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2章 囚われの魔術師
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麻生山の深緑が色濃く立ち込める山中、舗装された道路が唐突に途切れ、砂利道に変わる手前で甚爾は乱暴に車を停めた。
エンジンを切り、静寂が降りる。周囲には古びた杉の木が立ち並び、湿った土と腐葉土の匂いが鼻を突く。
足元でパキッと小枝を踏む音もする。……ハイテクのハの字も一切感じられない。
甚爾「……おい、お嬢ちゃん。本当にこんな場所に家なんてあんのかよ。どっからどう見ても、ただの湿気た山奥にしか見えねぇぞ……」
甚爾は怪訝な顔で運転席から降り、周囲を見渡した。どこにでもある日本の山景。
鳥の鳴き声と風に揺れる木の葉の音以外、人工的な気配は一切ない。
だが ナマエ は、迷いのない足取りで斜面を少し登ると、空間の何もない一点を見つめ、腕の光端末を操作した。
彼女が虚空にそっと指先を触れる。その瞬間、凪いでいた景色が陽炎のようにぐにゃりと歪んだ。
ナマエ 「……ここです。甚爾さん、手を」
ナマエ が差し出した細い手を、甚爾は戸惑いながらもその大きな掌で包み込む。彼女に引き寄せられるように一歩踏み出した瞬間、視界を覆っていた緑のカーテンが弾け飛んだ。
甚爾「……っ、おい、マジかよ」
甚爾の口から、驚きを隠しきれない声が漏れる。
目の前に広がっていたのは、地中海の別荘を思わせる、目に眩しい白亜の光景だった。
手入れの行き届いた鮮やかな芝生の庭、石畳の小道、そして中央に鎮座する半円状のドームハウス。
森の深緑に包まれているはずなのに、ここだけが異星の気候を切り取って持ってきたかのような、清潔で静謐な空気に満ちている。
ナマエ は慣れた動作で玄関のパネルに浮かぶ複雑な魔法陣をいくつかタッチした。電子音とは違う、澄んだ鈴の音のような共鳴が響き、流線型のドアが左右に滑らかに開く。
室内は外観以上に「異世界」だった。
白を基調とした内装は、角という角が削ぎ落とした柔らかな曲線で構成されている。
壁の隙間からはブルーグリーンの光のラインが脈打つように走り、天井付近には淡いパステルカラーの光の玉が、意思を持っているかのようにふわふわと浮遊していた。
甚爾「……こりゃ、想像以上に……異世界だな。あのアホ二人を連れてこなくて正解だったぜ。これ見たら悟の野郎、興奮して鼻血出すんじゃねぇか?」
甚爾は片眉を上げ、口を歪ませて驚きに固まっている。
呪術界というドロドロとした負のエネルギーを扱う世界に生きる彼にとって、この無機質でいて生命力に溢れた科学と魔法の結晶は、あまりに眩しすぎた。
ナマエ 「甚爾さんは、そこのソファに座っていてください。……家具に手出しはしないで。壊すと、貴方の給料では一生かかっても弁償できませんから」
ナマエ はそう言い放つと、暇つぶしにと空間に浮かぶ透明な板状のデバイスを甚爾に手渡した。
甚爾「へぇ。随分と生意気な口を利くようになったじゃねぇか。弁償? 借金なら慣れてんだよ」
その返答にナマエは心底呆れた……と顔をしかめた。
甚爾がデバイスの表面を適当に叩くと、空中にメニュー画面がホログラムで展開された。「食事」「娯楽」「任務」「トーク」――。他星の文化から、今現在の地球の情勢までが網羅された膨大なデータ群。甚爾の目が、見たこともない娯楽の項目に吸い寄せられる。
一方の ナマエ は、すぐに壁一面に広がるメインコンソールへと向かった。数十枚の光モニターが彼女を囲むように展開され、真っ赤な警告文が激しく明滅している。
ナマエ 「やば……撹拌器が止まってる。水槽の水抜きもしてない。……なになに? この地脈ポイント、そろそろ臨界点でヤバそう。……こっちは、任務の報告書未提出の催促……。もう、3、4日ほっとくだけですぐコレなんだから!」
ナマエ は不満を漏らしながら、空中に投影されたキーボードを凄まじい速度で叩き始めた。カタカタと小気味よい音が室内に響き、彼女の細い指先が光の束を編むように舞う。
先ほどまでの、男たちに怯えていた「可哀想な獲物」の面影はどこにもない。そこにあるのは、膨大な任務を淡々とこなす、誇り高き専門職の姿だった。
甚爾はソファに深く沈み込み、彼女の仕事ぶりを背後から眺めていた。
甚爾「おい、お嬢ちゃん。……ここのメニュー、実物が出るのか?」
甚爾が適当に「他星の飲料」という項目から、琥珀色の液体を注文してみる。すると、サイドテーブルの上に光の粒子が集まり、数秒後には氷の入ったグラスが実体化した。
甚爾「ククッ、こりゃ便利だな。高専の自販機もこれにすりゃいいのに。……お、これ面白そうじゃねぇか」
甚爾がどこから見つけたのか、宇宙規模のネットワークで開催されているカジノのページを開いていた。画面の中では奇妙な形をした宇宙人たちが、アバターとなってルーレットのブースを囲んでいる。
甚爾はすぐに直感で、この星とは桁の違う賭け金に目を輝かせた。
甚爾「おい、 ナマエ 。これ、勝ったら何が貰えるんだ? 現金か?」
ナマエ 「……それは銀河通貨です。今の貴方が勝っても、この星では紙屑同然ですよ。……それに、あまり変なサイトにアクセスしないでください。ハッキングされたら面倒なことになるんですから!」
ナマエ はキーボードから目を離さずに怒鳴る。そのやり取りは、まるで長年連れ添った夫婦の喧嘩のようであり、同時に、異なる世界の住人が一時的に交差した奇跡のような穏やかさを含んでいた。
甚爾「うるせぇな。遊びくらいさせろよ。……お前、仕事してる時は随分と威勢がいいじゃねぇか。あの五条の前でもそれくらい言ってみろよ」
甚爾は琥珀色の液体を煽り、アバターをルーレットのブースへ滑り込ませた。
甚爾「……にしても、これ全部お前ひとりで管理してんのか。……二千年も、こんな広い場所で、たったひとりでか?」
甚爾の問いに、 ナマエ の指先がわずかに止まる。
ブルーグリーンの光に照らされた彼女の横顔に、一瞬だけ、二千年の重みを感じさせる深い孤独が影を落とした。
ナマエ 「……師匠が亡くなってから千年は、そうです。一人です。……任務ですから」
短く返して、彼女は再び作業に戻る。
甚爾はそれ以上何も聞かず、ただ手元のルーレットが回るのを眺めていた。
この白亜のドームの中だけは、外の世界の醜い独占欲も、呪術師たちの血生臭い因縁も届かない、二人だけの奇妙な休息の場となっていた。
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