ルシファー×留学生
ヒールでアスファルトを小走りし、自販機についた。反省している。
ルシファーの婚約者になってからというもの、人間界のことなんて忘れていたけれど、この前兄弟たちとプチ日本旅行をしたとき、たまたま高校時代の親友の女の子に再会した。恋に愛に溺れていた最近の私は、人間界に未練なんて無い、ぜんぶ捨ててルシファーと共にいたいなんて思っていたけれど、実際は人間界を捨てきれるほど分別のついた人間ではなかったみたいだ。大好きだった親友と再会したことで、ささやかでくだらない学生時代の思いが走馬灯みたいに流れ込んできて、突然ホームシックならぬ人間界シックになってしまった。それからというもの、RADでも嘆きの館でも人間界での思い出話ばかりになってしまった。最初の頃こそ皆「おまえの昔の様子が知れて嬉しい!」というリアクションだったが、段々と怪訝そうな顔をされたり、同情や憐れみの目を向けられたりするようになってきた。ついにメゾン煉獄の3人から「最後に一度くらい人間界に行ったらどう?人間なんだし」と言われ、ソロモンがバルバトスに話をつけて、今に至る。
女友達と宅飲みだけ、のはずだったのに。
長い溜息をつきながら、酔い醒ましに天然水を買う。ガコン、とボトルが落ちる音がやけに大きく響いた気がした。
最初は学校時代と変わらない彼女だったのに、二人きりで飲んでいるうちにおかしな雰囲気になってしまったのだ。「xxちゃん、あのときと変わらず可愛い!」と褒めてきてほっぺをつねったり頭を撫でてくるところまでは、ちょっとスキンシップが激しくておちゃめな昔の彼女のままだった。なのに、だんだんと私の好きところをベラベラと喋りだし、xxくんやxxくんに取られそうで嫌だったとか言い出し、挙句の果てに、不意打ちで頬にキスされた。完全に私をそういう対象として見ている目つきだった。思わず逃げ出した。1年生の頃から「xxちゃん大好き!」と言われ仲良くしていたけど、そういう"好き"だったなんて。好意の種類を履き違えていた私は、警戒心ゼロで、私を狙う人間のところへノコノコついていってしまったのだ。同性だったから仕方ないが。
ふと、最近、魔界のみんなで浮気について話しあったときのことを思い出した。私の婚約者であるルシファーの意見はこうだった。
「浮気かどうか気にした時点で浮気だな」
ごめんなさい。その判断基準だと、私、浮気したことになります。相手からの好意に気づかなかったとはいえ、恋人以外に私に思いを寄せている人と、サシ飲みして、迫られました。
ごめんなさい。どんな顔して会えばいいのだろう。わざわざ人間界に行って浮気して帰るなんて最低だ。どうしよう。
しかしこうしていても仕方がない。D.D.D.でルシファーに「迎えに来て」とだけメッセージを送った。
「ごめんなさい」
熱々のコーヒーを淹れて持ってきてくれたルシファーが私の右隣に座る。彼の部屋の、いつものグレーのソファ。普段はリラックスする場所なのに、今日は落ち着かない。自業自得だ。ルシファーの顔を見る。眉間にしわが寄る寸前の、少しだけ苛立ちを感じる顔をしている。そういえば、殿下に告白された後もこんな顔をしていたなと思い出した。嫉妬しているときの顔だ。
「結婚前に人間界に未練あるみたいなこと言い出すし、脱走するし、それで他の人に迫られてるわけだし、本当に駄目な婚約者だよ私は」
ルシファーはまだ熱いであろうコーヒーを平気な顔して一口飲んだ。ごくん、という音が気まずい無音の中に響く。
「おまえは本来人間界で生きるべきだった。だが、俺と魔界で生きることを選んだ。そうだな?」
「はい」
「なのに勝手に人間界に行って…どれだけ心配したと思っているんだ」
