Ⅳ・トーマス夢
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つまるところ、彼女も人の子だったのだ。
そして、あの行為の意味するところが分かるくらいには、僕も大人になっていたということだ――。
自然と目が覚めた。部屋に満たされた夜の闇をぼんやりと見つめる。
遠くからカチャカチャという、金属と陶器の擦れ合う音が聞こえる。お腹は空いているが、食べる気はしない。欲を言うなら、再び眠ってしまいたい。
再び枕に顔を埋める。少し何かを考えた気もするが、昨晩見たあの光景がかき消してしまった。
『あっ…! ふぉ、お……!』
『ハヅキ…! く…っ!』
Ⅳ兄様の部屋の扉、その向こうから聞こえる、Ⅳ兄様の荒い息遣い、ハヅキの苦しそうな甘い声。
全身の血が火で沸かしたように熱い。背徳心と予測される衝撃の大きさよりも、胸の昂ぶりと好奇心が勝ち、僅かな隙間を音も立てずに少し広げた。扉のその隙間から僕の片目に映ったのは。
「おぇ……」
思い出す度に吐き気がする。が、胃は空っぽで、吐き出すものなど無い。
何もかもが頭の中で渦巻く。ひどく絡まった毛糸の塊みたいに、僕の思考は乱れていく。
脳裏に浮かんだのは、まだアークライト家の使用人でもなく、ただ純真無垢な頃の幼い彼女。
"ミハエル、もう大丈夫だよ"
暗く、重苦しいあの施設で僕の味方だったのは、Ⅳ兄様とハヅキだけだった。そのⅣ兄様も時々僕にちょっかいを出してきては、その度にハヅキが僕の代わりに怒ってくれた。
"ありがとう、ハヅキ……"
僕が袖で涙を拭う間も、彼女はいつも優しく頭を撫でてくれるのだ。
"オメーはハヅキに甘えすぎなんだよ。ハヅキもあんまりコイツを甘えさせんな"
"甘やかしてるんじゃありませんー。慰めてあげてるんですう"
まだ、僕たちが“子ども”だった頃の記憶。
それは胸に突き刺さって、じくじくと痛んだ。
ハヅキとⅣ兄様はもう、手の届かないところへ行ってしまったんだ、あの時、一瞬でも昂ぶってしまった最低な僕を置いて。
(でも、薄々気づいていたんじゃない?)
僕の声が、頭の中で響いた。
(ハヅキが幸せなら、祝福しなきゃ駄目じゃないか)
分かっているさ、そんなこと。そう思えないから、今、こんなに歯を食いしばっているんじゃないか。
(じゃあ僕は、何が苦しいの?)
瞬間、コンコン、というノック音で我に返った。
「Ⅲ、入るぞ」
返事をする間もなく、Ⅳ兄様は僕の部屋の扉を開けた。
「今朝から何も食ってねえだろ、具合でも悪いのか?」
カチリと扉の閉まる音がして、足音が僕の方へと近づいてくる。
僕は枕に顔を押し付けたまま、返事はしない。
「ハヅキも心配して――」
それはほぼ反射的に。ハヅキの名前が琴線に触れた僕はⅣ兄様の胸倉を掴み上げていた。
「おい、Ⅲ……! 何怒ってやがる!?」
怒っている? 僕が?
確かに、もう片方の手は爪が食い込む程に握りしめているし、殴ろうと思えば殴ることだって出来るだろう。
(殴りたいのは、Ⅳ兄様なの?)
