呪いのない世界を願ってる
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「芽衣先生」
静かな落ち着いた声が私の名を呼んだ。
振り返ると、私の目線より高い位置にその顔が映る。高校1年生とは思えない大人びた表情を浮かべて、夏油くんが私に歩み寄った。
「まだ授業中のはずだよね、夏油くん」
隣に並んだ夏油くんに、眉を下げて聞いてみたら屈託ない笑顔を返された。
「ええ。休み時間まであと30分近くありますね」
「うーん……今頃真面目に教室の席に座って授業を受けてるはずの夏油くんがなんで私の隣を歩いているんでしょう?」
「アハハ、サボりじゃないですよ。悟と違って私は真面目ですから」
「さりげなく五条くんのサボりをチクったね」
私の返事を聞いても夏油くんは「そんなことないですよ」なんて言って飄々と笑っている。
「芽衣先生が廊下を歩いてるのを見かけたら、急に頭痛が起きまして」
「まるで私が病原菌みたいな言い方だね」
「ああ、道理で私の頭の中がアナタでいっぱいになってるんですね」
「どんな病気よ」
私の返事を楽しげに笑って、血色のいい顔が私を見下ろす。
夏油くんの嘘に気づいていながら、私は夏油くんが医務室の扉を開けるのを止めなかった。
◇
「一応聞くけど痛み止めいる?」
簡易ベッドに案内しながら、夏油くんに尋ねる。
これでも医大を卒業して5年は医師をやってる身。あからさまな仮病に気づかないほどマヌケじゃない。
私の問いかけに、夏油くんは「いりませんよ」と笑顔で答える。
「ああ、でも……」
言葉を付け加えて、夏油くんが私の手首を握った。
そのまま手首を引っ張られて、私は簡易ベッドの上に転がされてしまう。
「夏油くん……っ!」
「痛み止めはいりませんけど、芽衣先生は欲しいですよ?」
「聞いてません!」
慌てて起きあがろうとするけど、夏油くんがそのままベッドに乗り上げて私の上に覆い被さった。
「夏油くん、退きなさい。怒るよ」
「どうぞ。芽衣先生の怒った顔も好きですから」
変わらない笑顔を向けて、夏油くんが私の顎に手を添える。
「顔真っ赤ですよ」
「……誰のせいだと思ってるの」
10歳以上も歳の離れた男の子に、翻弄されてしまってる。
いい歳して恥ずかしすぎる。
顔が赤くなってるのは、単純にそれが理由。それ以外の理由は、あってはいけない。
「好きだよ、芽衣先生」
教師と生徒。私はこの関係を壊すわけにはいかない。
「……敬語」
「使ったら、返事くれますか?」
「いつも言ってるでしょ。……子どもに興味ないって」
「ちゃんと興味ない顔して言ってくださいよ」
主導権を握ってるのは私のはずなのに、夏油くんは呆れ顔で私を見下ろしてる。
夏油くんの前髪が私の顔にかかって。
そのくすぐったさに身を捩ろうとしたら、夏油くんの手が私の手首を押さえつけた。
夏油くんの手が熱くて、私の体まで伝染したみたいに熱くなる。
「芽衣……」
夏油くんの大人びた顔が、降りてくる。
目と鼻の先、夏油くんの唇が私の唇に触れそうになって。
「芽衣ーっ、ベッド貸してー! つーか俺と一緒に寝よーぜー!」
入ってきたもう1人のサボり問題児のおかげで、幸か不幸か、その密事は未遂に終わった。
◇◇◇
「重傷者の治療が終わったら、夏油くんもちゃんと反転術式で治してもらってね」
私は夏油くんの腕に包帯を巻きながらそう告げた。
以前と違って、今回の夏油くんはちゃんと病人。
廃墟ビルに二級呪霊が複数体出現し、その任務に高専生数人が派遣された。事前に想定されていたより多くの呪霊がいたみたいで、何人かは酷い怪我を負っている。夏油くんは体中に傷があるけど、軽傷なほう。
重傷者から優先的に、反転術式が使える医師や術式練習中の家入さんが診ているところ。夏油くんもそのうち呼ばれるだろう。
私が今しているのはあくまで応急処置。
術式どころか呪力も持たない私は、医師でありながらこの場ではただの役立たずだ。
「いいですよ。芽衣先生の治療で充分です」
「ダメだよ。その薬も試作段階だから、効くか分かんないんだし」
夏油くんに使った軟膏は私が先日創ったもの。反転術式を使用できる呪術師の血液から、彼らに特異的に発現する遺伝子を抽出してその成分を軟膏に添加した。理論上、反転術式の効果を持つ薬。
「効いたら、芽衣先生の功績に貢献できますね」
「そんなことしなくていいの。夏油くんは優秀な呪術師なんだから本来私なんかが診ていい人じゃないんだし」
非呪術師である私が、本来は会話することだって許されない立場なのに。
「『なんか』じゃない」
包帯を手にした私の腕を掴んで、夏油くんが真剣な顔で私を見下ろした。