「………ごめんなさい」
「……おまえのホームシックに気づかなかった俺にも落ち度はある。ただ、それならそうと言ってくれ」
何故ルシファーは怒らないのだろう。絶対に私が悪いのに。私の罪悪感を増幅させるために、わざとだろうか?そうだとしたら、彼の狙い通りだ。みるみる罪悪感が膨れて胸が苦しい。
「ルシファーはなんにも悪くない!ルシファーと魔界で生きるって言ったのに、人間界が恋しくなっちゃった私が悪いの、だから、その、」
「分かった。一旦落ち着け」
そう言われて、落ち着くために、ちょうど良い温度になったコーヒーを一口飲んだ、つもりだった。
「…ぅえっ」
この世の物とは思えないほどの苦味。体が反射的に拒否したのか、口の端からボタボタと雫が垂れ、ワンピースの太もものあたりが茶色に染まる。ルシファーは私の手からコーヒーカップを取り上げ、ローテーブルに雑に置く。次の瞬間、私の顎を持ち上げ、顎から唇の端までを舐めあげた。
「!!、、、るし、ふぁー?」
脳の処理が追いつかない。
「……ふふ、流石に俺でも苦すぎるな」
ルシファーは、ローテーブルに置かれたカップに視線を向ける。
「ヘルコーヒーだ」
「あ、、、」
淹れる者の愛情が深ければ深いほど苦くなるヘルコーヒー。飲めない苦さだとわかっているから最近は淹れて貰っていなかった。まさか、この世の苦みという苦味を凝縮して煮詰めたような味になっていたとは。呑気に他人と遊んでいる私と裏腹に、ルシファーはこれほどまでに重い愛情を私に向けていたのだ。身をもって思い知らされると、恐ろしくなる。
「前に心理テストをしたことがあるんだが、俺は、『好きな人を閉じ込めておきたいタイプ』だそうだ。どうやら当たりだったみたいだな。今まではお前が側にいてくれればいいと思っていたが、気が変わった。」
「え、」
「おまえを狙う奴が多すぎるからな。いっそのこと、閉じ込めてしまうのも悪くないかもしれない」
とびきり甘い、誘惑するような声。閉じ込める、だなんて言葉を聞いた瞬間、恐怖だけでなく喜びも感じてしまった私は、もうすっかり彼の手に堕ちているのだろう。私は愛情深く献身的な彼のマスターだと思っていたけれど、最初の契約通り、私は傲慢を司る悪魔のものなのだ。彼の、もの。所有物。
ルシファーがカップを手に取り、コーヒーを飲んだかと思うと、紅玉の瞳が近づいてきた。押し付けられた唇は生身の体温があってあたたかい。そこから、先程の苦味が流れ込んでくる。舌は拒否しているはずなのに、ルシファーの愛を注がれているという状況に全身が喜んで、気づくと苦味を受け入れていた。口いっぱいに広がるコーヒーの味は、罰のように苦いけど、ずっと味わっていたいほど甘美にも思えた。
ひとくちぶんを飲み切ると、離されたルシファーの唇の隙間からふふ、と微笑が漏れた。
「永遠に俺の側にいると誓ったよな?今後は人間界なんて恋しくならないくらいにたっぷり愛してやるから、ずっと、俺だけの側にいてくれ」
いつものふたりきりの時間にしては低い声で、命令みたいにルシファーが言う。有無を言わさぬその威圧感に、頷くしかなかった。すると、満足げにキスを落とされる。
「脱げるか?」
「……うん」
いつも通り、私から服を脱ぐ。傲慢な彼は私に求められるのが大好き。だから、はじめこそ彼に脱がせて貰ってばかりだったけど、今では私から行動させられるようになっていた。そう仕込まれたのだ。
次はルシファーがベストのボタンを外すだろう、そう思ったが、ルシファーは何故か私が脱いだワンピースを持って立ち上がった。
「ルシファー?」
「さっき、ヘルコーヒーを溢しただろう。シミになる前に洗ってくる。」
洗濯?そのくらいのシミ、魔法ですぐに直せるのに?
