私の神様(仮)
名前
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「 せ 」
―――生きねばならない。
このしがらみから私を、あの子を、それからこの先に生まれてくる子達のためにも解き放つ為に。
…本当は生きねばならなかった。
けれど私にはもう時間が残されていなかった。
捨てられなかった。
多くのものに情が移りすぎてしまった。
私を師と慕ってくれたあの子も。
里も、そこに生きる同胞達も。
この国もこの腕に抱く全てが愛しい。
臆病な私には何も捨てることが出来なかった。
「し、しょう」
「……今日かぎりで、あなたは」
愛しい名前を呼ぶ。
私はとっくの昔に名を捨ててしまったけれど、あなたは、あなたのその名前は捨てないで欲しい。
私が精一杯の愛をこめて呼んだその名前を、忘れないで欲しい。
私が既に忘れてしまった全てを持っているあなたは変わらないでいて欲しい。
「…ごめんなさい」
全て遅すぎた。
私にはもうこうする事しか思いつかないけれど。
あなたに全てを押し付けてしまうことになるけれど。
こんなに無責任で愚鈍な師匠でごめんなさい。
それでも、私は
「貴方のこと、本当に、本当に、愛していたわ」
光が爆ぜる。轟音が轟く。
愛しいあなたが光の向こうに消えていく。
最後の瞬間だけは悪魔を辞められただろうか。
光の粒が舞い、輪郭が溶けるように消えた。
「どうか、――自由に生きて」
私の神様(仮)
名前を呼ばれたような気がして目を開けた。
顔になにかが当たる感覚がする。
ゆるゆると目を開けたその先には一面の曇天が広がっている。
雨だ。
急に肺が動き出した感じがあった。
全身にぐわりと血が巡り、酸素が脳をゆらす。
息をのんで目を見開いた。
体がひどく寒い。そして怠くて動くのもつらい。
ゼーヒューと漏れる息は、…私のもののようだった。
は、なにこれ、めっちゃしんどいんだけど
私の体は地面に転がっている。
動こうと思ったけれど、身体が鉛のように重たい。
私の髪は水を含んで額に張り付いている。
ああ。
なんとなく思い出したかも。
私、学校から帰る途中だったんだ
それで。…転んで
そう、雨が降っていた。
こんな感じで、すごい土砂降りだった。
傘を持ってなかったから、私、走って帰ってたんだ。
それで、転んで、車道に倒れて、
そう…だ
なんとか口を動かす。
言葉にならなかったかもしれない。
いつのまにか真っ暗な中にいた。
雨粒がはじける音がうるさい。
それから遠くにサイレンの音。
うわあサイレンってこんなに耳に残る音だったっけ
ゆるゆるとそんなことを思いながら私はどこか遠くへ意識を投げる。
一瞬だけ家族の顔がよぎる。
だから、さよならを、私は告げた。
@
「ッ!!!」
私は布団を蹴り飛ばして飛び起きた。
目を見開いて辺りを見回す私を、佐助が変なものを見る顔で見ている。
ドッドッ
心臓が痛い。
すごい、いやな夢を見た。
(――…私)
滲んだ手の汗が指を滑らせる。
感覚を確かめたくて手のひらを握ったり開いたりする。
欠けたままの爪が引っかかって、平に一瞬跡を残した。
「……さいあく」
「変な夢でも見たのかよ」
「…うん」
まあ、そんなところ。
佐助の「うるさいやつ」って言いたげな視線がぐっさり刺さってるけど、私はいつもみたいに佐助に返せる元気がない。もうなんか記憶が曖昧になってきているけど、すごい嫌な夢を見たような気がする。
なんだか心の底が冷えるような、いやな夢だったような。
「お姉ちゃん、元気ないね」
「えっ、いやそんなことないよ!ほら!」
ねっ!そう言って無い筋肉を見せたら、かすがたんは眉を寄せて「うーん」と唸った。そして私の顔をじっと見て、それから部屋をぐるっと見回した。
「あ、そうだ。ねえねえ佐助!お姉ちゃんに今日あれ見せてあげようよ!」
「あれ?」
首を傾げた。
佐助はすごい嫌そうな顔をするけど、それを横から見ていた大和くんが佐助の体にのしかかって「いいじゃん!やろやろ!」と声を上げた。
佐助は納得いかなそうな顔をしたあと、それからちらりと壁際にいるコタに視線を向ける。私は布団をたたみながら佐助の視線を追いかけて、あー、と声を上げた。
「佐助、コタと勝負したいんでしょ」
「!」
ぐわっと顔を赤くして顎をひいた佐助。
なーんか知らないけど佐助ってばコタと張り合いがちだもんね…まさか伝説の忍相手にしてるとは思わんよなぁ
そんなことを思って、私はフ、と吐息をこぼした。
もう断片的な夢のことも思い出せなくなって違和感と、強い倦怠感だけが体に残っている。
佐助がコタに突っかかる。コタはそれを適当にあしらって、かすがが笑い、大和くんがサスケを宥める。
その光景は将来、かすがたんも佐助もお互い敵陣にいるとはとても思えない。
