confession
「なあリっちゃん。ウチのお隣さんだけどよー。」
昼飯を集 りにきたハーレムはのんびりと食後のお茶を飲みながら後片付けするリキッドに声を掛けた。
チミッ子達は食べ終えるなり遊びに飛び出て行ったのでパプワハウスにはリキッドが食器を洗う音だけがのんびり流れている。
「はい?心戦組っすか?」
リキッドは振り向かず手元のお釜にこびりついた米の糊を洗い落としながら答えた。
「彼奴等コタロー狙ってんのか?こないだ挨拶に来た年長の野郎が時々打倒マジックとか叫んでは早くコタローを手に入れなきゃとかブツブツ言ってんだけどよォ。」
新しく島に加わった一行は獅子舞ハウスのすぐ近くに仮住まいをし始めていた。
ハーレム達が元ガンマ団所属の特戦部隊の人間と知ってはいるが、あくまでも『元』が付く上に互いに島から出られないという状況では争う意味もないのでご近所様としては至って良好な関係らしい。
「あ、ええまあ。そうみたいッスね。」
「消した方がいいか?」
まるで黒板の文字を消そうかとでも言うような軽い調子でハーレムはのたまった。
「ぶっ、物騒なこと言わないで下さいよ!大丈夫ッス、あの人達の誰もコタローの顔を知らないみたいでなんとか誤魔化しましたから。」
慌てて振り向くとハーレムはゴロンと肘杖つきながら体を横たえて寛ぎモードである。
「なんだそりゃ、ターゲットの顔も調べてねぇとは殺し屋集団にしちゃ随分間抜けな奴等だな。なら先手必勝でバレる前に始末しとくか?」
しかし至って平和なポーズをしつつも口から出て来るのは過激なものだ。
「いやいや…下手な騒動起こして、ショックでロタローが記憶取り戻しても困りますから平和にしてて下さいよ。」
すぐに暴力に訴えるオッサンめと冷や汗をかきながら宥める。
寝そべっていてもやはり特戦部隊の長だけあって闘争本能が眠ることはなさそうだった。
「ふーん。まあ島から出られねぇなら彼奴も手ぇ出したところでどうにもならねえか…。」
尚もブツブツと眉を寄せて呟く姿にリキッドはふと思い当たった。
「隊長…。」
「あん?」
「ヘヘッ…やっぱり甥っ子さんが可愛いんですね。ロタローが心配なんでしょ?」
「…。」
ニヤニヤとリキッドが問うた言葉に片眉を軽く上げたハーレムだったが否定はしなかった。
「まあ…育ちきってトウの立った甥っ子共よりゃ可愛いかもな。」
「またそんなこと言って、隊長結構家族思いのくせに。」
特戦を離れるきっかけになったあの騒動で、ジャンに体を奪われていたリキッドは望んだわけではなかったが初めてハーレムという男を客観的に眺めることになった。
当時は自分の問題に精一杯で、傍観者として見たことの意味を考える余裕もなかったが、その後の4年間話す相手ときたらチミっ子やナマモノしかいないこの島ではふと思い出した時などに一人物思いをすることも自然増えていたから、ハーレムの一見乱暴な態度の奥に潜むものを無視するわけにはいかなかった。
ましてやこの島に閉じ込められてからハーレムが獅子舞ハウスの外でする事は自分へのセクハラかロタローへのちょっかいと相場は決まっている。
自分へのそれを無視すれば、甥っ子を可愛がる普通の叔父さんの姿がそこにあった。
「そう見えるのか?」
ハーレムがごろんと寝がえりを打って不思議そうに訊いてくる。
「…見えるっスよ、いい叔父さんしてる隊長が。」
「生意気言いやがって。」
苦笑する横に全ての食器類を洗い上げたリキッドは自分の分のお茶を淹れて座り一息つく。
「いいじゃないスか、俺は家族愛は大事だと思うッス!昔のあの騒動も、そもそもロタ…コタローが閉じ込められずにいたら随分違った事になってたと思いますけど。」
「ふん、マジック兄貴が息子を二人ながら揃って溺愛してりゃまた別の騒動になってたと思うぜ。」
獅子舞が唇を尖らせて言う内容にリキッドもジャンの意識の後ろから見た総帥親子の模様を思い出した。
「秘石関係なくガンマ団のお家騒動になりそうッスね、後継ぎめぐって。」
「後継ぎは普通叔父甥の争いになるもんだがな。」
「え…隊長まで参戦?」
「予算自由に出来るならガンマ団手に入れンのも悪くねぇと思ったことはあるぜ。」
「隊長らしい理由ッスね。あ、お茶もう一杯淹れます?」
空の湯のみを見てリキッドが腰を浮かすとハーレムが軽く頷いたので湯を取りに立ち上がった。
その後ろ姿を見つめながらハーレムが当時の事を振り返る。
「しかしややこしい騒動だったよなありゃ。シンタローの体がキンタローで、しかしキンタローはルーザー兄貴のガキで、あの甘ちゃんグンマがマジック兄貴の息子で、シンタローはジャンの影と見せかけて実はアスだとか…、まあよくぞあそこで消えずに踏ん張ったっつーか。けどやっぱりややこしいわ…目の前で見てなきゃアウトだな。」
「シンタローさんの精神力はすごいですよ。俺なんて自分の体だってのにジャンさんに勝てなくて…。」
急須へ湯を注ぐ手元が微かに震えたのは当時の悔しさが現れたものか。
「アイツには支えがあったろ。…あん時のお前は独りだと思ってたんじゃねぇのか。そんな隙だらけであの腹黒野郎の極太精神に勝てるかよ。」
「え…た、隊長!?いつの間にっ…んッ」
ふと気配を感じて振り向くとすぐそこにハーレムの顔があって振り向くなり口付けられた。
がっちり腰と頭を抱かれてしっかり舌を絡めるほど貪られてしまう。
「んんッ…ん…、んあっ、ダメッスよ、ここじゃっ…!!」
唇が外れると場所柄これ以上はと必死で腕を突っ張った。