「私は芽衣先生だから治療されたいんだ。妥協してここに治療されにきたんじゃない」
呪術師はみんな『偉い人』だって、ずっとそう教えられてきた。
『呪術師でもないオマエが気安く我々に話しかけるんじゃない』
御三家に名を連ねることができない落ちこぼれの呪術師の家系。相伝の術式もたいしたものではないのに、プライドだけはバカみたいに立派で。
呪力を持たない私はいつだって最下位だった。
「私の好きなアナタを……自分で蔑まないでくれ」
夏油くんがギュッと私の手を握ってくれる。
呪術師の手は、みんな冷たいんだって思ってたのに。
こんなにも温かくて、優しいの。
「なんて……敬語を忘れたから、また返事は先延ばしになりそうですね」
夏油くんの笑顔を見ると、安心するようになったのはいつからだろう。
「芽衣先生はもっと自信を持っていいんですよ。術式が使えなくても、その分……その頭と努力で誰かを救う薬や治療法を考えたんですから」
歳上の頭を撫でて、本当なら生意気なはずの行動も、夏油くんがしてくれるから嬉しくて。
「芽衣」
夏油くんが、ここを卒業する……そのときに。
「今日も、アナタが好きですよ」
この気持ちをちゃんと伝えようって、そう決めてた。
◇◇◇
『芽衣……聞こえるか? 今どこにいる?』
携帯のスピーカーの向こうで、五条くんの声が聞こえる。
珍しく慌てた声。
いい加減、私を呼び捨てにするのやめてよって言いたいのに、そんな文句も出てこないの。
『傑が……』
聞きたくない言葉を、自ら遮断した。
その報告はすでに伝わってきている。今さら五条くんに聞かなくても、私はもう知ってるの。
『芽衣……オマエも逃げろ。俺のところに来い。今の傑はオマエにだって何するか分からない』
自惚れてなんかないよ。
夏油くんが、本当に非呪術師を呪殺したなら。
非呪術師である家族のことも、殺めてしまったのなら。
きっと彼の中で、私も例外じゃない。
『芽衣……っ、いいから答えろ! 今どこに……っ』
通話を切って、私は目の前にいるその人に視線を向ける。
「いいんですか? 悟からだったんでしょう?」
いつもの優しい声音で、夏油くんが尋ねてくる。
何事もなかったように。
誰も立ち寄ることのない廃屋に、私の小さな声が木霊する。
「うん。五条くんには申し訳ないけど、今は……夏油くんと話したいから」
「嬉しいですね。やっと芽衣先生が私のことを見てくれた」
夏油くんは笑ってる。
でもその笑顔は以前のような輝きを宿してはいなくて、陰りを帯びたその笑顔が全てを物語ってる。
「夏油くんは、まだ私のこと好きって言ってくれるの?」
「ええ、好きですよ」
「……非呪術師なのに?」
夏油くんは私の問いかけに答えない。夏油くんに無視されるのは、これが初めてだった。
そしてたぶん、最初で最後。
夏油くんが呪い殺したのは、すべて『非呪術師』。
呪いが見えず、呪いを祓えず。
呪術師に縋って、その恩恵を受けることしかできない『役立たず』。
「ずっと……非呪術師は守るべき存在だと思っていました」
知ってるよ。それで五条くんと毎回喧嘩してアラート鳴らしてたことも。
嬉しかったんだよ。役立たずの私を、価値ある人間として見てくれたこと。
だからこれでも驚いてるんだよ。
誰よりも非呪術師に優しかった君が、こんな事件を招いたことに。
「でも呪いを生むのが非呪術師なら……その存在を無くさなきゃ、呪いは消えない」
夏油くんはそう口にして、私の目の前に手をかざす。
もしかしたらその手から呪霊が現れているのかもしれない。
でもそんなことも『役立たず』の私には分からないの。
「私に殺されると分かってて……どうして私に会いにきたんですか」
夏油くんが苦しげに問いかけてくる。
対する私も息が苦しくて。
私の首に何かが絡まったように、呼吸が難しくなる。
きっとこれも、見えない夏油くんの呪いのせいなんだよね。
「……死に場所を、決めたからだよ」
途切れる息を繋ぎ合わせて言葉にする。
「いつどんな死に方をするかも分からない世の中で、もしここで死ねるのならそれが一番だと思ったの」
夏油くんが私の眼前にかざした手に、私は手を伸ばす。
「夏油くんに殺されるなら、本望だよ」
私の言葉に、夏油くんの瞳が揺れた。
やっぱり、それだけで充分だよ。
本当は夏油くんが卒業するときに言おうって思ってたけど。
「好きだよ……夏油くん」
視界が霞んでいく。
首が絞まって、呼吸がもう整わない。
溢れる涙の向こう側、夏油くんの顔も歪んでみえた。
「……もっと、早く……その言葉が聞きたかった」
ごめんね。早く言ってたら何か変わってたかな?
