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The Sparkle Faded Away
ナナシのお別れパーティ!と銘打たれた垂れ幕を眺めて、クリプトはすっかり炭酸の抜けたシャンパンに口をつける。
数刻前まで世紀末かと言わんばかりの喧騒に包まれていたここも、今やすっかり静まり返ってアルコールや火薬、料理に、それからちょっとの人の体臭を残しているばかりだった。
涙とアルコールでぐしょぐしょの顔で帰った者や、看病を兼ねて肩を貸して帰っていった者、それからそもそもアルコールを飲める身体じゃない者、もとよりここで朝を迎える気が満々の者など様々だったが、珍しく全員が参加した盛大なパーティだった。
しのぎを削りあった仲だからか、参加した全員が全員ナナシとの別れを惜しんでいた、と思う(もちろん、あのレヴナントですら「貴様をこの手で殺めるチャンスが無くなって悲しいな」などと別れを惜しんでいたのだ)
彼女がどれほどレジェンドたちと親交が深かったのかが一目でわかる有様だった。
「クリプト」
思考に浸っていると、やや掠れた声が自分の名前を呼ぶ。
呼ばれるままに振り返ると、セットした髪を乱したままのナナシが透明なグラスを片手に立っていた。
そのまま隣に座ろうとするナナシを横目で追いかけながら「髪、乱れてるぞ」と伝えてやれば、彼女はきょとんとしたあとふふふ、と肩を揺らす。
「んもう。ヒューズってば人の頭をタオルみたいにぐしゃぐしゃするんだもん」
そう言いながらも嬉しそうな声が隣に腰掛けるのを、視界の隅で捉えて、再びアルコールに口をつけた。ぬるくて気泡もとっくに失せた液体が喉を揺らす。ああ、本当に美味しくない。もっと早くに飲み切って仕舞えばよかった。
「本当にこんなに盛大に見送ってくれるなんて思わなかったからさ、すごく今日は楽しかったよ」
「……そうか。」
本当にはしゃいだのだろう、普段よりも掠れた声が左の鼓膜を揺さぶる。この声を聞けるのもあと少しだけなのだと思い、何かを話さなくては、と心が急ぐ。平気な顔をしているが、自分もやはり彼女がいなくなってしまうことを心の底で悲しんでいるのかも、しれない。
「……明日は、早いのか?」
「ん?そうだね。早朝の便で出るつもり。最近は便の数も安定しないから気持ち早めに出ようかなって思ってるよ」
「そうか、なら、…早く寝ないとな」
「…………」
なんとか紡いだ言葉にナナシの視線がこちらを見たのがわかる。整えられないままの髪の毛が揺れて、グラスの氷がカラリと音を立てる。
なんと言葉をかけたらいいのだろうか。明日の朝、クリプトが目覚める頃、あるいは眠りに着く明朝に、彼女はいなくなってしまうのだ。クリプトの知らない場所へ行き、そしてクリプトの知らない人生を過ごす。
不思議な感覚だ。明日からクリプトの人生にナナシは居らず、今後APEXゲームでも共にドロップシップから飛び出すことはない。頭では理解できているが、心はどこか置き去りになっているような。なにかやり残したことがあるような感覚すらある。
明日が来る前に。
この夜が終わってしまう前に。
パーティの残り香が、霧散してしまう前に。
「本当に片付けしなくていいのかな。結構散らかっちゃってるんだけど。……お皿とかそのままだし」
「いいだろ、あのオッサンとパスファインダーたちが片づけると豪語したんだ。任せても」
「うーん。なんか悪いことしてる気分だよ」
ね、と同意を求めてくる彼女の顔を、見ることができない。
どんな顔をすればいいのか決めあぐねている。
この心には確かに寂しさも、引き留めたいと思う心も、はやく戦場から退いてくれるという安堵感も、そして何より彼女の幸せを願いたいという気持ちも確かにある。
幾つもの考えが頭をよぎり、ないまぜになったコレをどうすればいいのだろう。早くしなくては、彼女はもう旅立ってしまうのに。