「あの時目を離してなけりゃなあ…。」
ハーレムはリキッドの焦りも関知しないといった風で腰は抱いたまま、リキッドの頬をスルリと撫でた。
「隊長…。」
過去を悔いる事などなさそうな男の悔しそうな声にリキッドはドキリとしてもがくのを止めた。
あの時戻るなり激しく抱かれた記憶が蘇る。
抱かれる時にはそれがお仕置きかと思って情けなさに泣いたが、自分を一言も責めることなくただ存在を確かめようとするかのように激しく抱くハーレムに、この男の思いを初めて垣間見たのだ。
形はどうあれ必要とされていたと。
気付いてみれば、それまでにもこの男の気持ちが示されていたことは沢山あった。
イジメ付きだったりして一見分かりにくいということと、当時の自分の後ろ向きな姿勢の為に見逃していたが。
「すんません…。」
口の悪いのも表現がひねくれているのも分かってしまえばなんということもないのに、ひたすら周囲を憎んだ自分の未熟さが恥ずかしかった。
「お前に独りぼっちだと思わせてたならそりゃ上司の俺の責任だろうよ。」
この男の言葉とも思えない殊勝な言葉にリキッドは胸がキュンと締め付けられたが、続く言葉に顎が落ちそうになった。
「お前がそんなこと考えられないくらいしっかり可愛がってりゃ良かったんだろうなァ。ついつい泣き顔見たくってイジメちまったからよ。」
「な、泣き顔?なんでそんなもん…。」
「言ったろ、お前の泣き顔はそそるってよぉ。」
「…。」
あの度を超したイジメの数々はまさか自分を泣かせたいが為に行われていたのかと思うとリキッドはクラクラと目眩に似た怒りを感じた。
「何スかそれ、俺オモチャじゃねえよ、ふざけんな!!」
ハーレムは激昂するリキッドの肩を軽く押さえこむ。
「何今頃いきり立ってんだ?しかもオモチャって自分で言うか。」
「あんたが言わせてんだろ!!あの頃俺がどんだけ辛かったと…!!」
言いかけて激情に喉が詰まり、じわりと涙が滲んだ。
「…お前が本当に辛かったのはイジメでもイタズラでもねえだろが。」
その言葉にピクンと強張った体をハーレムは抱き寄せて髪に鼻先を埋めた。
「お前は自分の身に降りかかる災難は耐え忍べるが、自分の手で他人を苦しませるのは耐えられねぇ…よく言えば良心的な優しい奴で、悪く言えば典型的なマゾっ子だ。」
「……本当に嫌な言い方ッス。」
胸元に顔を伏せたままリキッドが不平を上げる。
「違うって言えんのか?作戦の度にふさぎ込んでたろうが。」
「!!」
「どうよ?」
「た、確かに俺は殺戮が楽しめなかったッスけど…」
わずかに逡巡してリキッドは唇を開いた。
「本当は分かってたんです、自分には特戦で戦い続けるのは無理だって。本当に向き合わなきゃならないのは隊長にびびってる自分に対してだって。
もう人殺しは絶対やりたくねぇって…特戦抜けを許すか殺すか、好きにしやがれっ…て、命張る覚悟で、マジに言わなくちゃ、ならなかったんだ…でも…、」
始めは堰を切ったように話し出した声が次第に掠れ勝ちになる。
「リキッド。」
ガクガクと震えの増した体をハーレムはより強く抱きしめる。
「その肝心なとこで俺は…ひ、卑怯でした。隊長が怖い、かなわないってのを言い訳にして…向き合わなきゃならないもんから逃げてたんだ。破壊が心底嫌なら、隊長の言いなりになるんじゃなくて、腹くくって隊長やガンマ団に本気で逆らってでも辞めるべきだったんだ。それなのに俺はそれも出来ずに逃げ出しちまって…ッ!」
「もうそんくらいにしとけ。」
ポタポタと涙が零れ落ちて自分のシャツに染みてくるのをハーレムはなすがままにさせていたが、尚も言い募ろうとするリキッドの唇に指をあてて遮った。
「…お前を卑怯だとは言わねえよ。俺も…あのマジック兄貴ですらも、目を逸らしちゃならねえモンを見て見ぬ振りし続けたことがないとは言えねーんだ。知ってるだろ?」
かつてこの島で起きた嵐の兄弟とその子供達を巻き込んだ騒動。問題が複雑になっていたほとんどの原因は兄弟達が互いに向き合うことを避けていたからだ。それは決定的な破綻を避けるためでもあったが…。
「…。」
「お前にずっと殺戮させ続けんのは無理だと分かってて、それでも側に置いときたくて縛り付けてたのは…俺のワガママだ。…悪かった。」
「た、隊長…。」
明確な謝罪の言葉に目を見張る。
「お前がジャンに乗っ取られちまう前はな…お前の行き着く先は何も考えない殺戮マシーンになっちまうか狂っちまうかのどっちかしかねえんじゃねぇかと思ったことがある。」
「…。」
「お前は言い出す度胸はどうにもこうにも出てこなかったみたいだが、抜ける気だってことくらいはすぐ分かったさ。」
「ど、どうして…。」
いつもなら脱走を阻んだ男がその時に限ってそこにいなかったのは気付いていたからこそなのか。
「…そうだな、お前が殺戮の後でもないのに抱かれんのを嫌がらなかったからだろうな。」
「えッ?」
「お前、自分じゃ相変わらず分かってねぇみたいだが、セックスん時の態度があっからさま~に違ってたんだぜ。
お前が柄にもなくベッドで積極的になんのは大抵後ろめたい事があった時だ。それ以外だと俺は力に物言わせる羽目になってたろ。
ま、浮気なんざしたら一発でバレるタイプだわな。」
嫌なバロメーターだが、しかし。
「否定出来ないかもシレマセン…。」
「あの島でお前は誰も殺さなかった。ジャンにつけ込まれたミスも一編抱かれりゃお仕置きとしちゃ充分だろうにその後も逆らわずに抱かれっぱなしとなりゃ、他でもないこの俺様に何かしら後ろめたい気持ちがあるなと直ぐ分かるだろ。」