ううん。たぶんそんなことないよね。
だって夏油くんは、そんなことで簡単に変わるような意志は持ち合わせてないでしょ。
いっぱいいっぱい考えて出した結論がそれなら、私は夏油くんの考えを否定しないよ。
ただ、夏油くんの思い描いた世界に、私はいられないってだけの話。
「私を……許さないでくれ」
許せなかったら楽だったよ。
でも夏油くんがこれからどんな罪を重ねても、夏油くんが今まで私にくれた優しさが全部帳消しにしちゃうの。
だけど……それでも、夏油くんが『許さない』ことを望むなら。
「なら……次は、呪いのない世界で、また私を見つけてね」
見つけてくれなかったら、一生許してあげない。
それを口にしたら、もう私の身体から力が全部抜けていっちゃって。
倒れかけた私を夏油くんが支えてくれる。
私のことを夏油くんがギュッと抱きしめてくれて。
夏油くんと初めてキスをした。
最初で最後の、大好きな人とのキス。
涙の味がするキスを、意識が途切れるその瞬間まで繰り返して。
「ずっと…大好き……だよ、夏油くん」
私の声が紡いだ最後の言葉と。
「私も…アナタだけを……ずっと、愛してる」
大好きな声で紡がれたその言葉が、私の人生の最後の記憶。
静かな落ち着いた声が私の名を呼んだ。
振り返ると、私の目線より高い位置にその顔が映る。高校1年生とは思えない大人びた表情を浮かべて、夏油くんが私に歩み寄った。
「まだ授業中のはずだよね、夏油くん」
隣に並んだ夏油くんに、眉を下げて聞いてみたら屈託ない笑顔を返された。
「ええ。休み時間まであと30分近くありますね」
「うーん……今頃真面目に教室の席に座って授業を受けてるはずの夏油くんがなんで私の隣を歩いているんでしょう?」
「アハハ、サボりじゃないですよ。悟と違って私は真面目ですから」
「さりげなく五条くんのサボりをチクったね」
私の返事を聞いても夏油くんは「そんなことないですよ」なんて言って飄々と笑っている。
「芽衣先生が廊下を歩いてるのを見かけたら、急に頭痛が起きまして」
「まるで私が病原菌みたいな言い方だね」
「ああ、道理で私の頭の中がアナタでいっぱいになってるんですね」
「どんな病気よ」
私の返事を楽しげに笑って、血色のいい顔が私を見下ろす。
夏油くんの嘘に気づいていながら、私は夏油くんが医務室の扉を開けるのを止めなかった。
◇
「一応聞くけど痛み止めいる?」
簡易ベッドに案内しながら、夏油くんに尋ねる。
これでも医大を卒業して5年は医師をやってる身。あからさまな仮病に気づかないほどマヌケじゃない。
私の問いかけに、夏油くんは「いりませんよ」と笑顔で答える。
「ああ、でも……」
言葉を付け加えて、夏油くんが私の手首を握った。
そのまま手首を引っ張られて、私は簡易ベッドの上に転がされてしまう。
「夏油くん……っ!」
「痛み止めはいりませんけど、芽衣先生は欲しいですよ?」
「聞いてません!」
慌てて起きあがろうとするけど、夏油くんがそのままベッドに乗り上げて私の上に覆い被さった。
「夏油くん、退きなさい。怒るよ」
「どうぞ。芽衣先生の怒った顔も好きですから」
変わらない笑顔を向けて、夏油くんが私の顎に手を添える。
「顔真っ赤ですよ」
「……誰のせいだと思ってるの」
10歳以上も歳の離れた男の子に、翻弄されてしまってる。
いい歳して恥ずかしすぎる。
顔が赤くなってるのは、単純にそれが理由。それ以外の理由は、あってはいけない。
「好きだよ、芽衣先生」
教師と生徒。私はこの関係を壊すわけにはいかない。
「……敬語」
「使ったら、返事くれますか?」
「いつも言ってるでしょ。……子どもに興味ないって」
「ちゃんと興味ない顔して言ってくださいよ」
主導権を握ってるのは私のはずなのに、夏油くんは呆れ顔で私を見下ろしてる。
夏油くんの前髪が私の顔にかかって。
そのくすぐったさに身を捩ろうとしたら、夏油くんの手が私の手首を押さえつけた。
