寝室へと向かった。
ジンは共にベッドの上に上がり、枕の上に黒猫凛を乗せた。
そして残りの半分の枕の方に、ジンは頭を沈ませた。
(・・・うん、さすがにこれはダメだろ。)
近い距離にあるジンの顔に、黒猫凛はベッドの上から降りようとした。
しかし、素早く伸びてきたジンの左手によって捕獲されて逃げる事は叶わなかった。
再びジンの顔近くに連れ戻された黒猫凛は、渋々その場で丸まった。
(早く寝てくれないかなぁ。
そしたら姿くらましで帰れるのに。)
目を閉じて寝たフリをしながら、ジンが眠るのをひたすらに待つ。
すると眉間を優しく撫でられる感覚がして、黒猫凛は瞼を持ち上げた。
視線の先には、黒猫凛をジッと見つめながら、指の背で優しく眉間を撫でているジンが居た。
「・・・凛。」
ジンの口から発せられた名前に、黒猫凛は目を大きくした。
(・・・え、今・・・陣さん、私の名前を呼んだ?
ちょっと待って・・・バレてるの?)
ドッドッドッと心臓の鼓動が早鐘を打つ。
黒猫凛は、ジンの深緑の瞳から目を逸らす事が出来ずにいた。
ジンは撫でていた黒猫凛の眉間から指を離すと、左手で優しく黒猫凛の身体を自身の頬の方へ引き寄せた。
黒猫凛の背中辺りにジンの鼻先が触れる。
「・・・凛、」
もう一度紡がれた自分の名前。
その名前を呼んだ声は掠れていた。
「・・・お前が凛に変わっちまえばいいのに。
そうすれば・・・凛がこうして俺の腕の中に居るのにな。」
背中から顔を離したジンが、黒猫凛の頭にキスを落とした。
再び背中に鼻先を埋めて瞼を閉じたジンに、黒猫凛は驚きを隠せないままで呆然としていた。
次第にスー・・・スー・・・と小さな寝息が聞こえてきて、ジンが眠った事に気付く。
眠った彼を起こさないように、ゆっくりとジンの腕の中から抜け出してベッドを降りた。
人間の姿に戻った凛は、ベッドの中で眠るジンを見た。
彼の寝顔を見るのはもちろん初めてだ。
あまりにも無防備に寝ているジンの姿は、冷酷非道でもなんでもない。
まるで子どものようだ。
凛はそのジンの身体にゆっくりと布団を掛けた。
(・・・陣さんの好きな人って私だったの?
全然知らなかった・・・)
凛は袖口から杖を取り出して、杖先をジンに向けた。
「陣さん・・・こんな私を好きになってくれて、ありがとう。」
小さく呟き、続けて口を開いた。
『オブリビエイト(忘却せよ)』
凛がジンの記憶から自身に関する記憶をすべて抜き終えた時、突然何かに勢いよく身体を引かれる感覚が襲った。
そして凛の姿は、その場から消えた。
「ぅわ!?」
「凛!?
無事か!?」
凛がその声に反応して顔を上げると、近くに酷く焦った表情をした安室が居た。
そして、自分が安室に横抱きにされている事にも気付いた。
「なるほど!
透がネクタイピンを使って、私を呼んでくれたのね!」
「ーーーーっ
良かった!君が無事で本当に良かったっ!」
横抱きにしたままで、ぎゅうぎゅうと抱きしめてくる安室の首裏に腕を回して、凛も彼の頭を抱きしめる。
「君がジンに連れ去られたのを見て・・・
どれだけ俺が心配したと・・・」
「うん、ごめんね。」
「いや、凛は悪くないんだ。」
凛はふと辺りを見回すと、まったく知らない場所に首を傾げた。
「ここどこ?」
「・・・神奈川。」
「え、何故。」
「君がどこに連れ去られたのかがわからなくて・・・
GPSを確認すればそこには荷物だけが置かれていて君の姿がなく・・・」
「・・・GPS?」
「いや、何でもない。
とにかく我武者羅に君を捜していたら、気付けば神奈川まで来ていた。」
「・・・本当にごめんなさい。」
「君のせいじゃないさ。」
安室は横抱きにしていた凛をゆっくりと降ろしながら尋ねた。
「ジンに何もされていないか?」
「うん。
・・・ねぇ、透。」
「ん?」
「陣さんが好きな人って私だった。」
凛が安室の目を見て言うと、彼は驚いた様子もなく眉を下げて頷いた。
「透は知ってたの?」
「あぁ。
ベルモットから聞かされていたからな。」
「そうだったの・・・
だからさっきも協力したくないって言ってくれてたのね。」
「あぁ。」
気まずそうに視線を外した安室の背中に腕を回して抱きついた。
「さっきはごめんね。」
「君は知らなかったんだ・・・
仕方がないさ。」
安室は凛を抱きしめながら続けた。
「ジンはどうしたんだ?」
「記憶、全部抜き取ってきた。」
「全部?」
「うん。
私に関する記憶を全部。
だって彼の記憶の中に私は必要ないでしょう?」
その言葉に、ゾクリ・・・と恐怖が身体を駆け抜けた。
どれだけ想っていようとも、彼女に必要ないと判断されてしまえば、自分の記憶の中からあっさり彼女という存在をすべて消される。
それも自分が知らない内に。
消された事にも気付かず、ただ何事もなかったかのように過ごす。
もし記憶を抜かれたのが自分であったら・・・
(そんな事・・・俺には耐えられない。)
凛を抱きしめていた腕に、ギュッと力が込められた。
その安室の様子に、凛は首を傾げる。
「・・・記憶、消しちゃダメだった?」
その言葉にハッとした安室は、首を左右に振った。
「いや・・・上出来だよ。」
「わぁい、零に褒められた!」
可愛らしく微笑む愛しい凛。
誰にでも優しい凛。
なのに、その彼女がたまに見せる冷酷で容赦のない部分。
(そんな君も含めて・・・)
「・・・愛してるよ。」
「いきなりどうしたの!?」
「んー?言いたくなった。」
「私も零の事愛してるよ!」
「フッ、ありがとう。」
安室は凛に触れるだけのキスを落とした。
ーーーーーー
ジンは眩しい朝日に眉根を寄せた。
気怠げに上半身を起こせば、珍しく自分がベッドで寝ていた事に気付いた。
そしてやけに熟睡出来た事にも。
(・・・この俺がこんなにも寝た?)