「隊長って案外考えてんですね…。」
「アホか、直感だけで分かるぜこんなんは。言葉にするとクドいけどな。」
つまらなそうにハーレムはそう言ってリキッドの顎を捉えて上向かせた。
明るい空色の目が深い海色の目と合わさる。
「お前がお前でなくなっちまうくらいなら…手放そうと思ったんだ。
まさか番人になる心積もりとは知らなくて俺としたことがバカを見ちまったがな。」
「隊長…。」
「俺はお前がどうしようもないお人好しのおバカちゃんでいてくれる方が殺戮マシーンになっちまうよかいいと思ったのさ。泣く子も黙る特戦部隊の隊長ともあろうこの俺様がまあ随分と甘くなっちまったもんだ…。」
苦笑いしながら言う言葉が甘く聞こえるのはどうしてだろうと、リキッドは思った。
少し腫れたまぶたに軽く口付けられる優しい仕草に胸が切なく疼く。
四年前に背を向けてしまった男に今こうして向き合ってみればその懐は深く暖かだった。
それを自分は知っていた筈なのに、この傲慢な男の唇から謝罪の言葉まで引き出してしまった。
全ては卑怯で臆病だった自分のせいだというのに――。
「すみません…。」
「何謝ってんだ?」
つい先ほどまで怒っていたのが一転して謝り出したからハーレムはきょとんとしていた。
「悪かったのは逃げ出した俺なのに、隊長にあんなことまで言わせちまって。」
「あんなこと?…ああ、悪かったって奴か?別に、どっちだけが悪かったわけでもねえだろうが…そうだな、悪いと思うんなら償ってもらうとすっか。」
合点がいったらしいハーレムはニヤリと片頬を歪めて笑った。
「え?」
「本当に悪いことしたと心底思ってんなら誠意を分かるように見せてもらわなきゃなァ。」
「あ、あの…。」
ハーレムの口調には先ほどまでのどこか沈んだ様子はもう微塵もなく、楽しいイタズラをウキウキ考える子供の調子だ。
自分はけじめを付けないままで気が咎めていたが、ハーレムにしてみればとっくに過去のこととして乗り越えてしまっていたのだろうか。
ならば謝ったのは早まったと言うか余計なことだったかも知れないと、トキメキから一転ドキドキ不安に心臓を跳ねさせながらリキッドは冷や汗をかいた。
元気な隊長に下手に弱みを見せたらどんな無理難題を押し付けられることになるか、こればっかりは過去も今もあまり変わりがないのだ。
「とりあえずリっちゃんの手作りメシを保証することは当たり前として…そうさな、リっちゃんとしっぽり楽しむ時間を週三回以上絶対確保。」
「え。」
最低一日置きにはヤらせろと言うことか!?
「なんなら毎日でもいいぜ?」
ニヤニヤと笑う顔は冗談か本気かイマイチ分からない。
顔や態度に出てしまう自分と違ってハーレムは明け透けなようでいて本心は容易にさらけ出さないところがある。
その駆け引きの上手さはさすが青の一族と思わされるが、とりあえず今は踏ん張らねば、口から産まれたようなこの男に無理要求を飲まされかねないとリキッドは必死に食い下がった。
「いっ、いやさすがに毎日は無理ですよ、チミッ子の世話出来なくなるし!」
「んじゃ最低週三でいいな。」
「う…そのかわり回数押さえて下さい。翌日立てないとやっぱり困るし…ね、隊長、この通りッスから!」
「なんだ毎回ヤらせてくれんの?リっちゃん寛大になったなあ~。」
「はっ?」
「しっぽり二人で大人の会話でもと思ってたが、お許しも出たなら毎回キッチリ腰抜かさないギリギリまで可愛がってやるぜ。」
「…え。」
ウインクする男にリキッドはまた墓穴を掘らされたことを知った。
「で、でも毎回本番なんて飽きません?飽きますよね?」
なんとか軌道修正を試みるリキッドだが、ハーレムはそんなのはお見通しと言いたげにニマニマと憎らしい笑顔ではねのける。
「思い出すだけでもおっ勃ちそうな具合のいい尻なんだから飽きねーよ。」
そう言いながら片側をムギュッと鷲掴む。
「うぎゃ!ちょ、放して!!ま…毎度毎度、ワザと卑猥に言わんで下さい!うっかりチミッ子の耳にでも入ったらどうすんですか!」
真っ赤になって飛び退くリキッドの様子にハーレムはおかしそうに肩を揺らすだけだ。
「ワザとと分かるくらいには大人になったんだなあリっちゃんも。」
「気付かずにはいられないくらい毎回からかわれてますから!!隊長が俺をからかうのが好きってことくらいは嫌ってほど分かりますよ!!」
「拗ねるなよ、リっちゃん。」
腕を伸ばして引き寄せ、そっぽを向いたままの顎を捉えて振り向かせる。
じいっと目を覗き込むと視線がウロウロと逃げ惑い、みるみるうちに頬が赤らんでくる。睨めっこに弱いのは分かっていた。
「…ん、ズリィ…ッス、俺ばっかり…!」
自然と引き合うように唇が重なる度にリキッドの力が抜ける。
「何言ってんだ、俺を煽ってんのはお前だぜ…。」
惚れた弱みの責任をお互いに押し付けながら一層深く貪る。
「ぁむ…ン、ンァ、だ、ダメ、ここじゃ…!」
真っ昼間のパプワハウスではいくらなんでも理性を飛ばせないリキッドがもがく。
「仕方ねぇなあ…なら早速今夜から来いよ…いいな?」
「…。」
リキッドは青い瞳に魅入られたように上気した顔を頷かせた。
「よし。んじゃリっちゃんお茶おかわり。」
「…ハイ。」
リキッドはまだ半分魅入られたままのようにどことなくふらふらと急須に手を伸ばしたが、ずっと茶葉が漬かりっぱなしだった上にその湯も随分冷めてしまっていた。
そもそもおかわりを淹れに立ったはずだったのだが。
「あ…冷めちまってるんでもう一回沸かしますね。」
