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3章 星を継ぐ希求
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東京湾の洋上に孤高の要塞のごとく浮かぶパーキングエリア「海ほたる」
今やそこは、現世と地獄の境界線と化していた。
周囲の海面からは、地脈の狂いによって生み出された特級呪霊たちが、どす黒い怨念を撒き散らしながら次々と這い上がってくる。
五条「はい、次! のろまなのは見た目だけにしときなよ!」
虚空に立つ五条悟が、迫り来る巨体の呪霊をその肉体ごと空間ごと、ねじ切るようにして圧搾していく。
夏油「悟、あまり派手に撒き散らさないでくれ。私の一時的なストックにする分が減ってしまうじゃないか」
夏油傑は虹龍の背に乗り、呪霊の核をくり抜き、自らの呪力へと変えていく。二人の最強の術師は、海ほたるの建造物へ被害が及ばぬよう、特級の群れをなるべく海上の一定ラインに引き留め、連携しながら確実に仕留めていた。
その直下、決壊の危機に瀕した地下トンネルの内部では、ナマエが自らの限界に挑んでいた。
上層からの凄まじい水圧を、防護魔法『プロテス』の半透明の光壁で辛うじて補いながら、彼女は地上での戦術支援と地下の防衛維持を文字通り行き来し、絶え間なく動き回る。
銀色の髪は汗と海水に濡れ、その白い肌は疲弊のために透き通るような青白さを帯びていた。
ーー遥か上空、黒い雲の隙間を縫うようにして、数機の報道ヘリコプターが爆音を響かせて旋回している。東京湾の真ん中で起きているこの「あり得ない天変地異」を捉えようと、レンズが夜の海へと向けられていた。
ナマエ「ソフィア……。地脈門の、最終座標の演算は……っ!」
AIソフィア「完了しました、マスター。現在展開中の二箇所の特異点、その最深部の核へ直接干渉する必要があります」
ナマエ「ありがとう。……、よし」
五条たちによる海上の特級呪霊の処理も、粗方終わりを見せている。
ナマエはこれ以上の躊躇を捨てるように、自らの身体へ重ねて『プロテス』の防護壁を二重に掛けた。そして、海ほたるのコンクリートの端へと駆け出すと、迷うことなく漆黒の海中へとその身体をダイブさせた。
その瞬間、地上波の生放送のTV中継では、画面の端、荒れ狂う白波のなかに、白い法衣を纏う何者かが吸い込まれるようにして飛び込む映像が、極めて小さく映り込んでいた。
ネットの海、SNSのタイムラインは瞬時に爆発する。
『今の何!? 自殺か?』
『いや、白い服着てただろ。幽霊じゃないの?』
『海ほたるの怪奇現象、マジでヤバいんだけど』
無数の憶測が飛び交うが、一般人にはそれしか見えない。
しかし――画面越しに、あるいは現地でその光景を目撃した術師、呪力や霊能力のある者たちには、全く異なるものが見えていた。
彼女が海へ飛び込んだ瞬間、その輪郭は、青白く輝く小さな三角形の集合体……、まるで星屑のような、見たこともない緻密な幾何学の光の粒子を纏っていたのだ。
「術師にあんな呪力の練り方をする奴はいない」
「まさか……。あの異星の、伝説のヒーラーだというのか……?」
呪術界の暗部、および上層部の老人たちの間で、驚愕と戦慄の憶測が一気に飛び交い始めた。
そんな地上の喧騒など、今のナマエにとっては梅雨知らずのことだった。
ナマエは光の届かない海中深く、ソフィアから送られてくる座標を網羅的に確認しながら、一つ目の地脈のポイントへと到達する。
冷たい水圧が防護壁をきしませるなか、彼女は指先から銀の紋様を紡ぎ出し、迅速に浄化と封印を施していく。一つの門が閉じる。
だが、休む間もなく、ナマエはさらにその奥、目覚めたばかりの更なるもう一つの最深ポイントへと向かった。そこは、どす黒い負の汚泥が巨大な渦を巻く、暗黒の深淵だった。
ナマエ「くっ……、あ、あああああっ!」
身体が汚泥の激しい渦に巻き込まれ、全方位から負の感情の残影が脳内へと直接流れ込んでくる。ナマエはその激痛に耐えながらも、最後の浄化と封印処理を施しはじめた。
何も聞こえない、冷たい海底の暗闇。体内の魔力が、完全に底を尽きそうになっていく。
ナマエ(あと、少し……。魔力を、絞り出さないと……!)
