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辺り一面、草の海。
風が吹き抜けては、ざわざわと草の波音が響く。
その中に一筋の道。
その先に一本の川。
幾松は、その道に立っていた。

(どこだ? ここは……)
「幾松」

優しくて、懐かしくて、そして、とても落ち着く愛しい声。
かつて愛し合い、結ばれた人がそこにいた。

「大吾! お前、やっぱり生きていたんだね!」

思わず抱きついて、幾松は泣いた。

「幾松、もう俺はお前を守ってはやれない。分かっているだろう?」
「大吾?」
「いつまでも、死んだ俺を恋い慕ってくれるのは嬉しい。だが、所詮俺はもうこの世の者じゃない。それに、気付いているんだろう?」
「え?」
「新しい幸せを掴め、幾松。いつまでも死んだ俺にしがみついてるもんじゃあない」

嬉しさの涙が、悲しみの涙に変わる。

「そんなこと言わないでくれよ、大吾。私はお前を愛してるんだ、忘れる訳にはいかないんだ!」
「俺はお前が幸せなら、俺も幸せだ」
「でも!」
「お前が幸せになることと、お前が俺を忘れることは違うぞ、幾松」

途端に抱きしめていた体は離れ、どんどん幾松と大吾の距離は離れていく。

「待って、待っとくれ! 大吾ぉ!」

幾松は飛び起きた。
汗だくだった。
そして、目は少し腫れ、

「ひどい顔」

横に置いていた鏡に映る自分の顔を見て、幾松は呟く。
その時。布団がもこり、と動いた。

「ん。幾松殿ぉ、寒いではないか。ちゃんと布団に入ってはくれぬか?」
「あ、ああ。そうだな……、ってうわあぁぁああぁあ!!!」
「ぐはぁっ!」

夢のことなど忘れて、長髪の声の主に思わず拳が向かう。
同時に襖の破れる音がした。





少し後。
厨房に幾松が、カウンター席に顔の腫れ上がった桂がいた。

「今回は謝らないからな」
「分かっている。他人の布団に入って、布団を奪おうとした俺が悪い」
「おーい、謝る所違うぞー?」
「だが1つ言っておきたい」

幾松はギクリとした。
まさか、泣きながら夢を見ていたことを――?

「幾松殿の寝顔って色っぽ」
「おーし、次はどうされたい?その女々しい髪バッサリ切ってやろうか?」
「女々しくない、桂だ」

時計は午前11時半を廻っていた。開店まで30分もない。

「で? 今日は何の用?」
「またしばらく長期滞在をさせて欲しい」

昼飯にと幾松が出した蕎麦を食べながら桂は言った。

「さっき、他人の布団云々言ってた奴が言うことか? 他人の家を何だと思ってるんだよ」
「パラダイス」
「嬉しくねぇよ。誉めてるつもり?」

まったくもう、とため息をつくが、顔は笑っていた。
どうしてだろう。どうしてもコイツを憎めない。自分の旦那を殺した奴らの仲間だというのに。
そう思いつつも、また桂に心を許してしまう自分に、幾松は少し苛立った。

「仕方ないねぇ。その代わり、前よりもうんとコキ使うからね。覚悟してなよ」

少しばかり暴言を吐くと、不思議と苛立ちは薄くなっていた。
早速、桂に暖簾を上げさせて開店を告げれば、見知った顔が集まってくる。

「まっちゃん、またあのイケメン雇ったんかい?」
「ずっと置いときゃいい看板になるだろうに」
「嫌。あんな面倒なロン毛野郎ずっと置いとけないわよ」

常連のおばちゃんと幾松はそんな他愛もない話をする。

「大体、死んだとはいえ私には旦那がいるんだから。誤解招くわきゃいかないよ」

そう、旦那は死んだんだ。死んだ。奴の同類に殺された。
それなのに、何で私は奴をここに置いてるんだ?
何度も心の中で幾松は問い返す。答えは見つからない。次第にもやもやした苛立ちが積もり始める。

