AG
「ただの風邪ですよ、副長」
体温計を見ながら山崎が言った。
「日頃の疲れが溜まってるんですよ、きっと。たまにはゆっくり休んでください。局長には伝えておきますから」
「すまねぇな」
山崎がいなくなった後、女中が食べ物や薬を持ってきた。
それを腹に収めると眠気がきて一つ欠伸をする。風は変わらずに、土方の頬を撫でていた。心地よさに目を瞑ると、土方はそのまま眠りに落ちた。
☆
眼前に広がるのは、山に田畑に、茅葺きの屋根。
のどかな朝だ。
土方の頬を優しく撫でるように風も時も流れてゆくのを歩きながら感じる。
この地へ来て、もう幾年が過ぎた。
それは今まで生きた時間よりも濃い気がする程に、土方にとって代えがたい日々になっていた。
いつものように道場の戸に手を掛ける。
「おはようございます、近藤さん」
「おお、おはよう! トシ!」
上から何かが落ちてくるのを感じ、さっと身をかわす。直後、大きな石がいくつも降ってきた。
「おはようございます、沖田先輩」
「ちっ。素直に当たればいいのに」
毎日のような沖田の悪戯にも、土方は既に慣れきっていた。
「それにしても、今朝は早いですね沖田先輩」
ムッと沖田は土方を睨んだ。口を真一文字に結んだその顔には、絶対に言うものか、と書かれている。
「いや実は、昨日からミツバ殿が風邪を引かれてな。総悟に移ると良くないから暫く預かって欲しいと頼まれて」
「近藤さん! そいつに姉上の話はしないでくだせェ!」
「風邪、ですか?」
☆
自分しか家にいないことはミツバにとっていつもの事だったが、今日は何時にも増して寂しく思われた。
日は既に高く、いつもなら道場へ差し入れを持って行く時間だ。
眠りから覚めて、ぼぅっとする頭に、台所からのリズミカルな音が響く。ミツバは我に返った。
恐る恐る台所へ向かう。しかし台所に近付く度に、味噌汁の良い匂いが漂ってきた。
「どちら様……?」
台所に立つ人物が振り返る前に、ミツバには誰か分かった。
「十四郎さん?」
「起きたのか。丁度いい、出来た所だ。先に部屋行って寝てろ。今持ってくから」
暫くすると、味噌汁の他に白飯や漬け物も乗った盆を土方は運んできた。
「味噌汁には風邪に効く野菜や薬草をいれておいた。この糠漬けも体に良い」
「ありがとうございます。薬草などに詳しいんですね」
「元々薬売りだからな。それから食後にこれを飲め」
土方は懐から小さな包みを出した。開くと、黒くて小さな粒が幾つか入っている。
「風邪薬だ」
「あら! 十四郎さんのお手製?」
「まあ、な」
「すごいわ、十四郎さん! 何でも出来るのね!」
いつもよりにこにことした顔が、土方には外の太陽よりもひどく眩しく見えた。
「別に、そんな事ねぇよ」
「では頂きますね」
ミツバはそんな土方を見て、クスクスと笑っていた。
☆
「あ、起こしちまったか? トシ」
「いや、大丈夫だ」
体を起こし、冷めたやかんを取る。
「それにしても、よく寝てたな。良い夢でも見てたのか?」
「どうせ、姉上とイチャイチャするエロい夢でも見てたんじゃねーんですかィ?」
「んだとテメっ!」
入り口の方でいやな笑みを浮かべながら立っている沖田に向かって、半ば反射的に掴みかかる。
いや、出来なかった。急に立ち上がったせいか、それとも熱のせいか、足元がフラつき、危うく倒れそうになる。
「おやおや、こりゃあ大分ひでぇ風邪のようだ」
「トシ、ちゃんと寝てろ」
「ったく。総悟、覚えてろよ」
☆
額にひんやりとしたものを感じ、目が覚めた。
「あら、起こしてしまいました?」
「……いや、別に」
ミツバの優しく綺麗な手が、土方の額の上にあった。
慌て顔を背ける。
「お粥、作ってきたんです。食欲、ありますか?」
「何で俺の為にこんな」
「だって十四郎さん、私の看病してくださったわ。それに、きっとその時の私の風邪が移ってしまったのだし」
流石にお薬は作れなかったけど、と少し残念そうに微笑んだ。
瞬間、何かが弾ける音がした。そんな気がした。
「――ミツバ、俺は」
☆
ガバァッ。
土方は布団から飛び起きた。
外を見ると、空は藍色に染まり始めていた。
「夢か。ったく、総悟があんな事言うから」
額に手を当てる。瞬間、あの日の感触――少し重い盆、薬の包み、ミツバの優しい指先が、手に、額に蘇った。
「夢じゃ、ない」
全て、武州にいた頃、本当にあったこと。
夕暮れ時の空に2つの星が輝いていた。
(了)
2008.6.30 初稿
2014.1.4 加筆修正
2022.2.2 加筆修正
自らが風邪引いて思いついたネタ。
実は他作に少々連動してたり。
Lemon Ruriboshi.
