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3章 星を継ぐ希求
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ナマエが空間の制御を司るAIソフィアへ向かって、指先でさらりと新しい指示を書き込むと、ホログラムの壮大な星空の真下に、完全に独立した小さな部屋が注文されるようにして出現した。
それは、まるで冬の雪山で天体観測をするために作られた、近未来的な透明のドームテントのようなプライベート空間だった。
内部には、大小様々な形のクッションが贅沢に敷き詰められた白い円形のふかふかとしたソファベッドが鎮座し、その周囲を取り囲むように幾つもの半透明なモニター群が浮遊する。
未来的でありながらどこか隠れ家めいた居心地の良い空間が出来上がった。
伏黒は大事そうに抱えてきたSF小説の頁を開き、ナマエは先ほど寝室から持ち込んだ、腕に沿う双剣のプロトタイプをクッションの上に並べた。
二人きりの透明なドームのなかで、肩を寄せ合うようにして座った彼らは、外界の騒音をシャットアウトされた静寂のなかで、穏やかに、けれど熱を帯びた学術的な対話を楽しんでいた。
伏黒「……、この刃の物質化、やっぱり生体電流のパルスをトリガーにしてるんですね。小説だとナノマシンの凝縮って書かれてましたけど、こっちは空間に浮遊する分子を直接編み直してるのか…」
ナマエ「そうなの、恵くんは本当に理解が早いわね。生体の磁場を鍵にすることで、他の誰にも奪われない、自分だけの絶対的な武器になるのよ。ほら、この部分の数式を見てみて?」
透明な壁越しに、リビングの中からは、二人が本当に楽しそうに笑い合い、時に真剣な表情でディスプレイを覗き込む姿だけが、音を奪われた絵画のように美しく見えていた。
リビングのソファで一人、グラスを傾けていた甚爾は、予定外にナマエの時間を丸ごと息子に奪われたことに対して、最初はあからさまにムッとした不機嫌な感情を抱いていた。
ーーだが、いつもは高専の重圧や宿命を背負い、眉間に深い皺を刻んでばかりいるあの不器用な恵が、今夜はまるで普通の子供のように、純粋な好奇心を剥き出しにして楽しそうに笑っている。その姿を遠目からじっと見つめているうちに、甚爾の胸の奥には、父親としてのどこか誇らしく、満足気な感情が静かに湧き上がってくるのだった。
甚爾「……、ケッ。あいつ、あんなガキみたいな顔もできたんじゃねぇか」
甚爾が一人でグラスを揺らしていると、リビングの他の生徒たちは、相変わらず現実を忘れたかのようにゲームや異星の品々に夢中になっていた。
なかでも釘崎野薔薇は、昼間に目をつけたアルシオンの宝石アクセサリーの画面を表示したタブレットを抱え、品定めをするような目つきで甚爾の元へと歩み寄ってきた。
釘崎「ねぇ、甚爾先生。さっきからこれ見てるんだけどさ、この異世界のアクセサリーって、地球の価値に直すとどれくらいの値段になるわけ? 凄まじく綺麗なんだけど、まさか国家予算レベルとか言わないでしょうね?」
甚爾はめんどくさそうに視線を向け、画面に表示された数字の単位を鼻で笑った。
彼がこれまでにナマエのアカウントを勝手に借りて銀河カジノで稼ぎ出した、あの天文学的な勝ち金の単位に比べれば、釘崎が血眼になっている宝石など、駄菓子屋の十円ガム程度の価値でしかなかった。
甚爾「あぁ? そんなもん、ただのガラス玉みたいなもんだ。大して価値もありゃしねぇよ」
釘崎「はぁ!? これがガラス玉なわけないでしょ! だったらさ、甚爾先生の有り余る勝ち金で、私にこれ一個くらい買ってくれたってバチは当たらないんじゃない? ほら、大人の甲斐性ってやつを見せてよ!」
甚爾「お前なぁ……。まぁいい、その代わり、後でたっぷり借りは返してもらうからな。俺の仕事の手伝いでも何でも、こき使ってやるよ」