「別にそのままでいいぜ。どうせ南国だ、熱いよりむしろ飲みやすいだろ。」
「でもこれ蒸らし過ぎて濃過ぎるし…。」
「んじゃ白湯足せば?」
「そんな大ざっぱなんでいいんスか?」
「構わねーよ、不味けりゃ口直しにこうすっから。」
「んぐ…!や、やっぱり淹れ直します!!」
素早く口直しを実演されてリキッドはわたわたとヤカンを取り上げた。
「ところでお隣さんは本当に放置で大丈夫なんだな?」
話が元に戻るなんて珍しいが、それだけ甥っ子を気にしているのだろう。
めったに見られないこの男の可愛げに、なんとなくホンワリとした気持ちになりながらリキッドは答えた。
「大丈夫ですよ。どの道島から逃げられないのは分かってるはずですし、俺だって目ェ光らせてますから。」
「リっちゃんを信用しないわけじゃねぇが、お前は人が好いからな~。俺みたいなのに引っかかって散々苦労したわりに学習してないっつーか…。」
「そ、そんなに言われるほど自分がお人好しだとは思いませんけど…というか苦労させてたことは一応自覚あったんっスね…。」
ちょっぴり恨みがましく上目使いで睨んでみる。
「まあなあ、思い出せる顔が泣きべそかいてる顔ばかりだしよ。あんだけいたぶられても今更『すみません』なんてポロッと言っちまうお前がお人好しでなきゃなんなんだよ、ただのMっ子か?」
「うぐ…。」
言われてみればその通りだった。
自分のいたらなさに目を向ける姿勢は己を甘やかさないという目的には沿うが、確固たる自信を持つには地道な努力を必要とするので自分を未熟と感じる内は他者への遠慮や譲歩になってしまいがちだ。
何事につけても根拠は己の腕力のみのハーレムが始終自信満々で、他人を振り回そうと迷惑がられようと何ら痛痒を感じないのとは対照的だ。
「ま、そこが可愛いんだけどな。」
ワシャワシャと頭を撫でながらニカッと笑われると少々後ろ向きだったリキッドも釣られて笑ってしまう。
普段畏怖を掻き立てるばかりのこの男の、裏のない笑顔は貴重なだけに堪らなく魅力的だった。
「自覚あるンならもうあんまり苛めないで下さいよ…。」
その笑顔にちょっと期待して甘えも混ぜてみたのだが。
「保証は出来ねーな、俺は俺のしたいことをするだけだからよ。それがお前にとってイジメかどうかなんて分かんねーだろ。」
どう考えても意識的にイジメてたこともあったはずだぜ獅子舞ィィィ!!
――そう叫びかけるのをぐっと堪えて。
「…じゃあカツアゲ止めてくれたら嬉しいデス。」
ホイミさえいなければと思っていたが、酒や煙草等の嗜好品のために絞り上げられるので相変わらずカツアゲ貧乏なリキッドである。
「カツアゲじゃねぇよ。単にお前のモンは俺のモンなだけだ。」
「…一発殴らせて下さい。」
あんまりな回答にプルプルと震えるリキッドだった。
「出来るんならやってみろよ、俺は構わないぜ。十倍できっちり返してやるけどな。」
「じゅっ…十倍…!?」
ハンパない倍返しにリキッドの固く握られていた拳が瞬時に緩む。
「まあ俺としてもなるべくイジメないようにしてやりてえから、ゲンコツ一発につき十発…そうだな~平和に気持ち良くイかせてやるかねぇ。」
顎をさすりながらとぼけた顔でわざとらしくとんでもない仕返しを臭わせる。
「や、いいですやっぱり。若い身空で腎虚で死にたくねッス。」
頭に昇っていた血をサーッと退かせてリキッドは首を左右にブンブン振った。
「遠慮すんなよリっちゃん。不老不死の番人が腎虚如きで死にゃしねーだろ。何発イケるか試してもいいな、面白そうだ。」
「いやいやいや十分死ねますから!ジャンさんだって、死因こそ腎虚じゃないけど、しばらくというかかなり長い間死んでたでしょ!肉体は至って普通ッスから!」
ただの思いつきを面白そうだと思ったとたんにニヤニヤと不穏な笑みを浮かべ始めたハーレムから、悲鳴じみた声を上げつつリキッドは飛び退いた。
「ん…そういやそうか。歳取らねーだけなんだな。」
「そ、そうです!ムチャすれば死んじまいますよ。」
「そりゃ困るな…仕方ねぇ、二倍返しにしてやらあ。」
「も、もういいッス。一時の気の迷いでした!」
「ちぇ…つまんねーの。リっちゃんは後先考えずにバカやって俺に付け入らせてくれよ。」
本当につまらなそうに唇を尖らせながら腕を伸ばしてくるハーレムの姿が当ての外れた子供じみていたので、リキッドは引かれるまま胸に抱き込まれた。
そのままグリグリと頭に頬を押し当てられながらぎゅうと抱きしめられて、なんだか大きな動物にじゃれつかれているような気になる。
「そうそう付け入られてばかりじゃ俺の身が保たないッスから…。」
そう言いつつも甘えられているような仕草にちょっぴりキュンとしたリキッドは、突っ張らせていた腕から力を抜き少し躊躇ってからその腕をハーレムの背に回した。
一瞬ハーレムが動きを止めたが次の瞬間、より一層強く抱きしめられる。
「た、隊長苦し…っ!」
「リキッド。」
「!」
きちんと名前で呼ぶ時のハーレムの声と眼差しにはいつものふざけた気配が露ほどもなく真剣で、リキッドは逆らえなくなる。
魅入られると言う方が正しいかも知れない。
互いの青い眼に吸い寄せられるように、唇が重なった。
「ん、隊長…、」
結構いい雰囲気になったところでヤカンがピーッと鋭く鳴り響き、甘い空気は一気に霧散した。
「あ、お茶!!」
我に返って真っ赤になったリキッドが、絡み合った視線と腕から逃げるようにお茶汲みに戻る。
「…今度はヤカンかよ。」
