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3章 星を継ぐ希求
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リビングの片隅で進行していた、東京湾地下に潜む負の汚泥に関する深刻な作戦会議。その一連のやり取りがようやくひと段落し、夜蛾正道と家入硝子は、安堵と疲労の混じった息を吐きながら振り返った。
しかし、二人が目にしたのは、先ほどまで彼らが把握していたはずのセトルドームの構造ではなかった。
いつの間にか、リビングの壁の境界線が不自然に融解し、その奥に、地球の最新技術を嘲笑うかのようなゲーミング彩色の近未来な部屋が唐突に増設されていたのだ。
パステルカラーと蛍光色のストライプが走る仮想空間のなかで、生徒たちは完全に我を忘れて夢中になっていた。
硝子「ねぇ、ナマエ。私の記憶が確かなら、あんな派手な部屋、さっきまであそこにはなかったと思うんだけど。私の目が疲れて幻覚でも見せてるのかしら」
夜蛾学長「いや、硝子、俺の目にも見えている。一体どういうことだ」
夜蛾学長もまた、彫りの深い顔の眉根をこれ以上ないほどに寄せ、不審な新築スペースを凝視している。その視線に気づいた虎杖悠仁が、VRのグラスを少しだけおでこに跳ね上げて、満面の笑みでこちらに手を振った。
虎杖「あ! 夜蛾学長、硝子さん! これ、甚爾先生が部屋作ったんスよ!」
硝子「は? 部屋を作った? あいつが?」
虎杖「そうなんス! 甚爾先生がソフィアちゃんに何かボソッて命じたら、壁がぐにゃ~って歪んで、急にこの部屋が出てきて! で、甚爾先生がいくらでも部屋増やせるかもって言うから、俺ら今日、ここにみんなで泊まることにしました!」
硝子「はぁ? 泊まるって、あんたたちねぇ」
夜蛾学長「お前ら、任務の緊張感はどうした。ここはナマエの家だぞ」
夜蛾学長が頭を抱えて呆れ顔を見せるなか、ナマエは少しだけ目を丸くして、困ったように首を傾げた。
ナマエ「ほぁ。ま、まぁ、皆さんが楽しんでくださるなら、僕は大丈夫ですけれど。ええと、それなら悠仁くんたちの部屋を新しく作ればいいのかな?」
虎杖「マジっすか!? よっしゃ、誰が本当に泊まるか、ちゃんともう一回聞いてくるッス!」
虎杖はすぐに反転して、ゲーム部屋の中にいるメンバーへと声を掛けに走った。もちろん、断る理由など誰一人として持っているはずがない。当然とばかりに、一、二年生は全員が「泊まりたい!」と口を揃えて大騒ぎを始めた。男子部屋と女子部屋の二つがあれば、レイアウトはどうとでもなるという。
五条「あ、いーなー。じゃあボクも♪ 今日も泊まっちゃおーかなぁー♪ ナマエの隣空いてる?」
夏油「おや、それは妙案だね。私も、彼女の安全を保障するため、今日も喜んで夜を明かそう」
二人が当たり前のように「今日も」という言葉を口にした瞬間、硝子の鋭い視線がピキリと凍りついた。
硝子「ちょっと待ちなさいよ。今日『も』って何よ、あんた達。もしかして、昨日の夜から今朝まで、ずっとこの家に居座ってたの?」
甚爾「そーだ。このガキどもが、一晩中居座って邪魔しやがったんだよ。用が済んだなら早く出てけ、クソガキどもが」
甚爾が忌々しそうに舌打ちをしながら、五条と夏油を睨みつける。その言葉のニュアンスから、昨晩この家で「何が行われていたか」を察した硝子は、そっと天を仰ぎ、深い同情の眼差しをナマエへと向けた。
硝子「ナマエ。なんか、本当にごめん。うちのバカ二人が、文字通り最低の迷惑行為をしてたみたいで、同僚として顔から火が出そうだよ」
ナマエ「あはは、いえ、もう慣れましたから大丈夫です。あー、ソフィ! あの子たちのために、お部屋を男女別に二つお願い。ベッドを個室にするか、仕切りをつけるか、それともくっつけるかは、彼らにレイアウトをお任せするように設定して」
AIソフィア「マスター、了解しました。ちなみに、仕様はビジョンオーシャンビューの大浴場タイプでよろしいですか?」
ナマエ「ええ、いいわよ。実際に使うかはわからないけれど、用意だけはしておいて。それと、昨晩の二人のゲストルームも別枠で用意して。ただし、僕の寝室からは物理的に一番遠い場所に、絶対に離して配置してちょうだい」
AIソフィア「マスター、承知いたしました。アクセス経路を遮断し、最遠のセクションへ隔離します」
ソフィアの無機質な音声が、五条と夏油の「夜這い計画」を冷徹にシャットアウトする。甚爾はその様子を見て、喉の奥で「ククッ」と愉快そうに笑い声を漏らした。
ナマエは一、二年生の方を向き直ると、少しだけ声を張り上げて優しく語りかけた。
ナマエ「皆さん、お部屋の準備はソフィアがやってくれますので、一度高専の寮に戻って、部屋着に着替えたり、お気に入りのぬいぐるみとかがあるなら…こちらに持ってきた方が、よりリラックスできると思いますよ?」
