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おん、と、ろうろう
ええっ、あの人が帰ってくるのか?!
そんな声が聞こえてきて私は顔を上げた。
赤髪のミコッテ族の声は今日も大きい。とりわけ『あの人』関連になると尚更だった。今だってほとんど「この声はグラハだろうな」と決め打ちみたいな気持ちで顔を上げたし、やっぱりそこにいるのはグラハだった。
タタルさんから連絡を受けたらしい彼は嬉しそうに尻尾を揺らして前のめりの様相だ。前後の文脈を知らずともどれほどの吉報だったのかひと目でわかる。私からは見えないけれどきっと目を輝かせているんだろう。一方のタタルさんも笑みを浮かべていて、それが彼女にとっても吉報だったのだ、と雰囲気で伝わってきた。
わたしはそんな2人を眺めて、それから再び視線を落として作業に戻る。
……あの人が戻ってくるなら、アレも渡さなきゃ、それも、あぁ、それから頼んでたアレ、採ってきてくれただろうか。材料が揃ったら前から溜め込んでたアレで……
「おや…随分楽しそうですねナナシ」
「ウリエンジェ、……そうみえる?」
「ええ、その姿は陽射しを受けた新緑の如く…なにか良きことでも?」
「あの人が帰ってくるって」
「ふふ、なるほど」
ひょろりと伸びる手足を追いかけながら応えると、顔にたどり着くより先に彼のはずんだ声が降ってくる。彼もまた、あの人の帰還を喜んでいるのだ。
ようやく目が合ったところでウリエンジェは「楽しみですね」と言った。
「そういえば…先日依頼させていただいたインクですが……」
「出来てるよー!3つでよかったよね?」
ええっと、どこに置いたっけ。
素材と完成品と中間素材とでめちゃくちゃになっている作業机を見わたす。出来上がったから見失わないように…って避けておいて……あ、あった。
インク瓶3本が入った小ぶりの箱を見つけて、私は中身を確認する。中身に変質なし、コルクも……ちゃんと閉まってる。
それを確認して私は箱をウリエンジェに手渡す。結構大きめの箱だったけどエレゼン族の男の人が持つとなんだか誕生日プレゼントみたいに見える。
ウリエンジェは箱の中身に視線落とすと「相変わらず素晴らしい出来ですね」と私を褒めた。お世辞を言うタイプじゃないって分かってるからこそ、本心なんだと分かって嬉しくなり、自分でもなかなか要領をつかめてきていい感じに作れるようになってきたと思うんだよね、と返す。
「ええ、もはや腕前は一流の職人といって差し支えないかと。……今度は何を作っているのですか?」
「これはアリゼーに頼まれたエーテルだね、それと……そんなアリゼーにアルフィノから塗り薬を」
いくら治癒術があると言っても体内のエーテルを活性化させて傷の治りを早くするもの。外部からエーテルを、癒しの力を補えればそれに越したことはない。そういう意味でのエーテルとポーションキットだ。生傷絶えない彼女に、とアルフィノからのプレゼントだそうだ。
そんな依頼をしてきたアルフィノの顔を思い出し……
(私もだいぶこの世界に馴染んだな)
画面越しじゃない彼らの顔をすんなり思い返せる。
細かな仕草も、笑うときの息遣いも、服の擦れる音も。画面越しじゃわからなかった色んなことが鮮明にわかる。それほど彼らと長くを過ごし、そしてそのたびに私は彼らの眩しさを知り、答えのない世界を愛しく思う。
ゲームの中ではただの装備品だった錬金台も、ここでの私にとっては大事な愛用品だ。
錬金台の上で揺らめいている液体を眺めて感傷に浸っていると、タンッタンッ、と軽快な足音が聞こえてくる。ウリエンジェとともにそちらに顔を向けると元気な赤が此方に向かって駆けてくる。
「ウリエンジェ、ナナシ、聞いたか?あの人が戻ってくるらしいって」
「ええ、今しがたナナシから。……と、噂をすれば、でしょうか?」
ぎ、と扉が開く音がして、続いて石の階段を降りてくる音。
かつ、かつ、とやや足早に歩いているのが聞き取れる。そしてパーテーションの向こうを覗き込めば、そこには
「……なんだ、揃いも揃って。」
「……サンクレッドかぁ」
「おいおい、なんだそりゃ。聞き捨てならないな」
どこかに出ていたらしいサンクレッドが怪訝な顔をして立っていた。
彼は帰ってくるなり四方八方から視線を受けて、面食らった顔をしたあと、肩をすくめて苦笑しながら歩いて来る。愛用のコートを軽快に揺らして歩いて来る様は絵になっていて、こりゃお嬢さん方も放っておくはずがない。
グラハは私の方をチラリと見たのち「あの人がそろそろ帰って来るらしいって話をしてた矢先だったんだ」と声をかける。
「あぁ、なるほど。アイツじゃなくて悪かったな」
「ごめんって、色々お願いしてたこと思い返してたから、つい」
「アイツ、今度はどこに行ってたんだ?」
「ドマ方面だって言ってたよ。なんかやりたいことがあるとかで」
今度は何をしてるんだか、とサンクレッドは笑みを浮かべる。厄介ごとや面倒ごとに首を突っ込んでるのは間違い無いだろうな、というのが顔にありありと書いてあって思わず笑ってしまった。
私がプレイヤーだった頃はこの時期ボズヤ戦線が賑わっていたりしたけれど、彼もまたサラッと国を救っていたのかもしれない。あるいはドマの復興に手を貸していたか、あるいは友好部族の手伝いか……兎にも角にも彼もまたこの束の間の自由時間を楽しんでいて欲しいなと思う。
またすぐに新しい冒険が、物語が始まるだろうから。
ちょっとだけ、その冒険譚を羨ましく感じる。
美しい地平を、強敵の救う洞窟を、彼は自由に旅をしているのだ。
この世界で私は英雄じゃなかった。
モニター越しに見ていた『私』がいる世界は、私を光の戦士たらしめない。私はどこにでもいる一般NPCで、命は一回限りの使い捨て。
実際に目にする魔物は恐ろしく、握る武器は重たすぎた。
だからもう私は冒険者になることを諦めてしまった。
でも代わりに、だからこそ。
彼の持ち帰ってくる冒険を、彼らの活動を、流される多くの血と命を。少しでも、たった1人でも、一刺しの傷でもいいから減らせればいいなと。そう思うから。
「……そういえば、この間渡した薬、使った?」
「ああ、そうだ、その補充を頼もうと思ってな。」
「ナナシはまた新しいものを?」
「うん。長旅になるならあったほうがいいなって思って、ハイポーションをこう…携帯しやすいようにしたんだ」
「へぇ、確かにこれなら量を運べるし…便利そうだ」
「遠征が多い暁所属ならではの発想だな。助かってるよ」
「あっ!冒険者さん!お帰りなさい!!」
タタルの明るい声に私たちは会話をおざなりにそちらを見る。
階段を降りてくる足音、装備が擦れる金属音、ああ今度こそ間違いない。
「おかえりなさい!」
かつて私の一部だった、私。