限界を超えてなお、エネルギーを搾り出そうとすると、心臓の奥から沸騰するような、燃えるような熱さと激しい痛みが全身を走った。視界の端が、酸素欠乏と魔力枯渇のためにチカチカと明滅する。
ーーあと少し。ソフィアの演算では、この最深のポイントが最後なのだ。
だが、強烈な目眩とともに、気が遠のきそうになる。暗黒の海の底で、ナマエの心を不意に、底なしの孤独が支配し始めた。
(ああ、このまま……。あの懐かしい師匠と同じように、地球のこの大きな地脈に溶けてしまいたいな。そうすれば、宇宙を彷徨う終わりのない任務にも、ようやくピリオドが打てる……)
抗いがたい「死」の誘惑が、彼女の思考を黒く塗りつぶそうとしていく。
ナマエ(それも、悪くないかも……)
諦めとともに、ナマエの視界が完全に黒く染まりゆく。その時だった。
『――ナマエさん!!』
瞼の裏に、急に、爆発するような鮮やかなオレンジ色の光が差し込んできた。
思い浮かんだのは、いつでも真っ直ぐに自分を呼んでくれる悠仁の笑顔、不器用ながらも真っ直ぐに守ろうとしてくれた恵の瞳、必死に戦っていた一、二年生たちの瑞々しい熱量。
そして、いつも軽口を叩きながらも絶対的な盾となってくれる悟や傑、硝子の悪戯っぽい笑い顔。
最後に――あの強靭な腕で、今さっきまで自分をきつく抱きしめてくれていた、伏黒甚爾のあの真剣な、飢えた獣のような眼差し。
ナマエは思わず、海底の闇のなかで、フッと心の緊張を緩めた。それと同時に、胸の奥から、言葉にできないほど圧倒的な「生への渇望」と力が湧き上がってくるのを確かに感じたのだ。
ナマエ(……、だめだな。僕、すっかり地球のあの子たちに、…甚爾さんに、絆されちゃったな……!)
もう、孤独な観測者には戻れない。
ナマエは自らの内に新しく湧き出る、彼らとの絆のエネルギーを糧にして、最後の魔力を封印の術式へと一点に集中させた。
ナマエ「――還れ、万物の理へ!!」
純白の光が海底の深淵で爆発的に弾けた。
その瞬間、あれほど激しく噴出していた汚泥の動きが完全に停止し、頻繁に起きていた不気味な地震も、嘘のようにピタリと収まった。
地上では、張り詰めていた空気が一瞬にして「反転」したのを、五条、夏油、および甚爾の三人が同時に肌で感じ取っていた。
夏油「……終わったようだね。地脈の鳴動が完全に消えた」
五条「うん。ナマエ、マジで完璧にやり遂げちゃったよ。…… ほら、甚爾。彼女が浮上してくるポイントはあそこ。ちょうど海ほたるの真南、三百メートルの位置だ!」
五条が六眼で捉えた光の海面を指し示す。その言葉が終わるよりも早く、甚爾は夏油が控えに出していた飛行呪霊の背へと強引に飛び乗っていた。
甚爾「夏油、このブツを動かせ! 早くしろ!」
夏油「言われなくても。行きなさい!」
飛行呪霊は猛烈な速度で風を切り、海上のポイントへと真っ先に向かった。
海面を見下ろす甚爾の目の前で、漆黒の海中から、青白く輝く神秘的な光の塊が、ゆっくりと浮遊してくるのが見えた。
次の瞬間、海面を割って、銀髪を濡らしたナマエの身体がふわりと姿を現す。
それと同時に、甚爾は飛行呪霊の背から海面スレスレへと身を乗り出し、その強靭な両腕で、冷え切ったナマエの身体を壊れ物を扱うように優しく掬い上げ、自らの胸の中へと強く抱きしめた。
甚爾「ナマエ……! おい、しっかりしろ!」
ナマエ「……、甚爾……さん……。僕、やりました。みんなの場所を、守り、ました……」
ナマエは甚爾の匂いに包まれながら、安心したように穏やかに微笑むと、そのまま緊張の糸が切れたように、静かに意識を失い、彼の胸の中に頭を預けた。
甚爾「あぁ、お前は上出来だ。……、よくやったよ」
甚爾は彼女の濡れた髪を大きな手で不器用に撫で、その小さな身体をさらにきつく抱きしめ直した。
その頃、海ほたるの至近に位置していた海底トンネルの亀裂は、限界を迎えて一気に広がり、本当の崩落を始めていた。
数千、数万トンの海水が容赦なくトンネル内へと流れ込み、構造物を完全に圧殺していく。
しかし、その地下トンネルからは、虎杖たち一、二年生の迅速で命がけの働きにより、一般市民の全員がすでに完全に地上の安全なエリアへと避難、引き上げ済みであった。犠牲者は、ただの一人も出していない。
夜の海上が激しくうねり、トンネルの巨大な部品や標識がプカリと海面に浮かび上がる様子を、上空の報道ヘリが狂ったように中継し続ける。
その衝撃的な映像は全国のお茶の間にリアルタイムで流れ、日本の歴史に残る未曾有の大規模崩落事故――そして多くの謎を残した怪事件として、しばらくの間、世界中で大々的に取り上げられることになるだろう。
AIソフィア「これより、全員の高専敷地内への空間転移プロトコルを実行します」
ソフィアの静かな電子音声が響くと同時に、海ほたるに残っていた全員の身体が、再び柔らかな光に包まれた。
一同が降り立ったのは、静まり返った呪術高専の、いつもの見慣れた中庭だった。
戦いを終えた生徒たちが一様に安堵の溜め息を吐くなか、伏黒甚爾の逞しい腕の中には、全ての力を使い果たし、穏やかな寝息を立てて眠るナマエの姿があった。
黎明の淡い光が、彼らの傷だらけの、けれど確かな勝利の姿を、静かに照らし始めていた。
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