YGO
ただいま! と元気な声が聞こえてくれば、おかえり! とこっちも元気よく返す。それが2人の――遊矢と柚子の日常だった。
「た、ただいま」
どこかぎこちない遊矢の帰宅に、柚子は「おかえり?」と思わず語尾を上げた。
「今、夕飯温め直すね」
「うん……」
エプロンをかけ、キッチンに入る。そこからちらちらとダイニングに居る遊矢の様子を窺う。いつもなら部屋着に着替えた後、「手伝おうか?」と来るのに、今日はそんなつもりはないらしい。
――何かあったのかな?
今日、遊矢は権現坂と非公式の特訓だったはず。プロのエンタメデュエリストになった遊矢と、道場を継いで師範となった権現坂、父修造の下で働きつつ教師になるべく学んでいる柚子。
皆、時が経つにつれて忙しくなった。昔のように会えなくなったからこそ、遊矢は今朝、笑顔で出かけていったのだが。
「権現坂、元気だった?」
「あ、ああ。でもやっぱり、師範っていうのは大変みたいだよ」
「そっかあ。自分で出来ることを教えるのって、思った以上に難しいものね」
「うん……」
長い付き合いだから柚子には分かる。何か隠している時の遊矢だ、と。
それでも、柚子は問いたださなかった。
問いただしたところで、遊矢は悲しませまいと一人で抱え込もうとする子だったし、大人になった今も、そういうところがある。
……そういうところもひっくるめて大好きだから、今もそばに居るのよね、と柚子は遊矢を見つめた。
ふと、夕食のスープを味わう遊矢の手が止まる。
「な、何……?」
「う、ううん!? えっと、スープの味、濃かったかな、と思って」
「大丈夫だよ、美味しかった」
「良かった!」
会話はそこで途切れた。食器のカチャカチャという音だけが部屋に虚しく響く。時間が経てば経つほど、気まずい空気がどんどん厚い壁になって2人を分断していくようだった。
☆
――やっぱり、何かあったんだ。
入れたばかりの湯船がいつもよりぬるく思えた。
――まさか、またズァークが!?
柚子はすぐにその可能性を否定した。ズァークはレイや零羅によって遊矢からいなくなったはずだ。
――なら、浮気?
いや、遊矢に限ってそれは無い。無いはず……。前者と後者なら、前者の方がまだ遊矢らしい。
『大丈夫か?』
風呂のドア越しに声がして、我に返った。大丈夫と答えつつ湯船を出る。
少し気分が悪いのは、湯当たりしたのか、それとも、遊矢と顔を合わせるのが不安なのか。
☆
柚子はふと時計を見た。一言も交わさず、分厚い壁に分断されたまま、2人でテレビを見続けるのはもう耐えられなかった。
幸い、もう休んでも良いくらいの時間だ。
「もう寝ましょうか」
「あ、ああ……」
同時にソファから立ち上がり、一緒にリビングを出る。一緒に寝室に入って、遊矢はベッドサイドのスタンドを点け、柚子は天井の証明を落とす。いつも通りだ。いつも通りのはずなのに。
ベッドサイドに腰掛ける遊矢の背中。
かける言葉が見つからない。柚子は遊矢に背を向けて、ベッドに潜り込んだ。おやすみ、そういいかけた時。
「柚子」
遊矢が、柚子の名前を呼んだ。
「どうしたの? 遊矢」
「オ、オレの隣に、ちょっと来てくれないか?」
「うん!」
場違いなほど力強い返事になっていた、どんな深刻な話かも分からないのに。今日初めて自分の名前を呼んでくれたことが、柚子は何よりも嬉しかった。
「どうしたの? 遊矢」
ほんのりと黄色いベッドサイドのライト。それに照らされている恋人の顔に柚子は驚いた。
見たことのないその幼馴染の表情は、不安にも、照れにも見えた。柚子が探る間もなく、次の瞬間にはいつもの覚悟を決めた時の遊矢になっていた。
「手を出して欲しいんだ、左手」
言われたとおりに差し出す。そして遊矢がポケットから出した何かが、薬指に滑っていく。初めて知る感覚。それを全て理解する前に、遊矢は言った。
「柚子、ずっと一緒に居てくれないか?」
「遊、矢?」
「また心配かけたり、悲しませたり、助けてもらったりするようなことに巻き込んでしまうかもしれない。でも、オレは柚子と一緒に笑っていたい。
柚子が苦しんでたり、悲しんでいたら、一緒にそれを背負いたい」
柚子の思考はまだ追いついていない。しかし、柚子の目も心も、熱いものであふれて今にも零れそうになる。
「オレは、柚子とずっと一緒に居たいんだ!」
柚子の頬に、涙が伝った。
☆
「今日も塾で、子どもたちに言われちゃった」
柚子の笑顔は、窓から落ちてくる月の光にとてもよく映えた。
「何を?」
「"遊矢先生といつ結婚するの!?" って」
「子どもって、そういうの好きだよなぁ」
少し前、遊矢は特別講師として遊勝塾に顔を出した。相手をした子どもたちの笑顔と、その時やはり囃し立てられたことを思い出す。
「そうだね」
優しく笑う2人の、握りあった両手。その中で柚子の薬指の指輪は、ほの暗い部屋の中で優しい光を放っていた。
(了)
2017.2.25 初稿
2017.5.1 加筆修正
2022.2.18 加筆修正
某所で載せたものを再掲。
Lemon Ruriboshi.
