オトナの時間はディナーのあとで
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「うん、やっぱ美味しいー!」
とある日の昼休み。
私は親友の和沙と一緒に、構内の食堂で昼食を摂っていた。
「あんたってさぁ、ホント学食のカツカレー好きよねえ」
私の向かいでサラダを突っつきドクターペッパーを頬張りつつ、和沙がそう言った。
「うん、大好き! 美味しいもん」
「毎日毎日同じ物ばっか食べて、飽きない?」
「ううん、全然飽きないよ? だって好きだし」
「…あ、そう。あんた見てると、そのうち『カレーは飲み物!』とか言い出さないか心配になってくるわ」
「あはは、それは流石にないよー」
いつも通り他愛ない会話をしながら、私達はいつも通りの昼休みを過ごす。
至ってありふれた、日常の光景。
そう、和沙の言う通り私は学食のカツカレーが大好きだった。
もはや私はこれを食べるためだけに学校に来ていると言っても過言ではない。
和沙が少し呆れたようにこっちを見てるけど、そんなの気にしない。
だって今は大好きな食べ物でお腹を一杯に満たせる、これ以上ない至福の時間なんだから。
ああ…幸せだなあ…。
「はあーあ…。本当あんたには、『花より団子』もしくは『色気より食い気』って例えが似合ってるわよね」
「え? そう? やだ、恥ずかしいよー」
「ばか、なに一人で照れてんのよ。てゆーか、あんたそのままで良いと思ってんの?」
「…え?」
和沙の意味ありげな質問に、ふとカレーを口に運ぶ手が止まった。
「それ…どういう事?」
「…つまりね。せっかくあんたにも彼氏が出来たんだから、彼のためにちょっとくらいは色気ってもんを身につける努力をしたらどうなの? って話」
「う…」
色気──食べるのが大好きな私にはおよそ程遠い言葉の一つだ。
痛いところを突かれて、思わず私は萎縮していた。
「『誰かのために生きてこそ、人生には価値がある』…知ってる? これ、かの有名なアインシュタインの言葉よ。つまり誰かのために尽くさない人生には、価値なんてないって事」
「うっ、うぐぅ…」
和沙が追い打ちをかけるように更に私の心を抉ってきた。
実際抉られた訳でもないのに、心なしか本当に心臓が痛むような感覚に襲われる。
「で、でも彼はね、私がご飯美味しそうに食べるところが好きだって言ってくれるし、だから…」
「別に私は『食べるな』とは言ってないでしょ。『もっと色気をつけろ』って言ってんの」
「でも、私…そういうキャラじゃないし…」
「キャラだとかキャラじゃないとか、そういう問題じゃないのよ。要は女が女として、男を虜にして離さないようにするための、最低限の『武器』っつーものを持っといた方が良いっていう話よ」
「え…っ? ぶ、武器??」
「……ねえ。ところで、京珂」
「はい…?」
和沙の口から飛び出した女の武器なる単語に動揺していると、急に和沙が座った体勢のまま、向かいからこちらにずいっと顔を寄せてきた。
そして私に耳打ちするように声を潜ませた。
「…な、何…?」
「…ここだけの話、彼とはどこまでいってるの?」
「は?」
思わず私は素っ頓狂な声を上げていた。
最初はその質問の意図を掴めなかったからだ。
「どこまでって…。それってどういう事?」
「ちょっとー、何カマトトぶってんのよ。それくらい察しなさいよね」
「カ、カマトトって…! 別に私、そんなつもりないってば!」
「ふう…まったく。あんたのその鈍さはホント一級品ね。じゃあ、はっきり言わせてもらいますけど」
「う、うん」
「…つまり、エッチな事したのかって聞いてんの」
「は、は…はあっ!?!?」
──その瞬間。
