第2章 新たなる受難
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火花散る一触即発の訓練場。四つの巨大で凶暴な執着がナマエを八つ裂きにせんばかりに膨れ上がり、空気が悲鳴を上げていたその時、重苦しい沈黙を切り裂くように、ひどく気怠げな靴音がザッ、ザッ、と響いた。
硝子「あー、うるさい。三階の医務室まで怒号が響いてるよ。お前ら、近所迷惑って言葉を知らないのか?」
白衣のポケットに両手を無造作に突っ込み、目の下に深い隈を刻んだ家入硝子が、あくびを噛み殺しながらひょいと殺気立つ輪の中に割り込んできた。
彼女は、今にも互いの首を喰らい尽くそうとしている凶悪な男たちを、まるで出来の悪い居残り生徒を見るような冷め切った目で見つめる。
五条「硝子、邪魔しないで。今、すごく大事な話の最中なんだからさ」
五条が不機嫌そうに整った唇を尖らせるが、硝子はまったく意に介さず、口にくわえた細い煙草から紫煙を一つふぅと吐き出した。
硝子「大事な話? 寄ってたかって一人の女を四方から追い詰めて、泣かせて、それが『大事な話』か。笑わせるなよ。お前らのそれは、ただの幼稚で汚い独占欲の垂れ流しだ」
ナマエ「硝子、私は……」
硝子「ナマエ、あんたはもう喋らなくていい。顔色が最悪だよ。バイタルリンク、男共の毒を浴びすぎて完全に脳がショートしてる」
硝子はナマエの手首を掴むと、力強く自分の方へと引き寄せた。その手は、先ほどまでの男たちの熱を帯びた、奪い合うような強引さとは対照的に、驚くほど冷静で、そして確かな救済の体温を持っていた。
甚爾「おい、硝子。そいつをどこへ連れて行くつもりだ」
甚爾が低い声で威嚇するように喉を鳴らす。だが、硝子は一歩も引かずに、火のついた煙草の灰を足元にトントンと落とした。
硝子「医務室だよ。あんたも、悟も傑も、ついでにそこの反抗期の坊やも。頭冷やして、自分のしてることの醜さをじっくり再確認してきな。これ以上ナマエに近づくなら、次の治療費は十倍に跳ね上げるからね」
恵「硝子さん。お願いします。ナマエさんを、助けてください」
恵が、喉の奥から絞り出すような情けない声で言った。彼は、自分が放った青臭い好意の言葉がどれほどナマエを追い詰めたか、ようやく自覚したかのように拳を強く握りしめている。
硝子「分かってるよ。行くよ、ナマエ。こんなむさ苦しい場所にいたら、バカが移る」
硝子は混乱し、膝の力が抜けて足元がおぼつかない一歳年上の先輩であるナマエの肩を優しく抱き寄せ、悠然と歩き出した。
訓練場に残された四人の男たちは、硝子の圧倒的な正論と、彼女が全身から放つ「不可侵」の絶対的なオーラに気圧され、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
遠くからその凄絶な様子を眺めていた釘崎野薔薇は、スマートフォンの録画を止め、感嘆の溜息を漏らした。
釘崎「やっぱり硝子さんスゲー。あの最強共を一言で黙らせるなんて、マジで尊敬するわ」
虎杖「あぁ、女って強いな。俺、一生勝てる気がしねぇよ」
虎杖悠仁が、戦々恐々とした面持ちで何度も深く頷く。
乙骨「でも、これ。嵐の前の静けさだよね」
訓練場に現れていた乙骨憂太が、去っていく硝子とナマエの背中を見つめながら、ぽつりと不穏な呟きを漏らした。
乙骨「あの四人、絶対に諦めないよ。頭を冷やした後は、もっと狡猾に、もっと確実にナマエさんを奪い合いに来る。地獄は、これからが本番だよ」
高専の医務室。
消毒液の独特な匂いと、心地よい静寂が満ちるその部屋に辿り着いた瞬間、ナマエは糸が切れたようにふかふかのソファへ崩れ落ちた。
硝子は無言で遮光カーテンを閉め、部屋を薄暗くすると、ナマエの前に湯気が立つ温かいココアを置いた。
硝子「飲みな。少しは落ち着くから」
ナマエ「ありがとう、硝子。ごめんなさい。私、あんなところで醜態を晒して」
硝子「あんたが謝ることじゃない。あいつらが、異常なんだよ」
硝子は再び煙草に火をつけ、紫煙越しに窓の外をじっと見つめた。
硝子「初恋、なんだってね。甚爾と」
ナマエ「うん。二十年前の、私の小さな初恋。でも、どうすればいいのか分からないの。みんなが私を求めてくれるのは嬉しいけど、それが、まるで解けない重い呪いみたいで」
硝子「愛と呪いは、紙一重だからね。特に、あの男たちは、正常な愛し方を知らない欠陥品ばかりだ」
硝子はふっと可笑しそうに笑い、ソファに丸まるナマエの髪を優しく撫でた。
硝子「しばらくここにいなよ。私が、誰も入れさせないから。あんたのバイタルリンクを、一度リセットしてあげる。男の泥っぽい匂いも、醜い執着も、全部綺麗に洗い流して、自分を取り戻しな」
ナマエ「硝子」
ナマエは、頼もしい友人の腕の中で、ようやく張っていた糸が切れ、本当の涙を静かに流すことができた。
外では、奪い合うための鋭い牙を研ぐ四人の男たちが、静かに夜の訪れを待っている。
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