(今、上田に行ったら…幸村に会えたりするのかな)
まだ小さいか。佐助がこのサイズだもんな、とぼやり思う。会ったところで、謝れるわけでもないけれど。
頬に張り付いた髪をはらう。
幸村の顔を見れば、デカちびちゃんズにあえたら…少しはこのモヤモヤも解決するだろうか。
私の気分はどん底だ。
夢見が悪くなるのもあたりまえだ。
この抱えるモヤモヤの形はわかっても、片付け方はわからない。でも、もしかしたら…みんななら答えを知っているかもしれない。
「……」
気づくと視線が落ちている。
手元をずっと見ていたって何も変わらない。
私は慌てて顔を上げた。ちのびーずはもう私が視界に入っていないのかキャイキャイと話している。
私はその声を聞いてゆっくりと立ち上がった。
「…コタ、外行こ!みんなも」
「うんっ!!」
「わぁい!術の練習だ!」
「……」
「……なんだよ、こっちみるなって」
「……」(ニヤニヤ
「っっ!!」
外に出る。ちのびーずは我先にと私を追い越して行く。
私はその背中を見送って、川の方へと足を向けた。
顔を洗いたい。
できれば、少しでも冷たいほうがいい。
こっちには川から直接水を汲むための桶がある。
私はそこから綱を持って桶を下ろした。
「コタお兄ちゃんきてから、術の修行いっぱいできて嬉しいー!」
「な!俺この10日で新しい術2つも覚えたんだから!」
「大和はもう少し制御しようとしろよ」
「いいんだってば!発動してるんだから」
「術の扱いは佐助が1番うまいもんね、」
そんな会話が聞こえてくる。桶を引き上げて、水面を覗き込むと、そこには疲れた顔の私がいる。
はぁ、
もう一度ため息。
こんな顔してたら、そりゃかすがたんにも心配されるよね…一夜漬けのテスト後みたいな顔になってるし…
私は桶の中に手を突っ込んで、疲れた顔の自分をかき消すと、勢いよく顔にかける。信じられないくらい冷たい水が顔を滑って、一気に目が覚める。
手拭いで顔を拭きながら、ふと顔を上げる。
空が高い。
渓谷の向こう、対岸の方に見える木々は青々としている。風はなんだか冷たいし、空は雲が薄く広がっていて、まるで秋の空みたいだ。
季節がそろそろ変わるのかもなぁ、なんて思いながら雄大な自然を眺める。そうやってぼんやり見ていたら木が不自然に揺れた。
ん?と思うと、続けて隣の木がガサガサと動く。
目を凝らすと枝の隙間に茶色い影が見えた。
…野生の猿だ。
すごい、本当にいるんだ野生って…。
猿は特に意味もなく枝の上を見たりしながら器用に枝を伝って行く。そうして食べ物を探していたのかはわからないけど、少ししたら森の奥へと消えていってしまった。
チチチチ、鳥が鳴く。
「――…まぁ、そりゃいるか」
だって、上田にもいるって、幸村言ってたし。
……。
心が落ちる。
どんよりとした気持ちが私の背を丸めさせて、背中がつっぱった。もう一度桶の中の水を掬う。
「シズカお姉ちゃん!来て来て!」
「ん?」
振り返るとかすがたんが私を手招きしている。
私は桶の中の残った水に目を向けて、後で片付けよう、と思った。
かすがに言われてついて行くと、そこにはドヤ顔をした大和くんが立っていて、その隣にコタが腕を組んで立っている。
「見てて!」
そういうや否や、大和くんが手を組んで印を結ぶ。
そして漫画の忍者のやつみたいに…その瞬間その場からいなくなる。
「え?!」
「こっちこっち!!」
言われて振り返ると、さっき私が桶を置いていた場所で大和くんが大きく手を振っている。おおお、瞬間移動だ!
「えっ、すごい!どうやったの?」
「忍びの術だぞ、そう簡単に使えるかよ」
「いやそうじゃなくてさ、手品のトリック知りたいのと一緒でどうやったのか種明かしが知りたいっていうか…」
「はぁ?」
大和くんが駆け戻ってくる。
そしてすごいでしょ!!と自慢げな顔をするから、私はその頭をふわりと撫でた。
その横から佐助が意味わからんと言った声を上げている。だから私は「佐助もかすがもできるの?」と聞いてみた。
「もちろん!」
「っ俺は、大和よりもっと遠くにいける!」
「……」
それを聞いていたコタが組んでた腕を解いて、ゆっくりとした動きで3人の前に立った。
ゆっくりと口が動く。
「…………」
「……(あ い て)」
「!コタお兄ちゃんと修行?!」
「えっ、術!術は使っていいの?!」
「……」(こくり
「やった!!」
かすがは嬉しそうにぴょんと跳ねると、大和くんがやったみたいに慣れた所作で印を結ぶ。その手元は早く、滑らかに動く。
そして、少し大きく息を吸った次の瞬間、目の前にかすがの幻影が現れた。
すごい、本物の忍術だ…!
これ一体どういう…そう思うと同時に、大和くんがコタに向かって大きく跳躍した。私の頭上を飛び越して、そのまま空中で印を結ぶ。
ガッ!
