空却夢
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台風一過。どうやら灼熱の夏をも攫って行ったようで、風にはどこか秋の気配。取り残された蝉の鳴き声が遠くで虚しく響いている。
とはいえ、日差しの強い日は止めどなく汗が流れ落ちるほどですぐに水が恋しくなるほど。
「やっと帰ってきたか」
帰宅して早々の、親からの小言を空却はいつも通りケッと跳ね除ける。ふと、玄関先に置かれたの鞄が目に付いた。女物のそれには見覚えがある。
「しおん、今日も来てんのか?」
「少し前に来て、すぐに門のあたりを掃除しに行ったぞ。全く、嫁に修行を代わってもらうやつがあるか」
「嫁って……。気が早ぇよクソ親父」
確かに、しおんはいわゆる”カノジョ”ではあるものの、当然まだそういった関係ではない。――ゆくゆくは夫婦になってもいいと空却自身は思ってはいるのだが。
気恥ずかしいのを振り払うようにペットボトルに残る一口の水を飲もうとした時、空却の中で何かが引っかかった。おかしい。いつものように寺の前の掃除をしているならば、途中ですれ違っているはず。しかし空却にはその記憶がない。
空却は慌てて玄関を飛び出し、門を出て寺の周りを一周するもしおんの姿はない。ならば境内かと滴り落ちる汗を腕で拭いながら駆け足でしおんを探す。
「あ、おかえりなさい、空却くん」
声は物置にしている小屋のほうからだった。使い終わった竹箒を仕舞ったところなのだろう。空却は頭を掻きながらため息をついた。
「ったく、心配して損し――」
歩を進めて近づくほどに、いつもと様子が違うと空却は訝った。しおんの顔は火照り、視点はどことなく虚ろ。ヤバイ、という三文字が脳裏に浮かんだ。すぐに持ったままだったペットボトルの蓋を外す。
「飲め」
「え?」
「いいから飲めよ」
おずおずとしおんがペットボトルの水を飲み干すや否や、空却はしおんの腕を掴むとずんずんと大股で歩き始めた。あまりの勢いに、掴まれた腕が痛いと主張しても「いいから」としか言わない。訳がわからないまま、気付けばどこかの部屋に通されていた。
「ほら、これ枕にしとけ」
今度は座布団を投げつけられたかと思えば、ピッという音と共に吹き始めた冷風がしおんの体をたちまち冷やしていく。しおんは言われた通りに二つ折りにした座布団を枕に体を横たえると、今度は廊下のほうからバタバタと足音が近づいてくるのが聞こえた。
いつの間にか部屋を出ていたらしい空却は、部屋に戻るなり持ってきた保冷剤をしおんに手渡し、最後に氷嚢をぺたりとしおんの火照った顔に当てた。
言葉もなく、ただただ冷やされていると、ぼぅっとしていたしおんの意識が少しずつはっきりしてくる。
「なあ」
氷嚢を持った手を空却が上げると、目が合った。
「どうして毎日のように来るんだよ」
「迷惑だった?」
少し返答に詰まった。しおんに会えるのは嬉しいのだが、今日のように掃除やら何やらを頼まれると引き受けてしまい、結局自分もやる羽目になる。サボってしまっても良いのだが、やはり彼女の手前、やはり格好のつかないことはやりたくないのが男という生き物だ。それに、しおんがいるなら、普段は嫌なこともまあ悪くないと思えてしまう。
「迷惑じゃねえよ。でもお前だって、……なんか色々あるだろ」
目線を逸らし、多少声の上擦った空却に内心を察したのかしおんは口元を綻ばせ、そうだね、とだけ答えた。少しの間の静寂も耐え兼ねたのか、
「で、何でだよ」
と、空却は再びしおんに問う。今度はしおんが気不味そうに口籠った。
「……空却くんのために、少しでも早く、空厳寺の生活を覚えておきたいから、その方が将来――ぶッ」
空却はぽんと氷嚢をしおんの顔の上に落とし、しおんの続きの言葉を遮る。
「ばーか。体壊しちまったら元も子もねえだろうがよ」
そっと氷嚢をズラすと、照れくさそうに正面を見つめる空却の姿が見えた。しおんは再び笑みを浮かべ、しばらくその姿をその目に映す。しばらくすると空却は大きな溜息をついた。どうやら、しおんの視線に気付いていたらしい。
「おい」
こちらを見たかと思うと、すぐに氷嚢を持つ手が熱くなり耳元で氷のぶつかるコロンという音がしおんの耳元で聞こえた。視界が開け、手を握られ、もう一方の手が自分の頬に添えられていると気付いた頃には、しおんの唇は空却の唇に塞がれていた。
「今日はこのくらいで我慢してやるよ」
噛み付くように散々弄んだ後、十分に堪能したという風に空却は不敵に笑った。ほどよく冷えたはずのしおんの顔が、再び熱くなっているらしい様を見届けながら。
翌日。いつものようにしおんは空厳寺の門をくぐると、「お邪魔します」と言い終わる前に背後から口を手で覆われた。ばたばたともがくしおんに空却は小声で囁く。
「拙僧だ。クソ親父にバレる前に行くぞ」
「行くぞ、ってどこに」
境内の方からの怒鳴り声が二人の耳に届く。今日は一体何をしたんだろう、としおんが思ったのも束の間、空却はしおんの腕を引いて駆け出した。二人に気付いた灼空の怒号が次第に遠くなる。
「こういうことにも慣れてもらわねぇとな!」
拙僧の嫁になるつもりなら、という言葉は飲み込むことにした。
(了)
2024.9.17 初稿
Lemon Ruriboshi.