デュエルに敗けた時。いつだったか遊馬を憎んだ時。それらに似ているけれど、もっと真っ黒なそれ。誰かのせいに見えて、そうではないそれ。
そいつが、僕の拳を作っている。
「ごめんなさい、兄様……」
手を離すと、Ⅳ兄様は咳き込んだ。それでも、僕を殴ることもなく、「どうしちまったんだよ」と心配してくれているし、ハヅキの名前を出したのも兄様なりの気遣いだろう。Ⅳ兄様は本当に優しい人だ、少し普通じゃないところもあるけれど。
「兄様」
「なんだよ?」
「ハヅキを悲しませたら、絶対に許さないから」
この時の僕の満面の笑みは、兄様の目にどう映ったのだろう。
☆
ハヅキが数年前、僕の家族に持ち込んだ「ハナミ」という習慣は今も続いている。
桜は静かに凛として咲き誇り、時折花びらを僕らの上に降らせた。
ピクニックシートを敷いて寛ぎながら、ハヅキの用意した料理に舌鼓を打ち、他愛のない会話に興じる。ハヅキはいつもの使用人のような話し方はせず、くだけた口調で僕らと笑っているあたり、心からこのハナミを楽しんでいるのがわかる。
「ハヅキ姉様」
「どうしたの? ……って、え、姉様?」
ハヅキは僕が敢えて"姉様"と付けたことに気付いた様子だが、その意図まで彼女が理解したのかはわからない。僕はそのまま続けた。
「Ⅳ兄様にいじめられたりしてない?」
「まあ、とりあえず大丈夫かな。ありがとう」
なんだそりゃ、と少し離れた場所にいる張本人からツッコミが入った。こっちも見ずにサンドイッチを頬張るⅣ兄様に、いつもの照れ隠しだね、と思わず2人で顔を見合わせこっそり笑った。
「ところで、何か良い報告とか無いのかな?」
不意に父様がその場にいる全員に問いかけると、特にねえよ、とⅣ兄様はぶっきらぼうに答えた。そしてひとくち大になったサンドイッチを口へ放り込んだのだが。
「えー? "君とハヅキ”が一番何かありそうなんだけど?」
意味有り気に仮面の下から笑顔を覗かせ、Ⅳ兄様とハヅキを交互に見る。と、同時に二人はひどく咳き込んだ。それでも彼の側へ寄って甲斐甲斐しく介抱するハヅキ。この二人を見て何も無い方がおかしいんじゃないだろうか。
「トロン様、何を仰って……!」
「いくら父親でもデリカシー無さすぎだろ!」
「え? 二人とも、何のこと? 何か心当たりでもあるのかい?」
笑顔を崩さずとぼける実の父親にⅣ兄様は頭を抱え、コイツに何か言ってくれとV兄様に助け舟を求める。もくもくとサンドイッチを堪能していたらしいV兄様は少し考え込んだ後、紅茶を啜ると、
「ハヅキ、今日のサンドイッチは特段美味しい。味付けを変えたのか?」
「聞いてなかったのかよ! そもそもハヅキ、お前が!」
「私が、何よ!?」
父様と僕は思わず吹き出した。
少し思っていたのとは違うけれど、いつか見た幻想が、目の前に広がっていた。
(了)
2017.4.19 初稿
2022.2.25 加筆修正
2022.7.19 加筆修正
トロン一家と桜という最強の組み合わせ
Lemon Ruriboshi.
そして、あの行為の意味するところが分かるくらいには、僕も大人になっていたということだ――。
自然と目が覚めた。部屋に満たされた夜の闇をぼんやりと見つめる。
遠くからカチャカチャという、金属と陶器の擦れ合う音が聞こえる。お腹は空いているが、食べる気はしない。欲を言うなら、再び眠ってしまいたい。
再び枕に顔を埋める。少し何かを考えた気もするが、昨晩見たあの光景がかき消してしまった。
『あっ…! ふぉ、お……!』
『ハヅキ…! く…っ!』
Ⅳ兄様の部屋の扉、その向こうから聞こえる、Ⅳ兄様の荒い息遣い、ハヅキの苦しそうな甘い声。
全身の血が火で沸かしたように熱い。背徳心と予測される衝撃の大きさよりも、胸の昂ぶりと好奇心が勝ち、僅かな隙間を音も立てずに少し広げた。扉のその隙間から僕の片目に映ったのは。
「おぇ……」
思い出す度に吐き気がする。が、胃は空っぽで、吐き出すものなど無い。
何もかもが頭の中で渦巻く。ひどく絡まった毛糸の塊みたいに、僕の思考は乱れていく。
脳裏に浮かんだのは、まだアークライト家の使用人でもなく、ただ純真無垢な頃の幼い彼女。
"ミハエル、もう大丈夫だよ"
暗く、重苦しいあの施設で僕の味方だったのは、Ⅳ兄様とハヅキだけだった。そのⅣ兄様も時々僕にちょっかいを出してきては、その度にハヅキが僕の代わりに怒ってくれた。
"ありがとう、ハヅキ……"
僕が袖で涙を拭う間も、彼女はいつも優しく頭を撫でてくれるのだ。
"オメーはハヅキに甘えすぎなんだよ。ハヅキもあんまりコイツを甘えさせんな"
"甘やかしてるんじゃありませんー。慰めてあげてるんですう"
まだ、僕たちが“子ども”だった頃の記憶。
それは胸に突き刺さって、じくじくと痛んだ。
ハヅキとⅣ兄様はもう、手の届かないところへ行ってしまったんだ、あの時、一瞬でも昂ぶってしまった最低な僕を置いて。
(でも、薄々気づいていたんじゃない?)