大和くんの幻影が現れてかかと落としが入る。鈍い音を立てながらコタはそれを右腕で受けて、左腕で私を払う仕草をした。
私が慌てて距離をとると同時にかすがの分身が無防備な右腹を狙いに行く。そのまま軽やかな動きで地面に手をついて足を伸ばす。コタは大和くんを振り落とすとそのまま前に押し込んでかすがの幻影を掻き消した。その背後を佐助が手裏剣で狙うけれど、コタは潰した刀でそれをはたき落とす。
流れるように始まった修行。
これももう見慣れたもので、私はそのまま戸口に腰掛けた。そして自分の膝の上に肘をつく。
子供達の修行は本当に容赦がない。
当たり前のように凶器を投げるし、人を蹴ったり殴ったりするなんて日常だ。
……ここは、戦国時代。
……当たり前。
(――…違う)
違うとは思うけど、何が違うのかは今日も言葉にならない。漠然としたモヤモヤがあって、それは形を変えて色を変えて、私の頭を埋め尽くす。
唯一わかっていることは、私が何もわかっていないということだけ。
……どうしたら、いいんだろう。
は、と吐き出した息は重たくて、私は膝に顔を沈めた。
「…少し出てくる」
「!」
ぼんやりしてたら急に背中に声がかかった。
咄嗟に返事をし忘れて振り返ると、ぬらりとした雰囲気を纏った白ちゃんが立っている。
私は一瞬その目を見て、それから顔を逸らす。
また目を見たら傷つくことを言われる、そう思った。
「……」
白ちゃんはそんな私を一瞥し、子供たちの方を見るとゆっくり背を向けた。その背中をみて、私は少し迷ってから声をかける。
「いってらっしゃい……」
白ちゃんはほんの少し顔をこちらに向けると、返事もせずにそのまま姿を消した。
…やっぱりなにも返してくれないんだ。
白ちゃんが去ったあとの気まずい空気を誤魔化すように、私は再びちのびーずの方へ視線を戻した。
「ッ……」
佐助が体を捻ってコタの膝を確実に狙う。しかし踏み込む寸前にコタが、軸足を変えてそれを躱す。
大和くんが分身を出してコタに近接戦を仕掛けに行き、数発の拳と防御の応酬がある。パンッ、と軽い音がして、コタが手のひら或いは前腕で大和くんの攻撃を受ける。
それを見たかすがが、クナイをコタに放つけど、コタの一蹴で風に巻き取られて地面に転がった。
大和くんが楽しそうに笑って分身を出す、それを横目で見たコタは何かをしようとして、
「……」
急にその動きをやめて身を返した。
それと同時に砂利を踏み締める音がして、佐助が一直線に突っ込む。その視線は鋭利だ。佐助が投げた手裏剣が岩壁に刺さった音で、コタが避けたのはそれだとわかる。
「ッ俺だって…!!」
影のように佐助はコタの懐に飛び込んだ。そしてビュッと短い音を立てて蹴りが飛ぶ。
鋭い一撃は、コタが体を捻ったまま軽く地を蹴ったことで攻撃の軌道から外れる。ギッと眉を寄せた佐助が追撃、それも避けられる。
「くそっ!!」
まず一歩。
その次に、もう一歩。
距離を空けるような動きを見せるコタに喰らいつくように佐助は間合いを殺し続ける。その動きは迷いも躊躇いもなく、コタの動きを読んでるようで。
佐助の目つきは本気だ。
気配が膨らんで、ビリリと肌が泡立つ。
大和くんとかすがはその佐助の空気にピタリと動きを止めた。息を呑むような迫力がある。
これは、武田道場でみんなが出していた気配……いや、それよりももっと本気の。
「ッらぁ!!」
ぐっ、と地面を踏み込んで佐助がさらに身を乗り出した。クナイを構えて下から抉り出すように突き上げる。
コタの喉元へ、迷いのない一筋。
だけど。コタは体を動かさなかった。
ほんの指先が、空気をなぞるように佐助の腕をなぞって。佐助はくるりと足元を掬われたようにくるりとひっくり返った。
「……っ?!」
食いしばった歯の隙間から音が漏れる。
悔しさと焦りで顔が赤く滲んだ。しかしすぐに起き上がると、もう一手を仕掛ける。でも、それすらも、コタが足首の角度を変えただけで、届かない。
触れられもしない。
「ッッなんでっ……!」
ぎり、と歯を食いしばって佐助が呻く。
それを見たコタが口をゆるりと動かした。
「……(まだ)」
「――――!!」
大和くんもかすがも、笑わなかった。
たぶん、わかってるんだ。今の佐助が本気だったこと。
コタは佐助を一瞥する。そこには優しさなんてものは無くて、ただ――…
(コタも…、……)
また、言葉にならない。
……私は、普段コタが与一の面倒を見てくれていたみたいに、ちのびーずの事とも見ているのかと思っていた。けれど、たぶん…これはそれじゃない。
私はコタのこともちょっと分からなくなって視線をさまよわせる。
佐助はじっとうつむいたまま、顔を赤くしてこぶしを握り締めていた。
(……声、かけなきゃ)
気づけば足が勝手に佐助の方へ向かっていた。
「さ、佐助……」
名を呼んだ瞬間、佐助の肩がびくっと揺れる。
けれど振り返らない。そのまま早足で通り過ぎようとする。
「ちょ、ちょっと待って……!」
ぱし。
触れた手を、佐助がはらい落とした。
強くではない。乱暴でもない。それでも、明確な拒絶だった。
「……うざい」
佐助は俯いたまま、表情を見せまいとするかのように、私の横をすり抜けていった。コタとの練習を辞めて、その後を大和くんとかすがが追いかける。
2人が佐助を追ってくれるなら、とりあえず大丈夫だろうか。
私はジン、と痛む手のひらに視線を落とす。
また、自己嫌悪。
佐助になんて声をかけたらいいのかも分からないのに。
呼び止めて、私はどうしたかったんだろう。
ぐるぐるとまた思考が回る。
ぎゅっと目を閉じたけど、その裏で目が細かく揺れる。
喉の奥が痛いし、チリチリと焼けるようだ。
「……」
「…だ、いじょうぶ」
気づけば目の前にコタがいる。
じっと口を一文字に結んで腕を組みながら私を見下ろしている。さっきのピリピリとした空気は無くて、いつもの、私が知ってる、コタがいるだけだった。
それから私はなんとなく家事をやったり、ごはんの仕込みをしたりして過ごしていた。コタも何も言わずにじっと私の背中を見ている限りだ。
手を動かしていないと、いやでも考えてしまう。
だから、梅干を作るのに集中していて、気づかなかった。
ッバチバチバチ!!!
「え?!」
「…!!」
突然、巨大な何かを落としたような、何かがはじけるようなそんな轟音が響いてきた。外へ顔を向けるのと同時に、閃光が部屋を満たす。地震かと思うほどのあまりの衝撃に、積み上げていた薪が崩れて建物全体がギィイと不快な音を立てた。
コタの方を見ると、コタはもう姿を消していて、戸口が開け放たれているのが見えた。
そして外からバチバチバチ!!!とはじける音に交じってギリギリと金属をこすり合わせたみたいな…黒板をひっかくみたいな音が聞こえてきた。
「な、な、なに…?!この音…!」
あまりに突然のことに思考が追いつかない。と、ととととりあえず外で何か…って外!?
