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3章 星を継ぐ希求
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深夜から明け方にかけて、東京湾の全域を揺るがした未曾有の災厄。その過酷な戦いを五条や夏油、および伏黒甚爾という怪物たちと共に最前線で潜り抜けた若き術師たちは、ようやく高専の男子宿舎へと帰還していた。
大仕事を無事に終えたという計り知れない安堵感。それと同時に、身体中にじっとりとまとわりつく潮風のベたつきを早く洗い流してしまいたいという至極当然の欲求が、彼らの足を共有のシャワールームへと向かわせる。
お湯の沸き立つ心地よい湯気が白く立ち込める脱衣所で、伏黒恵は手早く上着を脱ぎ捨てながら、小さく息を吐き出した。
伏黒「……無事終わったな。本当に、一時はどうなるかと思ったが」
その呟きは、いつも通りの淡々としたトーンでありながらも、どこか深く安堵した響きを孕んでいる。
隣のロッカーで、すでにシャツを脱ぎかけていた虎杖悠仁が、その言葉に弾かれたように顔を輝かせて振り返った。
虎杖「あぁ! 本当にな! いやさ、不謹慎かもしんねーけど、俺、なんか最後のほうはマジで楽しかったんだよ。自分が欲しい!って思った絶妙なタイミングで、背後から魔法がびゅびゅーん!って飛んでくるんだもんな。なんか自分が、テレビに出てくるめちゃくちゃ強い無敵のヒーローにでもなった気分だったわ!」
虎杖悠仁は拳をぐっと握りしめ、戦場でのナマエとの鮮烈な連携を思い出すように空を殴る真似をしてみせる。その無邪気な熱量に、伏黒は呆れたような、けれどどこか同意するような薄い笑みを口元に浮かべた。
伏黒「……お前は単純だな。だが、確かにあの効率は異常だった。呪術の付与とは根本的に違う。俺も、あの人の魔法、もっと近くで見てみたいと思った」
二人がそんな風に言葉を交わしながら、心地よいお湯の音に満ちたシャワールームの重い扉を開けると、そこにはすでに先客がいた。
湯気の中から、頭にタオルを乗せた乙骨憂太と、口元を隠さずにリラックスした表情の狗巻棘が、二人の気配に気づいて顔を向ける。
狗巻「しゃけ! こんぶ……!」
狗巻棘が嬉そうに目を細めて声をかける。その様子を見て、乙骨もまた、柔らかな、けれどどこか興奮を隠しきれないといった様子で白い歯を見せた。
乙骨「あ、虎杖くんに伏黒くん。お疲れ様。今ね、ちょうど僕らもナマエさんの話をしてたところなんだよ。本当にすごかったね、今回の連携」
シャワーの温かいお湯を頭から浴びながら、乙骨の声音には戦いの中で得た確かな手応えが、心地よい残響となって残っていた。
乙骨「もし、僕があのナマエさんのスピードアップできる魔法……『ヘイスト』って言ってたかな。あれを僕の術式で『模倣』することができたら、これからの任務で、すごく……みんなの役に立ちそうなんだ。今度、ナマエさんにどんな構造の魔法があるのか、詳しく聞いてみよっか」
狗巻「しゃけしゃけ!」
狗巻も激しく首を縦に振り、大いに同意の意を示す。どうやら先輩たちの間でも、ナマエの存在と、彼女の放つ未知の魔法の数々は、驚きと強い興味の対象として激しく心を揺さぶっていたようだった。
虎杖が嬉しそうにその会話に割って入る。
虎杖「へへ、やっぱり先輩達もあの魔法、めちゃくちゃ気になるっスよね! 分かるわー、男であれにワクワクしない奴いないって!」
乙骨「うん。なんだかさ……。あんなに過酷な状況だったのに、みんなとナマエさんとの連携が本当に楽しくて、不思議と疲れを忘れるくらいだったんだよね」
伏黒はシャワーの蛇口をひねり、温かいお湯を全身に浴びながら、静かに乙骨の言葉に耳を傾けていた。そして、髪をかき上げながら、乙骨へ向けて確かなトーンでそう告げた。
伏黒「……そうですね。ナマエさんが無事に目覚めたら、みんなで話を詳しく聞きに行きましょう」
口ではそう言いつつも、伏黒の脳裏には、中庭で自分の親父――伏黒甚爾が、まるであらゆる外敵から隠し通すかのように、大切そうに、強引にその腕に抱きかかえていたナマエの青白い横顔が鮮明に浮かんでいた。
