じゃあ、またね。
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「よいしょ、っと」
「…大丈夫?」
「うん! ありがとうね、昴流君。荷物運ぶの手伝ってくれて」
「いや…。これくらい、どうって事ないよ」
二人は駅のホームでそんなやり取りを交わしていた。
京珂は、丈が自分の腰ほどまであろうかというトランクケースを携えている。女性には少々大き過ぎるくらいだ。
駅という場所はすべからく、人と人が出会いと別れを繰り返す。
長い月日を経てようやく再会を果たす人々もいれば、今まさにこれから、離れ離れにならなければならない運命にある人々もいる。
そして今の二人は──後者の方だ。
「大丈夫? …忘れ物は、ない?」
「うん、大丈夫」
「それと…トイレは事前に済ませておいた方が良い。長旅になると思うから」
「さっき行って来たから大丈夫。それに、新幹線の中にもちゃんとトイレはあるから。心配いらないよ」
「え…? …ああ…そうだね」
「ふふっ。昴流君ったら、何だか娘を心配する過保護のお父さんみたい」
「お…。おと…う…さん…??」
「あはは、冗談。冗談だよー。気分悪くしたなら、ごめんね」
「…いや。そんな事は、ないけど…」
「そっか。なら良かった」
「……」
そんな様子の京珂に、昴流は何とも言えぬ心境を覚えた。
あとわずか、もう数分で会えなくなるというのに、京珂は普段と何も変わらない。
いつものように屈託ない笑みを浮かべ、自分に向けている。
──彼女は何ともないのか。こんな風に感じているのは、自分だけなのか。
ひょっとしたら彼女は、さほど自分を想ってくれてはいないのでは。
「好き」という言葉は、結局ただのうわべで──。
依然目の前でけらけらと笑う京珂を見ているうち、そんな良からぬ思いばかりが沸々と込み上げてくる。
そして堪らなくなった昴流は、遂に口を開いた。
「京珂、君は……」
「…いよ」
「え?」
「寂しいよ…。寂しいに…決まってるじゃない。だって、明日からはしばらくの間、こうして昴流君と会えなくなるんだよ…? なのに、寂しくないわけなんて…!」
「…京珂……」
昴流の意図を察していたのか、京珂はそう心中を吐露した。
「でも…泣いたまま昴流君と離れるなんて、いやだから…。だから、最後まで…笑って、『またね』って言いたくて…」
「…っ…」
涙でやや潤んだ瞳、やりきれなさをぐっと噛みしめるように震える唇。
切迫したその表情には、先程まで楽しげに笑っていた京珂の面影は微塵もない。
そんな京珂の姿を、昴流は茫然と見つめていた。
そして、静かに話し始めた。
「…ごめん、京珂」
「え…」
「僕が君の思いを無下にして…泣かせてしまった。だから、ごめん」
「な…何言ってるの。昴流君は何も悪くないじゃない…」
──君は、優しいから。
昴流は心の中で呟いた。
いつも自分より昴流の気持ちを優先してくれる彼女。
最後に泣き顔を見せて昴流を困らせたくない、不快にさせたくない。
だからこそ普段と変わらない振る舞いを努めていた。
それに比べて、自分はどうだ。
寂しい、切ない、離れたくない──そんな思いにすっかり囚われて、彼女のそんな心遣いにすら気づきもしなかった。
そればかりか、彼女は本当に自分を愛してくれているのか、と愚かな疑問すら抱いてしまった。
(…まったく。僕って奴は)
京珂に気づかれないよう、昴流は自嘲気味に小さく笑った。
すると──。
プルルルルルルルル
「…もう、そんな時間か」
「やばっ! そろそろ新幹線乗らなきゃ…!」
ホーム内に鳴り響くベルの音。
それは聴き様によって、新たな旅立ちの音にも、悲しい別れを告げる音にも聴こえてくるから不思議だ。
「じゃあ…そろそろ行くね」
「…うん」
「元気でね? 仕事、無理しないでね? たまには連絡、よこしてね?」
「…分かってる」
「うん。絶対、…絶対だよ?」
「……」
「……」
二人の間に、しばしの沈黙が訪れた。もどかしい時間が流れる。
大切な人と離れるのは、やはり辛いものだ。
例えそれが永遠の別れでないと理解していても。
共に過ごした時間が、両者にとってかけがえのないものであればあるほど、その辛さは一層強くなる。
それはこの二人にも言える事だろう。
そして──全てのしがらみを断ち切るように。
ようやく京珂は顔を上げた。
「麻績京珂、これから出陣するであります! 帰還をお待ちくだされ、昴流殿!」
「…!」
軍人さながらの口調でおどけてそう言うと、右手でピシッと敬礼をしてみせた。
「……」
「……」
「……。ぷ…っ、ふふ…」
「あ、やっと笑った!」
「京珂が、急に変な事するから…」
その言動があまりに唐突かつ滑稽だったせいで、最初は呆然としていた昴流も思わず吹き出していた。
「ふぅ…正直今ほっとしてるよ。これでもし昴流君がノーリアクションだったら、私ただの痛い人みたいになっちゃうから…」
「あんな事されたら僕だって、流石に反応はするよ」
その頃にはまたいつもの二人に戻っていた。
今これから離れ離れになるとは到底思えない、ごく普通の恋人同士──端からはそう見えるだろう。
「あ、流石にもう乗らないとまずいね。置いてかれちゃう」
「そうだね」
「帰る時期がはっきりしたら、必ず知らせるから。それまで、待っていて」
「…もちろん」
「じゃあ、またね!」
「……うん」
京珂が新幹線に乗り込んだ数分後、入口のドアが完全に閉ざされていく。
これでもう、二人はしばらく会えなくなる。
今までのように自由に会う事はままならないだろう。
座席に着いても尚京珂は昴流に笑いかけていた。笑って、手を振っている。
そして昴流もそれに微笑み、応える。
大切な人が笑うから、自分も笑っていたくて。
大切な人が笑うほど、自分も満たされていく。
それはどうしようもなく普遍的で、けれども何物にも代えがたい感覚なのだと昴流は感じていた。
──ありきたりかもしれないが、これこそが幸せ、なのだろうか。
新幹線のガラス一枚隔てた奥にいるその『幸せ』は、相も変わらず朗らかな笑顔で、昴流に手を振っていた。
昴流は、その姿を静かにずっと見送り続けた。
* * *
京珂の乗った新幹線が去った後、昴流はしばらく駅のベンチに腰かけていた。
すぐにここから離れたくない、名残惜しいという思いもあったのだろう。
昴流は、彼女が最後に言った言葉を思い出していた。
「じゃあ、またね…か」
『また』がいつなのか、正直曖昧さは否めない。
けれど、『さようなら』ほど悲観的な響きではない。
唯一はっきり言えるのは、彼女に『また』会えるという事。
その曖昧な『また』があるからこそ、前に進んでいける。
こういうのも、悪くない──。
今の昴流にはその事実だけで充分だった。
「…じゃあ、また」
昴流はベンチから立ち上がり、そう呟いた。
それは旅立った彼女への、はなむけの言葉。
そして、ホームへ背を向け歩き出す。
その表情はわずかに微笑んでおり、とても晴れやかだった。
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