マーガレットの火葬
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…………私は、悪夢を見ていた。
眼球が蠢き、私を見ている悪夢だ。
360度、大小様々な目が私をみている。
私は走る。
どこか行く宛があるわけではない、
どこか帰る場所があるわけではない、
だれか待っているわけではない、
それでも、私は走る。
腹を穿たれる、不気味な色をしたシガイが襲いかかってくる、
不愉快な音がする、ギリギリギリ、
鳴いているのは電子回路か、私の歯か、それとも
目が追いかけてくる。追いかけてくる。
走る、走る。どこまでも走る。
やがて力尽きて、私は倒れた。
蛍光灯の下で見た手のひらのオイルは血液だった、
…私の頬を汚しているのは彼女の肉片だ、
「う……ッ」
私は胃の中身を全て全て全て全て出し切って、そしてまた走る。
何もない荒野の果てに、なにもかも、全てを飲み込んで欲しいと……切に願って、私はひたすら走り続ける。
しんじて、しんじて、私じゃ、ない、の
そうして日が昇り、また夜がやってくる。
がむしゃらに走り続けて、どこか行くべき場所があるとしんじ、…………
やがて、雨が降り出した。
なにもなかったと言わんばかりに、全てを流すような……季節外れの大雨だった。
そこで私は、あの人に出会った。
残響エレクトロニクス
眩しくて目を覚ます。
目を開ければ、大きな窓の向こうに夕陽が沈んで行こうとしているのが目についた。
今日の太陽は、死際にひときわ大きく燃え上がっている。
このままあと10分もしたら地平線の向こうにきえていくだろう。
「…………」
目を閉じれば残光が火花のように黒の中に瞬いている。
チカチカと、不確かな明るさで、燃えている。
赤い残光が点滅を繰り返す。
ホロリと頬を水滴が濡らしていく感覚があった。
「…………はぁ」
それはまさしく、私にとっての悪夢だ。
(起きなきゃ…)
あまりに夕陽が眩しくて、私は身体を起こした。
スプリングが軋んで、体に掛けられていたジャケットが滑り落ちる。
「……?」
見覚えのある…いや、見覚えしかないグレーのジャケットだ。
特徴的なブローチが夕陽を浴びて光っている。
これが部屋にある、ということはあの人も戻ってきているのだろうか。
(あぁ、そういえば先輩のこと波止場に置き去りにしてたな…)
先輩、驚いただろうなぁ。
突然逃げ出したりして。
……ディーノは四年たった今でもあの日どうして私が倒れていたのか聞いてこない。
それが私がまだ王都であった事を飲み込みきれていないと知っているからだ。
そしてあの人は何も言わずに私のことを隣に置いている。
私もそれに甘えて……四年が過ぎ去った。
もしかしたらこのままずっと過ごしていけるのかも、なんて心のどこかで思っていた。
あの夜のことは全部なかったのかも、なんて夢を見たりもした。
けれど、そんなことはなかった。
説明しなくちゃ……。
私は目を閉じる。
瞼の裏で、忘れられるはずもないLEDの瞬きと、大切な友人の毛先が揺れている。
ああでももう私はあの子の声を思い出せなくなってきている。
どんな風に笑う子だっただろう、どんな調子で話す子だったろう。
思い出そうとすればするほど思い出されるのは冷たい色で横たわるナターリヤの顔だ。
……軽率に外に出て、ナターリヤに軽率な指示を出しておいて失敗したのは私だ。
あの時もっと早く足を痛めていたことに気付いていれば私が攻撃を受けていたのに。絡まる腕を振りほどく力があれば、ナターリヤを守れるだけの力があれば。
わたしは、あまりに馬鹿だった。
(……先輩、引くかな)
私が親友を殺したこと、それを認められなくて逃げたこと。
あの人の目を見ただけで怖くて怖くてたまらなくなってしまったこと。
ディーノがどれほどちゃらんぽらんだろうと、あの人だって人間だ。身近にいる人間が人殺しなんて、不気味に思うだろう。
もっと早く言えと、怒られるかもしれない。……今すぐ縁を切られてしまっても、おかしくないのだ。
