at 0:00.
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
──プルル、プルルル…
携帯電話の着信音が鳴り響いたのは、夜23時ちょうどの事だった。
電話帳登録されていないその電話番号は、初期設定通りの無機質な電話音を響かせている。
設定されていない番号からの電話なんて出ないのが賢明なんだけれど、今は状況が違った。
こんな夜遅くに電話をよこす相手なんてたった一人。
私には分かっていたから。
その人は友達でもなければ、家族でもない。
バイト仲間でも学校の同期でも、もちろん恋人なんかでもなくて。
だから、その番号は登録しないようにしていた。
妙な期待を持たないように。
今以上、自分を追いつめないように。
──プルルル、プルルルル
電話の音は私を急かすように、尚もけたたましく鳴り続ける。
それは、決断を迫る合図。
本当は出ない方が良い。
そしてこのまま何もなかったような振りをして、明日から生きて行けば良い。
むしろそれが最善だって事くらいとっくに気づいてた。
──出るべきか、出ないべきか。
私に与えられた選択肢は二つ。選べるのはどちらか一つ。
選ぶのは……私。
「…………」
人間なんて、本当に身勝手な生き物だ。
あなたがこうして気まぐれに電話してくるのを止められないように、私もまた、自分の思惑を止められない。
あなたも私もわがままで、所詮自分の事しか考えてなくて。
そのわがままを優しさにすり替えて、相手に擦りつけて、偽善者ぶってるだけなんだ。
だから…お互い様。
そして、私は──今日も携帯の通話ボタンを押した。
「……はい」
「……もしもし。僕だけど」
「……。うん…」
電話の向こうから聴こえたのは、予想通り彼の声だった。
いつものように優しくて、儚げな、あなたの声。
「…もし良かったら、今から会えるかな」
「……」
会えるかな、なんて──。
あなたはそう言ってこっちの気持ちを確認するような振りをする。
でも、私には分かってる。
私がもし拒んだって、あなたはきっとここに来るのだから。私に拒否権なんてない。
あなたはいつもそうだ。…本当に、ずるい人。
少しの沈黙の後、私はこう答えた。
「…うん、大丈夫。部屋の鍵は開けておくから」
「…分かった。それじゃあ、また後で」
必要最低限なやり取りだけをして、私は電話を切った。
それ以外の会話なんて無意味だから。
話す事なんて、何もない。
これ以上何か話したところで何も変わらない。
…そう。私には、何も変えられないんだ。
はっきりしているのは、ただ一つ。
私はこれから、あなたに──。
* * *
──ガチャ
23時30分、いつも通り部屋のドアが静かに開いた。
「……」
「……」
振り向くと、あなたが立っている。
寂しげで、綺麗な瞳のあなたが。
「………」
「……」
あなたは悲しそうな目で少しだけ私を見つめると、自分の唇を私のそれに重ねてきた。
その涼しい表情の裏に隠した本能を、剥き出しにして。
「…っ……」
「……んっ…、ぁ……」
何もかも奪い尽くすような貪るような強引な口づけに、私は声にならない声を漏らす。
優しさや愛情なんて微塵も感じさせない力任せで稚拙なその行為に、私の身体はいつの間にか自由を失い囚われていく。
引き返すなら今のうち──そう思いながら、私は何度、こうやってあなたにすべてを許したんだろう。
そして、もう二度と戻れなくなってしまったんだ。