「みんな…!」
外には大和くん達がいる。私は考えるより先にその場から駆け出した。痺れる足のせいで何度もバランスを崩しかけるけれど、どうにか前に進む。
戸口に手をかけて体重を預けながら私は外を見る。
その瞬間頬にビリッとした感覚があった。思わず息をのむ。
空気が、変だ。
「……ッ、なに……これ……」
肌がビリビリして、髪が逆立つ。
耳鳴りみたいな細い音がして、空気が””捻じれる””。
バチィッ!!
「っ!」
地面で光が捻じれて、風が巻き起こる。
その歪みの先に突然光の塊が現れた。
それが風を起こし電気を走らせている。熱がビリ、と腕を焼く。
それを認識したとたん、視力を奪うような膨大な光と、耳が使い物にならなくなりそうな轟音で溢れかえった。
これ……術とか、そんなレベルじゃない……!
「ッコタ!佐助!…かすが!大和くん!!」
何も見えない、何も聞こえない。
私は確かに声を上げているはずなのに、声すらかき消される。
あまりのまぶしさに目を細めて腕をあげた。その光の塊のなかに影を見つける。
「ッ佐助…!?大和くん…!!コタ…!!」
コタが光の洪水の中に手を伸ばしている。風が渦巻き、熱を放ち、こすれた空気が雷を生む。圧縮されたエネルギーの塊のなかで、佐助と大和くんがその中で苦しそうに背を逸らしたのが見えた。
(や、やだ…っ!!)
何がおきてるのかなんて分からなかった。
光と熱と風で酷く目が痛む。
(ふたりとも…っ)
ジジッ耳元で電気が爆ぜる。暴力的な光と音の洪水に足が、意識が揺らぐ。
コタを手伝わなきゃ、佐助を助けなきゃ、大和くんを
――そう思うのに、体は一歩も前に出ない。
呼吸が乱れ、視界が揺れる。意識が朦朧とする。
「 」
自分の声も聞こえない
苦しそうにもがく大和くんがぼやける。
(やば、い)
ぐらぐらとおぼつかない意識。ジジジと五月蝿く鳴っていた音が遠くなる。
気持ち悪い、内臓が引っ掻き回されるような感覚。
気づけば地面に倒れていた。
視界がかすむ。
焦点が合わなくなる。世界が暗く沈んでいく。
みんな、…
手を伸ばす。
かすむ視界のその先に影が一つ増えたのが見えた。
鋭く結んだ口元。
迷いのない目。
光に照らされた横顔。
(は、くちゃん――)
私も。
そう思ったけれど。
バチバチバチ!!!
一段と強い風が吹きつけて、私はそのまま意識を手放した。
@
目を覚ますと、木目の天井が広がっていた。
頭が痛い。ガンガンと内側から叩かれてるような、信じられないほどの痛みに思わず身じろぎした。
「…おねえちゃん」
声が聞こえる。
か細い声に顔を向けると、ぐちゃぐちゃの顔でこちらを見ているかすががいた。泣き腫らしたのか腫れぼったい目と真っ赤な目が滲む。
「うっ…お、ねえ…ちゃ…!」
「どう、したのかすが…」
「よかっ…よかった…お姉ちゃん…」
私の身体にすがり付いて泣き始めるかすが。その頭を撫でてやれば大きく鼻をすすって、布団をぎゅっとつかんできた。
そのまま周囲に視線を移せば、……棚の上の物が落ちたり壊れたりと散々な有様になっているが…どうやら白ちゃんの家らしかった。私はそれを痛む頭で思って、かすがに視線を向ける。
「なにが、あったの」
「…」
かすがが顔をあげて何かを言いたそうにしているけれど、言葉が見つからないのか、えっと、だとかうん、とだとか口の中で言葉を転がしている。
その様子をしばらく見ていたけれど、不意に影が落ちてきた。
「目が覚めたか」
「…白ちゃん」
珍しく、険しい顔をした白ちゃんが立っている。
布団越しに私に縋るかすががブルリと震えた。もう一度かすがの頭を撫でてやると、布団を握り締める手がさらに強くなった。
白ちゃんはそれを見下ろすと、私へ視線を向けた。
「…体調はどうだ。」
「…う、うん …ちょっと頭が、痛いくらい」
「そうか」
視線が隣にずれる。机の上にお椀があり、そこに何かの液体が小さく揺れているのが見えた。
「耐えられないようなら飲め。……多少苦いがな」
そして再び視線はかすがに降り注いだ。
びくりと肩を揺らしてかすがは白ちゃんの方を見た。かすがを見る目は怒るでもなく、咎めるでもなく、ただ静かだ。
「……佐助と大和のことだ」
そう言う声に色は無い。
「佐助は…意識がまだ戻らない。大和は、…声を失った」
――…え?
言われた言葉が飲み込めなくて、私は瞬きを2回した。
私が理解しようとする間にも白ちゃんは「今はコタが大和を見ている」と言葉を続ける。
声を、失った?
どう…どういう事?