あの独占欲の塊のような親父のことだ。今頃、自分の部屋でナマエをどう扱っているのか。そんな、少しだけ居心地の悪い、けれど妙に気になる想像が彼の胸の内に過り、彼はそれ以上考えるのをやめるように、熱いお湯の中に顔を埋めるのだった。
***
一方、太陽が完全に昇り、一般の人々が何事もなかったかのように新しい一日を生き始め、街が生活の音で満ち始める時刻になる頃。
呪術高専がひた隠しにしていた『伝説のヒーラー』を巡る事態は、いよいよ最悪のピークを迎えつつあった。
高専事務方に設置された電話回線は、文字通り一秒の隙もなく鳴り響き、パンク寸前の赤ランプを点滅させている。
それだけに留まらず、遠方からわざわざ呪術界の専用車を走らせてきたのだろう、高専の古びた玄関門から応接室へと続く長い廊下は、詰めかけた各名家の使者や総監部の人間たちのせいで、異様なまでの熱気と殺気で溢れかえっていた。
「おい! いつまで待たせるつもりだ! 夜蛾を出せ!」
「高専ごときが特級術師二人と、あの奇跡の術者を独占するなど、呪術界全体の裏切り行為だぞ!」
「こちらには相応の準備がある! 金ならいくらでも出すと言っているだろう!」
応接室の重い扉の向こうからは、時代錯誤な老害とも言える、一分も待てない権力者たちの醜い怒号や、くだらないマウントの取り合い、および金に物を言わせた汚い交渉の言葉が、絶え間なく漏れ聞こえてくる。
その対応の最前線に立たされていた五条悟と夏油傑の二人は、ただでさえ最も嫌いな"権力"という澱んだ存在の相手をさせられているせいで、大仕事を終えたばかりの身体に、さらに濃い疲労と不機嫌の色を滲ませていた。
五条「あー、マジでだるすぎる。傑、ボク、今ならこの応接室ごと、あのうるさい爺どもを全員まとめて『赫』で更地にできる自信があるんだけど。ちょっとやってきていい?」
五条はソファの背もたれに完全に頭を預け、アイマスクを指先でいじりながら、低く尖った声で吐き捨てた。その美しい六眼の奥には、隠しきれない本物の殺意がギラギラと渦巻いている。
夏油「……わかる。わかるよ、悟。私も今、全く同じ気持ちだ。彼らのあの、自分たちが世界の中心にいると疑わない脳髄を、呪霊の餌にでもしてやりたいくらいさ」
夏油傑は、いつもなら崩さない紳士的な微笑みを完全に消し去り、底冷えするような冷徹な声で応じながら、深く、大きなため息をついた。彼の額にも、怒りを堪えるような青筋がかすかに浮かんでいる。
五条「だいたいさぁ、誰がナマエをそんな汚い奴らに渡すってかよ。ってかさ、あいつら本当にバカなんじゃないの? もしナマエに無理矢理触ろうとしたり、監禁しようとしたりしてみなよ。あいつの能力なら、次元の狭間にでもすっと逃げ込まれて、二度とこの世界に戻ってこなくなって終わりだろ。あいつらの安いおつむじゃ、そんなことすら想像できないわけ?」
夏油「はは、それを正確に知っているのも、実際に彼女の術式を間近で見た私達だけだからね。彼らは何も知らない。知らないからこそ、あの至高の力を自分たちの手元に置いて、都合よく制御できると盛大に勘違いしているんだろうさ。滑稽な話だ」
夏油は皮肉を込めて冷たく笑う。その瞳には、目の前の権力者たちに対する底知れない軽蔑が満ちていた。
五条「あはは! 本当、バカしかいねぇ〜! 傑、もういっそ全部無視して、ナマエのところ行って遊ぼうよ。あいつ、甚爾の部屋で今頃どうなってっかな」
二人がそんな極論を交わしていると、応接室の扉が開き、疲れ果てた表情の夜蛾正道が姿を現した。夜蛾は二人を見やり、これ以上は埒が開かないというように首を振る。
夜蛾「悟、傑。上層部からの圧力がこれ以上強くなる前に、今日の十六時で一旦、すべての面会と問い合わせを強制的に打ち切る。その後、高専として正式な対応を発表するための会議を行う。それまでは、何が何でもあのナマエという少女の身柄を隠し通すぞ。いいな」
五条「はーい、だるそうだけど了解。ま、高専のセキュリティはボクのセンサーもあるし、不埒なネズミが侵入しようとしたって、一瞬で叩き潰すだけだしね」
だるそうに肩をすくめながらも、五条の六眼はすでに高専敷地全体の呪力配置を正確に把握し、いかなる不法侵入も許さないよう、鋭く気を配っていた。夏油もまた、影から数体の監視用呪霊を静かに放ち、防衛体制を盤石なものにしていく。文句を言いつつも、いざとなれば完璧に対応にあたるその姿は、やはり呪術界の「最強」と呼ばれるに相応しいものであった。
