後編
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ふと目を開け、そこに映ったのは白と黒と灰色以外の一切の色が失われたモノクロの世界。
そびえ立ついくつものビル、舗装されたアスファルトの地面、信号機。どこかの都会の街である事は分かる。しかしビルの多くは根元から折れ曲がって今にも倒れそうになっており、窓ガラスも割れ散々な有り様になっている。地面はひび割れてその裂け目から草木が顔を覗かせ、お世辞にも綺麗な状態とは言えない。
私以外に、この空間に人はいない。まるでパンデミックか核戦争か、はたまた最後の審判か何かで訪れた終末の世界のようだった。
もしこの光景が現実のものになったりなんかしたら笑えるな、なんて思いながら私は特に何も考えずに歩き出してみる。
「………うぅっ」
ある一つの崩れたビルの前を通りかかり、誰かの声のようなものを確かに聞いた。
聞こえてくる声をたどってその主を探し歩く。
声を頼りにたどり着いたのは、無数の瓦礫が積み上がった場所。その上に登り、デコボコした悪路に時々ローファーのヒールを引っかけつまづきそうになりながら、私は進む。
もう声はすぐ近くにある。瓦礫の間を覗き込んでみると、そこには小さな少女がうずくまり、ただ一人ですすり泣き続けていた。
私と同じ、黒い髪を持つ少女だった。
私の視線に気づいたのか、少女は顔を上げ私を見つめる。
「あなたも捨てられちゃったの?」
「え?」
少女は唐突にそう口を開く。その言葉の意味は、すぐには理解できなかった。
そして少女はそのまま言葉を紡ぐ。
「いらない子だから、捨てられちゃったの?」
今更気づいた。
目の前にいる少女は、幼い頃の私。
ただ怯える事しかできなかった頃の私。
その途端、突然地面が揺れ始める。
私は思わずよろけるが、少女は微動だにせずただその場に立ち尽くすのみ。
地面が揺れ始めると同時に、どこからともなく大きな岩があちこちに降ってくる。
そして私の目の前にも岩が降ってくる。
目の前に落ちてきた岩は少女を押し潰し、グシャリと音を立てて赤い
岩の下から伸びた細く小さな腕は、まだかすかに動き続けている。
「……そうよ。私もいらない子よ。」
その腕を見つめ、私は少し遅めの返答を返した。
揺れがまだおさまらない中、私はなんとか立ち上がり、青い色彩を失った真っ白な天を仰ぐ。
真っ白な空と同時に目の前に映ったのは、私を押し潰さんと降ってくる大きな岩。
私はまたゆっくりと、目を閉じた。
何も見えなくなったかと思えば、次に映ったのは白い天井。同時に、自分が仰向けになって寝転がっている事にも気づく。
気味の悪い夢の内容がまだ脳裏に生々しく焼き付く中、私は目をこすりながらベッドから起き上がった。
この世界に来てから、1週間と3日。
先程私が寝ていたベッドと、その脇にあるランプ、中央に置いてある小さめのローテーブル、デスク。日本の家ならどこにでも普通にあるような、ごく一般的な一人部屋。
Xは回収した人間の魂をいつもどこかに保管していて、暇を持て余した時に眺めたりしているらしい。だがXに気に入られ器を与えられた人間は、Xの持つ能力によって作られた自分専用の部屋も同時に与えられる。そして私もその内の一人、という事である。居心地は悪くない。
壁にかけてある時計に目をやると、針は4時過ぎを指している。変な夢を見たせいなのか、まだ夜も明けないうちに目が覚めてしまったらしい。
もう一度ベッドに潜って、目を固く閉じる。がしかし、眠気が訪れる気配すら感じない。逆に起きてしまえばその内眠くなるかもしれないと思い、私はひとまず外に出てみる事にした。
空はまだ暗く、地平線の近くだけが薄明かりに染まり始めている。
私は部屋を出て、屋敷を出て、どこまで続くかも分からない広い野原を夜風に当たりながら歩き続けていた。
そうこうしている内にたどり着いたのは、小高い丘の前。その丘の上には、見慣れた大きな人影が一つあった。彼に間違いないだろう。
大きな体のはずなのに、その背中はいつもより小さく見えたような気がした。
特にする事もないので、私は彼の──Xの隣に来てみる。
「…ユウリ?こんな時間にどうしたの?
あ、もしかして僕のこと探しに来たとか?」
「違う。眠れないから外の空気に当たりに来ただけよ。あなたこそ何してるのよ、こんな所で」
Xの顔から一瞬だけ、表情が消える。少し間を空けてから、彼は笑って答えた。
「…大した用じゃないさ。ほんの、ちょっとした考え事だよ。」
完璧な作り笑いだった。私が昔よくしていたものと同じだったから、すぐに分かった。
「…何かあったんでしょ?」
バレたかー、とX。
どこか神妙な面持ちで、Xは地平線の先へと視線を戻す。
そしてゆっくりと、絞り出すようにして、Xは言葉を紡ぎ出した。
「仲の良かった人間が死んだんだ。
不幸な事故だった。
たとえ死んでも、魂はしばらくその場に留まり続ける。でも間に合わなかったんだ。
…僕が、気づくのが遅かったばかりに。」
Xは私に見られないようにして顔を伏せた。
…私はますます彼の事が分からなくなった。所詮おもちゃでしかない人間に対して、そんな感情が湧くものなのかと。Xを形作るイメージは、嘘と本当でごちゃごちゃに入り乱れていた。
でもこれだけは分かった。XにはXなりの正義があるという事。
価値観は時間とともにアップデートされていくもの。私と彼の価値観はあまりにもかけ離れていて、同じものさしでははかりようもない。だから正しいとか間違ってるとか、善とか悪とか、そういうものも根本からまるで違う。
Xが私に自分にとっての正しさを強要する権利もなければ、私がXに自分にとっての正しさを強要する権利もない。Xのやっている事が正しいと思ったわけではないが、私が口出しする事ではない。勝手にすればいい。それが正しいと思うならそうすればいいと思った。
…死ぬ事しか頭にない私には、正義なんてあったものではないが。
「くよくよしてたって、その人間は戻ってこないわよ。
あなた神様なんでしょう?神様がこんな所でくじけてどうするのよ。
…あなたの、理想のユートピアを作るんでしょう?」
同情なんてしない。ただ思った事を伝えた。
するとXは、伏せていた顔を上げた。そして私を見つめ、少し微笑んだ。
「……ありがとう、ユウリ」
「別に礼を言われるような事なんて──」
今一度冷静になって考えてみる。
……「ありがとう」?
私が?Xを?気遣った?
……なぐさめた?
おかしい。何かがおかしい。
私はXに嫌われようとしているはずなのに、なぜ私はそんな言動をした?
私がおかしい。彼もおかしい。
きっと私は騙されているんだ。いつの間にやらX好みのおもちゃに仕立てあげられるように、手のひらの上で踊らされているに違いない。
感情なんかに振り回されるなんてちっとも私らしくない。今更誰かに思い入れを持つなんて、私らしくない。
「……どうかしてるわ、私」
一人残されたXに背中を向け歩き出す。
この言い知れぬ感情を理解してしまう前に、その存在を認めてしまう前に、私はその場から逃げるように立ち去った。