私は、それを恐れている。
先輩の甘さに、甘えている。
本当にすべてを無くすことに、おびえている。
それでも……
(四年間、お世話になったんだから、……言わなきゃ)
たとえこれっきりになってしまったとしても。たとえ軽蔑されてしまったとしても。
あの夜に見た目を……再び向けられることになったとしても。
覚悟を決めて、私はジャケットを拾い上げて、膝の上で畳む。
先輩がつけている香水がほのかに鼻をくすぐった。
マリン系と柑橘系のシンプルな香りはガーディナによく合うなと思って少しだけその香りを深く吸い込んだ。
ミント系が入っているわけでもないのに、不思議と香水はツンと目の奥に沁みた。
ガチャリ、ノブが回って扉が開いた。
振り返れば、夕陽に染まった白のベスト姿の先輩が背中で扉を開けながら入ってくる。
両手にパソコンがあるから、もしかしたらここで仕事をしようとしてくれていたのかも、なんて少しばかり夢を見る。
ディーノは私と目が合うと肘をあげて「やほ」と短い挨拶をしてきた。
「……おはよ、シャンディ」
「おはよう…ございます。」
「気分悪くない?」
「…だいぶ悪いです」
「素直」
軽い調子で笑うとディーノは片足で扉を閉めた。
そして部屋からわざわざ運んできている途中だったのか、仕事道具たちがまとめられたサイドテーブルにパソコンをおいて、椅子に逆向きで腰掛けた。
背もたれ部分に腕を組んで、さらに顎を乗せて小さな息をつく。
「……」
「…………」
お互い、何も言わなかった。
チラリと横目でディーノを見たが、彼は椅子に腰かけたまま沈んでいく夕陽を眺めている。
何か言え、という雰囲気はない。
私もつられて窓の外に視線を向けた。
まるで何か終わりを告げているような美しい夕陽だ。全てを茜に染めて今日という日を締めくくっていく。
もう、すでに半分が地平線に溶け消えてしまった。
こういうところが、とても優しい、と思う。
そして甘えていいんだと、言われているように思う。
(いやだ…)
せっかく決めた覚悟が横顔に溶かされていく。
優しさに、失いたくないという感情が顔を出してきて、開きかけた口が震えた。
太陽が水平線に沈んで行くほどにその思いは胸をぐちゃぐちゃにかき混ぜて行く。
今はもう鼻をくすぐる香水も、静かに響く呼吸の音も、想い出も太陽も海原も、何もかもが私の思考を奪って目の奥を熱くさせるだけだった。
じんわりと視界が滲んで夕日のオレンジが乱反射する。
(……こわい、しずまないで、まだ、もう少しだけ。)
ディーノはちゃらんぽらんな上司だし、正直苦労したこともたくさんある。
それでも私を4年間支えてくれた人だ。
生きる楽しさを、世界の広さを教えてくれた人だ。感謝しても仕切れないほどたくさんの物をくれた。
温かくて、優しくて。
とても心地の良い関係だった。
それを喪おうとしていることが、ひどく恐ろしい。
少しだけ震える肩に気付かないふりをして、死んでいこうとする太陽を目に焼き付ける。
(まだ、センパイの後輩で、いたいんだ、私は、まだ)
パシャっ
「……は?」
「おっ、なかなかいい感じじゃない?」
シャッター音に顔を向けると、ディーノがいつのまにかレンズをこちらに向けていた。
使い込まれたカメラだ。(ディーノはあまりにセンスがないとビブさんに言われ続け、不貞腐れてカメラを手放しているし、それは間違いなく私が初任給で買ったやつなんだけど)
「…セ、ンパイ、それ私のカメラです」
「だってシャンディの横顔すごいシャッターチャンスだったから」
「そういうの盗撮って言うんですよ……」
「大丈夫大丈夫、シャンディのカメラだし、中身的には自撮りみたいなものじゃん?」
「いやそういう問題じゃないですって……」
勝手な言い分に苦笑する。
本当変わらない人だ。私は間違いなくそれに救われて来た。
視界の隅で夕陽が一瞬眩く輝いて、そして地平線の向こうに沈んでいった。
夜が、きた。……きてしまった。
言わなくては。
私は意を決してディーノの顔を見た。
「……ディーノ先輩、あの」
「ん?
