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1章 幻を追って
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==五条・夏油Side==
マロンモールへと向かう車内、五条悟はアイマスクの奥で、かつてない奇妙な感覚に指先を遊ばせていた。
伊地知が告げた一級呪霊の報告など、正直どうでもいい…。
ただ、この場所に向かうと決まった瞬間から、「六眼」が捉える因果の糸が、見たこともない色に跳ねていた。
五条「ねえ傑。今日、なんだか空気の味が違うと思わない? 嫌な予感じゃなくて、もっとこう、運命がボクを誘ってるみたいなさ」
夏油「相変わらず大袈裟だね、悟。…だが、君がそう言うなら『何か』がいるんだろう。呪霊の気配とは明らかに違う、妙に落ち着かない高揚感は私にもあるよ」
夏油傑は、細い瞳をさらに細めて窓の外を眺めていた。
呪霊操術という「澱み」を飲み込み続ける呪術師にとって、世界は常に濁った泥水のようなものだ…。
だが、現場に近づくにつれ、その泥水が底の方から濾過されていくような、あり得ない錯覚を覚えていた。
マロンモールに到着し、「帳」が下ろされて中に入った瞬間、二人は同時に足を止めた。
五条「……ははっ。傑、これ見てよ。呪霊がいないどころか、この建物の『因果』が全部洗われてる。甘い花の香りなんて、廃墟に似合わなすぎでしょ」
夏油「……不快だね。あまりに清浄すぎて、私の胃の中の呪霊たちが怯えている。まるで、存在そのものを否定されているような気分だ」
夏油は口角を吊り上げ、不快だと言いながらも、その瞳には獲物を探す冷徹な光が宿っていた。
二人は導かれるようにモールの最奥へと進む。
そこで彼らが見たのは、六眼ですら解析不能な光の術式――魔法陣の中で膝を折り、祈りを捧げる「ナマエ」の姿だった。
五条(なんだ、あの子。呪力が全くないのに、世界そのものがあの子に従っているみたいだ。ボクの六眼でも、その力の『底』が見えないなんて……)
五条の胸に、久しく忘れていた「好奇心」という名の怪物が鎌首をもたげた。
ナマエがこちらを一瞥し、アメジストの瞳が光った瞬間、五条の視界は色を失うほどに――ナマエの色に染まった。
夏油「……逃がすわけにはいかないな。あんな綺麗なものを、放っておくなんて呪術師の名が廃るよ」
夏油の呟きは、もはや義務感ではなく、純粋な所有欲に近かった。
***
森の中でのチェイスは、二人にとって至福の時間だった。
五条「あはは! 面白い、本当に面白いよ、魔術師さん! 姿を消しても無駄だって。ボクには君の残した『甘い匂い』が、道標みたいにハッキリ見えてるんだからさ!」
五条は空を滑り、見えないナマエを嘲笑うように追い詰める。
透明化しているはずのナマエが、焦って木々を揺らすたび、五条の心臓は愉悦で跳ねた。
夏油「悟、そんなに急かしては可哀想だろう。じっくり、追い詰めてあげるのが礼儀だよ」
夏油は地上を走り、呪霊をチェスの駒のように配置してナマエを追い込んでいく。
ナマエの逃げ方は、呪術師の常識を遥かに逸脱していた。空間を飛び越え、壁を通り抜け、まるで物理法則そのものを書き換えている。
五条「ねえ傑、ボク今、最高にワクワクしてる! 甚爾も本気だしさ、これ、捕まえた後の取り合いが大変だよね」
夏油「取り合い? 冗談はやめてくれ。あの子は呪術界、いや、私のために必要な存在だ。悟に貸してあげる時間は、一日のうち数分で十分だよ」
五条「ハッ! 傑の独占欲、相変わらずキモいねえ。ボクが全部まるごと頂くに決まってるじゃん」
二人は軽口を叩き合いながらも、その視線は一瞬たりともナマエ(のいた空間)を離さない。
ナマエが必死に息を切らし、透明な膜の向こうで追い詰められていく様子を想像するだけで、特級たちの背徳感は極限まで高まっていた。
そして、包囲網が完成したその瞬間。
ナマエ「――ハートレスサークル!」
五条「……っ!?」
足元から噴き上がったのは、五条の「無下限」すら意味を成さない、絶対的な浄化の光だった。
五条の脳に、針を刺すような刺激の後に、それまでの人生をすべて上書きするような凄まじい「快感」が流れ込んだ。
五条(……ああ、ボクの脳が、溶ける。……何、これ。六眼が、静かになる……)
常に情報の奔流に晒されている五条の脳にとって、それは初めて体験する「完全な静寂」と、それを補って余りある「多幸感」だった。
五条は膝をつき、あまりの快楽にアイマスクをずらした瞳から涙を零した。
夏油「っ、ぐ、あぁ……あ……っ!」
夏油はさらに深刻だった。
体内に溜め込んだ数千の呪霊から取り込んだ“澱み”が、聖なる光に焼かれ、浄化されていく。
それは呪霊を「飲み込む」苦痛をすべて相殺し、魂を真っ白に洗い流すような、暴力的な癒やしだった。
夏油(……あの子、は……。私を、救いに来たのか……? ……だとしたら、もう、絶対に……離さない……)
地面に突っ伏した夏油は、朦朧とする意識の中で、去りゆくナマエの足音を聞いた。
「さよなら」という拒絶の言葉さえ、今の二人にとっては甘い愛の囁きのように響いていた。
高専に戻った後、家入硝子に呆れ顔で診察される間も、二人の心はあの森に置き去りにされたままだった。
五条「ねえ、硝子。ボク、今なら世界中の人間を許せちゃう気がするよ。……嘘だけど。魔術師さんだけは、絶対に許さないけどね」
五条は医務室のベッドで寝転びながら、天井に浮かぶナマエのアメジストの瞳を思い出していた。
多幸感の余韻は、今も血管を駆け巡り、甘い痺れを届けている。
夏油「悟、そのニヤついた顔を片付けてくれ。……だが、君の言い分も分かる。あの快感は、もはや薬物なんてチャチなものじゃない。魂の刻印だ」
夏油は自分の手のひらを見つめ、そこに残るナマエの気配を反芻していた。
五条「傑さ、今度会ったらどうする? ボクはさ、あの子の魔法を今度はもっと……プライベートな空間で、たっぷり浴びたいな。あの光の中に、二人きりで閉じ込められたい」
夏油「奇遇だね。私も、あの魔術師を私の深い影の中に隠して、二度と誰の目にも触れさせたくないと思っていたところだ。……悟、次からは、本気で奪い合いになるよ」
五条「望むところだよ、傑。……あはは! 楽しみすぎるね。」
二人の瞳には、快楽によって増幅された、底知れぬ「飢え」が宿っていた。
ナマエが放った聖魔法は、彼らの澱みを消したかもしれないが、代わりに消えることのない強烈な「依存」という名の呪いを、二人の王に植え付けたのだ。
五条(待っててね、魔術師さん。ボクの最強の力は、君を捕まえるためにあるって、今確信したからさ)
夏油(君が「さよなら」と言えば言うほど、私は君を追い詰められずにはいられないんだよ。……楽しみだね、再会が)
特級二人の歪んだ独占欲が、高専の静かな夜に静かに、そして熱く燃え上がっていた。
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