「そうですわよぉ、奥様方ぁ。私にもハニーが居りましてぇ」

いつの間にかおばちゃんたちの隣に野郎は座っていた。
そうか、ハニー、つまり恋人か奥さんかがいるのか。

「おいコラ仕事しろや。今度は反対の頬腫らしてやろうか」

苛立ちなのか、寂しさなのか、曖昧なモヤモヤが喉をつかえていた。
暴言にしてぶつければまた幾らか軽くなるだろうと、ツッコミを入れる。

「あらやだアンタ、まっちゃんと出来てると思ってたのに」
「残念だわぁ、式には呼んで貰おうと思ったのに」
「「しねぇよ!」」

モヤモヤは一瞬にして吹き飛んだ。
それと同時に店の戸が音を立てる。

「らっしゃい!」

幾松は照れ隠しするように叫んだ。





カチャカチャと皿のぶつかり合う音が暗い、客のいない店内に響く。

「アンタさ」
「何だ」
「恋人か奥さんかいるの?」

昼間の一言が気になったままだった。

「いない」

即答。

「じゃあ何で昼間みたいなこと言ったんだ?」
「ノリだ」
「ノリ!? ノリであんな事言えるのか!?」

桂の手が止まった。

「幾松殿」
「なんだい」
「幾松殿は俺のことが好きなのか?」

空気が止まる。
ポカーンとした顔で幾松は桂を見た。
吹き終わった皿が手から滑り落ちて、大きな音を立てて割れた。
幾松は顔を真っ赤にして、怒りながら答える。

「馬鹿言ってんじゃないよ! 思い上がりもいい加減にしな! 大体、私には旦那がいるんだ!」
「そうだったな」

溜め息混じりに桂は答えると、しゃがんで割れた皿の破片を拾い始めた。

「幾松殿、今日は早く休め」
「はぁ?」
「今日の幾松殿は変だ」
「あっそ。じゃあ先に休ませて貰うわよ! 後よろしく!」

幾松はピシャリと戸を締めて二階の寝室に上がった。

「そうだよ、私には大吾がいるんだ」

そう呟いて目を閉じた。





名前を呼ばれた気がして幾松は目が覚めた。
案の定、目を開けると桂の顔があった。

「アンタ、何で私の部屋に」
「シッ!」

口を片手で覆われた。一瞬何事かと焦ったが、桂の真剣そのものの目で全て幾松は全て悟った。
大吾が死んだ時と同じ目だった。

「押し入れに隠れろ」

桂は小声で言った。

「何?」
「ここを戦場にしてしまうことを許してくれ、幾松殿」
「え」
「早く!」

従う他なかった。
幾松は押し入れに入り、小さく縮こまる。襖越しに色々と聞こえてきた。
金属のぶつかる音も混じっている。

「桂、その首貰いに来た」

おぞましい声。

「貴様になどやるものか」

聞き覚えのある声。

「ついでにここの女も貰おう。隠れているんだろう?」
「貴様になどやるものか!」

ぶつかる刃と刃の鋭い音。
今度は1人ではない、複数だ。

「うおぉぉぉ!」

掛け声、裂ける音、血の散り落ちる音、断末魔。
耳を塞いでも聞こえてくる。
やめてと幾松は何度も言うが言葉にならない。ひたすら縮こまるしかなかった。
どれくらい経ったか。
襖が開いた。
薄い月の光でぼんやりと桂の顔が浮かび上がる。
見覚えのある顔が見えた。出ても良いということなのか、手を差し伸べている。
一瞬、緊張が解ける。
が、反射的に手を引いた。
雲の切れ間から煌々と漏れる月の光が、今度は朱色を浮かび上がらせる。
桂の顔に、服に付いた大量の朱色。
なかなか手を掴まない幾松に、桂は心配になって声をかける。