何も知らなかったかつての純真な私にも、あなたに淡い憧れを抱きながら、恋に恋していた頃の私にも。
あなたの瞳の奥にいる誰かの面影を、存在を知りながら、私はあなたに近づいた。
あなたの心の中へ潜り込もうとした。
こうなる事なんて思いもせずに。
私は何も知らな過ぎたんだ。
──そして、私は罰を受けた。
あなたの心に、心の中の誰かに無遠慮に触れようとした私に、あなたが罪を下した。
一生消える事のない傷を、こうして何度も何度も私に刻みつけていく。
でも──だからこそ私は、甘んじてその罰を受け続けた。
そうする事で、私は私だと思い込みたかったから。
きっと気休めが欲しかったんだと思う。
こうしてあなたと一緒にいる時は、あなたの腕の中にいる時だけは、私はあなたを独占出来るから。
例えそれが、その場しのぎの寂しさや欲求を紛らわせるだけのものだったとしても。
その時だけは少なくとも優越感に浸る事が出来たから。
要は自己満足。そのためだけに私は、あなたを受け入れている。
そんな身勝手な願望の向こうに、救いなんてあるはずがないのに。
でも…分かっていても、言う事を聞いてくれない。
私の身体も、心も。
この一瞬の儚く脆い情熱にすべて捧げるように、身体は薄気味悪いほどの熱に冒されていく。
「……っ…。もう…良い、かな……」
「…う…ん、っ…。もっと……もっと、ほし、い…」
荒々しい吐息の合間に見え隠れするのは、どうしようもなくさもしい己の姿。
理性も後ろめたさも捨てた、あられもない一人の女。
でも、これで良い。これが良いんだ。
いつも通りで…良いんだ。
どうせ幸せになれないなら、惨めにしかなれないのなら。
今だけは何もかも忘れて、この熱さに身も心も委ねよう。
あなたに流されるがままに。
「…僕も…欲しい…。君が、欲しい……」
「……っ…。んぅ、あ……!」
気が触れそうな口づけに夢中になりながら、あなたは私の両腕を掴んだ。痣が出来そうなくらい、強く。
そしてそのまま押し倒されて、私の身体はベッドへなだれ込む。
こうして私達は、『いつも通り』の行為に身をやつしていく。
せめて今だけは、あなただけのものに──そんな夢見がちで叶うはずのない思いを、心の隅に潜ませながら。
* * *
──深夜23時58分、もうすぐ日付も変わる頃。
その時、私達はすべてを終わらせた。
『いつも通り』のその後にあるのは、やっぱりいつも通りの状況で。
彼に背を向けてベッドに横たわる私の隣で、あなたは淡々と煙草を吹かしている。
さっきまでの激しさも余韻も残さない、すべて掻き消すような不快な匂いが、ツンと私の鼻をついた。
「……」
「……」
そうして、沈黙が真っ暗な部屋を包む。
呼吸するのさえ許さないような、冷たい静けさ。
──結局、今日もまた、何も変わらなかった。
私とあなたは、何も変わらなかった。
私が私である限り、あなたがあなたである限り、きっと何一つ変わらないんだろう。
すべて終わった後に残ったものは、『何も残っていない』という真実だった。
虚しさも悲しさも、嫉妬すら感じない空っぽの身体と心。ただの『無』。
あれだけ熱く火照っていた身体は、すべてが終わった瞬間熱を失い、一気に冷めていく。
夜の空気に晒されて冷えきった身体を庇うように、ベッドの中で私は微かに身体を丸めた。
「…っ……!」
不意にぞくりとした感触が走り、思わず身じろぎする。
……寒かった。身体もだけど、何より…心が。
──心? 心が、寒い?
なんで? どうして?