口では忌々しそうに、そして脅すように言いながらも、甚爾は指先で釘崎の提示した注文ボタンをあっさりとタップし、おねだりを了承して購入手続きを済ませてやった。
大喜びで端末を抱きしめる釘崎を見送りながら、甚爾はふと、自らの手元にある資産の総額について考えを巡らせ、口元をニヤリと歪めた。
甚爾「……。待てよ、俺がカジノで稼いだあの額、実はこの世界の基準じゃなくて、銀河のスケールでも相当な大金なんじゃねぇのか? 宇宙に行けば、最初から大金持ちとしてスタートできる上に、ナマエっていう最高の専門家の後ろ盾もある。……、フッ、悪くねぇな。ヒモ生活も極めりゃ宇宙規模か」
自分の未来に新たな野望を見出した男は、端末の画面を操作し、今度は異星の超高速乗り物レースの番組を見つけ出すと、その圧倒的なスピード感にすっかり見入ってしまった。
いつのまにか、セトルドームの夜は深く深く更けていった。
夜中の二時を回る頃、リビングで甚爾や、いつの間にか端末のオンラインゲームで競い合っていた五条、夏油の周りに集まっていた生徒たちが、そろそろ寝ようかと声を掛けに来た。だが、そこで虎杖がふと周囲を見渡し、首を傾げた。
虎杖「あれ? そういえば、伏黒のやつは? まだあの勉強部屋にいるのか?」
甚爾「……、あそこだ。とっくに静かになってるよ」
甚爾が手元の大ぶりのグラスで、外のスペースを顎で示す。
全員が視線を向けると、庭の星空の下に設置された透明なドームテントのなかで、伏黒とナマエの二人が、身を寄せ合うようにして完全に眠りに落ちている姿が映し出された。
周囲のモニターには、難しそうな数式や空間理論の映像が、主を失ったまま静かに流れ続けている。
…驚くべきは、その二人の体勢だった。
ナマエが、まるで小さな子供を慈しむように伏黒を腕枕で包み込んでおり、彼はその心地よい温もりに導かれるように、ナマエの柔らかな胸の中にすっぽりと顔を寄せ、無防備に深く眠りこけている。
それはまるで、白い猫と黒い猫が、互いの体温を分け合うためにくっついて眠っているかのような、あまりにも穏やかで聖域めいた空間だった。
乙骨「……。わぁ、驚いたな。伏黒くん、あんなに安らかな顔で眠るんだね。なんだか、少し羨ましいな」
釘崎「ちょっと、真希さん見てよあれ! あのスカした伏黒が、ナマエさんの胸に顔埋めて極楽浄土みたいな顔して寝てんだけど! 確信犯じゃないの、あいつ!?」
真希「ククッ、ウブな面してちゃっかり特等席をキープしてやがるな。明日起きたときにあいつがどんな顔するか、今から楽しみだわ」
二人がニヤニヤしながら揶揄うなか、パンダがソファの後ろから甚爾の肩を小突いた。
パンダ「おい、甚爾……。旦那として本当にいいのか? 自分の息子に、一番美味い特等席を完全に奪われてやんの。嫉妬で狂いそうか?」
甚爾「……。黙れ、その薄汚い毛皮を今すぐ全部毟り取って、リビングのラグにしてやろうか」
甚爾はギロリとパンダを本気の殺気で睨みつけるが、その視線のどこかには、恵を責めきれない父親としての複雑な苦笑が混ざっていた。
五条「……、恵~。そこは本来なら、ボクがナマエに腕枕をされて、極上の甘味以上の癒しを得るはずの場所だったのにー。…嫉妬で狂いそうなんだけど」
夏油「……、はぁ。あんなに濁りのない、完璧に穏やかな寝顔を見せられてはね。流石の私も、今夜ばかりは完敗を認めざるを得ないよ。邪な大人の欲望では、あの純粋な少年の特権には勝てないな」
五条と夏油がそれぞれ悔しそうに、けれどどこか微笑ましそうに肩を落とす。
すると、二人の眠りを妨げないように、AIソフィアが気を利かせ、二人の身体の上に柔らかくて最高に暖かい布団をふわりと出現させて掛け、周囲で明滅していたモニターの電気を静かに落とした。
夜がドームを包み込むを見届けて、高専の面々も、それぞれの部屋へと眠るために散っていった。
女子部屋では、釘崎と真希が、部屋に完備されたホログラムの露天風呂で溢れんばかりの泡風呂に浸かり、異世界の最新美容マッサージ機器を堪能しながらガールズトークを炸裂させていた。