混乱する私を置いて、白ちゃんはかすがの名前を呼んだ。
「……質問に答えろ」
「…は、い」
びくり、と体が揺れた。
けど真剣な白ちゃんの顔に、かすがは姿勢を変えて正座をした。
まっすぐに答えるという誠意の表れなのかわからない。
「――あの雷は忍術だ。里に……いや、俺たちにだけ伝わってきた秘術のひとつ。原理は省くが、空間を捻じることで雷を発生させる」
「威力は申し分ない。……いや、むしろあり余る。正しい手順と、必要なだけの代価を払えば、な」
棚の壊れた破片を一瞥する。
「元々扱い辛い術だ。昔から、扱えた者は多くない。むしろ――失敗したときの代償が大きすぎる」
「だから禁術となった。よほどの熟練者でなければ触れるな、と」
かすがの肩がまた震える。
「術の名は『雷塵』。秘術にして禁術。…俺はそう教わった」
雷塵
聞き覚えがある。…むしろ、聞き覚えしかない。
ゲームの中では天王山掃討戦…佐助とかすがを倒すと使ってくる技。あるいは、私がここに来ることになった「失敗した禁術」だ。
「その術を記した巻物が……うちの書庫にあった」
静かな圧で空気が少し冷える。そしてかすがが身じろぎをする。
「お前たちは、それを勝手に持ち出した」
「……はい」
「大方…コタに負けた佐助に大和がやろうと言い出した」
「……はい」
「お前たちは便乗した。そして一番術の扱いが得意だった佐助が実行した」
かすがは唇を噛み、声を絞り出す。
「……はい。……間違いありません」
白ちゃんは最後に、ふっと力の抜けた声で言う。
かすがはしっかりと白ちゃんの眼を見ていた。
この空気の中で、しゃんと背筋を伸ばして、真っ直ぐに白ちゃんを見ていた。そんなかすがを白ちゃんも真っ直ぐ見つめ返した。
そして長い時間、二人は目を一度も逸らすことなく見つめあって。
「――その結果がこれだ」
空気が重たい。
かすがは「申し訳ございません」と丁寧な謝罪をしたけれど、そんな言葉に意味がないって二人とも思っているのか、謝罪は宙に溶けて消えた。
「――…」
大和くん、佐助…
もし「このまま」目覚めなかったら、あの時代の佐助はどうなる
もし「このまま」佐助が。
ひゅ、と息を呑んだ。
飄々と天井裏から現れて「ちょっとシズカちゃん気持ち悪い顔で笑わないでよ!」なんて笑っていた佐助。
ついさっきまで真剣な顔でコタに向かっていた佐助。
どちらも佐助で、そこにいるのが「当たり前」な存在。
武田軍の家紋をはためかせるお館様、と同じ色の鎧をまとった幸村が2人して腕を組んでそこに立っていて。その傍には「真田十勇士」の一人である佐助が呆れたように控えている。
そんな当たり前の光景。
それが、もしかしたら、なくなってしまうかもしれない
「さ、すけには…会えないの?」
「無理だ。俺やかすがならまだしも…お前は『余所者』だ」
「…だよね」
私が、ちゃんと見てれば。
ちゃんと気にしてれば。
布団の中に入れっぱなしの手が震える。
どうしよう、…いったいどうしたら。
視界がじわりと滲んで、思わず顔をそむけた。
これ以上白ちゃんとかすがの前にいたら、泣き出すのは時間の問題なのは明白だった。
私は勢いで布団を蹴って、ふらつく体のまま戸口へと向かう。
頭は割れるほどに痛いけど、涙がこぼれる前に、とにかくここから出たかった。
戸口を開けると、さっきの惨状が見て取れるほどに修行場は荒れていた。
地面は割れて、崩れ落ちた岸壁の岩がごろごろとそこら中に転がっている。地面も砂っぽいし、ちのびーずが修行に使っていた足場や木人は修復不能だろうと思えるほどに粉々になっていた。
視界に入るあれもこれも…全部壊れた跡、と表現する方が正しいようにすら見える。
それをみたら、さらに心臓がぐしゃりと音を立てた気がした。
「あ……」
戸口の隅に身体を寄せる。
木目の冷たさを感じた途端に、涙がぶわっとあふれた。
自分でも止められない。喉の奥がひくひくして、鼻をすする音がやけに大きく響いた。
どうしよう
佐助が、もし…目を覚まさなかったら。
大和くんの声が…戻らなかったら。
(私があの時…ちゃんと)
断片的に「ごめん」と「さいあく」がぐるぐると頭を回っている気がする。
私があの時、佐助に声をかけられていたら。
振り払われた手を握りに行けたら、こんなことには。
ぼろ、
「うっ…うう…」
涙が落ちる。
ここに来てから泣いてばかりで、私の涙腺は壊れてしまったのかもしれない。ギィギィと心の内側で何かが軋んでいた。
「――シズカ」
じゃり、と小石を踏む音。
びっくりして顔を上げると白ちゃんが、いつものように腕を組んで立っていた。
相変わらず冷たい顔に、私の心臓はギュッと縮む。
「泣いているのか」
「!」
あっ、気づいて慌てて顔を伏せた。
けれど白ちゃんがそんなの見逃してくれるわけもない。
隣に座るわけでも、励ますわけでもない。
ただ立って、私を見ているのが暗い視界でもわかった。
私は何か言わなきゃ、と思って思いついたことを口にする。
「……ごめん」
「…」
「私がもっとしっかり…みてたら……こんなことには」
沈黙。
白ちゃんは黙り込んだまま何も言わない。
謝りたいのか、言い訳したいのか、自分でも分からない。
ただ涙だけが止まらない。
静かな空間に、私が抑えきれなかった嗚咽がいくつか零れ落ちてしまった。そして、それがもう一つ増えそうになったころ、白ちゃんが口を開く。
「勘違いするな、お前は赤の他人だし、ましてや忍でもない。この件に関してお前は全く関係ない。」
淡々と言い切り、最後にひとつ息を吐いて――
「だから――泣くな。」
そう白ちゃんは言い切った。
…赤の他人。
胸がぎゅうっと、ひどく締めつけられた。
わかってる。
白ちゃんに悪気がないのも分かってる。
むしろ彼なりに“距離”を示してくれているだけだって、頭では理解してる。
でも。
赤の他人。
今は、その言葉が胸に突き刺さる。
喉が震えて、肺の奥から怒りとも悲しみともつかない感情が、溢れた。
「ッ私が関係ないってのも分かるけど…!!一緒に暮らしてて、ご飯食べたりとかしてるのに、それ、は寂しくてやだ!」
「…」
「だって私だってあそこにいて…ッ三人のこと見てるつも、…つもりになってただけかもしれないけど…!!」
涙が止まらない。
息がうまく吸えない。ああやだ、まただ
感情はあるのに、理由が分からない。
分からないくせに、止まらない。
「っハ、私はもう家族のつも、りでいたのに、他人とか、家族じゃないっていわ、れてるみた、い、で、ッ……いや、だ!!」
言っているうちにどんどん悲しくなってきて、目からぼろぼろと涙は溢れるし、頭に血は昇ってる感じするし、そのせいでめちゃくちゃ頭痛いしで最悪…ッ!!