体温計を見ながら山崎が言った。
「日頃の疲れが溜まってるんですよ、きっと。たまにはゆっくり休んでください。局長には伝えておきますから」
「すまねぇな」
山崎がいなくなった後、女中が食べ物や薬を持ってきた。
それを腹に収めると眠気がきて一つ欠伸をする。風は変わらずに、土方の頬を撫でていた。心地よさに目を瞑ると、土方はそのまま眠りに落ちた。
☆
眼前に広がるのは、山に田畑に、茅葺きの屋根。
のどかな朝だ。
土方の頬を優しく撫でるように風も時も流れてゆくのを歩きながら感じる。
この地へ来て、もう幾年が過ぎた。
それは今まで生きた時間よりも濃い気がする程に、土方にとって代えがたい日々になっていた。
いつものように道場の戸に手を掛ける。
「おはようございます、近藤さん」
「おお、おはよう! トシ!」
上から何かが落ちてくるのを感じ、さっと身をかわす。直後、大きな石がいくつも降ってきた。
「おはようございます、沖田先輩」
「ちっ。素直に当たればいいのに」
毎日のような沖田の悪戯にも、土方は既に慣れきっていた。
「それにしても、今朝は早いですね沖田先輩」
ムッと沖田は土方を睨んだ。口を真一文字に結んだその顔には、絶対に言うものか、と書かれている。
「いや実は、昨日からミツバ殿が風邪を引かれてな。総悟に移ると良くないから暫く預かって欲しいと頼まれて」
「近藤さん! そいつに姉上の話はしないでくだせェ!」
「風邪、ですか?」
☆
自分しか家にいないことはミツバにとっていつもの事だったが、今日は何時にも増して寂しく思われた。
日は既に高く、いつもなら道場へ差し入れを持って行く時間だ。
眠りから覚めて、ぼぅっとする頭に、台所からのリズミカルな音が響く。ミツバは我に返った。
恐る恐る台所へ向かう。しかし台所に近付く度に、味噌汁の良い匂いが漂ってきた。
「どちら様……?」
台所に立つ人物が振り返る前に、ミツバには誰か分かった。
「十四郎さん?」
「起きたのか。丁度いい、出来た所だ。先に部屋行って寝てろ。今持ってくから」
暫くすると、味噌汁の他に白飯や漬け物も乗った盆を土方は運んできた。
「味噌汁には風邪に効く野菜や薬草をいれておいた。この糠漬けも体に良い」
「ありがとうございます。薬草などに詳しいんですね」
「元々薬売りだからな。それから食後にこれを飲め」
土方は懐から小さな包みを出した。開くと、黒くて小さな粒が幾つか入っている。
「風邪薬だ」
「あら! 十四郎さんのお手製?」
「まあ、な」
「すごいわ、十四郎さん! 何でも出来るのね!」
いつもよりにこにことした顔が、土方には外の太陽よりもひどく眩しく見えた。
「別に、そんな事ねぇよ」
「では頂きますね」
ミツバはそんな土方を見て、クスクスと笑っていた。
☆
「あ、起こしちまったか? トシ」
「いや、大丈夫だ」
体を起こし、冷めたやかんを取る。
「それにしても、よく寝てたな。良い夢でも見てたのか?」
「どうせ、姉上とイチャイチャするエロい夢でも見てたんじゃねーんですかィ?」
「んだとテメっ!」
入り口の方でいやな笑みを浮かべながら立っている沖田に向かって、半ば反射的に掴みかかる。
いや、出来なかった。急に立ち上がったせいか、それとも熱のせいか、足元がフラつき、危うく倒れそうになる。
「おやおや、こりゃあ大分ひでぇ風邪のようだ」
「トシ、ちゃんと寝てろ」
「ったく。総悟、覚えてろよ」
☆
額にひんやりとしたものを感じ、目が覚めた。
「あら、起こしてしまいました?」
「……いや、別に」
ミツバの優しく綺麗な手が、土方の額の上にあった。
慌て顔を背ける。
「お粥、作ってきたんです。食欲、ありますか?」
「何で俺の為にこんな」
「だって十四郎さん、私の看病してくださったわ。それに、きっとその時の私の風邪が移ってしまったのだし」
流石にお薬は作れなかったけど、と少し残念そうに微笑んだ。
瞬間、何かが弾ける音がした。そんな気がした。
「――ミツバ、俺は」
☆
ガバァッ。
土方は布団から飛び起きた。
外を見ると、空は藍色に染まり始めていた。
「夢か。ったく、総悟があんな事言うから」
額に手を当てる。瞬間、あの日の感触――少し重い盆、薬の包み、ミツバの優しい指先が、手に、額に蘇った。
「夢じゃ、ない」
全て、武州にいた頃、本当にあったこと。
夕暮れ時の空に2つの星が輝いていた。
(了)
2008.6.30 初稿
2014.1.4 加筆修正
2022.2.2 加筆修正
自らが風邪引いて思いついたネタ。
実は他作に少々連動してたり。
Lemon Ruriboshi.
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