呆然としているスリップ姿の私の肩に、ルシファーは自らのロングコートをかける。そして軽く頬にキスをして、うっすらと勝利感のある笑みを浮かべながら、スタスタと部屋を出て行ってしまった。期待したぶん、物足りなくて寂しい。きっと、あのヘルコーヒーも、こうして置いて行かれたのも罰なのだろう。コートの匂いを嗅ぎながら、早く部屋に戻ってきて欲しいと思った。
ところで、本当に閉じ込められたら、どうなってしまうんだろう?私の中の倫理観が逃げ出せと言う。しかし、一度は吐き出したほど苦いヘルコーヒーを美味しいと感じてしまったという私は、もう手遅れなのだろう。
ルシファーの婚約者になってからというもの、人間界のことなんて忘れていたけれど、この前兄弟たちとプチ日本旅行をしたとき、たまたま高校時代の親友の女の子に再会した。恋に愛に溺れていた最近の私は、人間界に未練なんて無い、ぜんぶ捨ててルシファーと共にいたいなんて思っていたけれど、実際は人間界を捨てきれるほど分別のついた人間ではなかったみたいだ。大好きだった親友と再会したことで、ささやかでくだらない学生時代の思いが走馬灯みたいに流れ込んできて、突然ホームシックならぬ人間界シックになってしまった。それからというもの、RADでも嘆きの館でも人間界での思い出話ばかりになってしまった。最初の頃こそ皆「おまえの昔の様子が知れて嬉しい!」というリアクションだったが、段々と怪訝そうな顔をされたり、同情や憐れみの目を向けられたりするようになってきた。ついにメゾン煉獄の3人から「最後に一度くらい人間界に行ったらどう?人間なんだし」と言われ、ソロモンがバルバトスに話をつけて、今に至る。
女友達と宅飲みだけ、のはずだったのに。
長い溜息をつきながら、酔い醒ましに天然水を買う。ガコン、とボトルが落ちる音がやけに大きく響いた気がした。
最初は学校時代と変わらない彼女だったのに、二人きりで飲んでいるうちにおかしな雰囲気になってしまったのだ。「xxちゃん、あのときと変わらず可愛い!」と褒めてきてほっぺをつねったり頭を撫でてくるところまでは、ちょっとスキンシップが激しくておちゃめな昔の彼女のままだった。なのに、だんだんと私の好きところをベラベラと喋りだし、xxくんやxxくんに取られそうで嫌だったとか言い出し、挙句の果てに、不意打ちで頬にキスされた。完全に私をそういう対象として見ている目つきだった。思わず逃げ出した。1年生の頃から「xxちゃん大好き!」と言われ仲良くしていたけど、そういう"好き"だったなんて。好意の種類を履き違えていた私は、警戒心ゼロで、私を狙う人間のところへノコノコついていってしまったのだ。同性だったから仕方ないが。
ふと、最近、魔界のみんなで浮気について話しあったときのことを思い出した。私の婚約者であるルシファーの意見はこうだった。
「浮気かどうか気にした時点で浮気だな」
ごめんなさい。その判断基準だと、私、浮気したことになります。相手からの好意に気づかなかったとはいえ、恋人以外に私に思いを寄せている人と、サシ飲みして、迫られました。
ごめんなさい。どんな顔して会えばいいのだろう。わざわざ人間界に行って浮気して帰るなんて最低だ。どうしよう。
しかしこうしていても仕方がない。D.D.D.でルシファーに「迎えに来て」とだけメッセージを送った。
「ごめんなさい」
熱々のコーヒーを淹れて持ってきてくれたルシファーが私の右隣に座る。彼の部屋の、いつものグレーのソファ。普段はリラックスする場所なのに、今日は落ち着かない。自業自得だ。ルシファーの顔を見る。眉間にしわが寄る寸前の、少しだけ苛立ちを感じる顔をしている。そういえば、殿下に告白された後もこんな顔をしていたなと思い出した。嫉妬しているときの顔だ。
「結婚前に人間界に未練あるみたいなこと言い出すし、脱走するし、それで他の人に迫られてるわけだし、本当に駄目な婚約者だよ私は」
ルシファーはまだ熱いであろうコーヒーを平気な顔して一口飲んだ。ごくん、という音が気まずい無音の中に響く。
「おまえは本来人間界で生きるべきだった。だが、俺と魔界で生きることを選んだ。そうだな?」
「はい」
「なのに勝手に人間界に行って…どれだけ心配したと思っているんだ」
「………ごめんなさい」
「……おまえのホームシックに気づかなかった俺にも落ち度はある。ただ、それならそうと言ってくれ」