所帯臭い邪魔に脱力したハーレムだったが、まんざらでもなさそうな手応えに今は満足する事にした。
昼飯を
チミッ子達は食べ終えるなり遊びに飛び出て行ったのでパプワハウスにはリキッドが食器を洗う音だけがのんびり流れている。
「はい?心戦組っすか?」
リキッドは振り向かず手元のお釜にこびりついた米の糊を洗い落としながら答えた。
「彼奴等コタロー狙ってんのか?こないだ挨拶に来た年長の野郎が時々打倒マジックとか叫んでは早くコタローを手に入れなきゃとかブツブツ言ってんだけどよォ。」
新しく島に加わった一行は獅子舞ハウスのすぐ近くに仮住まいをし始めていた。
ハーレム達が元ガンマ団所属の特戦部隊の人間と知ってはいるが、あくまでも『元』が付く上に互いに島から出られないという状況では争う意味もないのでご近所様としては至って良好な関係らしい。
「あ、ええまあ。そうみたいッスね。」
「消した方がいいか?」
まるで黒板の文字を消そうかとでも言うような軽い調子でハーレムはのたまった。
「ぶっ、物騒なこと言わないで下さいよ!大丈夫ッス、あの人達の誰もコタローの顔を知らないみたいでなんとか誤魔化しましたから。」
慌てて振り向くとハーレムはゴロンと肘杖つきながら体を横たえて寛ぎモードである。
「なんだそりゃ、ターゲットの顔も調べてねぇとは殺し屋集団にしちゃ随分間抜けな奴等だな。なら先手必勝でバレる前に始末しとくか?」
しかし至って平和なポーズをしつつも口から出て来るのは過激なものだ。
「いやいや…下手な騒動起こして、ショックでロタローが記憶取り戻しても困りますから平和にしてて下さいよ。」
すぐに暴力に訴えるオッサンめと冷や汗をかきながら宥める。
寝そべっていてもやはり特戦部隊の長だけあって闘争本能が眠ることはなさそうだった。
「ふーん。まあ島から出られねぇなら彼奴も手ぇ出したところでどうにもならねえか…。」
尚もブツブツと眉を寄せて呟く姿にリキッドはふと思い当たった。
「隊長…。」
「あん?」
「ヘヘッ…やっぱり甥っ子さんが可愛いんですね。ロタローが心配なんでしょ?」
「…。」
ニヤニヤとリキッドが問うた言葉に片眉を軽く上げたハーレムだったが否定はしなかった。
「まあ…育ちきってトウの立った甥っ子共よりゃ可愛いかもな。」
「またそんなこと言って、隊長結構家族思いのくせに。」
特戦を離れるきっかけになったあの騒動で、ジャンに体を奪われていたリキッドは望んだわけではなかったが初めてハーレムという男を客観的に眺めることになった。
当時は自分の問題に精一杯で、傍観者として見たことの意味を考える余裕もなかったが、その後の4年間話す相手ときたらチミっ子やナマモノしかいないこの島ではふと思い出した時などに一人物思いをすることも自然増えていたから、ハーレムの一見乱暴な態度の奥に潜むものを無視するわけにはいかなかった。
ましてやこの島に閉じ込められてからハーレムが獅子舞ハウスの外でする事は自分へのセクハラかロタローへのちょっかいと相場は決まっている。
自分へのそれを無視すれば、甥っ子を可愛がる普通の叔父さんの姿がそこにあった。
「そう見えるのか?」
ハーレムがごろんと寝がえりを打って不思議そうに訊いてくる。
「…見えるっスよ、いい叔父さんしてる隊長が。」
「生意気言いやがって。」
苦笑する横に全ての食器類を洗い上げたリキッドは自分の分のお茶を淹れて座り一息つく。
「いいじゃないスか、俺は家族愛は大事だと思うッス!昔のあの騒動も、そもそもロタ…コタローが閉じ込められずにいたら随分違った事になってたと思いますけど。」
「ふん、マジック兄貴が息子を二人ながら揃って溺愛してりゃまた別の騒動になってたと思うぜ。」
獅子舞が唇を尖らせて言う内容にリキッドもジャンの意識の後ろから見た総帥親子の模様を思い出した。
「秘石関係なくガンマ団のお家騒動になりそうッスね、後継ぎめぐって。」
「後継ぎは普通叔父甥の争いになるもんだがな。」
「え…隊長まで参戦?」
「予算自由に出来るならガンマ団手に入れンのも悪くねぇと思ったことはあるぜ。」
「隊長らしい理由ッスね。あ、お茶もう一杯淹れます?」
空の湯のみを見てリキッドが腰を浮かすとハーレムが軽く頷いたので湯を取りに立ち上がった。
その後ろ姿を見つめながらハーレムが当時の事を振り返る。
「しかしややこしい騒動だったよなありゃ。シンタローの体がキンタローで、しかしキンタローはルーザー兄貴のガキで、あの甘ちゃんグンマがマジック兄貴の息子で、シンタローはジャンの影と見せかけて実はアスだとか…、まあよくぞあそこで消えずに踏ん張ったっつーか。けどやっぱりややこしいわ…目の前で見てなきゃアウトだな。」
「シンタローさんの精神力はすごいですよ。俺なんて自分の体だってのにジャンさんに勝てなくて…。」
急須へ湯を注ぐ手元が微かに震えたのは当時の悔しさが現れたものか。
「アイツには支えがあったろ。…あん時のお前は独りだと思ってたんじゃねぇのか。そんな隙だらけであの腹黒野郎の極太精神に勝てるかよ。」
「え…た、隊長!?いつの間にっ…んッ」
ふと気配を感じて振り向くとすぐそこにハーレムの顔があって振り向くなり口付けられた。
がっちり腰と頭を抱かれてしっかり舌を絡めるほど貪られてしまう。
「んんッ…ん…、んあっ、ダメッスよ、ここじゃっ…!!」
唇が外れると場所柄これ以上はと必死で腕を突っ張った。
「あの時目を離してなけりゃなあ…。」
ハーレムはリキッドの焦りも関知しないといった風で腰は抱いたまま、リキッドの頬をスルリと撫でた。
