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「カスミは、さ」
サトシの家の壁のコルクボードに貼られた、たくさんの写真や絵ハガキ。それを見つめるカスミの横に、サトシは並んで立って話しだした。
「なに?」
「カスミは子どもの頃に戻ってみたい?」
一枚の写真の中で、まだ十歳にも満たないサトシが笑っている。サトシのママやオーキド博士も一緒だ。それを見つめるサトシは、もう立派な青年で。
――声も、体も、たくましい、一人の大人に変わってしまった。
「そういうサトシはどうなのよ?」
「オレ? オレは…」
――戻りたくない。
そうはっきりとサトシは答えた。予想外の答えに、カスミは少し驚いた。
「だって、今まで出会ったポケモンたちや、一緒に旅した仲間たち、それから、ライバルたち…。みんなのことを忘れたり、なかったことにしたくない。悔しいこと、悲しいこともあったけど、それ以上に嬉しかったこと、楽しかったこともいっぱいあって、全部一緒に今のオレの一部になってるからさ」
ひとつひとつ確かめるように、カスミは頭の中でサトシの言葉を繰り返す。目をつむり、出会った頃のサトシをまぶたの裏に映す。そして目を開けて、今のサトシとその姿を重ねた。
――かっこいいこと、言うようになったじゃない。
言い表せない何かが、心に溢れて、零れて、優しい笑みになる。
「……そうね。その通りだわ」
もしかすると、この『言い表せない何か』を、人は『愛おしい』と呼ぶのかもしれない。そんなこと間違っても言えないなぁ、とカスミは心の中で苦笑した。
「カスミは?」
「私も、戻りたくない、かな」
「オレと同じだ」
サトシが嬉しそうに浮かべた笑顔は、昔のままだった。子どもの面影を残しているというべきか、それともまだまだ『お子ちゃま』なのか。
カスミが再びコルクボードに視線を移すと、一枚の写真に目が止まった。
サトシとピカチュウ、カスミとトゲピー、そしてタケシとケンジ。確かジョウト地方へ行く前のものだ。
「……でも、もし戻れるなら」
「ん?」
カスミはその写真を、今にも壊れそうな薄氷に触れるように撫ぜる。サトシも懐かしそうにその写真を見つめる。
「一緒に旅してた頃、かな」
再会する度に、大人っぽくなっている友達――否、好きな人。大好きな人が、変わっていく。遠くなっていくような気がして、時々急に不安になった。
……もうそれすら、懐かしい話だ。
「もし、何かのはずみであの日に戻ったら、私はサトシやピカチュウ、みんなに出会えるかな?」
伸ばした指が、サトシの手に触れる。大きな手がカスミの手を包み込んだ。
「きっと出会えるよ」
指を絡めた手に力がこもる。温かい。
「たとえあの日、カスミがオレとピカチュウを釣り上げなくても、きっと旅の途中で出会うよ」
「どうしてそう思うの?」
サトシは、うーん、と少し考え込む。そしてカスミに返したのは、
「なんとなく!」
の一言と笑みだった。
「サトシらしいや」
何も変わってなんかいない。サトシはサトシ。ただ、それだけ。
「サトシ」
「何?」
「……これからも、サトシのままでいてね」
「オレはいつまでもオレさ。ポケモンマスターを目指す、マサラタウンのサトシ!」
カスミこそ変わらないでくれよ、とサトシは呟いた。聞こえるか聞こえないかくらいの声で。
「何か言った?」
「べつにぃー?」
「そう?」
サトシの顔を覗き込むカスミはとても嬉しそうで。サトシは急に恥ずかしくなって思わず顔を逸らす。
「そういえば、さ」
「なあに?」
「今日はカスミと出会った日でもあるんだな、って」
前にも同じこと言ってたわよ、とカスミは笑った。そうだっけ?、とサトシは首を傾げた。
今日は『ともだち記念日』。サトシとピカチュウが出会った、大事な日。
そして何年か前と同じようにパーティが開かれる。庭の方から、ワイワイとパーティの準備をする賑やかな声がする。
でも、今日は以前と1つだけ違う。サトシとカスミもまた、パーティの主役なのだ。
「これからもよろしくね、サトシ」
「こちらこそよろしくな、カスミ」
握りあった手の中、カスミの薬指で指輪が光る。
「ピカピ! ピカチュピ!」
隣り合うふたりの肩にピカチュウが飛び乗る。まるで「どうしたの?」と尋ねるように。カスミは、
「昔の話をしてたのよ、ピカチュウ」
とピカチュウの顎の下をなでた。
「もしかして、オレたちのこと呼びに来てくれたのか?」
「ピィッカ!」
ピカチュウは元気よく返事すると、サトシとカスミの肩から降りて、『はじまるよ!』というようにふたりの方を見た。
『ともだち記念日』の、そして、ふたりの門出を祝うパーティ。
それは夕日の射す庭で、もうまもなく開かれる。
(了)
2018.8.12 初出
(大人サトカスアンソロジー『My Steady!!』寄稿)