一方、男子部屋では、虎杖、乙骨、狗巻、パンダの四人が、室内の景色を丸ごと中世ファンタジーのRPG世界へと切り替え、床の形状をリアルタイムでうねらせてフィールドを作り出し、VRゲームのなかに飛び込んだかのように「うおっ、魔王が来たぞ!」「しゃけ、おかか!」と夜通しキャッキャと大盛り上がりしていたのだった。
ーーそして、翌朝。
差し込んできた柔らかな朝日の光のなかで、伏黒恵は目を覚ました。
だが、意識が覚醒していくのと同時に、彼の五感は、今までに体験したことのない異常なほどの「心地よさ」を感知していた。
…全身を包み込む、信じられないほど暖かくて甘やかな、花の蜜のような香り。
自分の鼻先と頬にぴったりと当たっている、信じられないほど柔らかくて弾力のある、温かい肉体の感触。
背中と腰を、まるごと大きな安心感で包み込むようにホールドされているその状況に、彼の脳の演算機能は数秒間、完全に停止した。
(……、待て。何だこれ。暖かくて、柔らかくて……、目の前にあるの、これ、ナマエさんの、胸……!?)
自分がナマエに腕枕をされ、その豊かな胸の中に完全に抱きしめられて一晩中眠っていたという、あまりにも凄絶な事実にようやく気がついた瞬間、彼の頭の中だけで、特級呪霊の襲来以上の大パニックが巻き起こった。
(どういう状況だ、これ!? 嘘だろ、俺、いつの間に寝落ちしたんだ!? 空間理論の話をしてて、それから……、っ、最悪だ、もしこれ、起き抜けの一年の奴らや、あの最悪な親父に見られてたら、一生どころか来世までからかわれ続ける……っ!)
最悪の事態と羞恥心が脳裏を駆け巡り、伏黒の顔は文字通り爆発しそうなほど真っ赤に変貌していく。冷や汗が全身から噴き出し、彼は息をすることすら忘れて硬直した。
伏黒「……、やっ……、べ……っ」
その彼の身体が微かに強張った雰囲気を察知したのか、ナマエもまた、うっすらと長い睫毛を震わせて目を覚ました。
ナマエはまだ半分夢の中にいるような潤んだ瞳のまま、彼を腕枕していた右手で、彼のツンツンとした黒髪を「よしよし」とあやすように優しく撫で回した。
そして、もう片方の手で、彼の引き締まった背中を、スエット越しにはっきりと伝わる愛おしい手のひらの体温で、ゆっくりと、愛猫の毛並みを整えるように優しく撫で下ろした。
ナマエ「……、ん、……、おはよ、恵くん。ふふ、私としたことが、お話の途中で一緒に寝落ちちゃったみたいだね……」
ナマエは何の邪気もない、至って自然な動作で恵への抱擁を解くと、可愛らしく小さなあくびを一つ溢し、そのままベッドの上で両手を大きく上げて「んーーっ」と身体を伸ばした。
ナマエ自身は全くなんでもないといった無防備な仕草を目の当たりにして、伏黒は自分だけが異性として過剰に意識して恥ずかしがっているという事実の格好悪さに襲われ、さらに顔を真っ赤にして言葉を失った。
ナマエ「昨日は本当に楽しかったわ。まだまだ話足りないことがたくさんあったね。……、よし! とりあえず、みんなが起きてくる前に、朝の支度をしちゃおっか!」
ナマエはそう言うと、ベッドから軽やかに立ち上がり、サッとテントのジッパーを開けてリビングの向こうへと消えていってしまった。
それから数分後、男子部屋から「おーい、伏黒!そろそろ高専の寮に戻って朝飯にするぞ!」という虎杖たちの賑やかな声がドーム内に響き渡るまでの間。
透明なドームのなかに一人残された伏黒恵は、未だに自分の身体に深く染み付いている、ナマエの甘やかな香りと圧倒的な温もりの残滓のなかで、頭から湯気を立てたまま、しばらくボーっと動けずに呆然とするしかなかった。
その胸の鼓動は、高専のどんな激しい戦闘のときよりも、速く、激しく、鳴り響き続けていた。
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