「隊長…。」
過去を悔いる事などなさそうな男の悔しそうな声にリキッドはドキリとしてもがくのを止めた。
あの時戻るなり激しく抱かれた記憶が蘇る。
抱かれる時にはそれがお仕置きかと思って情けなさに泣いたが、自分を一言も責めることなくただ存在を確かめようとするかのように激しく抱くハーレムに、この男の思いを初めて垣間見たのだ。
形はどうあれ必要とされていたと。
気付いてみれば、それまでにもこの男の気持ちが示されていたことは沢山あった。
イジメ付きだったりして一見分かりにくいということと、当時の自分の後ろ向きな姿勢の為に見逃していたが。
「すんません…。」
口の悪いのも表現がひねくれているのも分かってしまえばなんということもないのに、ひたすら周囲を憎んだ自分の未熟さが恥ずかしかった。
「お前に独りぼっちだと思わせてたならそりゃ上司の俺の責任だろうよ。」
この男の言葉とも思えない殊勝な言葉にリキッドは胸がキュンと締め付けられたが、続く言葉に顎が落ちそうになった。
「お前がそんなこと考えられないくらいしっかり可愛がってりゃ良かったんだろうなァ。ついつい泣き顔見たくってイジメちまったからよ。」
「な、泣き顔?なんでそんなもん…。」
「言ったろ、お前の泣き顔はそそるってよぉ。」
「…。」
あの度を超したイジメの数々はまさか自分を泣かせたいが為に行われていたのかと思うとリキッドはクラクラと目眩に似た怒りを感じた。
「何スかそれ、俺オモチャじゃねえよ、ふざけんな!!」
ハーレムは激昂するリキッドの肩を軽く押さえこむ。
「何今頃いきり立ってんだ?しかもオモチャって自分で言うか。」
「あんたが言わせてんだろ!!あの頃俺がどんだけ辛かったと…!!」
言いかけて激情に喉が詰まり、じわりと涙が滲んだ。
「…お前が本当に辛かったのはイジメでもイタズラでもねえだろが。」
その言葉にピクンと強張った体をハーレムは抱き寄せて髪に鼻先を埋めた。
「お前は自分の身に降りかかる災難は耐え忍べるが、自分の手で他人を苦しませるのは耐えられねぇ…よく言えば良心的な優しい奴で、悪く言えば典型的なマゾっ子だ。」
「……本当に嫌な言い方ッス。」
胸元に顔を伏せたままリキッドが不平を上げる。
「違うって言えんのか?作戦の度にふさぎ込んでたろうが。」
「!!」
「どうよ?」
「た、確かに俺は殺戮が楽しめなかったッスけど…」
わずかに逡巡してリキッドは唇を開いた。
「本当は分かってたんです、自分には特戦で戦い続けるのは無理だって。本当に向き合わなきゃならないのは隊長にびびってる自分に対してだって。
もう人殺しは絶対やりたくねぇって…特戦抜けを許すか殺すか、好きにしやがれっ…て、命張る覚悟で、マジに言わなくちゃ、ならなかったんだ…でも…、」
始めは堰を切ったように話し出した声が次第に掠れ勝ちになる。
「リキッド。」
ガクガクと震えの増した体をハーレムはより強く抱きしめる。
「その肝心なとこで俺は…ひ、卑怯でした。隊長が怖い、かなわないってのを言い訳にして…向き合わなきゃならないもんから逃げてたんだ。破壊が心底嫌なら、隊長の言いなりになるんじゃなくて、腹くくって隊長やガンマ団に本気で逆らってでも辞めるべきだったんだ。それなのに俺はそれも出来ずに逃げ出しちまって…ッ!」
「もうそんくらいにしとけ。」
ポタポタと涙が零れ落ちて自分のシャツに染みてくるのをハーレムはなすがままにさせていたが、尚も言い募ろうとするリキッドの唇に指をあてて遮った。
「…お前を卑怯だとは言わねえよ。俺も…あのマジック兄貴ですらも、目を逸らしちゃならねえモンを見て見ぬ振りし続けたことがないとは言えねーんだ。知ってるだろ?」
かつてこの島で起きた嵐の兄弟とその子供達を巻き込んだ騒動。問題が複雑になっていたほとんどの原因は兄弟達が互いに向き合うことを避けていたからだ。それは決定的な破綻を避けるためでもあったが…。
「…。」
「お前にずっと殺戮させ続けんのは無理だと分かってて、それでも側に置いときたくて縛り付けてたのは…俺のワガママだ。…悪かった。」
「た、隊長…。」
明確な謝罪の言葉に目を見張る。
「お前がジャンに乗っ取られちまう前はな…お前の行き着く先は何も考えない殺戮マシーンになっちまうか狂っちまうかのどっちかしかねえんじゃねぇかと思ったことがある。」
「…。」
「お前は言い出す度胸はどうにもこうにも出てこなかったみたいだが、抜ける気だってことくらいはすぐ分かったさ。」
「ど、どうして…。」
いつもなら脱走を阻んだ男がその時に限ってそこにいなかったのは気付いていたからこそなのか。
「…そうだな、お前が殺戮の後でもないのに抱かれんのを嫌がらなかったからだろうな。」
「えッ?」
「お前、自分じゃ相変わらず分かってねぇみたいだが、セックスん時の態度があっからさま~に違ってたんだぜ。
お前が柄にもなくベッドで積極的になんのは大抵後ろめたい事があった時だ。それ以外だと俺は力に物言わせる羽目になってたろ。
ま、浮気なんざしたら一発でバレるタイプだわな。」
嫌なバロメーターだが、しかし。
「否定出来ないかもシレマセン…。」
「あの島でお前は誰も殺さなかった。ジャンにつけ込まれたミスも一編抱かれりゃお仕置きとしちゃ充分だろうにその後も逆らわずに抱かれっぱなしとなりゃ、他でもないこの俺様に何かしら後ろめたい気持ちがあるなと直ぐ分かるだろ。」
「隊長って案外考えてんですね…。」