「た、ただいま」
どこかぎこちない遊矢の帰宅に、柚子は「おかえり?」と思わず語尾を上げた。
「今、夕飯温め直すね」
「うん……」
エプロンをかけ、キッチンに入る。そこからちらちらとダイニングに居る遊矢の様子を窺う。いつもなら部屋着に着替えた後、「手伝おうか?」と来るのに、今日はそんなつもりはないらしい。
――何かあったのかな?
今日、遊矢は権現坂と非公式の特訓だったはず。プロのエンタメデュエリストになった遊矢と、道場を継いで師範となった権現坂、父修造の下で働きつつ教師になるべく学んでいる柚子。
皆、時が経つにつれて忙しくなった。昔のように会えなくなったからこそ、遊矢は今朝、笑顔で出かけていったのだが。
「権現坂、元気だった?」
「あ、ああ。でもやっぱり、師範っていうのは大変みたいだよ」
「そっかあ。自分で出来ることを教えるのって、思った以上に難しいものね」
「うん……」
長い付き合いだから柚子には分かる。何か隠している時の遊矢だ、と。
それでも、柚子は問いたださなかった。
問いただしたところで、遊矢は悲しませまいと一人で抱え込もうとする子だったし、大人になった今も、そういうところがある。
……そういうところもひっくるめて大好きだから、今もそばに居るのよね、と柚子は遊矢を見つめた。
ふと、夕食のスープを味わう遊矢の手が止まる。
「な、何……?」
「う、ううん!? えっと、スープの味、濃かったかな、と思って」
「大丈夫だよ、美味しかった」
「良かった!」
会話はそこで途切れた。食器のカチャカチャという音だけが部屋に虚しく響く。時間が経てば経つほど、気まずい空気がどんどん厚い壁になって2人を分断していくようだった。
☆
――やっぱり、何かあったんだ。
入れたばかりの湯船がいつもよりぬるく思えた。
――まさか、またズァークが!?
柚子はすぐにその可能性を否定した。ズァークはレイや零羅によって遊矢からいなくなったはずだ。
――なら、浮気?
いや、遊矢に限ってそれは無い。無いはず……。前者と後者なら、前者の方がまだ遊矢らしい。
『大丈夫か?』
風呂のドア越しに声がして、我に返った。大丈夫と答えつつ湯船を出る。
少し気分が悪いのは、湯当たりしたのか、それとも、遊矢と顔を合わせるのが不安なのか。
☆
柚子はふと時計を見た。一言も交わさず、分厚い壁に分断されたまま、2人でテレビを見続けるのはもう耐えられなかった。
幸い、もう休んでも良いくらいの時間だ。
「もう寝ましょうか」
「あ、ああ……」
同時にソファから立ち上がり、一緒にリビングを出る。一緒に寝室に入って、遊矢はベッドサイドのスタンドを点け、柚子は天井の証明を落とす。いつも通りだ。いつも通りのはずなのに。
ベッドサイドに腰掛ける遊矢の背中。
かける言葉が見つからない。柚子は遊矢に背を向けて、ベッドに潜り込んだ。おやすみ、そういいかけた時。
「柚子」
遊矢が、柚子の名前を呼んだ。
「どうしたの? 遊矢」
「オ、オレの隣に、ちょっと来てくれないか?」
「うん!」
場違いなほど力強い返事になっていた、どんな深刻な話かも分からないのに。今日初めて自分の名前を呼んでくれたことが、柚子は何よりも嬉しかった。
「どうしたの? 遊矢」
ほんのりと黄色いベッドサイドのライト。それに照らされている恋人の顔に柚子は驚いた。
見たことのないその幼馴染の表情は、不安にも、照れにも見えた。柚子が探る間もなく、次の瞬間にはいつもの覚悟を決めた時の遊矢になっていた。
「手を出して欲しいんだ、左手」
言われたとおりに差し出す。そして遊矢がポケットから出した何かが、薬指に滑っていく。初めて知る感覚。それを全て理解する前に、遊矢は言った。
「柚子、ずっと一緒に居てくれないか?」
「遊、矢?」
「また心配かけたり、悲しませたり、助けてもらったりするようなことに巻き込んでしまうかもしれない。でも、オレは柚子と一緒に笑っていたい。
柚子が苦しんでたり、悲しんでいたら、一緒にそれを背負いたい」
柚子の思考はまだ追いついていない。しかし、柚子の目も心も、熱いものであふれて今にも零れそうになる。
「オレは、柚子とずっと一緒に居たいんだ!」
柚子の頬に、涙が伝った。
☆
「今日も塾で、子どもたちに言われちゃった」
柚子の笑顔は、窓から落ちてくる月の光にとてもよく映えた。
「何を?」
「"遊矢先生といつ結婚するの!?" って」
「子どもって、そういうの好きだよなぁ」
少し前、遊矢は特別講師として遊勝塾に顔を出した。相手をした子どもたちの笑顔と、その時やはり囃し立てられたことを思い出す。
「そうだね」
優しく笑う2人の、握りあった両手。その中で柚子の薬指の指輪は、ほの暗い部屋の中で優しい光を放っていた。
(了)
2017.2.25 初稿
2017.5.1 加筆修正
2022.2.18 加筆修正
某所で載せたものを再掲。
Lemon Ruriboshi.