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1章 幻を追って
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マロンモールでの「遭遇事件」から、三日が過ぎた。
呪術高専は、表面上の静けさを保ちながらも、その深部では熱病に侵されたような奇妙な活気に満ちていた。
夜蛾正道は、五条と夏油から提出された報告書をデスクに叩きつけ、重い溜息を吐いた。
夜蛾「十年来の噂だった『幻のヒーラー』……。それが実在し、あまつさえ最強の二人が揃っていながら逃したというのか」
五条「いやあ、面目ないね。夜蛾学長、責めないでよ。あの魔術師さん、次元そのものを切り替えてるみたいでさ、ボクの六眼でも追いきれない瞬間があったんだ」
五条はソファに深く沈み込み、長い脚をテーブルに放り出していた。
その瞳はいつになく熱っぽく、虚空をなぞる指先はあの夜の残香を追っているかのようだ。
夏油「学長、報告した通り、あれは呪術界の既存の枠組みでは測れません。呪詛師や他の組織に知れ渡る前に、高専が確保すべきです。……あの力は、あまりにも清らかで、劇薬のようだ。」
夏油の言葉には、いつもの冷静な理性を上書きするような、昏い所有欲が滲んでいた。
夜蛾は、秘密裏に痕跡の捜査を命じた。まだ上層部には伏せておく必要がある。あの「光」を巡って、呪術界全体が狂奔し始めるのは火を見るより明らかだったからだ。
***
一方、学生たちの間でも、あの夜の出来事は消えない刺青のように深く刻み込まれていた。
教室では、虎杖が座学のノートの隅に、記憶を頼りにペンを走らせていた。
虎杖「……こう、もっとシュッとしててさ。髪は銀色で、光が当たるとオーロラみたいに……」
釘崎「ちょっと、見せてみなさいよ。……ぶっ、何これ。アンタ、あれだけ間近で見ておいて、このナマズみたいな絵は何なのよ」
虎杖「ナマズじゃねーよ! 目の色が、こう、アメジストみたいにキラキラしてて、スゲー綺麗だったんだって!」
釘崎「分かってるわよ。……あーあ、なんであの時、私の手が届かなかったのかしら」
釘崎は頰杖をつき、窓の外を眺めた。
彼女の脳裏にも、あの脊髄を突き抜けるような多幸感がこびりついている。
伏黒恵は、二人の騒ぎを黙って聞きながら、自身の掌を握りしめていた。
伏黒「……十年間、痕跡だけで誰も本人を目撃できなかった。それが俺たちの前に現れたのは、単なる偶然か。それとも……」
伏黒の言葉に、教室の空気がわずかに重くなる。彼らは皆、あの魔術師という存在に「選ばれたい」という無意識の願望を抱き始めていた。
そこへ、廊下で噂を聞きつけた二年生たちが転がり込んでくる。
真希「おい、一年坊主。マロンモールの話、詳しく聞かせろ。本当に出たんだろ? 伝説のヒーラーがさ」
パンダ「大人たちがみんな骨抜きにされてるって噂だぞ。五条も夏油も、最近ずっとどっか遠くを見てるしな」
乙骨「……僕も、少しだけその残り香を感じたよ。すぐに調査に向かわされたんだけど…モールに残っていた光の粒子が、呪力とは全然違う、温かくて静かなエネルギーだった。まるで神気のようだったよ。」
乙骨憂太の言葉に、一年生たちは身を乗り出した。
虎杖「乙骨先輩もそう思う!? マジで、世界が洗われる感じだったんだよ!」
真希「チッ、面白そうじゃねえか。次はアタシらも連れてけよ。そいつがどれだけの実力か、この目で確かめてやる」
狗巻「しゃけ。(僕も!見てみたい!!)」
二年生たちの好奇心は爆発寸前だった。
高専全体が、まだ見ぬ「魔術師さん」への幻想と期待でパンパンに膨れ上がっている。
その喧騒から離れ、渡り廊下の隅で甚爾は壁に背を預け、イライラした様子で目を細め、外を見ていた。
甚爾「……チッ。どこに隠れてやがる」
彼の指先は、まだ微かに震えていた。
あの夜浴びた、脳を溶かすような快感の余韻。
呪力を持たぬがゆえに、甚爾の身体はあの聖なるエネルギーを異物として排泄できずにいた。むしろ、渇いた砂が水を吸い込むように、彼の肉体はあの魔術師を求めて悲鳴を上げている。
甚爾(懸賞金なんて、もうどうでもいい。あのツラをもう一度拝んで、次は逃げられないようにこの腕の中に捩じ伏せてやる)
甚爾の瞳には、獲物を狩る獣のそれではなく、唯一の救い――「光」を渇望する男の飢餓感が宿っていた。
***
場所は変わり、山奥に隠されたセトルドーム。
ナマエは、リビングの光パネルに映し出される「マロンモール周辺の呪術師密度」のグラフを見つめ、溜息を吐いた。
ナマエ「……信じられない。三日経っても、まだあのエリアを誰かが徘徊してる。あの白髪や前髪の連中、しつこすぎるよ」
ふわもこのルームウェアに身を包んだナマエは、温かい飲み物を一口啜り、自身のコンタクトレンズが記録したデータを映すモニターに映る、虎杖たちの写真を眺めた。
ナマエ「特にこの、ピンクの髪の子……。虎杖って言ったかな。あの時、一番近くで僕を見てたよね。……あんなに純粋な目で追いかけられたら、変装してても落ち着かないな」
ナマエは、マロンモールの浄化が未完了であることを示す赤いアラートを指でなぞった。あの場所には、まだ蓄積された「澱み」が残っている。だが、今は迂闊に近づけない。
高専内で膨れ上がる「幻のヒーラー」への妄想。
そして、ナマエの心に残った、自分を追い詰めた男たちの熱い体温。
銀糸の髪を揺らし、ナマエはアメジストの瞳を伏せた。
彼女が願った「さよなら」は、最強の男たちの心に最も深く突き刺さる「呪い」となって、彼らをさらに熱狂させていることに、彼女はまだ気づいていなかった。
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