「幾松ど……」
「触るな人殺し!」

慌てて口を塞いだが手遅れだ。
桂は驚いたような顔をしたが、すぐに溜め息混じりに寂しげな笑顔を浮かべた。

「そう言われても仕方あるまい、逃れようのない事実だ」

そしてすぐに真顔に戻った。

「俺はもう二度と幾松殿の前には現れるまい」
「え……?」
「幾松殿にこれ以上迷惑を掛けられん。家を血の海にした。その上、旦那の敵となれば幾松殿が怒るのも最もだ」
「待っ」
「端金だが好きなように使ってくれ、せめてもの詫びだ」
「待っとくれ!」

幾松は必死で桂の着物の端を掴んだ。

「私は確かに人殺しも旦那の敵も嫌いだ! けど、アンタに会えなくなるのはもっと嫌だ! なんで、何でみんな、私の側からいなくなる!?」
「幾松殿……」

涙が落ちる。堰を切ったようにボタボタと落ちた。

「お願い、アンタだけは死なないどくれ。また蕎麦食べに来とくれよ」
「俺は幾松殿の敵だ。何故死ぬなと」
「あんたが好きだからだよ!」

面食らって、言葉が出なくなる。
彼方からサイレンが聞こえ、次第に静寂を掻き乱す。

「真選組が来るまで時間がない。行きな」

桂は黙って窓から部屋を脱出した。
だから、知らない。桂のいなくなった部屋で、幾松が膝を抱えて泣いていたことを。

あれから数ヶ月。
桂はふらりと、適当に視界に入ったラーメン屋の暖簾をくぐった。
店の中には見覚えのある中年女性たちがいた。

「あれから、まっちゃんの店、開いたかい?」
「いんや。相当ショックだったらしいよ」
「そりゃ、斬り合いに巻き込まれかけて押し入れに逃げて、襖開けたら血の海。ショックどころじゃないさ。膝抱えて泣きたくなるもんだ」

どうやらそういうことになっているらしい。

「例のあんちゃんもいないみたいだし、大丈夫かねぇ」
「あんちゃんがいると元気だったよねぇ」
「また夕方に様子でも見に行くとしようか」

そろそろまっちゃんのラーメンが食いたいねえと彼女たちが店をあとにした頃、注文した蕎麦が桂の前に置かれた。スープを、麺をすする。全てたいらげると、

「不味いな」

そう呟いて、桂は席を立つ。
釣りはいらんと札を1枚を放り投げた。
行く先は決めていた。





店の入り口には「商い中」の札が立てかかっていた。今日から再開したのだろうか。
引き戸を開ける。いらっしゃい、という丁寧な挨拶が途切れた。

「……やあ」
「……ああ」

どちらも言葉が続かない。桂はいつも通りカウンターの端の席に座る。

「……ご注文は?」
「蕎麦」

短く答える。短い問答に、違和感があった。
ぐつぐつと鍋が音を立てている。
幾松が麺を鍋に放り投げ終わったのを見計らって、桂は口を開いた。

「幾松殿」
「なんだい」
「幾松殿は、俺が居ると楽しいか?」

桂がずっと聞きたかった事だ。

「……楽しいよ」

鍋を見つめたまま、幾松は答えた。優しい目だった。

「俺は幾松殿に元気にいて欲しい、笑っていて欲しい。だから」
「だから?」

会話が途切れた。
少しおいて、桂はすぅっと息を吸う。

「だから、ずっと幾松殿の側に」

幾松は手を突き出した。『待った』と。
そして笑って口を開いた。

「この街が平和になったら考えてやるよ」

それはきっと、そう遠くはない。
いや、自分の手で早くさせることだって出来る。

「その条件、気に入った」

2人しかいない部屋に、笑い声が優しく響いた。

 (了)




2011.8.21 初稿
2013.12.13 加筆修正
2021.2.4 加筆修正
2022.2.2 加筆修正

桂は邪念なく勝手に人の布団入りそう
最初のアップから数年後に銀さんがフラグ確認すると思わなんだ。

Lemon Ruriboshi.
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