そんなわけない。
心が寒いなんて、あるはずがない。
私にはもうそんな感情なんてないから。
心なんてもう、とっくに忘れてしまったのだから。
だから、良いんだ。
心をなくした哀しい女──それで良いんだ。
…それで、良いんだ……。
「……っ…」
そう思った瞬間、頬に冷たい感触が走った。
それは──涙だ。
他の誰でもない私自身が流した、涙。
………どうして。
どうしてなんだろう。
心をなくしたなら、どうして私は泣いているんだろう。
どうして胸の奥が張り裂けそうなくらい苦しくて、痛いんだろう。
そんなはずない、私には感情も心もないんだ──そう思おうとすればするほど、私の目からは涙が溢れ出してくる。
まるで空っぽの乾いた心を満たし、潤すように。
……ああ。これも、いつも通りだ。
すべてが終わった後、私はいつもこうしてひっそり泣いてしまう。
「私は心のないただの道化、人形なんだ」って思いながら、泣いてしまうんだ。
だから私は、いつしか無意識にあなたに背中を向けて眠るようになった。
あなたに涙を見られたくないから。
あなたに余計な負担を、背負わせたくなかったから。
……私は、弱いから。
この現実を全部受け入れて、目を逸らさず生きていけるほど、強くない。
涙は、甘えだ。
泣くのは、私が弱いからだ。
こうなる事を選んだのは自分自身なのに。
こうして私はまたひとつ、私が嫌いになっていく。
自分で自分を、どこまでも貶めていく。
「…………」
涙を滲ませたまま、私は性懲りもなく目を閉じる。
辛い現実から逃げるように、見ないように。
朝になればすべてリセット出来る、この涙もなかった事に出来る、なんて。
そんな都合の良い事を考えながら。
でも、そんな時だった──。
私の耳元に、あなたの声が聴こえてきたのは。
「…………ごめん」
「………!」
あなたはいつも通りの優しい声で、いつも通りのたった一言を呟いた。
そして一度だけ、私の耳たぶにそっとキスをする。
「………ッ……!」
私が泣いているのに気づかない振りをして、何も知らない風を装って、あなたはまたこうして私の心を抉り取っていく。
本当に…本当に、ずるい人。あなたは。
私は、誰かの代わりだ。
あなたの寂しさや悲しみ、大切な『誰か』の穴埋めをするために、ここにいるだけ。ただの身代わり、道具。
──そして、あなたの特別になろうとしてなれなかった、無残な成れの果て。
だから…だから、私に。
そんな言葉をかけないで。
そんなもの要らないのに。
私があなたにとって道具だというなら、乱暴に、好き勝手に振り回して叩き落として、気の済むまで踏みつけて、顔が腫れ上がるくらい殴ってくれたら良い。
いっその事「自分のエゴのためだけに、自分を愛してもいない男に抱かれた哀れな女だ」って、蔑み笑ってくれれば良いのに。
それならきっと、ずっと楽になれたはずなのに。
だから……もう止めて。
私にそんな慰めの言葉をかけたりしないで。
中途半端な優しさなんて、残酷なだけだから。
──深夜0時。文字通りすべてがゼロになる時間。
何もかもがリセットされ、新しく生まれ変わる瞬間。
だけど、あなたと私は変わらない。
何もリセット出来ないし、生まれ変わる事なんて出来ない。
きっとまた私達は、こうして『いつも通り』を繰り返していくんだろう。
でも──。
それなら、せめて。
せめて朝が来る前に、この暗闇にすべてを堕として、融かして、壊してしまいたい。
あなたの存在も、あなたの優しさも、耳たぶにわずかに残った温かい熱も。
あなたの心も、あなたの声も、あなたの心の奥底にいる誰かも。
そして、何より……こんなに浅ましい、汚れた私自身を。
「心なんてない」と嘯いて、最後はいつもあなたの優しさにほだされてしまう情けない私自身を。
どこまでもあなたに縋りつき、あなたに愛されたいと愚かに願ってしまう、私自身を。
きっと、あなたと私は、壊れる事でしか繋がれない。
互いを壊し壊される事でしか触れ合えない。
何も産み出さないこの関係は、壊れる以外に道はないのだから。
それなら──壊れるなら、あなたの手で壊されたい。
あなたが壊れるなら、私が壊したい。
堕ちていくなら、あなたと一緒に堕ちていきたい。
だから、今は二人。
この闇にこの身を沈めていたい。
深く、深く、もっともっと深く深く深く。
一筋の光すら差す隙を与えないくらいに、深く。
どこまでも深いこの暗闇へ。
今は二人だけで、ずっと──。
1/1ページ