気が動転し過ぎたあまりに私は、あり得ないくらい大声を上げながら立ち上がり、手に持っていたスプーンをカレー皿の上に豪快に落っことしてしまった。
カラカラカラッ、と騒がしい甲高い音が妙に耳につく。
そして、はっと気づくと、周りの人達が何事かとばかりにこちらに注目している。
ばつが悪くなった私は平静を装った振りをして、そっと静かに座った。
「…ちょっと、少しは落ち着きなさいよ。ほら、私のドクターペッパー少しあげるから」
「そ、そもそも元はと言えば、和沙がそんな事言うのが悪いんじゃんさ…。あーもう、びっくりした…」
「え…? ひょっとして、まさか…」
何とか気持ちを落ち着かせようと、和沙からドクターペッパーの入ったペットボトルを受け取って喉を潤そうとした──のだけど。
「あんた、まだ経験なかったりする? …処女なの?」
「ぶッッ!?!!? …げふげふっ、ぐふっ、ごほぉッ!!」
和沙のトンデモ発言とドクターペッパーの独特な味が刺激的過ぎて、私は豪快に噴き出しそうになった。
とは言え公衆の面前でそんな醜態を晒す訳にもいかないので必死でぐっと堪えると、今度は思いきりむせてしまった。
……周りの冷たい視線を感じる。
どちらにしても私は既に醜態を晒してしまっているようだ。
恥ずかしい…。鬱だ…。
一方そんな私の気持ちなんて露知らず、和沙はニヤニヤ笑いながらこちらを眺めている。
「…マジか。まさかとは思ったけど、本当にそうだったとは…」
「……い、良いじゃん…別に。和沙に迷惑かけた訳じゃないし」
「…まあ、そうだけどさ」
口の中に残るドクターペッパーの味がちょっと気持ち悪くて、グラスに入っていた水をぐいっと一気飲みした。
そして、一つ息をつく。
…ドクターペッパー、和沙は好きみたいだけど私にはどうも合わないみたい。癖があり過ぎて。
和沙曰く「ドクターペッパーの美味しさが分かれば大人」らしいけど、そんなの別に分からなくたって良い。
私はまだ、子供で良いや。
ようやく落ち着いたのも束の間、和沙は更に容赦なく質問をぶつけてくる。
「あんた達、付き合い始めてどれくらい経つんだっけ?」
「えっと…。ちょうど一年くらい、かな」
「ちなみに参考までに聞くけど。…キスはしたの?」
「えっ…? …う、うん……」
頷きながら私は、キスという言葉にかあっと身体が熱くなるのを否めなかった。
彼とキスしたか、なんて。
面と向かって聞かれるのはやっぱり恥ずかしい。
「そ、そう…。流石にそれは済ませてんのね。一年も付き合ってキスもまだとか言われたら、逆にどう反応して良いか分からなかったわ。草食系どころの騒ぎじゃないわよね。むしろ不感症? いや潔癖症?」
「……」
何やらぶつぶつ言っている和沙を尻目に、私はふと考え込んでいた。
やっぱりそんなものなのかな。
一年も付き合ってたらそういう事してる方が当たり前なのかな。
これが普通だ、今はまだこのままで満足だから、なんて思ってるのは自分だけで。
他人からしたらそんな私の方がおかしいのかな、異常なのかなって。
「…あ、ちょっと。そうこう話してる間にこんな時間じゃない! メイク直しもまだしてないのにー!」
「え? …ああっ! ひ、昼休み終わっちゃうよ!」
食堂に備え付けの掛け時計に目をやり、私は残りのカレーを無理矢理胃袋に流し込んだ。
「ちょ、マジでカレー飲んでるし」と和沙のからかう声が聞こえてきたけど、気にしてなんかいられない。
元はと言えば和沙が変な話するのが悪いんじゃん、と心の中で一人ごちながら。
その日、普段と何ら変わらないはずだった平穏な昼休みは、何とも言えない後味の悪さや重さと共に、終わりを迎えた。
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