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2章 囚われの魔術師
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甚爾の足取りは、獲物を仕留めた後の猛獣のように軽快だった。
事務室の壁に無造作に掛けられていた社用車の鍵を指先で弄び、チャラリと金属音を響かせる。
硝子にあれほど釘を刺された直後だというのに、彼はまるで忘れたかのようにナマエの細い肩をがしりと掴んだ。
甚爾「ほら、行くぞお嬢ちゃん。……そんなに怯えんなよ、別に食いやしねぇから」
甚爾はナマエを助手席へとエスコートし、慣れない足取りの彼女を半ば押し込むように座らせた。
ナマエにとって、この「車」という鉄の塊は未知の存在だ。シートに深く沈み込み、窓の外やダッシュボードをキョロキョロと見渡す姿は、迷い込んだ小動物そのものだった。
甚爾「おいおい、お前……車が初めてだってマジかよ。シートベルトの締め方も知らねぇのか。このまま走らせて俺が捕まったら笑えねぇぞ」
甚爾は呆れたように笑うと、座席に深く身を乗り出した。彼の屈強な胸板がナマエの鼻先を掠める。
漂うのは、石鹸の匂いと、彼自身の放つ生々しい雄の熱量だ。
ナマエの身体を包み込むように腕を伸ばし、カチリ、と硬質な音を立ててベルトを固定してやる。その至近距離での接触に、ナマエの心臓が不規則に跳ねた。
甚爾「さて、嬢ちゃん。……目的地はどこだ」
ナマエは震える腕から、淡い光の粒子で構成されたホログラム端末を展開させた。
ナマエ 「……あの、このあたりにあります。私の家」
空中に浮かび上がった地図が指し示すのは、東京の西端、麻生山に近い深い山中だった。
甚爾「……ほぉん? 随分と湿気た山の中に隠れ家を作ってやがったんだな。……いいぜ、行くぞ」
甚爾はニヤリと口角を上げ、アクセルを踏み込んだ。
手動でギアを入れ、ハンドルを捌く。
AIによる精密な自動操縦に慣れきっていたナマエにとって、隣の男の匙加減一つで速度が急変するこの移動手段は、恐怖以外の何物でもなかった。
鉄の箱が唸りを上げて加速するたび、背筋に冷たい汗が伝わる。
ナマエ 「あの、……これ、自動操縦じゃ……ないんですね?」
甚爾「は? あぁ、高専の車は全部手動だ。……お前さんの星じゃ、乗りモンには乗らねぇのか?」
ナマエ 「乗り物は……宇宙船くらいしか。AIが生体とリンクして、最適解で操縦するんです。だから、こうやって人間が直接スピードを管理してるの、……少し怖いです」
甚爾「はは! ビビってそんなに固くなってんのか。……安心しろよ、そのうち慣れる」
甚爾は愉快そうに喉を鳴らすと、空いた左手を無造作にナマエの太ももの上に置いた。
レザースカート越しでも伝わる、圧倒的な掌の温度。
ナマエは反射的に逃げようとしたが、迫り来る景色の速さに抗えず、縋るようにその大きな手の上に自身の手をそっと重ねた。
不安で微かに震えていた指先が、甚爾の分厚い手の温もりに包まれ、次第に落ち着きを取り戻していく。
車内に流れるのは、この星の流行歌だろうか。
軽快なBGMに合わせ、甚爾は信号待ちの間にハンドルをトントンと指で叩いてリズムを取っている。
甚爾「……なんだ、その面。……俺のツラに何かついてるか?」
ナマエ 「……いえ、別に。……ただ、こうして人間の男性と……隣り合って座るなんて、いつぶりだろうと思って」
ナマエ は記憶の深層を探った。これまでに訪れた五つの星は、獣人種や精霊種が中心だった。最後に「人間」と同じ体温を共有したのは、いつだったか。
脳裏を掠めたのは、今は亡き師匠の姿だった。
甚爾と同じ、夜のような黒髪。自分を優しく抱きしめ、魔法の深淵と「温もり」の意味を教えてくれた人。記憶の蓋が音を立てて開き、師匠と過ごした穏やかな日々が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
ナマエ (……似ている。この、包み込むような熱だけは)
無意識のうちに、甚爾の手を重ねていた指に力がこもる。
まるで、過去に置いてきた大切なものを繋ぎ止めようとするかのように。
甚爾はチラリとナマエの様子を伺った。先ほどまでの怯えとは違う、どこか遠くを見つめるような、湿り気を帯びた彼女の表情。
甚爾「……おい、大丈夫か。……顔色が急に変わったな。そこで飲みモンでも買ってやるから、一旦降りろ」
甚爾は道路沿いにあったコンビニの駐車場に、滑らかに車を滑り込ませた。エンジンを切っても、車内にはまだ彼の体温が残っている。
甚爾「ほら、ついてこい。……そんな情けねぇツラしてると、俺が虐めてるみたいに見えるだろ」
甚爾はナマエの手を力強く掴み、彼女を車外へと連れ出した。
自動ドアが開く音。この星の日常が凝縮された、明るすぎる照明の下。
二人は手を繋いだまま、コンビニの店内へと足を踏み込んだ。
ナマエ は甚爾の大きな背中を見上げながら、師匠の面影を重ねている自分に、戸惑いと、ほんの少しの罪悪感を覚えていた。
甚爾「……お嬢ちゃん、何がいい。……水か? それとも、もっと甘ぇやつか?」
甚爾の声が、過去に沈んでいたナマエの意識を現実に引き戻す。
不敵に笑うその瞳は、師匠の慈愛とは真逆の、底知れない欲望を孕んでいた。
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