ジンはベッドから降りて、寝室のドアを開けた。
するとリビングに置かれたテーブルの上に袋があるのに気付いた。
袋の中身を確認すると、猫缶や煮干し、本枯節などが入っていた。
「・・・何だこれは。」
舌打ちをしたジンは、袋に入った中身ごとゴミ箱に乱雑に投げ捨てた。
風呂場に行き、シャワーを頭から被る。
(・・・昨日、俺は何をしていた?
確か・・・裏切りのネズミを殺して・・・
何かに出逢った・・・)
その瞬間、ズキッとした強い痛みが頭を襲った。
「ーーーーっ!?」
あまりにも強い痛みに、思わず風呂場の壁に両手を着いた。
しばらくすると痛みは引いた。
ジンはシャワーの栓を閉めると、脱衣場で髪をある程度拭いてからドライヤーで丁寧に乾かした。
そしてトレードマークでもあるハイネックにロングトレンチコートを身にまとい、最後にハットを被る。
ポルシェ356Aを走らせていつもの拠点に着くと、ウォッカが顔を明るくして走り寄ってきた。
「兄貴!おはようございやす!」
「あぁ。」
「あれ・・・昨日の黒猫はどうしたんですかィ?」
「あ?」
「黒猫ですぜ!
昨日、兄貴が大事そうに連れて帰っーーーー」
ジンは鋭い目付きでウォッカを睨んだ。
「ウォッカ。」
「へっへい!」
「俺が猫なんざ連れ歩くワケがねぇだろ。」
「す、すいやせん・・・」
首を捻っているウォッカの隣を通り過ぎると、キャンティとコルンがやって来た。
「ジン!今日こそはアタイたちが出るよ!」
「フン、好きにしろ。」
「ジン、黒猫、居ない。」
「そうだ!
昨日の黒猫ちゃんはどこにやったんだぃ!?」
「何ふざけた事言ってやがる。」
ジンはキャンティとコルンをギロリと睨み付け、その場から離れて行く。
廊下を歩いていると、先の角から歩いてきたベルモットと目が合った。
「あぁ、ジン・・・ちょうどいいところに・・・
この前、貴方と行ったポアロの時にやるべきだった任務についてだけれど・・・」
「何の話だ。」
「え?
貴方も凛の手作りスイーツを食べたいと言ってたじゃない。
その時のポアロのーーーー」
「誰だ、その女は。」
ジンの言葉に、ベルモットは目を大きくする。
少しの間ジンの顔を訝しげに見ていたベルモットは、小さく溜息を漏らすと首を左右に振った。
「・・・悪いわね、私の勘違いだったみたい。
あれは貴方じゃなく違う人だったわ。」
「そうかよ。」
「そういえば貴方、昨日の黒猫はどうしたの?」
何故どいつもこいつも"黒猫"の話をするのか。
ジンは苛つき、盛大な舌打ちをした。
「テメェもか・・・」
「なんの話?」
「どいつもこいつも黒猫黒猫・・・
うるせぇんだよ。」
ジンは苛立ちを露わにしながらベルモットの隣を通り過ぎた。
あまりにも募る苛立ちに、誰に向けた訳でもない舌打ちを落とす。
ポケットに手を突っ込んで煙草の箱を取り出した時、携帯吸殻入れが落ちた。
床に落ちた携帯吸殻入れをしばらく見つめていたジンは、それを拾い上げた。
「・・・なんだ、この安モンは。」
よくよく見れば、この安物の携帯吸殻入れは丁寧に手入れされている事がわかる。
「ーーーーチッ、誰のイタズラか知らねぇが・・・
こんな手の込んだ事しやがって・・・」
ジンは煙草を1本取り出して口に咥えた。
マッチを取り出して擦ろうとしたその時、何故か手が勝手に止まった。
"私、煙草・・・苦手なのに・・・"
聞いた事のない声。
知らない声。
苦手だから何だ。
そんな事自分には関係のない事だ。
なのに、何故か手が動かない。
ふと、先程のベルモットの口から出た名前を思い出した。
咥えていた煙草を箱に戻し入れ、その名前を呟く。
「・・・"凛"?」
その瞬間、ズキィッと酷く強い頭痛がジンに襲いかかった。
廊下の壁に左半身を預け、あまりにも酷い頭痛に歯を食いしばって思わず髪をくしゃりと握りしめる。
パサリと音を立てて黒いハットが床の上に落ちた。
襲い掛かる痛みに耐えながら、左手に持たれていた煙草の箱をぐしゃりと握りしめた。
「ーーーークソッ、なんだってんだ。」
ジンは何度目かわからない舌打ちを落としながら、握りしめた煙草の箱を近くにあったゴミ箱に向かって乱雑に投げ捨てた。
