第1章 縁
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===甚爾Side===
狭いキッチンにずらりと並んだタッパーの山。
ナマエはそれを冷蔵庫へと綺麗に並べた。
部屋を満たす出汁の柔らかな残り香が、この男所帯の薄汚い空気を綺麗に塗り替えていた。
一通りの作業を終えて満足そうに息を吐いたナマエが、ふと壁の時計を見やった瞬間、弾かれたようにその細い肩を大きく揺らし顔を真っ青にして声を裏返らせる。
ナマエ「嘘!ちょっと待って、もうこんな時間じゃない! 冗談抜きで急がないと時間絶対に間に合わない!」
あいつは慌ててエプロンを乱暴に剥ぎ取ると、少し汗ばんで乱れた髪を指先で大急ぎで整えながら、カバンをひったくるように抱え込んだ。
その余裕の欠片もない焦燥に満ちた姿をじっと見つめていると、俺の胸の奥底で、どろりとした不快な独占欲が醜く鎌首をもたげる。
今からあいつが帰るあの忌々しい高専という場所には、あの目障りな最強のガキ共が手ぐすねを引いて待っているのだ。そう思うだけで、虫唾が走るほど気に入らなかった。
靴を履こうとバタバタしているあいつが、俺に向かって早口で捲し立てる。
ナマエ「甚爾さん、冷蔵庫の中のタッパーはちゃんと確認してくださいね! あと、温める時は……」
俺はあいつのうるさい口を塞ぐように、低い声を放った。
甚爾「おい」
俺はあいつの細い手首を、容赦なく無造作に掴み寄せた。ぐいと腕を引っぱる。
強引な力に抗えず、あいつの身体が俺の分厚い胸板に正面から思い切りぶつかった。驚いて見上げてくる潤んだ瞳を、俺は絶対に逃がさないように正面から熱い視線で見据えた。
ナマエ「ちょっと、どうし…」
甚爾「……来週も、その次も来い。…俺から離れんじゃねぇぞ。」
自分でも驚くほど、低く、ねっとりとした湿り気を帯びた声が喉から出た。これはもう、栄養指導の契約なんて綺麗な言葉で片付けられるようなもんじゃない。ただの、剥き出しの醜い執着そのものだ。
俺の腕の中で、あいつの身体が微かに細かく震えるのが伝わってくる。これは俺に対する恐怖か、それとも俺と同じ異常な熱に当てられたせいなのか。
あいつは困ったように眉を八の字に下げながら、けれど決して俺の身体を拒絶することなく小さく微笑んだ。
ナマエ「はい、また来ます。…絶対ですよ?」
その優しい笑顔を見た瞬間、俺の頭の中で理性の最後の一線が、ぷつりと音を立てて完全に切れた気がした。
バタン、と重々しい鉄製のドアの音が部屋中に響き渡り、あいつの温かい気配がアパートから完全に消え去った。
一人きりで残された不気味な静寂の中で、俺は古びたソファに深く身体を沈め込み、何も無い天井をぼんやりと仰いだ。
鼻先には、まだナマエの髪の甘い香りが生々しくこびりついて離れない。
たった数時間、あの女がこの空間に居たというだけで、このゴミ溜めのような薄暗い部屋が、耐え難いほどに温かくなってしまっていた。
目頭を大きな手で乱暴に押さえると、その指先が僅かに震えていた。
甚爾「チッ、離さねえっつったろ…」
誰もいない冷えた空気の中に、俺の寂しい独り言が虚しく溶けていく。
あいつが今頃必死になって帰っている呪術高専という場所が、急にひどく不衛生で不快な檻のように思えてきて、無性にイライラした。
五条や夏油の、あのあいつに対する執拗でねっとりとした欲情の視線に無防備に晒され、術式という便利な名目のためだけに、あの忌々しい上層部どもに魂を削り取られているあいつ。それをただの仕事だからと納得して、お人好しみたいに笑って受け入れているあいつの態度が、今の俺には無性に腹立たしくて仕方がなかった。
ナマエは、俺のバッテリーだ。俺の傷ついた肉体を、俺の底なしの空腹を、そしてこの完全に渇ききった心を優しく埋めるためだけに存在する、俺だけの特等席なんだ。それをあの生意気なガキ共に易々と明け渡すなんて、万が一にもあり得ない。
ソファに寝そべりながら、俺は冷酷に思考を巡らせる。
どうやって、あの女を自分の手元だけに囲い込むか。総監部の下した決定なんて、俺の力があればいくらでも裏から力ずくで引っくり返せる。
ナマエを公の補助監督という危ない立場から無理やり引きずり下ろし、俺の私的な専属契約下へと完全に移してしまえばいいだけの話だ。
金が必要なら、大物ターゲットの首をいくつか適当に狩れば、いくらでも大金はどうにでもなる。住む場所も、あいつが狭いと呆れて笑わないような、もっと見晴らしの良い、日当たりのいい上等な部屋を新しく探そう。
俺はむくりと起き上がると、キッチンへと歩いて冷蔵庫の扉を乱暴に開けた。あいつが残していった出来立ての料理の一つを、まだ入れたてでほんのりと冷めやらぬ温かい温度のまま、指でつまんで直接口の中へと運んだ。
舌の上で優しく解けていくその味に、俺は自分がもう、あいつの居ない灰色の世界には二度と戻れないことを、悟るのだった。
甚爾「待ってろよ、ナマエ。お前がそれを望もうが望むまいが、最後には俺の腕の中にしか居られないように、全部の退路を断ってやるからな」
暗いアパートの部屋の中で、俺はあいつの残していった愛おしい温もりを噛み締めるように、静かに、そしてどこまでも冷酷に、彼女を完全に自分の私物にするための計画を練り始めるのだった。
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