第1章 縁
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古い木造の隠れ家の窓から、隙間を縫うようにして差し込んできた薄白い朝陽が、寝室に漂う静かな埃の粒子をキラキラと照らし出していた。
ナマエは隣のベッドで規則正しい微かな寝息を立てている甚爾の顔を、寝返りを打った状態でじっと見つめる。
二十年前、自分の小さな視界の中で眩しいほどに尖り、どこまでも荒々しかった彼の横顔には今、深く刻まれた目尻のシワや、数多の血生臭い修羅場を平然と潜り抜けてきた大人の男特有の、どうしようもなく重い凄みが静かに宿っていた。
ふと、以前に高専で釘崎から何気なく聞かされたあの言葉が、冷え切った脳裏を唐突によぎる。
((釘崎『ちょっとナマエさん。あのパパさん、恵の父親だってこと、もしかして今まで知りませんでした?』))
……恵くん。か…。
周りの友人はとっくにそれぞれの家庭を持ち、誰かの親としての落ち着いた顔を手に入れている。自分より十も年上のとと兄に子供がいても、それは理にかなった時の流れであり、誰も責められない現実だった。
ナマエは自嘲気味に、ふふっと寂しげに笑い漏らす。
ナマエ「そうよね。私たち、紛れもなくもう立派な大人なんだもの」
けれど、こうして数時間前に彼と熱く肌を重ね、魂の髄までぐちゃぐちゃに溶かされたあの鮮烈な感覚は、子供の頃の淡い初恋のまま燻り、二十年かけてこじらせ続けた醜い情念そのものだった。
体は十分に成熟し、それなりの社会的な立場を得たつもりでいても、心の最も柔らかい核の部分は、あの雪の降る禪院の冷たい屋敷に置き去りにされたままだ。
私たちは、あまりにアンバランスで不格好な大人になってしまった。
ナマエは甚爾を起こさないよう細心の注意を払い、そっとベッドから這い出た。冷え切った床に散らばっている自分の衣服を一つずつ拾い集め、身体に纏いながら、これからの高専での恐ろしい振る舞いについてあれこれと思案し始める。
高専に戻れば、あちらには七歳の頃のおままごとのような約束を、現代最強の規格外の力を保持したまま呪いのように本気で信じ続けている五条悟がいる。
そして、高専時代のアオハルを地で行くような、青臭く独善的な執着を一切捨てきれない夏油傑が待ち構えている。
さらに恐ろしいことに、五条の教え子には、甚爾の実の息子である恵くんまで在籍しているのだ。
あまりの相関図の最悪さに、額を手で押さえる。
ナマエ「最悪ね、本当に。父親にこんなわけのわからない女の影がチラつくなんて、十代のデリケートな男の子からしたら気持ち悪くて、吐き気がするほど不愉快に決まってるじゃない」
吐き出した独り言は、暖房の効いていない部屋の冷たい朝の空気に触れてすぐに白く消えた。隠し事というものが致命的に下手くそな自分が、よりによってこの獰猛なとと兄との激しい情事を、あの二人の鋭すぎる最強たちに隠し通せるだろうか。
バイタルリンクによって肉体ごと結びつけられたこの絆は、あまりにも心地よく、まるで極上の麻薬のように私の五感すべてを完全に支配し尽くしている。
自分でも少し"おかしい"と感じながらも、この深く侵食した感情も思考も自分のものなのか、彼のものなのか…バイタルリンクの性質上ナマエは判別する事が出来なかった。
例えこれが破滅の地獄へとまっすぐ続く錆びた鎖だったとしても、今の自分にそれを引きちぎる勇気なんてこれっぽっちもない。それは、自らの生きた半身を肉ごと切り落とすような、狂気にも似た痛みを伴う覚悟が必要だからだ。