……あ、ちなみにさっきのことなら興味ないから 俺」
「うそぉ…」
言うより先に拒否られた…?!
聞く気ゼロな先輩に呆れ半分に「なんで聞かないんですか」と問えば、興味ない、と再び同じ答えが笑いながら返ってきた。しかも視線は私のカメラのディスプレイに向いたままだ。
見向きもしない。
本当に私の過去に興味がないとしたって…私の立場はエサになる。だってインソムニアの警護隊、しかもノクティス王子のお忍び旅行についていくような重要人物と関わりがあるのだ、ディーノからしてみれば王家とつながる大事なコネになることなんて明白なのに。
興味ないなんて露骨な嘘をつく必要なんてどこにもない。
険しい顔でもしていたのか、ディーノは自分の眉間を指して「シワすごい寄ってるよ」と人の気も知らず笑った。
「なんで、そんな嘘…つくんですか……」
「いやいや嘘じゃないって マジ。超どうでもいい」
「…………」
「あーいやそうじゃなくて…うーん。
なんていうか今言おうとしてること俺の知ってるシャンディとは関係ないっしょ」
「そんなこと……」
「だって俺の知ってるシャンディはまだまだ半人前の記者だし?それ以上でもそれ以下でもないじゃん
シャンディが何して来てようが、俺の後輩。それで良くない?」
「でも、っでも私は……!」
「シャンディ、どうせ『王家と繋がるチャンスなのに』とか考えてるだろ
俺そんな危なっかしいのに頼らなくても十分ヤレるし。」
「………っ」
「……そんな顔しないでよ」
「だって」
先輩が気を遣ってくれてるの、痛いほどわかるからです。
あまりの優しさにそれを言いかけて飲み込む。
さっきとは違う熱が溢れ出そうになって、私は慌てて膝を抱えた。
ディーノのジャケットまで巻き込んでしまったけれど、もう…少しも顔をあげられそうになかった。
先輩は、まだ私の先輩でいてくれようとしてい、る。シャンディはまだ隣にいて良いんだと言ってくれてる。
惰性だらけの関係を続けてて良いと甘やかしてくれている。
「俺がムリヤリ話聞き出すの嫌いなの知ってるでしょ。あ、シャンディが話したいって言うなら話は別だけど?なーんかそうじゃないっぽいし」
「……はい」
「じゃあそれでいーじゃん?俺としても優秀な後輩が抜けるのはかなり痛いっつーか。シャンディがいなきゃ誰が写真撮ってくれるのってハナシなわけ」
ぼろり、目から堪えきれなかった熱がこぼれ落ちた。
熱は止め処なくぼろぼろと溢れて、自分の膝とディーノの上着を濡らしていく。
鼻をすすれば先輩の優しい香水の匂いが更に目の奥を、喉を締め付けていく。胸の奥がとても温かい。
なんて、なんて優しい人なんだろう。
私はまだここに居ていい、のか。
その腕に甘えていいのか。
嬉しくて嬉しくて、そしてまだ伝えられるカクゴがなかった自分に涙が止まらない。
「ごめ、んなさい」
「べっつにいいってば」
「……先輩、優しいですね」
「そーだよ。俺優しいの。……なに、惚れちゃった?」
「……それは無い…」
「ほんとひどいなぁ」
ケラケラと心地よい笑い声をあげてディーノは私の隣に腰かけた。
スプリングが再び軋んで、私の体も大きく揺れる。
嗚咽をこらえようと必死になる私の頭をぐしゃりと撫でて、ディーノは「ほらこれとか、俺超好きなんだよね。」と言う。
少しだけ顔を出してディスプレイを見る。
それは先日カクトーラの元で呑んだ時に撮ったカクテルと、カクトーラの笑顔の写真だ。