夏油くんの手が熱くて、私の体まで伝染したみたいに熱くなる。
「芽衣……」
夏油くんの大人びた顔が、降りてくる。
目と鼻の先、夏油くんの唇が私の唇に触れそうになって。
「芽衣ーっ、ベッド貸してー! つーか俺と一緒に寝よーぜー!」
入ってきたもう1人のサボり問題児のおかげで、幸か不幸か、その密事は未遂に終わった。
◇◇◇
「重傷者の治療が終わったら、夏油くんもちゃんと反転術式で治してもらってね」
私は夏油くんの腕に包帯を巻きながらそう告げた。
以前と違って、今回の夏油くんはちゃんと病人。
廃墟ビルに二級呪霊が複数体出現し、その任務に高専生数人が派遣された。事前に想定されていたより多くの呪霊がいたみたいで、何人かは酷い怪我を負っている。夏油くんは体中に傷があるけど、軽傷なほう。
重傷者から優先的に、反転術式が使える医師や術式練習中の家入さんが診ているところ。夏油くんもそのうち呼ばれるだろう。
私が今しているのはあくまで応急処置。
術式どころか呪力も持たない私は、医師でありながらこの場ではただの役立たずだ。
「いいですよ。芽衣先生の治療で充分です」
「ダメだよ。その薬も試作段階だから、効くか分かんないんだし」
夏油くんに使った軟膏は私が先日創ったもの。反転術式を使用できる呪術師の血液から、彼らに特異的に発現する遺伝子を抽出してその成分を軟膏に添加した。理論上、反転術式の効果を持つ薬。
「効いたら、芽衣先生の功績に貢献できますね」
「そんなことしなくていいの。夏油くんは優秀な呪術師なんだから本来私なんかが診ていい人じゃないんだし」
非呪術師である私が、本来は会話することだって許されない立場なのに。
「『なんか』じゃない」
包帯を手にした私の腕を掴んで、夏油くんが真剣な顔で私を見下ろした。
「私は芽衣先生だから治療されたいんだ。妥協してここに治療されにきたんじゃない」
呪術師はみんな『偉い人』だって、ずっとそう教えられてきた。
『呪術師でもないオマエが気安く我々に話しかけるんじゃない』
御三家に名を連ねることができない落ちこぼれの呪術師の家系。相伝の術式もたいしたものではないのに、プライドだけはバカみたいに立派で。
呪力を持たない私はいつだって最下位だった。
「私の好きなアナタを……自分で蔑まないでくれ」
夏油くんがギュッと私の手を握ってくれる。
呪術師の手は、みんな冷たいんだって思ってたのに。
こんなにも温かくて、優しいの。
「なんて……敬語を忘れたから、また返事は先延ばしになりそうですね」
夏油くんの笑顔を見ると、安心するようになったのはいつからだろう。
「芽衣先生はもっと自信を持っていいんですよ。術式が使えなくても、その分……その頭と努力で誰かを救う薬や治療法を考えたんですから」
歳上の頭を撫でて、本当なら生意気なはずの行動も、夏油くんがしてくれるから嬉しくて。
「芽衣」
夏油くんが、ここを卒業する……そのときに。
「今日も、アナタが好きですよ」
この気持ちをちゃんと伝えようって、そう決めてた。
◇◇◇
『芽衣……聞こえるか? 今どこにいる?』
携帯のスピーカーの向こうで、五条くんの声が聞こえる。
珍しく慌てた声。
いい加減、私を呼び捨てにするのやめてよって言いたいのに、そんな文句も出てこないの。
『傑が……』
聞きたくない言葉を、自ら遮断した。
その報告はすでに伝わってきている。今さら五条くんに聞かなくても、私はもう知ってるの。
『芽衣……オマエも逃げろ。俺のところに来い。今の傑はオマエにだって何するか分からない』
自惚れてなんかないよ。
夏油くんが、本当に非呪術師を呪殺したなら。
非呪術師である家族のことも、殺めてしまったのなら。
きっと彼の中で、私も例外じゃない。
『芽衣……っ、いいから答えろ! 今どこに……っ』
通話を切って、私は目の前にいるその人に視線を向ける。