怒りも悲しみも熱もぐちゃぐちゃに混ざって、私自身の声が自分のものに思えない。
白ちゃんは、ほんの少し身を引いた。
驚き、ではなくて、情報を受け取ったので整理するような、それだけの仕草。
そして、また深く、たっぷりと長考した。
「…そうか」
そういって、白ちゃんはフウ、と息をついた。
音の柔らかさに、私は目を見開く。
それは、白ちゃんからは初めて聞いた音だった。
一瞬笑ったのかと思ったけど、そこには表情はない。
いつものように温度もない。
ただ、ほんのわずか――息が揺れた気がした。
ゆっくりと瞼を揺らした白ちゃんは、もういつもの顔に戻ってる。
私の怒りは行き場を失って、また私の肺の裏側にすとんと落ちてしまった。
白ちゃんはそれきりなにを言うでもなく、私をじっと見た後そのまま踵を返して立ち去ってしまった。
私はなにもその背中に言うことができなくて、もう一つ涙をこぼすばかりだった。
@
夜のことだった。
ふと、身体を揺さぶられて目を覚ます。
「……」
「…ん、…コタ?」
かすむ視界にコタがいて、私の顔を覗き込んでいた。
どうしたの、と声をかけるとコタは人差し指で「しーっ」と示してそれから指を指した。
その指の方向を追いかけると、いつも閉じられている木戸が開けられていて、外からの光が差し込んでいた。
今日は月が明るい。
満月だろか、風もないし昼間見た感じだと雲も多分ないだろう。
青白い光で照らされた世界は水面に映り込んだみたいにとても幻想的で、別の世界のようですらあった。
――…そこに、白ちゃんがいた。
「白ちゃん」
なにしてるの?
声をかけようと思って、体を起こすと急に体を引かれた。
「わっ」驚いて出た声は、コタの手のひらの中に吸い込まれてしまう。ゆっくりと口を掌で覆われて、私は視線を動かした。
こ、コタ?
コタのオレンジ色の髪が揺れている。
身じろぎして離れようとすると、もう片方の手で体を抑えられた。
痛くもないし強くもない。なのに身体が動かせなくなったのはコタのなせる技なのか、私はすっかり身動きが取れなくなってしまった。
それを自覚すると、徐々にぼんやりしていた頭が明瞭になっていくのを感じる。
(――…え、これ、何?)
もういちど外を見る。
虫の声も、風の音もない。ただはるか下から水がうねる音が遠く聞こえてくるだけだ。風も虫も鳴かず、世界から音というものが削り取られたみたいだった。
シン、と静まり返る場所に、目を閉じて白ちゃんが佇んでいる。
それはまるで、写真か絵のようで…
現実味がない。すごい遠い場所にあるように感じる。
普段よりうんと冷たい色をした白ちゃんの横顔を見ていたら、ゾワリとしたものがこみあげてくるのを感じた。
どのくらいその光景を見ていただろうか、影が一つ、絵の中に差し込む。
(やま、とくん)
もう立ち上がって大丈夫なの
寝間着姿の大和君は少し離れたところで立ち止まって、そして白ちゃんを見上げた。その足取りはまだフラフラとしていて力が入っていないように見える。
「……大和」
白ちゃんの声は不思議なほどよく聞こえた。
距離があるというのに声だけははっきりと届く。
コタの手の温度が少し上がる。
「――…お前は、『風魔』を知っているか?」
風魔。
聞きなれすぎて違和感がなくなった言葉だ。
姿を見たものは皆殺しにされるという…風の悪魔と呼ばれ、誰も正体を知らない伝説の忍。
そして、今私の口を塞いでいるこの人のこと。
白ちゃんはいったい突然、何の話をしているのか。
「風魔は、どの世にも一人。名を持たず、個を持たず…技術と存在だけが継承されていく。そういう存在だ」
「…」
「――俺が今の『風魔小太郎』だ」
…え?
淡々と語る白ちゃんの言葉を繰り返す。
どういうことだろう、…私の背後にいるコタも、風魔小太郎だ。
顔を見ようとしたけど、コタは私の口をふさぐ手に少し力を込めてそれを阻止した。
その力の入り方が少し怖くて、すぐに抵抗を辞めた。
指先を冷たい外の風が撫でていく。
「……時間が、足りない」
「……ッ!」
大和くんが白ちゃんの顔を見て、必死に顔を左右に振る。
口を動かしているけれど、その喉から音が出ることはない。
白ちゃんはそんな大和くんを真剣な目で見ていた。
私の心臓がドッドッと大きな音を立てる。
「大和。頼む。最後の願いなんだ」
白ちゃんが一歩大和くんに近づく。
大和君が半歩身を引けば、白ちゃんはその分一歩前に出る。
あっという間に距離が詰められてしまった。
白ちゃんは大和くんの前に立つと目線を合わせるようにしゃがみ込む。
そして……なにか、光るものを
(っ!??)
小刀だ。
白と黒で一対となったそれは、月の光を反射して偽物みたいに光を反射している。
背筋が凍る。
な、なにを…しているの
問いかけはすべて私の口の中で転がって消えていく。
ただ、なんだかすごい嫌な予感だけが胸を打つ。
「…俺も、師匠も、逃げられなかった。こんな…クソみたいな柵から抜け出せないまま…ここまできてしまった」
「大和、お前にはつらい役目ばかり背負わせてしまう。…本当にすまない」
「…!ッ…!!!」
大和くんが首を振る。
身体を引こうとするけれど、白ちゃんの手を振りほどくには至らない。
私は耳の奥で金属がこすれるようなキリキリとした音を聞く。喉が震えて、今にでも叫びそうになる。
思いだけは前に進むのに、コタがそれを許さない。
ぎゅうと体を、口を押えられて、なにもできない。ただ目の前で起きていることを見ていることしかできない。
コタの手が、僅かに震えていた。
(コタ……ッ、ねえ。コタぁ…!!)