誇らしそうに、それでいて少しだけ照れたようなカクトーラの笑顔がそこにある。
「俺こんな良い写真撮る後輩、他に見つけらんないだろうからさ。」
思わず顔を見れば、ディーノは目尻をくしゃりと寄せて悪戯をする子供のように笑ってみせた。
手渡されたカメラを受け取る。
4年間使い続けて来たカメラは、私の記者人生そのものだ。
ディスプレイにはガーディナに来てからの写真がたくさん残されている。
これはもう、王都には帰れない私の武器。
撮りためて来た写真を進めていく。
ビーチではしゃぐカップルの写真、家族連れの背中を撮った写真、それから昨日撮ったばかりの釣りのおじさんの写真もある。
そしてその次は茜色に染まった私の顔。ディーノが今さっき撮ったやつだ。
なんて酷い顔をしているのだろう、化粧は半分くらい落ちているし、夕陽が乱反射して白飛びしているし、表情も最悪。
ピントもアングルも被写体も酷い有様だ。ビブさんから即ボツを貰ってしまいそうな写真。
「……たしかにこれは…任せられないです」
「うっそぉ。俺的には渾身の一作なんだけど」
「ビブさんが頭を抱える理由がわかった気がします」
結局私もビブさんを唸らせることはできなかったし、ディーノのこの写真じゃ違う意味で唸ってしまうかもしれない。『ディーノは写真へたっぴだし、シャンディちゃんはまだまだノウハウがない、じゃあ2人でコンビ結成しちゃえばいいじゃん!』ビブさんの言葉を思い出す。
頬についた肉を揺らして、ほほほ、と楽しそうに笑う人だ。
会うたびに毎回変なTシャツを着ている不思議な人。
ディーノの顔を見る。毎日顔を付き合わせている、鼻筋が通った顔。
くしゃりと笑みを浮かべて笑う、ちゃらんぽらんな上司。
全く私の周りには変な人ばかりが集まるのだろうか、一変した生活に笑ってしまいそうになる。
けれど…私を拾ってくれたのが、この人でよかった。
こんな変な世界に連れてきてくれたのが、この人で、よかった。
「シャンディさ、気負いすぎっしょ」
「先輩が軽薄すぎるんですよ。…フツー大事な話を興味ないって切り捨てます?」
「だってマジでどーでもいいから?」
「あーはいはい分かりました。先輩私に興味ないですもんね」
「……逆に興味、持って欲しいわけ?」
「気持ち悪い発言やめてください…」
「ちょっ、今の俺悪くなくない?」
自然と笑みがこぼれた。
涙の残骸がほろりと頬を伝って先輩のジャケットに跡をつける。
シャンディ酷い顔してる、そう言ってディーノの手のひらが私の目尻をこすっていく。子供みたいな顔だ。
いつか、ちゃんと話せる日がくるといいな。
「もう、子供扱いしないでくださいよ、」私はお返し代わりにレンズを向けてシャッターを切った。
「……グラディオ」
「んだよ…アイツは別にそう言うんじゃねぇよ」
「しかし彼女は…その、昔あった事件の」
「ありゃあ事件じゃねぇ、事故、だ」
「……。…探さなくていいのか?」
「……今はアイツが生きてるって分かっただけで充分だ」
「えー俺超気になるなぁ~ねっねっ、ノクト、なんだと思うアレ」
「…ただれたカンケイ、だったりしてな」
「キャーフケツ~!」
「おい聞こえてるぞそこ」
「ノクト、プロンプト、明日は朝一で鉱石を採りに行くんだ、早く身支度をして就寝の準備をしろ」
長きに渡る争いに、ひとまずの休戦が打たれる前夜。
リゾート地のホテルの一室に男たち4人の騒がしい声が響き渡った。