「いいんですか? 悟からだったんでしょう?」
いつもの優しい声音で、夏油くんが尋ねてくる。
何事もなかったように。
誰も立ち寄ることのない廃屋に、私の小さな声が木霊する。
「うん。五条くんには申し訳ないけど、今は……夏油くんと話したいから」
「嬉しいですね。やっと芽衣先生が私のことを見てくれた」
夏油くんは笑ってる。
でもその笑顔は以前のような輝きを宿してはいなくて、陰りを帯びたその笑顔が全てを物語ってる。
「夏油くんは、まだ私のこと好きって言ってくれるの?」
「ええ、好きですよ」
「……非呪術師なのに?」
夏油くんは私の問いかけに答えない。夏油くんに無視されるのは、これが初めてだった。
そしてたぶん、最初で最後。
夏油くんが呪い殺したのは、すべて『非呪術師』。
呪いが見えず、呪いを祓えず。
呪術師に縋って、その恩恵を受けることしかできない『役立たず』。
「ずっと……非呪術師は守るべき存在だと思っていました」
知ってるよ。それで五条くんと毎回喧嘩してアラート鳴らしてたことも。
嬉しかったんだよ。役立たずの私を、価値ある人間として見てくれたこと。
だからこれでも驚いてるんだよ。
誰よりも非呪術師に優しかった君が、こんな事件を招いたことに。
「でも呪いを生むのが非呪術師なら……その存在を無くさなきゃ、呪いは消えない」
夏油くんはそう口にして、私の目の前に手をかざす。
もしかしたらその手から呪霊が現れているのかもしれない。
でもそんなことも『役立たず』の私には分からないの。
「私に殺されると分かってて……どうして私に会いにきたんですか」
夏油くんが苦しげに問いかけてくる。
対する私も息が苦しくて。
私の首に何かが絡まったように、呼吸が難しくなる。
きっとこれも、見えない夏油くんの呪いのせいなんだよね。
「……死に場所を、決めたからだよ」
途切れる息を繋ぎ合わせて言葉にする。
「いつどんな死に方をするかも分からない世の中で、もしここで死ねるのならそれが一番だと思ったの」
夏油くんが私の眼前にかざした手に、私は手を伸ばす。
「夏油くんに殺されるなら、本望だよ」
私の言葉に、夏油くんの瞳が揺れた。
やっぱり、それだけで充分だよ。
本当は夏油くんが卒業するときに言おうって思ってたけど。
「好きだよ……夏油くん」
視界が霞んでいく。
首が絞まって、呼吸がもう整わない。
溢れる涙の向こう側、夏油くんの顔も歪んでみえた。
「……もっと、早く……その言葉が聞きたかった」
ごめんね。早く言ってたら何か変わってたかな?
ううん。たぶんそんなことないよね。
だって夏油くんは、そんなことで簡単に変わるような意志は持ち合わせてないでしょ。
いっぱいいっぱい考えて出した結論がそれなら、私は夏油くんの考えを否定しないよ。
ただ、夏油くんの思い描いた世界に、私はいられないってだけの話。
「私を……許さないでくれ」
許せなかったら楽だったよ。
でも夏油くんがこれからどんな罪を重ねても、夏油くんが今まで私にくれた優しさが全部帳消しにしちゃうの。
だけど……それでも、夏油くんが『許さない』ことを望むなら。
「なら……次は、呪いのない世界で、また私を見つけてね」
見つけてくれなかったら、一生許してあげない。
それを口にしたら、もう私の身体から力が全部抜けていっちゃって。
倒れかけた私を夏油くんが支えてくれる。
私のことを夏油くんがギュッと抱きしめてくれて。
夏油くんと初めてキスをした。
最初で最後の、大好きな人とのキス。
涙の味がするキスを、意識が途切れるその瞬間まで繰り返して。
「ずっと…大好き……だよ、夏油くん」
私の声が紡いだ最後の言葉と。
「私も…アナタだけを……ずっと、愛してる」
大好きな声で紡がれたその言葉が、私の人生の最後の記憶。
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