何故ルシファーは怒らないのだろう。絶対に私が悪いのに。私の罪悪感を増幅させるために、わざとだろうか?そうだとしたら、彼の狙い通りだ。みるみる罪悪感が膨れて胸が苦しい。
「ルシファーはなんにも悪くない!ルシファーと魔界で生きるって言ったのに、人間界が恋しくなっちゃった私が悪いの、だから、その、」
「分かった。一旦落ち着け」
そう言われて、落ち着くために、ちょうど良い温度になったコーヒーを一口飲んだ、つもりだった。
「…ぅえっ」
この世の物とは思えないほどの苦味。体が反射的に拒否したのか、口の端からボタボタと雫が垂れ、ワンピースの太もものあたりが茶色に染まる。ルシファーは私の手からコーヒーカップを取り上げ、ローテーブルに雑に置く。次の瞬間、私の顎を持ち上げ、顎から唇の端までを舐めあげた。
「!!、、、るし、ふぁー?」
脳の処理が追いつかない。
「……ふふ、流石に俺でも苦すぎるな」
ルシファーは、ローテーブルに置かれたカップに視線を向ける。
「ヘルコーヒーだ」
「あ、、、」
淹れる者の愛情が深ければ深いほど苦くなるヘルコーヒー。飲めない苦さだとわかっているから最近は淹れて貰っていなかった。まさか、この世の苦みという苦味を凝縮して煮詰めたような味になっていたとは。呑気に他人と遊んでいる私と裏腹に、ルシファーはこれほどまでに重い愛情を私に向けていたのだ。身をもって思い知らされると、恐ろしくなる。
「前に心理テストをしたことがあるんだが、俺は、『好きな人を閉じ込めておきたいタイプ』だそうだ。どうやら当たりだったみたいだな。今まではお前が側にいてくれればいいと思っていたが、気が変わった。」
「え、」
「おまえを狙う奴が多すぎるからな。いっそのこと、閉じ込めてしまうのも悪くないかもしれない」
とびきり甘い、誘惑するような声。閉じ込める、だなんて言葉を聞いた瞬間、恐怖だけでなく喜びも感じてしまった私は、もうすっかり彼の手に堕ちているのだろう。私は愛情深く献身的な彼のマスターだと思っていたけれど、最初の契約通り、私は傲慢を司る悪魔のものなのだ。彼の、もの。所有物。
ルシファーがカップを手に取り、コーヒーを飲んだかと思うと、紅玉の瞳が近づいてきた。押し付けられた唇は生身の体温があってあたたかい。そこから、先程の苦味が流れ込んでくる。舌は拒否しているはずなのに、ルシファーの愛を注がれているという状況に全身が喜んで、気づくと苦味を受け入れていた。口いっぱいに広がるコーヒーの味は、罰のように苦いけど、ずっと味わっていたいほど甘美にも思えた。
ひとくちぶんを飲み切ると、離されたルシファーの唇の隙間からふふ、と微笑が漏れた。
「永遠に俺の側にいると誓ったよな?今後は人間界なんて恋しくならないくらいにたっぷり愛してやるから、ずっと、俺だけの側にいてくれ」
いつものふたりきりの時間にしては低い声で、命令みたいにルシファーが言う。有無を言わさぬその威圧感に、頷くしかなかった。すると、満足げにキスを落とされる。
「脱げるか?」
「……うん」
いつも通り、私から服を脱ぐ。傲慢な彼は私に求められるのが大好き。だから、はじめこそ彼に脱がせて貰ってばかりだったけど、今では私から行動させられるようになっていた。そう仕込まれたのだ。
次はルシファーがベストのボタンを外すだろう、そう思ったが、ルシファーは何故か私が脱いだワンピースを持って立ち上がった。
「ルシファー?」
「さっき、ヘルコーヒーを溢しただろう。シミになる前に洗ってくる。」
洗濯?そのくらいのシミ、魔法ですぐに直せるのに?
呆然としているスリップ姿の私の肩に、ルシファーは自らのロングコートをかける。そして軽く頬にキスをして、うっすらと勝利感のある笑みを浮かべながら、スタスタと部屋を出て行ってしまった。期待したぶん、物足りなくて寂しい。きっと、あのヘルコーヒーも、こうして置いて行かれたのも罰なのだろう。コートの匂いを嗅ぎながら、早く部屋に戻ってきて欲しいと思った。
ところで、本当に閉じ込められたら、どうなってしまうんだろう?私の中の倫理観が逃げ出せと言う。しかし、一度は吐き出したほど苦いヘルコーヒーを美味しいと感じてしまったという私は、もう手遅れなのだろう。
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