ナナシの不思議そうな視線がクリプトに降り注ぐ。
視界の隅で首を傾げた彼女は、少し考える素振りを見せて、それから何も言わずにグラスの水に口をつけた。
彼女のなかでまぁいいか、となったのか、それともこの心情を見破られて言葉にするのをやめたのかクリプトには計りかねたが、どちらにしても有り難く、そして……とてもナナシらしいな、と思った。
「…………」
「……」
静寂が辺りを包みこんでいる。
開け放たれた窓から外の新鮮な空気が流れ込んできて、店の中の空気を洗い流していく。ハーブの効いた料理の香り、どこぞから持ち込まれたアルコールの匂い、いつもの顔触れ、いつもの談笑。
ゆっくりと、けれど着実に。
新しい空気に入れ替わっていく。
「……ナナシ」
「…なに?」
「俺は、……能力的なものもあるが。…ナナシと組めてよかった」
「……」
毎日の戦いの中で、幾度見えて照準を向け合っただろうか。
そして何度背を預けあっただろう。お互いのクセも考えも手に取るように読み合っていた時間ももう終わりなのだ。
クリプトにとってナナシは戦友でもあったし、好敵手でもあったし、そしてなにより幾つかの秘密を共有した仲でもある。他人と割り切るにはお互いの命を預け合いすぎた。
だから、この複雑な心を伝えるよりも、取り繕ってしまう方が、よっぽど良いと思う。
この気持ち達を、この記憶を。伝えるには一晩じゃとても足りない。そしてコレから先、ナナシがいない人生は長過ぎることだろう。それならば、取り繕って一言感謝を述べるのが良いはずだ。いつものように。
「クリプトらしいや」
「ん」
「私もクリプトと組めて楽しかったよ、……もちろん敵対するのもね」
ナナシはどこまで自分のことを見透かしているのだろう。
曖昧な感謝の言葉に、ナナシは笑って私もだよと言ってくれる。そんな曖昧に濁した言葉を笑ってくれるのだ。
あぁ、そうだ。俺はナナシのそんなところに。
「クリプト」
「なんだ」
「ちゃんと幸せになるんだよ」
「……あたりまえだ」
ナナシも。
「……ナナシも。……幸せに。その、旦那さんと。幸せにな。」
「…うん。ありがと」
本当に、どうか。
俺の目が届かない、俺の知らないナナシの人生がどうか幸せであってほしい。
夜風が頬を撫でて、ナナシの乱れた髪を攫っていく。顔にかかった髪を払う仕草も、この横顔も、もう見納めだ。
「――……じゃあ、私そろそろ行くね。」
ナナシが立ち上がる。見慣れた服の裾が揺れて襟が擦れる。
クリプトはようやくナナシの顔を見た。
ナナシと目が合うと、彼女は「あ、やっと目が合った」とまた笑うのだ。この笑顔も声も、……もう手が届かなくなる。
心が騒ぐ、何かいうことがあるはずだと。何かしなくてはいけない事があるはずだと。
「ナナシ……」
「なぁに」
「……またな」
「……ふふ」
ナナシは笑う。
「バイバイ、クリプト。元気でね」
髪を、裾を、言葉を翻して、ナナシは去っていく。
掴むことなんてできやしないのだと言い聞かせ、クリプトはナナシの背中を見送る。
コツコツと、足音が遠ざかり、やがて店の中には酔い潰れたもの達の寝息ばかりが残される。
すっかりパーティの空気が薄れた店内に、起きているのは自分だけになってしまった。
クリプトはしばし外の景色を眺めて、それから深く深く息を吐く。そうして無意識にアルコールを飲もうとして、手元の液体が最早不味いだけのものになっていることを思い出した。
ひっくり返してそれを捨てると、クリプトはカウンターに置かれていた半端に空いた酒瓶を手に取ってそのまま歩き出す。
あのローバが呑んでいた酒だ。きっと美味しいはずだ、と算段をつけてクリプトも店を出る。
外の空気は冷えていて、土の香りを多分に含んだ香りがする。夜の静寂も、頬の熱を奪っていく風も、なんだかとても他人行儀に感じる。
彼女が通ったであろう道の方を見て、クリプトは自分の襟をただして遠回りの帰路を行く。
あとにはもう夜の帳が下りるばかりだった。