「アホか、直感だけで分かるぜこんなんは。言葉にするとクドいけどな。」
つまらなそうにハーレムはそう言ってリキッドの顎を捉えて上向かせた。
明るい空色の目が深い海色の目と合わさる。
「お前がお前でなくなっちまうくらいなら…手放そうと思ったんだ。
まさか番人になる心積もりとは知らなくて俺としたことがバカを見ちまったがな。」
「隊長…。」
「俺はお前がどうしようもないお人好しのおバカちゃんでいてくれる方が殺戮マシーンになっちまうよかいいと思ったのさ。泣く子も黙る特戦部隊の隊長ともあろうこの俺様がまあ随分と甘くなっちまったもんだ…。」
苦笑いしながら言う言葉が甘く聞こえるのはどうしてだろうと、リキッドは思った。
少し腫れたまぶたに軽く口付けられる優しい仕草に胸が切なく疼く。
四年前に背を向けてしまった男に今こうして向き合ってみればその懐は深く暖かだった。
それを自分は知っていた筈なのに、この傲慢な男の唇から謝罪の言葉まで引き出してしまった。
全ては卑怯で臆病だった自分のせいだというのに――。
「すみません…。」
「何謝ってんだ?」
つい先ほどまで怒っていたのが一転して謝り出したからハーレムはきょとんとしていた。
「悪かったのは逃げ出した俺なのに、隊長にあんなことまで言わせちまって。」
「あんなこと?…ああ、悪かったって奴か?別に、どっちだけが悪かったわけでもねえだろうが…そうだな、悪いと思うんなら償ってもらうとすっか。」
合点がいったらしいハーレムはニヤリと片頬を歪めて笑った。
「え?」
「本当に悪いことしたと心底思ってんなら誠意を分かるように見せてもらわなきゃなァ。」
「あ、あの…。」
ハーレムの口調には先ほどまでのどこか沈んだ様子はもう微塵もなく、楽しいイタズラをウキウキ考える子供の調子だ。
自分はけじめを付けないままで気が咎めていたが、ハーレムにしてみればとっくに過去のこととして乗り越えてしまっていたのだろうか。
ならば謝ったのは早まったと言うか余計なことだったかも知れないと、トキメキから一転ドキドキ不安に心臓を跳ねさせながらリキッドは冷や汗をかいた。
元気な隊長に下手に弱みを見せたらどんな無理難題を押し付けられることになるか、こればっかりは過去も今もあまり変わりがないのだ。
「とりあえずリっちゃんの手作りメシを保証することは当たり前として…そうさな、リっちゃんとしっぽり楽しむ時間を週三回以上絶対確保。」
「え。」
最低一日置きにはヤらせろと言うことか!?
「なんなら毎日でもいいぜ?」
ニヤニヤと笑う顔は冗談か本気かイマイチ分からない。
顔や態度に出てしまう自分と違ってハーレムは明け透けなようでいて本心は容易にさらけ出さないところがある。
その駆け引きの上手さはさすが青の一族と思わされるが、とりあえず今は踏ん張らねば、口から産まれたようなこの男に無理要求を飲まされかねないとリキッドは必死に食い下がった。
「いっ、いやさすがに毎日は無理ですよ、チミッ子の世話出来なくなるし!」
「んじゃ最低週三でいいな。」
「う…そのかわり回数押さえて下さい。翌日立てないとやっぱり困るし…ね、隊長、この通りッスから!」
「なんだ毎回ヤらせてくれんの?リっちゃん寛大になったなあ~。」
「はっ?」
「しっぽり二人で大人の会話でもと思ってたが、お許しも出たなら毎回キッチリ腰抜かさないギリギリまで可愛がってやるぜ。」
「…え。」
ウインクする男にリキッドはまた墓穴を掘らされたことを知った。
「で、でも毎回本番なんて飽きません?飽きますよね?」
なんとか軌道修正を試みるリキッドだが、ハーレムはそんなのはお見通しと言いたげにニマニマと憎らしい笑顔ではねのける。
「思い出すだけでもおっ勃ちそうな具合のいい尻なんだから飽きねーよ。」
そう言いながら片側をムギュッと鷲掴む。
「うぎゃ!ちょ、放して!!ま…毎度毎度、ワザと卑猥に言わんで下さい!うっかりチミッ子の耳にでも入ったらどうすんですか!」
真っ赤になって飛び退くリキッドの様子にハーレムはおかしそうに肩を揺らすだけだ。
「ワザとと分かるくらいには大人になったんだなあリっちゃんも。」
「気付かずにはいられないくらい毎回からかわれてますから!!隊長が俺をからかうのが好きってことくらいは嫌ってほど分かりますよ!!」
「拗ねるなよ、リっちゃん。」
腕を伸ばして引き寄せ、そっぽを向いたままの顎を捉えて振り向かせる。
じいっと目を覗き込むと視線がウロウロと逃げ惑い、みるみるうちに頬が赤らんでくる。睨めっこに弱いのは分かっていた。
「…ん、ズリィ…ッス、俺ばっかり…!」
自然と引き合うように唇が重なる度にリキッドの力が抜ける。
「何言ってんだ、俺を煽ってんのはお前だぜ…。」
惚れた弱みの責任をお互いに押し付けながら一層深く貪る。
「ぁむ…ン、ンァ、だ、ダメ、ここじゃ…!」
真っ昼間のパプワハウスではいくらなんでも理性を飛ばせないリキッドがもがく。
「仕方ねぇなあ…なら早速今夜から来いよ…いいな?」
「…。」
リキッドは青い瞳に魅入られたように上気した顔を頷かせた。
「よし。んじゃリっちゃんお茶おかわり。」
「…ハイ。」
リキッドはまだ半分魅入られたままのようにどことなくふらふらと急須に手を伸ばしたが、ずっと茶葉が漬かりっぱなしだった上にその湯も随分冷めてしまっていた。
そもそもおかわりを淹れに立ったはずだったのだが。
「あ…冷めちまってるんでもう一回沸かしますね。」
「別にそのままでいいぜ。どうせ南国だ、熱いよりむしろ飲みやすいだろ。」