虎杖「ぬいぐるみ? ナマエさん、そんなの持ってんスか?」
ナマエ「ええ。僕、…この子たちが一緒にいないと、なんだか落ち着かなくて眠れないんです」
そう言ってナマエが愛おしそうに指差したのは、リビングの丸みを帯びた白いソファの特等席に鎮座していた、大きなまんまるのネコのぬいぐるみだった。
外星の独特なデフォルメが施された、ふかふかとしたその愛らしい存在をナマエが抱きしめようとした、その時。
背後から伸びてきた甚爾の太い腕が、ナマエの腰を横から強引に引き寄せた。
甚爾「あん? ぬいぐるみだぁ? そんなのなくても、俺がいれば眠れるだろ。夕べだって、俺の腕の中でぐっすりだったじゃねぇかよ」
ナマエ「……っ!? 甚爾さんってば、皆んなの前で何を言っているんですか……っ!」
唐突に昨夜の甘美なピロートークを暴露され、ナマエの顔は一瞬にして耳の付け根まで真っ赤に染まった。あまりの羞恥に、甚爾の胸板を小さな拳でポカポカと叩くが、男は全く痛がる様子もなく、むしろその反応を愉しむようにニヤニヤと笑っている。
釘崎「……」
真希「……」
その様子を完全に冷めきった、強烈な「ジト目」で見つめる釘崎と真希。
釘崎「なにあれ。当てつけ? 公開ノロケ? 死ねばいいのに、あのクソヒモ親父」
真希「全くだ。恵、お前の親父、ナマエさんの前だと完全にただの盛りのついた獣だな。見てるこっちが恥ずかしくなるわ」
伏黒「だから俺に振るなと言っている」
伏黒恵はまたしても精神的ダメージを負いながらも、どこかソワソワとした様子で、手に持った自らのタブレット端末を見つめていた。そのただならぬ雰囲気に、五条や甚爾の鋭い視線が自然と恵の元へと集まる。
普段なら、この手の騒ぎには一番冷淡なはずの少年が、何かを決意したように真っ直ぐナマエの方へと歩み寄ってきた。
伏黒「…あの、ナマエさん。少し、質問したいことがあるんですが、いいでしょうか」
ナマエ「え? ええ、もちろんですよ、恵くん。どうしました?」
伏黒は少しだけ頬を緊張で硬くしながら、画面に表示されているセトルドームの構造図をナマエに見せた。
伏黒「この建物の構造…先ほど親父の命令で空間が拡張された際の、エネルギーの変換効率についてなんです。実は俺が今読んでいるSF小説に出てくる、人工天体の位相空間システムに、驚くほど仕組みがそっくりで。地球の結界術とは根本的に違う、次元の固定方法というか…その具体的な仕組みが、どうしても知りたくて」
少年にしては、あまりにも純粋で、そして尋常ではない熱量を孕んだ専門的な質問。
その様子を後ろで見ていた五条が、ニヤニヤとした笑みを浮かべて口を挟む。
五条「へぇー、恵。お前、ナマエにそんな可愛い顔してアプローチしちゃうわけ? 小説の仕組みが知りたいなんて、インテリぶっちゃってさー」
甚爾「チッ、恵。お前、俺の女に妙な理由で近づいてんじゃねぇよ。興味があるなら、俺が拳でその仕組みを叩き込んでやろうか?」
男たちのくだらない嫉妬の言葉を、ナマエは優しく手を挙げて遮った。
ナマエ「ふふ、そんなに急かすように言わないであげてください。恵くん、とても良い着眼点ですね。そうですね…それなら恵くんが一度高専に戻って、お着替えを済ませてから、今夜このリビングでゆっくりとお話ししましょうか。お茶でも飲みながら、その小説の仕組みと、このドームの本当の科学について、朝までじっくり付き合いますよ。今夜一緒に過ごす、約束です」
伏黒「……! はい。よろしくお願いします」
ナマエのその優しい提案に、伏黒はパッと表情を明るくし、年相応の嬉そうな笑みを浮かべた。
だが、そのやり取りを背後で見ていた三人の男たちの胸中は、穏やかであるはずがなかった。
五条「ちょっと待って、ナマエ! 恵と二人っきりで朝までじっくりとか、ボクが許すわけないじゃん!」
夏油「そうだね。いくら教え子とはいえ、多感な時期の少年と一晩中過ごすのは教育上よろしくない。私もその会議にオブザーバーとして参加させてもらおう」
甚爾「お前ら全員、今すぐその首ねじ切ってやると言っているのが聞こえねぇのか? 恵、お前もだ。親の寝室の近くで、何が朝まで会議だ、クソガキが」
男たちの歪な独占欲と、冷たい呪力が再びリビングの空気をごうごうと震わせる。
しかし、生徒たちの期待に満ちた笑顔と、恵の純粋な瞳、そしてナマエの穏やかな微笑みが、その殺伐とした空気を不思議と柔らかなものへと融解させていく。
こうして、高専のメンバーを巻き込んだ、セトルドームでの初めての、そして最高に賑やかで混沌とした特別な夜が、幕を開けようとしていた。
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