お願い、離してよ
「けれど、今なら、まだ、間に合う」
「…『風魔』としてこの里に知られていない今のうちに、おまえが」
「逃げて、逃げて、あがいて、めいっぱい生きて、生き抜いて――そして、」
白ちゃんは、小刀を握らせた大和くんの手を自分の手で包む。
いやだいやだと目を見開いて大和君は首を振る。
白ちゃんはそんな大和君を見て笑っていた。
大切なものを見るその目を、私はよく知っている。
――…動けない
「俺と師匠が手に入れられなかった自由を」
「大切なものを…人として捨ててはいけなかったなにかを」
「てにいれて」
「…俺たちへの土産話にしてくれよ」
光が吸い込まれる。
白ちゃんはそれを自らの体に深く、深く沈めた。
大和くんの手に、光に照らされてなお黒い血が伝って流れる。
腕を、着物の裾を汚して、地面に零れた。
白ちゃんは大きく傾く。
その刹那…顔がこちらを向いたような気がしたけれど、それを成す前に身体は地面へと転がった。
とさり、なんて信じられない軽い音を立てた体はピクリとも動かず、月の光をただ浴びている。
すべての時が止まっていた。
(―――……)
私はなにも、理解できない。
背中が震えて、呼吸もままならないのに、視界だけは小刻みに揺れる。
目の前にあるその光景が理解できなくて、今起きたことを理解したくなくて
――…全部が絵の中の出来事みたいで。
私の指先は氷のように冷えている。
顎が震えて、目の前の光景をただ見ていた。
そしてやがて…最初に動き出したのは大和くんだった。
パッと弾かれたように顔を上げて、まっすぐこっちを見る。
「……!!」
私と目が合った。
目を見開いた大和くんは握り締めていた小刀を地面に落とす。
汚れた小刀はカラン、なんて軽い音を立てて地面に転がった。
そしてその音と同時に、一目散に駆けだした。
まるで、にげるように。
コタの手が、私から離れた。
「ッ大和くん……!!」
私はコタの手を振りほどいて外へと飛び出した。
風もない空間はひんやりとしていて、私から体温を奪う。
目の前に白ちゃんの背中がある。
「……っ」
ぷん、と強い鉄の匂いが鼻を突く。
風がないから匂いを運ぶこともない。
ただその場に、白ちゃんの体と一緒に置き去りになっている。
身体が嘔吐く。
胃の物がせりあがってきそうになって、私は口を押えた。
けど
私は一瞬だけ白ちゃんの背中を見て、あとはもう脇目も振らず大和くんが逃げていった方向へと足を向ける。
わずかに風が揺らいで、私の後を追う。
だけれど月の光だけは、何も変わらず白ちゃんを照らしていた。
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森の中は鬱蒼としていた。
自由に伸びた枝が月の光を遮っていてとても薄暗い。
人が滅多に踏み入れないことがすぐにわかるほどに、根っこもコケも生い茂っている。
見えない木の根に何度も足をとられながら、私は大和くんの背中を追いかける。
「っ、は、大和くん…!」
とにかく追いつかなきゃ、大和くんをひとりにしちゃだめだ、それだけが何度も頭の中で反響している。
ぜえぜえと喉が鳴る。
不意に大和くんが前のめりに崩れ落ちるのが見えた。
「やま、と、く……っ」
木の幹にもたれて振り返った大和君は、ぼろぼろと大粒の涙をこぼしていた。
喉がひゅうひゅうと壊れた笛みたいに鳴っているけれど、口からは何の言葉も出てこない。
顔を涙と、汗と、それから白ちゃんの血でぐちゃぐちゃで、その痛々しい姿に私の胸が痛む。
その姿に思わず手を伸ばして抱きしめた。
小さな体はすっぽりと私の腕の中に収まる。
「大丈夫、大丈夫だよ、大和くん、…大丈夫…!!」
なにがだいじょうぶなのか私にもわからない。
だけど…でも、何か言わなきゃいけない気がして、必死に声をかける。
声を出さないと、私は私も支えられない。
「…っ、…っっ」
大和くんはしゃくり上げる。
声が出ないまま泣く姿は、ひどく痛々しい。
前にちびちゃんズにやったみたいに背中をさする。
すると、大和くんも私の背中に手を回してきて、ぎゅう、と小さく抱きしめてさすり返してくれた。
私も大和くんも必死だった。
二人でお互いを落ち着かせることしかできなかった。
私たちはとにかく体が熱くて、吐きそうなくらい息をするのが苦しくて、何度も嗚咽を飲み込んだ。
そうしてどのくらい経ったか、漸く大和くんの震えが落ち着いた。
私の指先にも熱いくらいの血液が流れていて、震えてはいるけど酷くはない。
大和くんから身体を離す。
(――…あれ?)
なんだか既視感のある顔がそこにあった。
誰だっけ、
ぼんやりとした耳の奥のボワンと鼓動のような音がする。
そのとき。
背後から金属がぶつかる音が響いた。
ざわざわと木々が揺れ、合間に音だけが近づいてくる。
まるで、争っているような…切り合っているような音だ。
驚いてそちらを凝視する。
やがて、ふわりと視界に黒い羽が一枚落ちてきた。
「……コタ」
音もなく降り立ったのは、風魔小太郎…幸村や政宗たちのいる…私のよく知ったコタがいつもと変わらない姿で現れた。
しかし、その両手に白黒の小刀が一対握られていること気づいて私の心臓がキュッと絞まる。
身体を固まらせた大和くんを見ると、コタはその小刀を鞘に納めて、大和くんの懐に押し付けた。
拒否する大和くんを制して首を左右に振る。
コタ…?とさっきから意味の分からない行動ばかりするコタの顔を覗き込む。
赤に近いオレンジの髪の隙間から見えるのは、赤のフェイスペイントばかりで、そこからは何も読み取れない。
(ん…?)