とはいえ、日差しの強い日は止めどなく汗が流れ落ちるほどですぐに水が恋しくなるほど。
「やっと帰ってきたか」
帰宅して早々の、親からの小言を空却はいつも通りケッと跳ね除ける。ふと、玄関先に置かれたの鞄が目に付いた。女物のそれには見覚えがある。
「しおん、今日も来てんのか?」
「少し前に来て、すぐに門のあたりを掃除しに行ったぞ。全く、嫁に修行を代わってもらうやつがあるか」
「嫁って……。気が早ぇよクソ親父」
確かに、しおんはいわゆる”カノジョ”ではあるものの、当然まだそういった関係ではない。――ゆくゆくは夫婦になってもいいと空却自身は思ってはいるのだが。
気恥ずかしいのを振り払うようにペットボトルに残る一口の水を飲もうとした時、空却の中で何かが引っかかった。おかしい。いつものように寺の前の掃除をしているならば、途中ですれ違っているはず。しかし空却にはその記憶がない。
空却は慌てて玄関を飛び出し、門を出て寺の周りを一周するもしおんの姿はない。ならば境内かと滴り落ちる汗を腕で拭いながら駆け足でしおんを探す。
「あ、おかえりなさい、空却くん」
声は物置にしている小屋のほうからだった。使い終わった竹箒を仕舞ったところなのだろう。空却は頭を掻きながらため息をついた。
「ったく、心配して損し――」
歩を進めて近づくほどに、いつもと様子が違うと空却は訝った。しおんの顔は火照り、視点はどことなく虚ろ。ヤバイ、という三文字が脳裏に浮かんだ。すぐに持ったままだったペットボトルの蓋を外す。
「飲め」
「え?」
「いいから飲めよ」
おずおずとしおんがペットボトルの水を飲み干すや否や、空却はしおんの腕を掴むとずんずんと大股で歩き始めた。あまりの勢いに、掴まれた腕が痛いと主張しても「いいから」としか言わない。訳がわからないまま、気付けばどこかの部屋に通されていた。
「ほら、これ枕にしとけ」
今度は座布団を投げつけられたかと思えば、ピッという音と共に吹き始めた冷風がしおんの体をたちまち冷やしていく。しおんは言われた通りに二つ折りにした座布団を枕に体を横たえると、今度は廊下のほうからバタバタと足音が近づいてくるのが聞こえた。
いつの間にか部屋を出ていたらしい空却は、部屋に戻るなり持ってきた保冷剤をしおんに手渡し、最後に氷嚢をぺたりとしおんの火照った顔に当てた。
言葉もなく、ただただ冷やされていると、ぼぅっとしていたしおんの意識が少しずつはっきりしてくる。
「なあ」
氷嚢を持った手を空却が上げると、目が合った。
「どうして毎日のように来るんだよ」
「迷惑だった?」
少し返答に詰まった。しおんに会えるのは嬉しいのだが、今日のように掃除やら何やらを頼まれると引き受けてしまい、結局自分もやる羽目になる。サボってしまっても良いのだが、やはり彼女の手前、やはり格好のつかないことはやりたくないのが男という生き物だ。それに、しおんがいるなら、普段は嫌なこともまあ悪くないと思えてしまう。
「迷惑じゃねえよ。でもお前だって、……なんか色々あるだろ」
目線を逸らし、多少声の上擦った空却に内心を察したのかしおんは口元を綻ばせ、そうだね、とだけ答えた。少しの間の静寂も耐え兼ねたのか、
「で、何でだよ」
と、空却は再びしおんに問う。今度はしおんが気不味そうに口籠った。
「……空却くんのために、少しでも早く、空厳寺の生活を覚えておきたいから、その方が将来――ぶッ」
空却はぽんと氷嚢をしおんの顔の上に落とし、しおんの続きの言葉を遮る。
「ばーか。体壊しちまったら元も子もねえだろうがよ」
そっと氷嚢をズラすと、照れくさそうに正面を見つめる空却の姿が見えた。しおんは再び笑みを浮かべ、しばらくその姿をその目に映す。しばらくすると空却は大きな溜息をついた。どうやら、しおんの視線に気付いていたらしい。
「おい」
こちらを見たかと思うと、すぐに氷嚢を持つ手が熱くなり耳元で氷のぶつかるコロンという音がしおんの耳元で聞こえた。視界が開け、手を握られ、もう一方の手が自分の頬に添えられていると気付いた頃には、しおんの唇は空却の唇に塞がれていた。
「今日はこのくらいで我慢してやるよ」
噛み付くように散々弄んだ後、十分に堪能したという風に空却は不敵に笑った。ほどよく冷えたはずのしおんの顔が、再び熱くなっているらしい様を見届けながら。
翌日。いつものようにしおんは空厳寺の門をくぐると、「お邪魔します」と言い終わる前に背後から口を手で覆われた。ばたばたともがくしおんに空却は小声で囁く。
「拙僧だ。クソ親父にバレる前に行くぞ」
「行くぞ、ってどこに」
境内の方からの怒鳴り声が二人の耳に届く。今日は一体何をしたんだろう、としおんが思ったのも束の間、空却はしおんの腕を引いて駆け出した。二人に気付いた灼空の怒号が次第に遠くなる。
「こういうことにも慣れてもらわねぇとな!」
拙僧の嫁になるつもりなら、という言葉は飲み込むことにした。
(了)
2024.9.17 初稿
Lemon Ruriboshi.
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