甚爾「おい、何を朝っぱらからブツブツと独り言ほざいてやがる。寝起きからずいぶんと景気の悪い暗いツラしてんな、お前は」
背後から、低く掠れた重い声が突然響いた。いつの間にか完全に目を覚ましていた甚爾が、布団をはだけてその逞しい上半身をゆっくりと起こし、こちらを退屈そうに眺めている。
寝乱れた黒髪と、獲物を見定めるような特有の鋭い眼差し。その野性味溢れる無駄のない肉体の美しさに、ナマエの心臓は再びうるさく跳ね上がった。
ナマエ「っ、おはよう、とと兄。今後のことを真面目に考えてたのよ。私が高専に戻ったら、間違いなくあの二人にものすごい勢いで詰め寄られるわ。それに、恵くんのことだってあるじゃない」
甚爾「恵? あいつがどうしたよ。あんなクソ生意気なガキの機嫌なんか、俺の知ったことかよ。それとも何か、お前はあいつの新しい母親にでもなる準備が、そのウブな頭の中で出来上がってるって言うのか?」
甚爾は鼻でせせら笑い、ベッドから音もなく降りると、衣服を着かけのナマエの腰を大きな腕で背後から強引に引き寄せた。
ナマエ「そんなわけないでしょ! 変なこと言わないで! ただ、立場的にものすごく気まずいって言ってるの! あなたはいつもそうやって、自分の都合のいい欲求だけで動いて、周りの人間の迷惑なんて一ミリも考えてくれないんだから!」
甚爾「あぁ、考えねぇよ。いちいち他人の顔色なんか考えてどうにかなるような、上等な人生じゃなかったからな、俺は。お前もさ、いい加減そのつまらねえ優等生の殻を脱ぎ捨てたらどうなんだ。俺と寝て、あんな淫らな声上げて全身ガタガタ震わせてた女が、今更どの面下げて高専の飼い犬に戻るつもりだ?」
ナマエ「それは……っ! あれは、術式が勝手に繋がったままになってたからでしょ! 不可抗力よ、不可抗力!」
ナマエは顔を耳の裏まで真っ赤に染め上げて必死に言い返すが、腰に回された甚爾の太い腕の力は微動だにせず、むしろさらに密着するように締め付けられる。
甚爾「不可抗力、ねえ。じゃあ、今こうして俺の腕の中で、お前の心臓が壊れそうなくらいバクバクと五月蝿い音を立ててんのも、全部術式のせいだって言い張るつもりか? お前はな、本当は俺のことが欲しくて欲しくて堪らねぇんだよ。二十年前のあの雪の日から、ずっとそうだったろ」
甚爾の冷徹な言葉は、ナマエの胸の最も痛いところを寸分の狂いもなく正確に突き刺してくる。これ以上言い返す言葉がどうしても見つからず、ナマエは悔しさに唇を噛み締めながら、ただ彼を睨みつけることしかできなかった。
ナマエ「本当に、昔から性格悪いわね。とと兄ってば」
甚爾「ハッ、よく言うぜ。その性格の悪い男にまた今から中までぐちゃぐちゃにされたいって、お前の正直な体はこんなに熱くなって言ってんぞ」
甚爾は私の柔らかな耳たぶを犬のように甘噛みし、そのまま白く細い首筋へと、熱い唇を何度も落としていく。言葉ではいくら反発しても、彼と肌が直接触れ合うたびに、バイタルリンクが脳内で狂喜の声を上げて歓喜する。
大人としてのくだらない分別と、すべてを投げ出して彼に溺れたいという剥き出しの本能。その耐え難い狭間で激しく揺れ動くナマエを、甚爾はあざ笑うように見つめ、けれど誰にもこの女を渡さないという冷酷な執着を全身から剥き出しにしながら、再び強く、その頑丈な胸の中に抱きしめるのだった。
夜明けの白い光の中で、二人の重なり合う影は、再び深い闇となって混ざり合う。それは、二人だけの救済であると同時に、決して解くことのできない新たな呪いの始まりを意味していた。
1章 END
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