「でもこれ蒸らし過ぎて濃過ぎるし…。」
「んじゃ白湯足せば?」
「そんな大ざっぱなんでいいんスか?」
「構わねーよ、不味けりゃ口直しにこうすっから。」
「んぐ…!や、やっぱり淹れ直します!!」
素早く口直しを実演されてリキッドはわたわたとヤカンを取り上げた。
「ところでお隣さんは本当に放置で大丈夫なんだな?」
話が元に戻るなんて珍しいが、それだけ甥っ子を気にしているのだろう。
めったに見られないこの男の可愛げに、なんとなくホンワリとした気持ちになりながらリキッドは答えた。
「大丈夫ですよ。どの道島から逃げられないのは分かってるはずですし、俺だって目ェ光らせてますから。」
「リっちゃんを信用しないわけじゃねぇが、お前は人が好いからな~。俺みたいなのに引っかかって散々苦労したわりに学習してないっつーか…。」
「そ、そんなに言われるほど自分がお人好しだとは思いませんけど…というか苦労させてたことは一応自覚あったんっスね…。」
ちょっぴり恨みがましく上目使いで睨んでみる。
「まあなあ、思い出せる顔が泣きべそかいてる顔ばかりだしよ。あんだけいたぶられても今更『すみません』なんてポロッと言っちまうお前がお人好しでなきゃなんなんだよ、ただのMっ子か?」
「うぐ…。」
言われてみればその通りだった。
自分のいたらなさに目を向ける姿勢は己を甘やかさないという目的には沿うが、確固たる自信を持つには地道な努力を必要とするので自分を未熟と感じる内は他者への遠慮や譲歩になってしまいがちだ。
何事につけても根拠は己の腕力のみのハーレムが始終自信満々で、他人を振り回そうと迷惑がられようと何ら痛痒を感じないのとは対照的だ。
「ま、そこが可愛いんだけどな。」
ワシャワシャと頭を撫でながらニカッと笑われると少々後ろ向きだったリキッドも釣られて笑ってしまう。
普段畏怖を掻き立てるばかりのこの男の、裏のない笑顔は貴重なだけに堪らなく魅力的だった。
「自覚あるンならもうあんまり苛めないで下さいよ…。」
その笑顔にちょっと期待して甘えも混ぜてみたのだが。
「保証は出来ねーな、俺は俺のしたいことをするだけだからよ。それがお前にとってイジメかどうかなんて分かんねーだろ。」
どう考えても意識的にイジメてたこともあったはずだぜ獅子舞ィィィ!!
――そう叫びかけるのをぐっと堪えて。
「…じゃあカツアゲ止めてくれたら嬉しいデス。」
ホイミさえいなければと思っていたが、酒や煙草等の嗜好品のために絞り上げられるので相変わらずカツアゲ貧乏なリキッドである。
「カツアゲじゃねぇよ。単にお前のモンは俺のモンなだけだ。」
「…一発殴らせて下さい。」
あんまりな回答にプルプルと震えるリキッドだった。
「出来るんならやってみろよ、俺は構わないぜ。十倍できっちり返してやるけどな。」
「じゅっ…十倍…!?」
ハンパない倍返しにリキッドの固く握られていた拳が瞬時に緩む。
「まあ俺としてもなるべくイジメないようにしてやりてえから、ゲンコツ一発につき十発…そうだな~平和に気持ち良くイかせてやるかねぇ。」
顎をさすりながらとぼけた顔でわざとらしくとんでもない仕返しを臭わせる。
「や、いいですやっぱり。若い身空で腎虚で死にたくねッス。」
頭に昇っていた血をサーッと退かせてリキッドは首を左右にブンブン振った。
「遠慮すんなよリっちゃん。不老不死の番人が腎虚如きで死にゃしねーだろ。何発イケるか試してもいいな、面白そうだ。」
「いやいやいや十分死ねますから!ジャンさんだって、死因こそ腎虚じゃないけど、しばらくというかかなり長い間死んでたでしょ!肉体は至って普通ッスから!」
ただの思いつきを面白そうだと思ったとたんにニヤニヤと不穏な笑みを浮かべ始めたハーレムから、悲鳴じみた声を上げつつリキッドは飛び退いた。
「ん…そういやそうか。歳取らねーだけなんだな。」
「そ、そうです!ムチャすれば死んじまいますよ。」
「そりゃ困るな…仕方ねぇ、二倍返しにしてやらあ。」
「も、もういいッス。一時の気の迷いでした!」
「ちぇ…つまんねーの。リっちゃんは後先考えずにバカやって俺に付け入らせてくれよ。」
本当につまらなそうに唇を尖らせながら腕を伸ばしてくるハーレムの姿が当ての外れた子供じみていたので、リキッドは引かれるまま胸に抱き込まれた。
そのままグリグリと頭に頬を押し当てられながらぎゅうと抱きしめられて、なんだか大きな動物にじゃれつかれているような気になる。
「そうそう付け入られてばかりじゃ俺の身が保たないッスから…。」
そう言いつつも甘えられているような仕草にちょっぴりキュンとしたリキッドは、突っ張らせていた腕から力を抜き少し躊躇ってからその腕をハーレムの背に回した。
一瞬ハーレムが動きを止めたが次の瞬間、より一層強く抱きしめられる。
「た、隊長苦し…っ!」
「リキッド。」
「!」
きちんと名前で呼ぶ時のハーレムの声と眼差しにはいつものふざけた気配が露ほどもなく真剣で、リキッドは逆らえなくなる。
魅入られると言う方が正しいかも知れない。
互いの青い眼に吸い寄せられるように、唇が重なった。
「ん、隊長…、」
結構いい雰囲気になったところでヤカンがピーッと鋭く鳴り響き、甘い空気は一気に霧散した。
「あ、お茶!!」
我に返って真っ赤になったリキッドが、絡み合った視線と腕から逃げるようにお茶汲みに戻る。
「…今度はヤカンかよ。」
所帯臭い邪魔に脱力したハーレムだったが、まんざらでもなさそうな手応えに今は満足する事にした。
1/4ページ