彼女が眼鏡を外したら
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「よーし、出来た!」
完成したばかりの鮭のホイル焼きにパセリを添えながら、京珂は満足げに声を上げた。
──彼女が料理を始めてから2時間弱、その間に作ったのはそれだけではない。
まずはメインのハンバーグ。付け合わせには人参のグラッセと茹でたブロッコリー。デミグラスソースももちろん手製だ。
副菜にはオーソドックスにグリーンサラダ、じゃがいもの明太子マヨネーズ和え、きのこのマリネ。そして今オーブンから取り出した鮭のバターホイル焼き。あとは余った野菜を活用して、コンソメスープも拵えた。
ハンバーグ以外の副菜はどれも一つ一つがシンプルで、それほど難易度の高い代物はない。
和えるだけ、加熱するだけ、煮込むだけ──といった、むしろ手軽に作れる物ばかり。
が、だからこそ微量なさじ加減が問われると言って良い。
料理とは、作る者と食する者が両方居てこそ成り立つもの。
作る側の技術や手腕、食する側の体調や嗜好。そういった要素が非常に重要となってくる。
──簡単に言うと、作る者と食べる者の相性だ。
前者は、相手の好みをどれだけ把握しているか。そして、食べてくれる相手の事をきちんと考えているか。
後者は、自分のために相手がどれだけの苦労や手間を伴ったのか。それをしっかり思い量る事が出来るか。
互いが互いを労る──思いやりの精神は料理に関しても同様。
そういった意味では、この二人の関係は至って良好であった。
一段落した後、外したエプロンをキッチンのカウンターに掛け、リビングへと移動する京珂。
壁掛け時計は、午後の7時少し前を指していた。
「あ、もうこんな時間。…昴流君、そろそろ帰って来るかなあ」
何度も顔に手を当ててそわそわと落ち着かないその姿は、夫の帰宅を待つ新婚の妻さながらだ。
無論この二人は婚姻関係ではないし、それを彼女に言ったところで「なっ、何言ってるの!? そ、そんな事ないってば!!」と真っ赤な顔で否定されるのが関の山ではあるが。
「うーん。こうして待ってると、時間って結構長いよね…。学校の授業が妙に長く感じるのとはまた違った心境、というか…」
──プル、プルルル
悶々とした思いを隠せずにぼやく京珂に応えるように、テーブルの上の携帯電話が数秒間、電子音を上げた。
着信音が鳴り止むが早いか、京珂は「あ…!」と声を上げ、嬉しそうに携帯電話を手中に収めた。
「機械音痴でメールすらろくに送れなかった昴流君が、今ではこんなにまめにLINEをくれるんだもんなあ。本当、人って変わるもんだ…」
感慨深い表情でそう言いながら、京珂は携帯電話の画面を開く。
最新のメッセージ欄には『これから帰る』と、必要最低限な一言だけが刻まれていた。
「ふふふ…。へへへへ…」
しかしながら、彼のその言動は、京珂にとっては充分過ぎるものだった。
それは今こうして携帯画面を見てはにかんでいる京珂の様子で明らかだろう。
その言葉がどんなに素っ気なく、一見すると事務的で冷たいものでも、彼女にとって問題ではなかった。
その奥にはいつも自分へ対する労り、優しさ、深い思いがある事を京珂は知っているから。
「…さぁて、と」
『分かった。待ってるね』とこちらからも手短に返信を済ました後、ソファにドサッ、と身体を預ける。
2時間台所に立ちっぱなしで作業していたのだ、疲労感がない訳ではない──が、今の京珂にとっては、それすらも忘れてしまうくらい満たされた気持ちの方が強かった。
ここからは、ただひたすら待つだけの時間が訪れるというのに。
──でも、こうして大事な人の事を考えるのは……待つのは、きっと幸せな事だから。
いつもより少し霞んだ視界の中に時計の針が映る。彼が帰って来るのは恐らく2、30分ほど後になるだろう。
それまで、少しだけ──そんな事を思ううち、やがて京珂の意識は途絶えてしまっていた。
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