第1章 縁
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薄暗い高専の廊下に充満する、悟のひりつくような強烈な独占欲と、背後から音もなく近づいてきた傑の冷徹な気配。
完全に二人の最強に挟まれ、逃げ場を塞がれた私の背中は、冷たいコンクリートの壁にぴったりと張り付いていた。
ーー七歳の婚約。そんな記憶の奥底に沈めて忘れていたはずの幼い約束が、今の呪術界の頂点に立つ男の手によって、ひどく重い鉄の鎖へと姿を変えて私を雁字搦めに縛り付けようとしていた。
悟の顔が、熱い吐息が直接かかるほどの至近距離までぐっと近づく。目隠しの隙間から覗く鮮やかな青い瞳が、獲物を絶対に逃がさないと獰猛に射抜くように私を凝視していた。
五条「…ちゃんと聞いてる?ナマエ。あいつの事考えるくらいなら、僕の事だけを考えてって言ったんだよ。それとも、あいつの味方がしたいわけ?」
その凍りつくような瞬間のことだった。私のスカートのポケットの中で、スマートフォンがけたたましく振動し、静寂を乱暴にぶち破った。
私は救われたような気持ちになりながら、息を整える。
ナマエ「っ、ごめん、ちょっと待って。電話が鳴ってるから出させて」
五条「出なくていいよそんなの。今、僕が大事な話をしてる最中でしょ。無視しなよ」
悟が私の手首を大きな手で掴み、ポケットからスマートフォンを取り出すのを力ずくで阻もうとする。だが、液晶画面に大きく表示された発信者の名前を見た瞬間、私の指先が微かに跳ねた。画面に浮かび上がっていたのは【伏黒甚爾】という文字列だった。
その名を目にした瞬間、五条悟の眉間が一気に険しく吊り上がる。
五条「へぇ。あいつの部屋を出てからまだ数時間も経ってないのに、もう追撃してくるわけ? 随分としつこくて未練がましい男だね、本当に反吐が出るよ」
悟は皮肉げに口の端を不気味に吊り上げると、あえて握りつぶしそうになっていた私の手をすっと離した。
五条「いいよ、だったらその電話に出なよ。ただし、スピーカーにしてさ。僕たちの前で堂々と話してよ」
すぐ隣にまで歩み寄ってきた傑も、糸のように細い目をさらに鋭く細め、胸の前で腕を組んだまま、静かな怒りを全身から湛えて画面を上から覗き込んで『でなよ』と言いたげに私を見つめる。
二人の無言の圧力に耐えかねて、私は震える指で通話ボタンを押し、スピーカー通話に切り替えた。
静まり返った廊下に、野性味を帯びた、低く不機練に掠れた男の声が響き渡る。
甚爾「おい。お前、忘れ物してんぞ」
ナマエ「え、嘘。忘れ物…? 私、忘れ物なんてしたっ……け…。」
甚爾「大有りだろ。お前の温もりが部屋にそのまま残ってて、こっちは全然寝付けねぇんだよ。だから今からそれを届けに行ってやる。黙って高専の正門まで出てこい」
それは忘れ物という名前を借りた、明らかな宣戦布告であり、挑発だった。受話器の向こうからは、夜の闇を駆けるバイクの重いエンジン音がブルブルと微かに響いてくる。
一瞬の静寂。次の瞬間、私の左右にいた二人の最強から、もはや隠しようのない狂気じみた殺意が爆ぜた。
五条「あー、もう無理。イライラが限界突破。傑、やっぱりあいつ、今すぐ僕が殺していいよね?」
五条悟の周囲で、呪力が物理的な衝撃波を伴ってバチバチと激しく弾ける。
夏油「ああ、構わないよ悟。教育者としてではなく、ただの一人の男として、不法侵入を企てる不届き者はここで徹底的に排除しなければならないね。私も手伝おう」
夏油傑の背後の影から、漆黒の不気味な呪霊が数体、ぬうっと音もなく這い出してきた。そして、高専の正門の方角から、夜の静寂を切り裂くような爆音の排気音が急速にこちらへと近づいてくるのが分かった。
数分後、青白い月明かりの下。
高専の正面玄関の長い階段を下りた先で、大型の黒いバイクに跨った甚爾さんが、不敵な笑みを浮かべて私たちを待っていた。
甚爾「おーおー。お坊ちゃんたちが揃ってお出迎えか。随分な大層な歓迎だな、おい」
甚爾さんはバイクのエンジンを止めると、ヘルメットを脱ぎ、私の方へと真っ直ぐに歩み寄ってくる。その大きな手には、私が彼の家に忘れたはずのない、見覚えのない小さな包みが握られていた。中身なんて何でもよかったのだろう。
甚爾「ナマエ、こっちに来い。お前はこいつらの所有物じゃねえだろ。早く俺のところへ来いよ」
甚爾さんの大きな手が、私の肩を自分の方へと力強く抱き寄せる。その瞬間、左右から五条悟と夏油傑が、それぞれ私の手首を凄まじい力で掴み返した。
三人の男たちの視線が、私の頭上ではっきりと火花を散らす。
五条「離せよ、クズ。その汚い手で、僕の婚約者に気安く触んじゃねえよ。消し飛ばすぞ」
夏油「甚爾。彼女は君と任務に同行したかもしれないが、心まで預けた覚えはないはずだよ。その手を早く離してもらおうか」
一触即発。夜の高専の庭に、かつてないほどの濃密な呪力と、呪力を一切持たない男が放つ純粋で圧倒的な殺気が渦を巻いて激突する。
その恐ろしい修羅場の中心で、私はただ、三人のあまりに重すぎる執着に圧倒され、呼吸をすることさえ忘れていた。
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