0.月徒の魔術師

 天上に鎮座する蒼い月の眼下に、二つの人影が在る。
 一人は黒のローブを目深に被り、夜闇に紛れながらもその黒手袋にランタンを収める少女。柘榴色の瞳は一寸先の闇を見据え、吹き付ける風がフードの下、赤朽葉あかくちばの髪を肩上で揺らす。パステル色に発光するランタンは淡く燐光を拡散させ、闇を幻想的に彩っている。
 その少女に先導されるように、月白の青年が歩を進める。白のロングコートを纏い、月下に惜しみなく晒される髪は純白で、青磁せいじ色の眼は興味深げに周囲を見回している。
 まるで深淵に潜ったかのような、深い闇は唐突に終わりを告げた。
 突風に見舞われ、咄嗟に青年は腕で顔を庇う。風は闇を取り巻いて、遠くの彼方へ消え去っていく。やがて明瞭になった視界に驚嘆の息を洩らした。
 そこに広がるは多種多様な光、光、光。
 闇に慣れていた目を刺すそれらは、在るがままにその存在を主張する。
 そこは林だった。地からまばらに突き出る透明な水晶はかそけき光を包含し、木々のうろに群生するそれらは立派な光源を成している。見上げれば木漏れ日から光の筋が伸び、月光を浴びた樹皮が穏やかに煌めく様は小川の水面のようだ。
 木々の間を縫うように、光の獣が遠目に写る。幻獣と呼ばれる生命たちは、悠々とその生を謳歌している。蝶をかたどる幻が宙を舞い、光の軌跡を描いていく。
 余所見していた青年の前を鹿が軽快に通り抜けた。頭部から伸びる一対のつのに豊潤な宝石を実らせ、しゃんしゃんと澄んだ音を奏でる。
 二人は石畳の道を進んでいく。その先々で目にするものに、青年は初々しく目を輝かせる。
 やがて林を抜けたところで少女は立ち止まった。
「着いたわよ」
 少女越しに満点の星空が広がる。その視界の奥、高原の先の崖の淵、遠くに大都市の光を背負い、一軒の建物が静かに佇んでいた。
 赤褐色の煉瓦の壁に煙突のある焦げ茶の屋根。紺の扉の横にはランプが吊るされ、〝魔法店ロイズル〟と彫られた看板の根本に黒猫が丸まっている。猫は主人の気配を察知すると一鳴き間延びした声を上げた。
「こんなところに店……?」
「私のアトリエよ。店も兼ねるけど」
 少女は青年に向き直ると凛々しく微笑みかける。
「ようこそロイズルへ、夢の旅人。夢魅師ゆめみしとして貴方を目覚めまで導いてあげる」
 〝想い〟が生命の根源たるこの世界にいて、それらを育み力を流用する者たちは、自然の循環を円滑にする重要な責務を担う。
 太陽を知らない夢幻の世界で、夢を魅せる月徒の魔術師を〝夢魅師〟と呼んだ。
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