再び既視感を覚える。
なんだろうと首をかしげると、今度はその手が自分の頭に伸びた。
そして、音もなくその頭にあった兜をとっ…
「え、」
叫ばなかった私をほめてほしい
コタはあのトレードマークの兜をとると、そのままそれを大和くんに被せた。
ずっしりと重たそうな兜を付けた大和くんは、コタを見上げる。
その姿はまるで小さなコタそのもの…で…
(あ…)
もしかして、大和くんは
その言葉を口にしようとした瞬間、
がくん、と私は大きく体を傾けた。
え、と足元を見る。
真っ黒い穴が広がっている。
片足が飲み込まれていて、穴はゆっくりと広がっていた。
「う、そ…!」
実際に見るのは初めてだけど、
これは雷塵の残骸…の穴、だよね!?
思わずコタを見ると、コタは一度だけ頷いた。
私のほうに一歩踏み出し、そのまま穴へ足を浸す。
大和くんは目を丸くして私たちを見ている。
手を震わせて、こんなにも傷ついている大和くんを1人置いて行くなんて…
(一緒にいきたい)
そう思って手を伸ばそうとした。
すると、コタがその腕をやんわりと静止する。
顔を上げると笑みを浮かべたコタが居て、ゆっくり口を動かした。
「……(これでいい)」
「……」
私は言葉を失う。
それ以上何も言えなくて、口の中で転がる。
コタは言葉を失った私に代わって大和くんを見た。
真っ直ぐに目を見て、そして
――行け
「!」
弾かれたように大和くんが震えた。
そして、私とコタを交互に見ると、一歩下がる。
もう一歩。
大和くんは口をぎゅっと結ぶと、そのまま踵を返して走り出した。
大和くんの姿が森の奥に消えて行く。
……闇に消えて行くその背中は、なんて小さいのか。
これから一人で生きていくことになる大和くんのことを思うと…やっぱり手を伸ばしたくなる。
だけど、……だけど。
「……」
いろんな言葉がよぎる。
結局…どれも違う気がして、何も言えない。
代わりにコタの服の裾を掴む。
――生きてほしい
どうか。
そして、またいつか
願いにもならない思いが浮かんで、消える。
私は崩れそうになるのを何かを堪えたくて、コタの服を掴んだ手に力を込める。
絶対に、離したくなかった。
そんな私に気がついたのか、温かい手が重なって、そして…
記憶が、とぎれる。
ああ、なんだか無性に与一の顔が見たい。
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――とある男の話をしよう。
男には血縁者はいなかった。
しかし代わりに、家族と呼べる者たちがいた。
きっと、庶民の家族というものはこういう形なのだろう。
少なくとも男にとって、とても居心地の良い場所であったのは確かだった。
しかしふと気がつくと、男は1人になっていた。
家は崩れ、獣が住み着くようになっていた。
遺されたのは、わずかな生活痕と…大量の巻き物。
それから師と慕った男の墓、笑わなくなった幼馴染。
聞くところによると、事故があったのだという。
その原因は定かでないが…師はその事故で亡くなったのだと聞かされた。
男は全て失った……と思ったが、得たものもあった。
「跡目も残さず死んで……死んで里にとって大きな損失だと思っていたが、希望は残されている」
「もしかして、君がやったのでは?雷塵を…失敗したとはいえ発動させられるなんて相当の逸材だ。師匠を殺したとしても不思議ではないよ!」
「まてまて、彼は異邦人を匿っていたという噂もある。その者がやったのでは?忍は墓を持たぬというし、墓があった以上その線が強い」
「ねえ実際のところどうなの?私にだけ教えてよ」
それは賞賛と不審。
穴だらけの記憶を埋めるように、その賞賛は心を一時的に満たした。
そして、誰も彼らもが師を殺めた者こそ、この男だと持て囃した。
うるさい。
全て、うるさい。
男は次第に苛立ちを覚え始めた。
自分が師を殺したなら、最初に伝えられた事故とはなんだったのだ。
なぜ、墓がある。
なぜ、幼馴染は口を閉ざす。
殺したことが事実なら、なぜそれが賞賛されるのだ。
…はらかた殺しは大罪ではないのか?
男は崩れかけた家を訪れる。
渓谷は、夏が過ぎ、秋が終わりかけている。
落葉が家を覆い、またこの季節が来るまでには潰れてしまうだろう。
「――」
呼び慣れた家族の名前を呼ぶ。
そして、墓とは名ばかりの土塊を眺めると、男は家に火を放つ。
轟々と音を立てて唸る風が火焔を巻き上げる。
もともと物の少ない家だ、火はあっという間に残された家を舐め尽くして消え失せる。
男はそれを最後まで見届けた。
いくばくかの禁書を手に、男は里へ向かう。
いつのまにか、家族の記憶にも穴が空いていた。
断片ばかりのそれを埋めるために男は里に牙を向いた。
「全部、全部、俺が貰っていく。もう……奪わせない」
記憶も、思いも、言葉ですら。
何一つ奪わせやしない。
三度日が昇った頃、里は何一つとして残っていなかった。
しかし、狐の腹を満たすには。
男の洞を温めるには。
これだけでは到底足りなかった。
――聞いたかよ。今度上田のあたりに殿様が来るらしい
――なんだ、城が立つのかい。城主は?
――あぁなんでも武田の懐刀、真田家だとよ
――そいつはいいや、もののふ集いと来りゃ、俺たちの出番だな
商人たちが荷を下ろして会話する。
腹を空かせた獣たちが商人たちの荷を狙う。
大きな葉音を立てて、狐が森の中へと消えていく。
どこか遠くでニタリとした笑みを浮かべていた。
――これは、とある男の…いまは過ぎ去った昔の話だ。