第1章 縁
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
背後からは、私を送り出した生徒たちの遠慮のない囁き声が、楽しげな波のようにザワザワと押し寄せてくるのが聞こえる。
釘崎「ちょっと、ねえ。あの二人、もしかして高専時代からずっとナマエ先輩のことを引きずってる系じゃないの? 見てよあの必死な顔」
虎杖「だとしたら期間めちゃくちゃ長くない!? 十年近くも初恋を拗らせてるとか、最強の無駄遣いじゃん」
伏黒「あの二人って、全然結婚しないなってずっと思ってたけど。……なんか、色々救われないな。最強なのに」
そんな容赦のないティーンエイジャーたちの残酷な推測に、背後で悟が「お前らさぁ、好き勝手言いすぎ。地獄耳の僕に全部筒抜けだし、聞こえてんぞ」と口を尖らせて牽制していたけれど、私はもうそれどころではなかった。
あの二人の、質量を持った重すぎる視線からとにかく一刻も早く逃げ出したくて、ひょこっと食堂に顔を出しにきていた硝子の腕を半ば強引に引っ張るようにして、彼女の根城である医務室へと避難した。
消毒液の匂いが鼻を突く静かな空間。久しぶりに硝子と二人きりになって、医務室の回転椅子に深く腰掛けながら、他愛のない世間話をして、買ってきた大福を片手に軽い昼食を済ませる。
硝子「……で? 実際のところ、あの悟と傑の狂った様子さ。あんた、当事者としてどう思ってるわけ? 正直に言いなよ」
硝子が白衣のポケットから煙草の箱を取り出し、一本を唇に咥えようとして、私の困惑しきった顔を見てニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
ナマエ「どうって言われても。相変わらず騒がしくて、反省の色が全くない二人だな、としか言いようがないわよ。あんなの、昔の高専時代からのただの延長線でしょ。私のことをからかって遊んでるだけよ」
硝子「ふーん。まあ、あんたが本気でそう思うなら、今はそれでいいんじゃない? あいつらがいつまでその『後輩』の面を被っていられるか、私は見ものだけどね」
カチリ、とライターの火が灯る音と、硝子のそんな意味深な言葉を背中に浴びながら、私は午後の補助監督としての事務仕事を進めるために「じゃあ、またね」と医務室を出ようとドアを引き開けた。
まさにその瞬間だった。
ナマエ「っ、きゃ……!」
視界が不意に遮られ、現れた巨大な壁のような「何か」に、正面から思いきりぶつかってしまった。完全にこちらの不注意だ。
かなりの衝撃で頭がクラリとし、そのまま後ろにバランスを崩して倒れそうになった私の体を、信じられないほど大きな、鉄板のように硬い手のひらが咄嗟にガシッと力強く支える。
ナマエ「あ……。すみません、私、全然前を見てなくて。怪我、なかったですか」
平謝りしながら慌てて顔を見上げると、そこには見覚えのない、体格の良すぎる大男が仁王立ちしていた。
首元が伸びた黒い無地のTシャツに、ラフな白いズボン。服の上からでも一目で分かる、異常なまでに隆起して浮き出た筋肉の輪郭は、先ほどまで食堂で見ていた五条や夏油といった「超一流の術師」たちのそれとは、明らかに異質だった。
磨き上げられた洗練された呪力の気配が、この男からは全くと言っていいほど感じられない。その代わりに、生物としての圧倒的な物理的質量と、微かに錆びた血の匂いが混ざり合うような、獰猛な獣のような生々しい気配が鼻腔を支配する。
後ろからガッチリと支えられた私の背中から、男の大きな手のひらの狂暴なまでの熱が、衣服を簡単に透過して直接肌へと伝わってきた。
その熱量があまりに強烈で、男の胸板に押し付けられるような格好になった私は、思わず「あの……っ、離して」と言葉を詰まらせた。
けれど、その男は私をすぐに離す気配を一切見せず、無言のまま、冷ややかな視線でじっと私を見下ろしてくる。
深い、深い、底の知れない底なしの虚無を湛えた、酷く冷徹な瞳。
その濁った瞳と目が合ってしまった、まさにその刹那、私の脳内がパニックを起こした。私の意思とは無関係に、術式が——相手と感覚を強制共有する『バイタルリンク』が、最悪なタイミングで勝手に起動してしまったのだ。
(……ドクン、ドクン、ドクン、ドクン……!)
耳の奥、いや、脳髄に直接響き渡るような、恐ろしいほど力強くて重厚な、大地を揺らすような心臓の鼓動。
今までリンクしてきた、どんな天才術師たちとも根本から違う。呪力というノイズが一切混じっていない、肉体そのものが放つ剥き出しの圧倒的な生命の拍動。
あまりの音圧と、リンクから流れ込んでくる獰猛な雄の質量に、頭の芯がカッと熱くなって意識が遠のきそうになる。体の芯がピりりと痺れるような、そんな不吉な感覚が背筋を駆け抜けた。
男「……っ?」
男はハッとしたように、私の限界を迎えそうなバイタルデータに何か異常を感じ取ったのか…私の身体が細かく震えていることに気づいたのか。それまでのホールドが嘘みたいに、不自然なほどパッと乱暴に手を離した。私の背中から、あの強烈な熱源が急に消え去る。
男「……気をつけろよ、お嬢ちゃん」
ドスの効いた低い声でそれだけを言い残すと、男は私の横を乱暴にすり抜け、そのまま私が今出てきたばかりの医務室の中へと入っていった。
私は動悸が収まらないままその場にへたり込みそうになりながら立ち尽くし、未だにじわじわと熱の残る自分の背中に、震える手をそっと当てた。
今の人は、一体誰なの?
高専の制服も着ていなければ、術師特有の呪力も一切ない。関係者には到底見えない。けれど、あの鼓動の、耳の奥を焦がすような生々しい音は、一体何なのだろう。
未だに自分の意思に反してトクトクと速いリズムを刻む震える指先をぎゅっと握り締めていると、静かな廊下の遠くの方から、静寂を切り裂くような声が聞こえてきた。
五条「ナマエー! どこにいるのー? ね、大福もう一個食べて良いか聞きにきたんだけどー!」
私を探す悟の、いつも通りの軽薄で、だけどどこか安心させてくれる高い呼び声が響く。私は乱れた呼吸を必死に整えながら、男が消えた医務室の扉をもう一度だけ見つめた。
next