***
高専の表門が激しい権力闘争の渦に巻き込まれていることなど、この隔離された静寂の部屋には、露ほども届かない。
薄暗い伏黒甚爾の自室。そこには、ただ二人の人間の静かな呼吸の音だけが、深く満ちていた。
甚爾は、ナマエを自分のベッドに横たわらせ、布団をかけただけでは到底満足できなかった。彼女をただ眺めるだけでは飽き足らず、彼は自らもベッドへと這い上がり、ナマエの小さな身体を背後から包み込むようにして、その太い腕で強く抱きしめながら、いつの間にか浅い眠りに落ちていたのだ。
どれほどの時間が経っただろうか。
甚爾はふと意識を覚醒させると、腕の中に収まっているナマエの、柔らかな背中の温もりを堪能するように、さらに距離を詰めた。
まるで、自分の所有物を誰にも渡さないと主張する大型犬のように、甚爾はナマエの細い、無防備なうなじに自らの高い鼻と唇を寄せ、じわりと擦り付ける。
彼の硬い髪がナマエの肌をくすぐり、男らしい、汗と微かなソープの混ざった濃い香りが、二人の間に立ち込める。互いの肌を通して伝わる、確かな体温。
それが驚くほどに心地よく、死線を潜り抜けた二人の心を、芯から安心させていく。
ナマエ「んん……」
魔力切れという、精神の極限状態の枯渇によって深く、深く眠り込んでいたナマエが、うなじに触れる熱い気配に反応して、僅かにその意識を現実へと浮上させた。
長い銀の睫毛が震え、ゆっくりと瞳が開かれる。
甚爾「……起きたか、ナマエ」
耳元で響いたのは、地響きのように低く、けれどどこか酷く優しい、甚爾の擦れた声音だった。
ナマエ「……あれ、……甚爾さん……。僕は……」
ナマエはまだ深い微睡みのなかにありながら、自らの身体を抱きしめている温もりの主が誰であるかを悟り、ゆっくりと甚爾のほうを向くように寝返りをうった。
身体を反転させた瞬間、甚爾の広い胸がすぐ目の前に迫る。彼の鎖骨から首筋にかけて、男らしくて、どこか狂おしいほどに濃い彼の香りがダイレクトに鼻腔を突き、ナマエの胸の奥へとじっとりと溜まっていった。その香りは、彼女の弱り切った身体を、甘く、痺れるような感覚で駆け巡る。
甚爾「あれからずっと眠ってたんだよ。……ここは俺の部屋だ。誰も入ってこねぇよ」
甚爾はナマエの潤んだ瞳を見つめ返し、愛おしさを堪えきれないといった様子で、彼女の白く滑らかな額に、深くキスをした。
そのまま、彼の大きな手のひらが、布団の中でナマエの身体の輪郭をなぞり始める。自分が着せた、ぶかぶかの大きな黒いTシャツ一枚だけを羽織ったナマエの、無防備な背中。
そこから腰のなだらかな曲線を経て、すらりと伸びる細い太ももへと、ゆっくりと感触を確かめるように、じっくりと撫で上げていく。
甚爾「ナマエ……」
Tシャツの薄い生地越しに伝わる、吸い付くような肌の弾力と熱。甚爾はナマエの放つ、星髄の清廉な香りと湯上がりの甘い匂いを、狂ったように深く吸い込んだ。
その声は、飢えた獣のように擦れ、明確に彼女のすべてを求めるように、何度もその名を呼ぶ。
甚爾の唇が、ナマエの額から、形の良い鼻筋…頬へと、愛撫するようにゆっくりとなぞり落とされていった。
ナマエ「甚爾、さん……。あ、の、僕……身体が、まだ、うまく動かなくて……」
ナマエは、自らの身体を蹂躙するように巡る甚爾の手の熱さに、顔を真っ赤に染めながらも、拒むことなくその大きな胸に小さな手を添えた。
魔力を使い果たした身体は信じられないほどに重く、けれど、甚爾に触れられている場所から、じんわりと温かい生命のエネルギーが浸透してくるような錯覚さえ覚える。
甚爾「動かなくていい。お前はただ、ここで俺に抱かれてりゃいいんだ」
甚爾は低く笑い、ナマエの細い腰をグイと引き寄せ、自らの強靭な肉体へと完全に密着させた。Tシャツの襟元が大きくはだけ、ナマエの白い鎖骨が、夕方の光を浴びて艶やかに浮かび上がる。
窓の外を見れば、いつの間にか少しだけ陽が傾き始めた、切ない夕方の気配が、静かに部屋の隅々へと近づきつつあった。
外の世界がどれほど欲望と怒号で汚れ、騒がしくあろうとも、この薄暗い部屋のなかに流れる時間だけは、誰にも邪魔されることのない、二人だけの、濃密で静かな愛の証明の空間だった。
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