2021.5.29 オンライン掲載
2022.2.2 加筆修正
サトシの家の壁のコルクボードに貼られた、たくさんの写真や絵ハガキ。それを見つめるカスミの横に、サトシは並んで立って話しだした。
「なに?」
「カスミは子どもの頃に戻ってみたい?」
一枚の写真の中で、まだ十歳にも満たないサトシが笑っている。サトシのママやオーキド博士も一緒だ。それを見つめるサトシは、もう立派な青年で。
――声も、体も、たくましい、一人の大人に変わってしまった。
「そういうサトシはどうなのよ?」
「オレ? オレは…」
――戻りたくない。
そうはっきりとサトシは答えた。予想外の答えに、カスミは少し驚いた。
「だって、今まで出会ったポケモンたちや、一緒に旅した仲間たち、それから、ライバルたち…。みんなのことを忘れたり、なかったことにしたくない。悔しいこと、悲しいこともあったけど、それ以上に嬉しかったこと、楽しかったこともいっぱいあって、全部一緒に今のオレの一部になってるからさ」
ひとつひとつ確かめるように、カスミは頭の中でサトシの言葉を繰り返す。目をつむり、出会った頃のサトシをまぶたの裏に映す。そして目を開けて、今のサトシとその姿を重ねた。
――かっこいいこと、言うようになったじゃない。
言い表せない何かが、心に溢れて、零れて、優しい笑みになる。
「……そうね。その通りだわ」
もしかすると、この『言い表せない何か』を、人は『愛おしい』と呼ぶのかもしれない。そんなこと間違っても言えないなぁ、とカスミは心の中で苦笑した。
「カスミは?」
「私も、戻りたくない、かな」
「オレと同じだ」
サトシが嬉しそうに浮かべた笑顔は、昔のままだった。子どもの面影を残しているというべきか、それともまだまだ『お子ちゃま』なのか。
カスミが再びコルクボードに視線を移すと、一枚の写真に目が止まった。
サトシとピカチュウ、カスミとトゲピー、そしてタケシとケンジ。確かジョウト地方へ行く前のものだ。
「……でも、もし戻れるなら」
「ん?」
カスミはその写真を、今にも壊れそうな薄氷に触れるように撫ぜる。サトシも懐かしそうにその写真を見つめる。
「一緒に旅してた頃、かな」
再会する度に、大人っぽくなっている友達――否、好きな人。大好きな人が、変わっていく。遠くなっていくような気がして、時々急に不安になった。
……もうそれすら、懐かしい話だ。
「もし、何かのはずみであの日に戻ったら、私はサトシやピカチュウ、みんなに出会えるかな?」
伸ばした指が、サトシの手に触れる。大きな手がカスミの手を包み込んだ。
「きっと出会えるよ」
指を絡めた手に力がこもる。温かい。
「たとえあの日、カスミがオレとピカチュウを釣り上げなくても、きっと旅の途中で出会うよ」
「どうしてそう思うの?」
サトシは、うーん、と少し考え込む。そしてカスミに返したのは、
「なんとなく!」
の一言と笑みだった。
「サトシらしいや」
何も変わってなんかいない。サトシはサトシ。ただ、それだけ。
「サトシ」
「何?」
「……これからも、サトシのままでいてね」
「オレはいつまでもオレさ。ポケモンマスターを目指す、マサラタウンのサトシ!」
カスミこそ変わらないでくれよ、とサトシは呟いた。聞こえるか聞こえないかくらいの声で。
「何か言った?」
「べつにぃー?」
「そう?」
サトシの顔を覗き込むカスミはとても嬉しそうで。サトシは急に恥ずかしくなって思わず顔を逸らす。
「そういえば、さ」
「なあに?」
「今日はカスミと出会った日でもあるんだな、って」
前にも同じこと言ってたわよ、とカスミは笑った。そうだっけ?、とサトシは首を傾げた。
今日は『ともだち記念日』。サトシとピカチュウが出会った、大事な日。
そして何年か前と同じようにパーティが開かれる。庭の方から、ワイワイとパーティの準備をする賑やかな声がする。
でも、今日は以前と1つだけ違う。サトシとカスミもまた、パーティの主役なのだ。
「これからもよろしくね、サトシ」
「こちらこそよろしくな、カスミ」
握りあった手の中、カスミの薬指で指輪が光る。
「ピカピ! ピカチュピ!」
隣り合うふたりの肩にピカチュウが飛び乗る。まるで「どうしたの?」と尋ねるように。カスミは、
「昔の話をしてたのよ、ピカチュウ」
とピカチュウの顎の下をなでた。
「もしかして、オレたちのこと呼びに来てくれたのか?」
「ピィッカ!」
ピカチュウは元気よく返事すると、サトシとカスミの肩から降りて、『はじまるよ!』というようにふたりの方を見た。
『ともだち記念日』の、そして、ふたりの門出を祝うパーティ。
それは夕日の射す庭で、もうまもなく開かれる。
(了)
2018.8.12 初出
(大人サトカスアンソロジー『My Steady!!』寄稿)
2021.5.29 オンライン掲載
2022.2.2 加筆修正