僕の声が、頭の中で響いた。
(ハヅキが幸せなら、祝福しなきゃ駄目じゃないか)
分かっているさ、そんなこと。そう思えないから、今、こんなに歯を食いしばっているんじゃないか。
(じゃあ僕は、何が苦しいの?)
瞬間、コンコン、というノック音で我に返った。
「Ⅲ、入るぞ」
返事をする間もなく、Ⅳ兄様は僕の部屋の扉を開けた。
「今朝から何も食ってねえだろ、具合でも悪いのか?」
カチリと扉の閉まる音がして、足音が僕の方へと近づいてくる。
僕は枕に顔を押し付けたまま、返事はしない。
「ハヅキも心配して――」
それはほぼ反射的に。ハヅキの名前が琴線に触れた僕はⅣ兄様の胸倉を掴み上げていた。
「おい、Ⅲ……! 何怒ってやがる!?」
怒っている? 僕が?
確かに、もう片方の手は爪が食い込む程に握りしめているし、殴ろうと思えば殴ることだって出来るだろう。
(殴りたいのは、Ⅳ兄様なの?)
デュエルに敗けた時。いつだったか遊馬を憎んだ時。それらに似ているけれど、もっと真っ黒なそれ。誰かのせいに見えて、そうではないそれ。
そいつが、僕の拳を作っている。
「ごめんなさい、兄様……」
手を離すと、Ⅳ兄様は咳き込んだ。それでも、僕を殴ることもなく、「どうしちまったんだよ」と心配してくれているし、ハヅキの名前を出したのも兄様なりの気遣いだろう。Ⅳ兄様は本当に優しい人だ、少し普通じゃないところもあるけれど。
「兄様」
「なんだよ?」
「ハヅキを悲しませたら、絶対に許さないから」
この時の僕の満面の笑みは、兄様の目にどう映ったのだろう。
☆
ハヅキが数年前、僕の家族に持ち込んだ「ハナミ」という習慣は今も続いている。
桜は静かに凛として咲き誇り、時折花びらを僕らの上に降らせた。
ピクニックシートを敷いて寛ぎながら、ハヅキの用意した料理に舌鼓を打ち、他愛のない会話に興じる。ハヅキはいつもの使用人のような話し方はせず、くだけた口調で僕らと笑っているあたり、心からこのハナミを楽しんでいるのがわかる。
「ハヅキ姉様」
「どうしたの? ……って、え、姉様?」
ハヅキは僕が敢えて"姉様"と付けたことに気付いた様子だが、その意図まで彼女が理解したのかはわからない。僕はそのまま続けた。
「Ⅳ兄様にいじめられたりしてない?」
「まあ、とりあえず大丈夫かな。ありがとう」
なんだそりゃ、と少し離れた場所にいる張本人からツッコミが入った。こっちも見ずにサンドイッチを頬張るⅣ兄様に、いつもの照れ隠しだね、と思わず2人で顔を見合わせこっそり笑った。
「ところで、何か良い報告とか無いのかな?」
不意に父様がその場にいる全員に問いかけると、特にねえよ、とⅣ兄様はぶっきらぼうに答えた。そしてひとくち大になったサンドイッチを口へ放り込んだのだが。
「えー? "君とハヅキ”が一番何かありそうなんだけど?」
意味有り気に仮面の下から笑顔を覗かせ、Ⅳ兄様とハヅキを交互に見る。と、同時に二人はひどく咳き込んだ。それでも彼の側へ寄って甲斐甲斐しく介抱するハヅキ。この二人を見て何も無い方がおかしいんじゃないだろうか。
「トロン様、何を仰って……!」
「いくら父親でもデリカシー無さすぎだろ!」
「え? 二人とも、何のこと? 何か心当たりでもあるのかい?」
笑顔を崩さずとぼける実の父親にⅣ兄様は頭を抱え、コイツに何か言ってくれとV兄様に助け舟を求める。もくもくとサンドイッチを堪能していたらしいV兄様は少し考え込んだ後、紅茶を啜ると、
「ハヅキ、今日のサンドイッチは特段美味しい。味付けを変えたのか?」
「聞いてなかったのかよ! そもそもハヅキ、お前が!」
「私が、何よ!?」
父様と僕は思わず吹き出した。
少し思っていたのとは違うけれど、いつか見た幻想が、目の前に広がっていた。
(了)
2017.4.19 初稿
2022.2.25 加筆修正
2022.7.19 加筆修正
トロン一家と桜という最強の組み合わせ
Lemon Ruriboshi.